第74話 幼馴染と過ごす穏やかな夜
再開初日ほどではなかったものの、今日も食堂やまもとは十分に忙しかった。
ただ、夜が深くなるにつれて客足も落ち着き、店長から「夏樹ちゃんも心配だろうから、今日はもう上がっていいよ」と言ってもらえたため、俺と柴田さんは少し早めに店を出ることになった。
ちなみに川村と西海は、普通に食事をして帰っていった。山本さんにやや多めに絡んでいた印象はあるが、特に何かあったわけではない。
「広瀬さんが元気になったら、また来るよ」
西海は帰り際にそんなことを言っていた。それに対して柴田さんは一言も発していない。発してはいないのだが――顔が完全に『来なくて結構です』と言っていた。店長がその横で苦笑いしていたので、たぶん俺の気のせいではない。
そして現在。俺は夜の街を車で走っていた。
夕方に比べれば交通量は随分と減っている。昼間の熱を残したアスファルトの上を、街灯の白い光が一定の間隔で流れていく。対向車とすれ違うたびにフロントガラスが一瞬だけ明るくなり、すぐにまた落ち着いた夜の色へ戻った。
「思っていたよりお客さんが少なくて助かったわ」
助手席の柴田さんが、窓の外を眺めながら口を開いた。
「夏樹がいない中で働くのは、少し不安だったの」
「柴田さんでもそんなこと思うんだな。いつも飄々と乗り切っているように思ってたんだが……」
「そんなことないわ。私はこんな性格でしょう? 接客には向いてないと思っているのよ」
「そうでもねぇだろ? ファンはしっかり付いてるじゃないか」
今日だって柴田さん目当てらしき客はいた。
「相手がどう思っているかではないわ。私自身の問題よ」
「あ、そう……」
なんか深いこと言ってる。これ以上掘ると面倒な話になりそうなので、俺は前方の信号に集中することにした。
信号が青へ変わる。アクセルをゆっくり踏み込み、再び車を走らせる。
「夏樹の様子も気になるけど、今から行ったら迷惑になるかもしれないから、あなたに任せるわ」
「ま、昨日に比べるとマシになってるようだし、俺はあんまり心配してないけどな」
「でも、体調が悪い時に一人でいるのは不安なものよ?」
「それはそうだな……。俺も何度か孤独死の危険を感じたことがある」
「夏樹が隣に住んでるのに?」
「たまたま広瀬家が家族旅行に行ってる時に風邪をこじらせてな……。あの時はさすがに参った」
高熱を出して布団の中で一人、『水……』と呟いたところで当然ながら誰も持ってきてくれない。世界の厳しさを学んだ瞬間だった。
「あなたでもそんなことがあるのね?」
「そりゃそうだろ。俺は一人のか弱い人間という動物だ」
「全くそうは思えないわ」
「何でだよ」
「か弱い人間は、風邪を引いた幼馴染を抱えて病院まで連れて行った翌日に、普通に学校へ来て、そのまま食堂で働いたりしないと思うわ」
「偏見だ」
「事実よ」
即答された。納得いかん。
俺だって熱を出せば寝込むし、腹も壊す。人間として必要な機能は一通り搭載されているはずだ。
窓の外では、営業を終えた店の明かりがぽつぽつと消え始めていた。昼間とは違って、街全体が少しずつ眠る準備を始めているように見える。
俺はハンドルを握ったまま、小さく息を吐いた。とりあえず家に帰ったら夏樹の熱を測って、店長からもらった賄いを食わせて、薬を飲ませて――。
……なんだ。今日もまだ、俺の仕事は終わってないじゃねぇか…
しばらく車を走らせていると、助手席の柴田さんが何かを思い出したように口を開いた。
「それはそうと、大工さんたちの会話が少し気になったわ」
「あぁ……確かに」
明日から入る予定だった仕事が、突然無期限で中止になったという話か。俺は前方を走る車との距離を保ちながら、今日学校で聞いた話を思い出す。
