第72話 戻ってきた日常と、隠していた日常
夏樹が熱を出した翌朝。起きてすぐ、俺は夏樹の部屋へ向かった。
コンコン、と軽くノックする。
「夏樹~。入るぞ~?」
「……創ちゃん。おはよう」
「おはよう。体調はどうだ?」
昨日より明らかに顔色がいい。少なくとも、三十九度台で茹で上がっていた顔ではない。
「大丈夫だよ。たぶん、熱も下がってると思う」
「そうか。学校には行けそうか?」
「うん。大丈夫。さっき、お母さんにも連絡しておいたよ」
「心配してただろ?」
「そうだね……。心配かけちゃった。創ちゃんにちゃんとお礼を言うようにも言われたよ」
「俺のことはいいよ。それより朝飯は食えそうか?」
「うん! お腹すいちゃった」
よし。食欲が戻っているなら、一安心だ。
「病み上がりだから、消化にいいもの作っておくよ」
「ありがとう! じゃあ準備してキッチン行くね」
「ゆっくり来いよ。昨日みたいに途中で膝から崩れるなよ?」
「もう大丈夫だってば!」
元気に言い返してくる。これなら本当に大丈夫そうだ。
俺はほっと息を吐きながら部屋を出た。
ただし――。学校へ行けても、今日の食堂のアルバイトは休ませる。そこは本人の意見を聞くつもりはない。
俺はスマホを取り出し、山本さんへ連絡することにした。
『夏樹の体調は良くなった。でも、アルバイトは休ませようと思う』
山本さんにSNSで送ると、ほとんど間を置かずに既読がついた。
早い。朝からスマホ握りしめて待機してたのか?
『おはようございます!!よかったです!食堂のお仕事は大丈夫ですよ!私が夏樹ちゃんの分までしっかりと走り回ります!!』
『飲食店なので埃が舞うのでやめた方がいいと思います』
送信。すぐ既読。
『なんで敬語なんですか??走り回るというのは比喩ですよ!そのくらい頑張るから夏樹ちゃんにはしっかり休んでくださいと伝えておいてください!』
『あ、比喩だったんですね。粉塵の飛ぶ食堂にならなくて良かったです』
『「粉塵」が何かわかりませんけど、ほめられてないことはわかりますからね!あと、敬語やめてください!』
察しがいい。そこだけは。
『わかりました。よろしくお願いします』
『だから~!敬語!!』
画面越しなのに、山本さんの声が聞こえる気がした。朝から元気いっぱいだな。昨日一日静かな夏樹を見ていたせいか、こういう騒がしさが少し懐かしく感じる。
……まあ、数時間後にはたぶん直接騒がれるんだけど。
ピロン♪
山本さんとのやり取りを終えた直後、またスマホが鳴った。今度は誰だ?
画面を確認すると、柴田さんからだった。
『おはよう。夏樹の様子はどう?』
『熱も下がったし大丈夫だと思う。今日は学校に行くって言ってるし、詳しいことは直接本人に聞いてくれ』
送信すると、こちらもすぐに既読がつく。
『そう。良かったわ。そうする』
以上。
短い。実に素晴らしい。
山本さんとのやり取りが卓球のラリーだとすれば、柴田さんとはキャッチボール一往復で終了である。俺としては非常に助かる部類のコミュニケーションだ。
よし。山本さんにはアルバイトのことを伝えた。柴田さんには夏樹の体調を伝えた。主要メンバーへの連絡任務、完了。
……たった数通メッセージを送っただけなのに、なぜか一仕事やり遂げた気分だ。
「さて、飯作るか」
スマホを置いて、俺はキッチンへ向かった。
病み上がりの朝飯なら、やっぱり消化のいいものだろう。
冷蔵庫を開けて中身を確認する。卵、長ネギ、昨日使った出汁の残り。冷凍庫には一膳分ずつ小分けにしたご飯もある。
よし、おじやだな。
まず小鍋に出汁を入れて火にかける。昆布と鰹の出汁なので、そのままでも十分香りがいい。そこへ醤油をほんの少しと、塩をひとつまみ。病み上がりの胃に「俺の味付けを食らえ!」と殴りかかる必要はないので、かなり薄めにしておく。
長ネギも細かく刻む。包丁をトントンと動かしているうちに、鍋からふわっと鰹の香りが立ち上ってきた。
「……これなら食えるだろ」
冷凍してあったご飯を電子レンジで軽く解凍し、一度ざるに入れてさっと水で洗う。こうして表面のぬめりを落としておくと、必要以上にどろどろにならず、出汁の味も濁りにくい。
まあ、おじやなんだから多少どろどろでも誰にも怒られないだろうけど。料理とは自己満足の積み重ねである。
たぶん……。
温まった出汁にご飯を入れ、弱火でことこと煮込む。時々、鍋底にくっつかないよう木べらでゆっくり混ぜる。ご飯が出汁を吸ってふっくらしてきたところで刻んだ長ネギを投入。最後に卵を一個、器に割って軽く溶く。鍋の中を一度大きく回して流れを作り、そこへ溶き卵を細く落としていく。
すぐには触らない。卵がふわっと固まり始めたところで火を止め、蓋をして少し蒸らす。
「よし」
蓋を開けると、黄色い卵が柔らかく広がり、出汁とネギの香りが湯気と一緒に立ち上った。我ながら病人食としては上出来だ。これで食欲が戻らなかったら、次はプリン先生に頼るしかない。昨日の実績を考える限り、あいつならきっと何とかしてくれる。
鍋の火加減を確認していると、ぱたぱたと廊下から足音が聞こえてきた。
「うわぁ~! 出汁の美味しそうな匂いがする~!」
振り返ると、制服に着替えた夏樹がキッチンに入ってきた。昨日とは違って足取りもしっかりしている。顔色も悪くない。
「もうすぐできるから座っててくれ」
「おじや?」
「そうだよ。しっかり出汁を効かせてるから旨いと思う。ちょっと自信作だ」
「うふふ~。楽しみ~!」
食欲も問題なさそうだ。俺は出来上がったおじやを器によそい、夏樹の前へ置いた。
「熱いから気をつけろよ」
「はーい。いただきます!」
レンゲですくい、ふーふーと念入りに冷ましてから口へ運ぶ。
「ん~~! 美味しい!」
「そりゃよかった」
俺も自分の分をよそって向かいに座る。出汁を吸った米は柔らかく、ふわっとした卵ともよく合っている。我ながら悪くない。
「創ちゃん、おかわりある?」
「もうか?」
「だって美味しいんだもん」
昨日はプリン一個を食べるのにも時間がかかってたのにな。俺は苦笑しながら鍋を見る。これだけ食欲があるなら、ひとまず心配はいらなそうだ。病み上がりということだけ忘れなければ、だが。
朝食を片づけ、出発前に夏樹へ確認する。
「朝の薬、飲んだか?」
「飲んだよ」
「昼の薬は?」
「ちゃんと持ったよ。ほら」
夏樹が鞄から小さなポーチを取り出して見せる。中には処方された薬がきっちり入っていた。
……俺が確認する必要なかったな。こいつ、こういうところは昔からしっかりしている。
「じゃ、行くか」
「うん!」
玄関で靴を履いていると、夏樹がくるりと俺を振り返った。
「創ちゃん、ありがとう! 創ちゃんが体調崩した時は、私がちゃんと面倒を診てあげるから安心しててね!」
「はいはい。その時は頼むよ」
「あ! あんまり期待してないな?」
「いや、そもそも俺は体調を崩すことはない」
「人間だし、わかんないじゃん」
「そうなる前にちゃんと対策取るからな。風邪気味だと思ったら早めに医療機関を受診するようにしてるし」
「ぶー」
何で不満なんだよ。
「あのなぁ……。俺に寝込んでほしいって言ってるように聞こえるぞ……」
「そんなことはないよ。でも、ちゃんと頼ってほしいなとは思ってるけど」
「ま、その時が来たらその時考えるよ」
「創ちゃんが考えたら、だいたい解決しちゃうじゃない!」
「解決できるならその方がいいじゃねぇか……」
「ぶー」
「なんなんだよ……」
家を出ると、朝の柔らかな日差しが住宅街を照らしていた。昨日の心配が嘘だったみたいな青空だ。塀の向こうから伸びた木々の葉が風に揺れ、道路には細かな木漏れ日を落としている。少し先では自転車に乗った学生が俺たちを追い越していった。
隣を見る。夏樹はいつものように俺の半歩ほど前を歩いている。足取りもしっかりしているし、時々鼻歌まで聞こえてくる。
うん。大丈夫そうだな。
「でもさ、創ちゃん」
「ん?」
「看病されるのも悪くなかったよ?」
「二度とされないように体調管理しろ」
「はーい」
返事だけはいい。よく見ると夏樹がなぜか少しだけ頬を赤くしている。
「どうした? まだ熱あるんじゃないか?」
「ないよっ!」
「ならいいけど」
「もう……創ちゃんのばか」
「なんで!?」
病み上がりの人間に朝から罵倒された。