「明日、山道の旧道の広場に調査が入ることになったらしい」
「そうなの?」
柴田さんがこちらを向いた。
「私、聞いてないわ」
「あれ? 言ってなかったっけ?」
「聞いてないわよ」
「今日、山田が教えてくれたんだ」
「何ですぐに言わないの? 大切なことじゃない」
ごもっとも。
「いや、その時は共有しておかなきゃと思ってたんだが、色々あって今になった」
「色々って何よ」
「授業とか、夏樹の体調とか、食堂とか」
「あなたの場合、その中に読書も入ってるでしょう?」
「……否定はしない」
「でしょうね」
何だろう。
柴田さんの俺に対する理解度が着実に上がっている。
ちっとも嬉しくない。
ちょうど信号が赤になり、俺はゆっくりブレーキを踏んだ。夜ということもあって、交差点を行き交う車はまばらだ。道路沿いのコンビニだけがやけに明るく、その先には閉店した店の看板が暗闇の中に並んでいる。
「由香姉にも伝えておかないといけないわ」
「あぁ、そうそう。それも伝えておかなきゃと思ってたんだ」
「……あなたね」
柴田さんの視線が痛い。
「なんだよ」
「重要な情報を頭の中に保管したまま忘れるの、やめてもらえる?」
「忘れてたわけじゃないぞ。思い出すのが遅れただけだ」
「世間ではそれを忘れていたと言うのよ」
「日本語って難しいな」
「あなたが難しくしてるだけよ」
信号が青になる。俺は何事もなかったようにアクセルを踏んだ。
ともあれ、これで状況はかなり動くことになる。
「明日、調査が入ったら、埋められていたものが何なのか、それを指示したのは誰なのか、その目的が何なのか……その辺りがわかると思うんだよな」
「そうね」
柴田さんも表情を少し引き締める。
「少なくとも、今までみたいに推測だけで話す段階からは進むでしょうね」
「だな」
俺たちが見た深ダンプ。雨の日に山道を走っていた車両。旧道の奥にある不自然な広場。そして山田農園で見つかった汚染。今まで俺たちが拾い集めてきたものは、どれも状況証拠でしかない。だからこそ、明日の調査は大きい。
「これで山田農園には一切問題がなかったことが証明されるわね」
「……そうなりゃいいんだけどな」
「何?」
柴田さんがすぐに反応した。
「どういうこと?」
「いや、別に。俺の想像だから今は言えない」
「何よ……ケチね」
「あのな……」
俺は思わず苦笑した。
「推測だけで適当なこと言って、違ってたらどうすんだよ」
「私にだけならいいじゃない」
「良くねぇよ。変な先入観を持たせるだろ」
「じゃあ、何か考えてはいるのね?」
「ノーコメント」
「考えてるのね」
「……ノーコメントの意味知ってる?」
「肯定も否定もしないことでしょう?」
「そうだよ」
「でも、山神の場合はだいたい何か考えている時に使うわ」
こいつ……。俺の扱いに慣れすぎじゃないか?
ワイパーの向こうに、夜の街灯が次々と流れていく。昼間なら人や自転車の多い道も、今は随分静かだった。時折すれ違う車のヘッドライトが車内を白く照らし、柴田さんの横顔を一瞬だけ浮かび上がらせては後ろへ消えていく。
「まあ、明日になればわかることだ」
「そうね」
「俺たちが今ここで考えても、地面の中身が変わるわけじゃない」
「それはそうだけど」
「だったら専門家に任せよう。俺は地面掘る資格なんて持ってないし」
「資格が必要なの?」
「知らん」
「適当なこと言わないで」
「だから専門家に任せるんだよ」
完璧な理論だと思う。柴田さんは呆れたようにため息をついた。それからスマホを取り出し、何やら操作し始める。
「由香姉に連絡しておくわ」
「頼む」
「あなたが忘れていたってことも伝えておくわね」
「その情報はいらないだろ」
「重要な情報よ」
「どこがだよ」
静かな夜道を、俺たちを乗せた車が走っていく。明日になれば、いくつかのことがわかる。今はただ、それを待つしかなかった。
柴田さんを自宅まで送り届けたあと、俺は一人で夜道を走っていた。途中、スーパーにでも寄って帰ろうかと思った。冷蔵庫の中身を考えると、そろそろ牛乳やら卵やらを補充しておきたい。けど――。
「……今日はいいか」
夏樹の様子が気になる。家を出る前は三十七度八分。朝よりはマシだったとはいえ、まだ微熱は残っていた。柴田さんが一緒にいてくれた間に汗も拭いてもらったし、水分も用意した。何かあれば連絡するようにも言ってある。
それでも、気になるものは気になる。スーパーなんぞ明日でも逃げやしない。
いや、閉店したら困るが、それは経営上の問題なので俺にはどうにもできん。
結局、寄り道せずに自宅へ直行した。駐車場に車を入れ、エンジンを切る。それまで小さく流れていた音楽が途切れると、一気に静かになった。
「ただいまー……」
誰に言うでもなく呟きながら玄関へ入る。いつもなら夏樹から「おかえりー」と返ってくることもあるのだが、今日は何も聞こえない。
寝てるか……。
靴を脱ぎ、まずは洗面所へ直行する。手洗い、うがい。飲食店で働いたあとだし、病み上がりの人間がいる家に外から余計なものを持ち込むわけにはいかない。石鹸で念入りに手を洗ってから、俺は一階の夏樹が使っている部屋へ向かった。
コンコン。
「夏樹~? 入るぞ~?」
返事はない。もう一度軽くノックしてから、静かにドアを開ける。部屋の中は薄暗かった。カーテンの隙間から外の明かりが僅かに入り、ベッドの輪郭だけがぼんやりと浮かんでいる。その真ん中で、布団がこんもり膨らんでいた。
「夏樹~? 寝てるのか?」
「う……うぅん……」
生存確認。俺の声に反応した夏樹が、もぞもぞと寝返りを打った。ベッドの横まで行って顔を覗き込む。家を出た時よりは顔色が良さそうだ。少なくとも、昨日みたいに見るからにぐったりしている感じではない。
「大丈夫か? 熱はどうだ?」
そう言いながら、額へ手を当てる。
……うん。まだ少し温かいような気もするが、昨日ほどじゃない。すると突然、夏樹の両手が俺の手を包んだ。
「ん?」
そのまま俺の手を額へ押しつけるようにして、
「えへへ~。創ちゃんだ」
「…………」
なんだこいつ。寝ぼけてんのか?
目は半分しか開いてないし、口元には妙に幸せそうな笑みが浮かんでいる。俺の手を両手で大事そうに捕まえたまま離そうとしない。
「夏樹?」
「ん~……」
「起きてるか?」
「起きてるよぉ……」
嘘つけ。絶対半分寝てるだろ。
しばらくすると、徐々に意識が覚醒してきたのか、夏樹の目が少しずつ開いていく。
俺を見る。
自分の両手を見る。
もう一度、俺を見る。
そして――。
「…………」
「…………」
ボンッ、と音が聞こえてきそうな勢いで顔が赤くなった。
「うぇえっ!? 創ちゃん!?」
「どわわっ!」
俺まで飛び上がりそうになる。
「急に大きな声出すなよ! びっくりするだろうが!」
「え? 創ちゃんがなんで!? あれ!? 今何時!?」
「まったく……」
寝起きで混乱しすぎだ。俺は捕獲されていた手をようやく回収し、部屋の時計を見る。
「今、二十時半くらいだと思うぞ。店長が気を使って少し早めに上がらせてくれたんだ」
「あ……そうなんだ」
夏樹がようやく状況を理解したらしく、布団の中でもぞもぞと姿勢を直した。
「食堂のみんなに迷惑かけちゃったな……」
「ま、元気になって、その分働いたらいいさ」
「うん……」
「お客さんもみんな、お前のこと待ってたぞ?」
正確には西海も「回復したらまた来る」と言っていたのだが、それを今わざわざ言う必要もないだろう。