理不尽である。それでも、昨日の弱々しい声よりはずっといい。
風に揺れる夏樹の髪を横目に見ながら、俺はいつもの通学路を歩く。昨日とは違う、何でもない朝。こういう日常が一番楽でいい。
もっとも――隣から聞こえてくる「ぶー」がなければ、もう少し爽やかな朝だったと思うが。
教室に着いた瞬間、夏樹が捕まった。
「広瀬さん、もう大丈夫なの?」
「昨日休んでたから心配したよ!」
「熱出してたんでしょ?」
「無理して学校来てない?」
「うん、大丈夫だよ。もう熱も下がったから。心配してくれてありがとう」
あっという間に夏樹の周りに人だかりができる。しかも男女関係なし。
男子だけなら、まあ、夏樹だしな……で済むんだが、女子も同じくらい集まっている。こいつの人気は性別という垣根を軽々と飛び越えるらしい。
一人一人に笑顔で「ありがとう」と返し、メッセージをくれた相手には「昨日は返事できなくてごめんね」とまで言っている。
なるほど。これがモテ女の真髄か……。
俺には一生縁のない特殊技能だな。
どうでもいい結論に至ったところで、自分の席に座る。鞄から読みかけの本を取り出し、栞を挟んでいたページを開いた。
さて、朝の読書タイム――。
「おはよう。山神、ちょっと話いいかい?」
開始三秒で終了した。
「おぉ。山田か。どうしたよ?」
顔を上げると、山田農園の息子、山田篤弘が立っていた。
「明日、山道の旧道奥にある広場の調査が行われることになったみたいだから、それを一応伝えておこうと思って」
「ほぇ~。思っていたより早かったな」
本を閉じて山田を見る。
「うん。父さんもそう言ってたよ。山神や柴田さんが調べてくれたことや、藤嶋さんからもいろいろ情報提供があったみたいで、早い方がいいだろうって判断になったみたいなんだ」
「俺たちの調査はさておいて、藤嶋さんからの情報提供は大きかっただろうな」
俺たちがやったことなんて、気になったことを調べて、見つけたものを大人に伝えただけだ。
ここから先は行政や保健所、警察なんかの領分だろう。
「いや、山神たちもだよ。僕たちは本当に感謝してるんだ」
「俺は感謝されるほど大したことはしてないぞ。それなら柴田さんにだけ感謝しとけ」
「ははっ。相変わらずだな」
何が相変わらずなんだ。俺は事実を述べただけなんだが。
「また新しいことがわかったら伝えるようにするよ」
「あぁ。よろしく頼む」
「じゃあ、また」
軽く手を上げて自分の席へ戻っていく山田を見送る。
明日、調査か。これで、あの広場に埋められているものが何なのか、はっきりする可能性が高い。俺が考えている通りなら――。
そこまで考えて、ふと教室の反対側へ目を向けた。夏樹を囲んでいた人だかりは、いつの間にかだいぶ減っている。
その代わり――。
「ん?」
見覚えのある二人が夏樹の前に立っていた。
川村と西海だ。
……朝から珍しい組み合わせでもないか。俺は開きかけていた本を手にしたまま、なんとなくそちらへ視線を向けた。
「広瀬さん、体調が悪かったんだって? 大丈夫なのか?」
「あ、西海君、川村君。おはよう」
西海と川村に声をかけられ、夏樹がいつもの調子で笑顔を返す。
昨日三十九度を超える熱を出して寝込んでいた奴とは思えない。まあ、顔色も悪くないし、朝飯もしっかり食っていたから大丈夫だとは思うが。
「心配したよ。俺に相談してくれたら、すぐに対応してもらえる医者を連れて行ったのに」
「そんな、ただの風邪だったし大げさだよ」
「でも、広瀬さんの体調が治せるんなら、大げさなことでもないだろ?」
「えぇ~……」
おい。夏樹、ちょっと引いてるぞ。
気持ちは分からんでもない。風邪を引いたから医者を連れてくるという発想は、庶民代表の俺にはなかなか出てこない。
御曹司ってすげぇな。俺なんて病院の診察時間を調べて車を出すので精いっぱいだぞ。
「ほら、みんなのアイドル夏樹は病み上がりなんだから、あんまり無理させないの」
そこへ柴田さんが割って入った。
「アイドルじゃないよっ!」
「人気者なんだから似たようなものよ。みんな、もうすぐ授業が始まるわ。そろそろ自分の席に戻って」
「「「はーい」」」
素直!