夏樹の表情がふっと柔らかくなる。
「そうだね。そうする」
「おう」
声にも随分力が戻っている。これなら大丈夫そうだな。
「あ、そうだ」
俺は店から持って帰ってきたものを思い出した。
「店長が今日の賄いを持たせてくれたんだ」
「店長さんが?」
「消化に良くて栄養満点らしい。山本さんが言うには、薬よりも強力な料理だそうだ」
「ふふふっ。なにそれ」
夏樹が布団の中で小さく笑う。
「そんなこと言ったら、お薬屋さんが怒っちゃうよ」
「俺も同じことを思ったぞ。製薬会社を敵に回す発言だからな」
「萌らしいね」
「効能については一切保証できません」
「ふふふっ」
よし。笑う元気もある。
「食べられそうか? 食べられそうなら温めてくるが」
「うん」
夏樹が自分のお腹に手を当てる。
「お腹すいちゃった。食べたい」
「それなら安心だ」
昨日なんて食欲そのものがなかったからな。腹が減ったと思えるだけでも随分な進歩だ。
「起きられそうか? それとも部屋まで運ぶか?」
「ううん。もう大丈夫だと思う」
そう言って、夏樹がゆっくり上半身を起こす。俺は念のため手を出せるようにしていたが、今日は自力でちゃんと起き上がれた。
「寝すぎちゃったからか、ちょっとぼーっとするけど、昨日みたいなだるさはもうないよ」
「そっか」
その言葉を聞いて、俺もようやく少し安心する。
「じゃ、準備してるから、もう少しゆっくりして適当に出てきてくれ」
「わかった」
「急がなくていいからな」
「は~い」
いつもの調子に近い返事だ。
俺は立ち上がり、ドアへ向かう。その途中で一度振り返ると、夏樹はまだ少し眠そうな顔をしながら布団の上に座っていた。昨日に比べれば、ずっと元気そうだ。
よし。あとは店長自慢の賄いとやらに働いてもらおう。薬より強力らしいからな。
……本当に治ったら、食堂やまもとは飲食店ではなく医療機関として届け出た方がいいかもしれん。
そんなくだらないことを考えながら、俺は静かにドアを閉め、夕飯を温めるためキッチンへ向かった。
「おいしい!!」
向かい側から、随分と元気な声が飛んできた。
「これは凄いな……めっちゃ旨い」
店長から持たせてもらった賄いを温め、俺たちはいつものように向かい合ってテーブルを囲んでいた。
消化に良くて栄養満点。店長の自信作だというだけあって、確かに旨い。
「この出汁……鶏だけじゃないな」
一口食べて考える。舌に残る柔らかな旨味。野菜の甘味も溶け込んでいる。生姜もほんの少し入っているのか? 身体が内側から温まるような感じがある。具材は細かく刻まれていて、病み上がりでも食べやすい。味付けも薄めなのに物足りなさがない。
「……椎茸? いや、昆布も使ってるな。あとこれは――」
「ふふふっ」
「ん?」
顔を上げると、夏樹が俺を見て笑っていた。
「なんだよ」
「創ちゃん、本当に料理好きになったよね」
「旨いもの食ったら、どうやって作ってるのか気になるだろ」
「普通は『おいしい』で終わるんじゃない?」
「もったいない」
「そういうところ、創ちゃんだよねぇ」
どういうところだ。
まあ、食堂で働き始めてから料理を見る目が変わったのは確かかもしれない。今度、店長に作り方を聞いてみよう。そんなことを考えながら食べていると、夏樹がぽつりと言った。
「創ちゃんにも、たくさん心配かけたね」
「んあ?」
急に何だ。
「そんなこと気にすんな。困った時はお互い様だろ?」
「でも、学校まで休んでもらったし、病院にも連れていってもらったし、ご飯も作ってもらったし……」
指折り数え始めた。
「お姫様抱っこも――」
「それは必要だったからだろ」
「う、うん……」
なぜ赤くなる。熱が戻ったか?
「何かお返ししなきゃな~」
「いらねぇよ」
俺は即答して、賄いをもう一口。
「病人を看病するのは人として当然だろ。今度、俺が体調崩したら面倒見てくれ」
「えぇ~。創ちゃん滅多に体調崩さないじゃん」
「当たり前だ。俺を誰だと思ってる」
胸を張って言ってやる。夏樹は箸を止め、しばらく俺を眺めた。
「幼馴染の、とっても頼りになるスーパー高校生。もさもさだるだるだけど」
「あのな……」
突然ディスるな。
「せめて褒めるなら最後まで褒めきれよ」
「褒めてるよ?」
「後半に悪意しか感じねぇんだよ」
「だって創ちゃん、髪もさもさだし、普段だるそうだもん」
「事実なら何言ってもいいわけじゃねぇぞ?」
「あははっ!」
夏樹が楽しそうに笑う。まったく……。
でも、その笑い声を聞いていると、文句を言う気も失せてしまった。昨日は真っ赤な顔でベッドに沈み込んでいた奴が、今は旨そうに飯を食って、くだらないことで笑っている。それだけで十分だ。
「ほら、冷めるぞ」
「は~い」
「あと、食い終わったら薬な」
「わかってます~」
「本当か?」
「創ちゃん、昨日からちょっとお母さんみたい」
「誰がお母さんだ」
「じゃあ、お父さん?」
「そういう問題じゃねぇよ」
また夏樹が笑う。俺も呆れながら、店長の賄いを口へ運んだ。静かな夜の食卓。 いつもと変わらない、どうでもいい会話。やっぱり、こいつは元気な方がいい。
夕食を食べ終えた後、夏樹は大事を取って風呂には入らず、そのまま部屋で休むことになった。本人は、「もう熱もほとんどないし、お風呂入っても大丈夫だよ?」などと言っていたが、今日は学校にも行ったし、一度微熱がぶり返している。
「今日くらい我慢しとけ。明日完全に熱が下がってたら入ればいいだろ」
「はぁ~い……」
若干不満そうだったものの、夏樹も体力が完全に戻っていない自覚はあるらしく、素直に部屋へ戻っていった。
さて。夏樹が風呂に入らないとなると、俺一人のために浴槽いっぱいに湯を張るのもなんだか勿体ない。
「今日はシャワーでいいか」
誰に言うでもなく呟いて、俺もさっさと風呂を済ませることにした。温かいシャワーを頭から浴びる。
「ふぃ~……」
思わずおっさんみたいな声が出た。今日は学校へ行って、そのまま食堂で働いて、柴田さんを家まで送って……。考えてみれば、なかなか忙しい一日だったな。
シャワーを終え、適当に身体を拭いて部屋着に着替える。あとは髪なんぞタオルでワシャワシャやっとけばそのうち乾くだろう。俺はタオルを頭から被り、犬が水を払うような勢いで髪を拭きながらリビングへ戻った。すると、テーブルに置いてあったスマホの画面が光っている。
「ん?」
手に取って確認する。夏樹からだった。
『眠れない…』
「…………」
俺は無言で時計を見た。
そりゃ眠れんだろ。今日、帰ってきてからずっと寝てたじゃねぇか。昨日も相当寝ている。むしろここで普通に眠れたら、どれだけ睡眠を必要としているんだ。
「まったく……」
ため息を吐きながらも、放っておくのも可哀想なので返信する。
『家のことが終わったら部屋に行くよ』
送信。
ピロン♪
「早っ」
ほぼ即答だった。
『やった!待ってる』
「元気じゃねぇか……」
思わず苦笑する。まあ、体調が良くなってきた証拠だと思えば悪いことじゃない。
とはいえ、すぐに行くわけにもいかない。食器は洗わなきゃならんし、食堂から持ち帰った容器も軽く洗っておきたい。明日の朝飯の準備もある。
俺は食器を洗い、シンク周りの水滴を拭き取る。ついでに戸締まりを確認。冷蔵庫の中も確認して、明日の朝食を頭の中で簡単に組み立てる。
「よし……こんなもんか」
最後にリビングの照明を落とす。静かになった家の中を歩いて、夏樹が使っている部屋へ向かう。
しかし、眠れないから来てくれ、か。俺が行ったところで眠れるようになるとも思えないんだが……。
本でも朗読してやろうか。ちょうど地質学の本がある。地層の形成過程について延々と読み聞かせてやれば、五分で寝るかもしれん。
「……よし、それでいこう」
我ながら名案だ。そんなくだらないことを考えながら、俺は夏樹の待つ部屋へ向かった。