担任より統率力あるんじゃないか?
夏樹の周囲を囲んでいた連中が、柴田さんの一声でぞろぞろと自分の席へ戻っていく。
柴田直美、恐るべし。
「広瀬さん、俺にできることがあったら何でも言ってね?」
「僕もできる限り力になるよ」
西海に続いて川村もそう言った。
「あ、ありがとう」
夏樹が少し困ったように笑う。
「あ、そうだ!」
何か思いついたらしく、西海が手を叩いた。
「今日、俺たちが食堂の手伝いに行ってやろうか?」
「えぇ!?」
夏樹が露骨に驚いた。
「広瀬さんは病み上がりだから、今日はアルバイト休むんだろ? だったら人手が足りないんじゃないかと思ってさ」
「夏樹ちゃんの分まで私が駆け回りますので大丈夫です!」
いつの間にか山本さんまで会話に加わっていた。
……駆け回る。朝のメッセージが頭をよぎる。だから本当に走るなよ?粉塵の舞う食堂になるからな。
「それに、直美ちゃんも今日は手伝いに来てくれるって言ってましたので、大丈夫ですよ」
山本さんがにこやかに断る。
「そっか……。じゃあ、俺たちは客として貢献するぜ。な? 川村?」
「そうだね。そうしようか」
「ありがとうございます!」
山本さんが嬉しそうに頭を下げる。どうやら今日の食堂やまもとに、西海と川村が来店することが決まったらしい。
一昨日の営業再開初日ほどの混雑にはならない……と思いたい。夏樹がいないのは少し不安だが、柴田さんも随分仕事に慣れてきた。山本さんは言うまでもないし、店長と奥さんもいる。
まあ、何とかなるだろう。それでも駄目なら大工のおっちゃん二人に働いてもらうか。あの二人ならどうせ今日もいるだろうし、ビール一杯を報酬に提示すれば喜んで働きそうだ。
……って。アルバイトの俺が考えることじゃねぇな。
店長。人員配置は経営者の仕事ですからね?俺はあくまで、しがない高校生アルバイトなんですから。そこだけは、くれぐれもお忘れなく。
退屈という名の強敵との長い戦いを乗り越え、ようやく放課後になった。
今日もよく頑張った、俺。何を頑張ったかと聞かれれば、主に睡魔との戦いだが。
鞄に教科書を放り込み、さて帰るかと席を立とうとしたところで、夏樹がやってきた。その隣には山本さんもいる。
「山神君、夏樹ちゃんを自宅まで送ってあげてください」
開口一番、山本さんから任務を言い渡された。
「大丈夫だよ。遠回りになるし、お店にも迷惑かけちゃうから」
夏樹がすぐに遠慮する。
「いや、もともとそのつもりだったから大丈夫だよ。夏樹は俺が送っていくよ」
「でも、創ちゃん……」
「今日、ロードワークしてないしな。食堂やまもとまでの道のりで走れるところは走っていくから、たぶんいつも通りの時間には着けると思うぞ」
学校から一度家に戻って、そこから食堂へ向かうことになるから確かに遠回りだ。だが、その程度なら走れば取り戻せる。
「ほら、山神君もこう言ってくれてますので、山神君と一緒に帰ってください」
「でも……」
まだ渋るのか。病み上がりなんだから、今日くらい素直に人に甘えておけばいいものを。
「萌の言う通りよ」
そこへ柴田さんまで参戦した。
「あなたはしっかり体調を戻すことが最優先。少し顔が赤いから、微熱が出ているのかもしれないわ」
「え? そう?」
夏樹が自分の頬に手を当てる。
「ほんとですよ? もしかしたら、また熱が出てきてしまっているかもしれないので、おとなしく私たちの言うことに従ってください」
「うぅ……」
二対一。
いや、俺も入れれば三対一か。多数決なら完全敗北だぞ、夏樹。
「ま、ここで問答してる間に帰ろうぜ。で、お前は家に帰ってしっかり休め」
「……ふぁ~い」
なんだ、その返事。納得していない小学生みたいになってるぞ。それでも最終的には観念したらしく、夏樹は鞄を持って俺たちと一緒に教室を出た。校門を抜けたところで、山本さんが俺たちに向かって頭を下げる。
「時間は気にしなくて大丈夫ですので、夏樹ちゃんのこと、よろしくお願いします!」
「あぁ。任された」
「萌も無理しないでね!」
「はい! それじゃあ、先に行ってます!」
そう言った次の瞬間――。
ダッ!
山本さんが駆け出した。速い…。
というか、本当に走るんだな。あっという間に小さくなっていく背中と、その後ろでふわっと舞い上がる砂埃。
「……朝、走り回るのは比喩だって言ってたんだけどな」
「何の話?」
「こっちの話だ」
食堂では走らないことを祈ろう。粉塵は困る。
「じゃあ、私たちも行きましょうか」
「ん?」
柴田さんが当然のように俺たちの横に並んだ。
「柴田さんも食堂に行くんじゃないのか?」
「行くわよ。でも、今日は夏樹の代わりに入るんだから、まず夏樹を家まで送るわ」
「直美まで? 大丈夫だよ?」
「病人は黙って送られなさい」
「病人じゃないよぉ」
「病み上がりも似たようなものよ」
容赦ねぇな。
こうして俺と夏樹、そして柴田さんの三人で、いったん自宅へ向かうことになった。まあ、一人増えたところで道のりが長くなるわけでもない。
それにしても――。夏樹。お前、みんなから心配されすぎじゃないか?
これがモテ女の真髄、その第二形態なのかもしれない。
そういえば、柴田さんと一緒に自宅へ向かうのは初めてかもしれない。
「そんなことないわ。夏樹の家には時々遊びに来ているもの」
「……顔を見て何を考えているのか当てるのをやめてほしい。そして、心の声をさも聞こえていたかのように会話をするのもやめてほしい」
「顔に書いてあるわよ」
「書いてねぇよ」
切に願う。
ポーカーフェイス山神の営業妨害だ。
……ポーカーフェイス山神なんて呼ばれたことは一度もないし、そもそもポーカーフェイスを意識したことすらないけど。
「はぁ……はぁ……」
「ん?」
隣を見ると、夏樹の呼吸が少しだけ荒くなっていた。朝はかなり元気そうだったんだが、やっぱり一日学校で過ごしたのが堪えたのかもしれない。
「夏樹、大丈夫か?」
「うん。大丈夫、大丈夫」
そう言って笑っているが、若干顔が赤い。柴田さんも気づいたようで、心配そうに夏樹の顔を覗き込んでいる。
「やっぱり微熱があるんじゃない?」
「大丈夫だよ。ちょっと疲れただけだから」
「それを大丈夫とは言わないのよ」
「直美、お母さんみたい」
「誰がお母さんよ」
まあ、言いたいことは分かる。とりあえず帰ったら熱を測らせて、すぐ寝かせよう。
俺は自然と歩幅を狭くした。普段ならもう少し早く歩くところだが、今日は夏樹のペースに合わせる。柴田さんも何も言わず、同じように歩く速度を落としていた。
そうしてのんびり歩くことしばらく。ようやく自宅が見えてきた。
「着いたぞ」
「はぁ~。よかったぁ」
「ほら。やっぱり疲れてるじゃねぇか」
「ちょっとだけだよ」
門を開け、玄関へ向かう。表札には当然ながら『山神』。俺が鍵を開けると、夏樹が先に玄関へ入っていった。
「ただいま~」
「おう」
俺もその後に続いて家へ入る。
さて。
まず夏樹の体温を測って――。
「ちょっと……」
「「え?」」
俺と夏樹の声が綺麗に重なった。
振り返る。
玄関の外には柴田さん。なぜかものすごく怪訝そうな顔をしている。
「どうした?」
「どうした、じゃないわよ」
柴田さんが玄関横の表札を指差す。そこにはどう見ても『山神』と書いてある。
「何で夏樹が山神の家に『ただいま』と言って入っていくの?」
「…………」
「…………」
俺と夏樹は顔を見合わせた。
あ。
しまった。
完全に忘れてた。
事情があるとはいえ、夏樹がここ一か月ほど、ほとんど俺の家で生活していることは家族以外には話していない。
客観的に見れば――。
高校生の男女。
二人きりの家。
一緒に登校。
一緒に帰宅。
そして女の方が男の家に「ただいま」と入っていく。
……。
うん。
非常によろしくない。
「山神?」
柴田さんが笑っている。笑っているのに、なぜか怖い。
「説明してもらえるかしら?」
……ポーカーフェイス山神。
本日最大の危機である。




