第71話 熱に浮かされて、君の優しさに甘える一日
「夏樹、起きれるか?」
聞き慣れた声が、ぼんやりとした意識の向こうから聞こえてきた。
「ん……」
重たい瞼をゆっくり開ける。最初に見えたのは、心配そうに私の顔を覗き込んでいる創ちゃんだった。
「創ちゃん……」
自分でもびっくりするくらい甘えた声が出た。
……なに今の。
恥ずかしい。熱のせい。絶対に熱のせいだから。
「そろそろ病院へ行こうかと思うんだが、どうだ? 行けそうか?」
「ぅん……」
本当は結構つらい。身体は鉛みたいに重いし、頭の中にはずっと薄い霧がかかっているみたいだ。でも、このまま寝ていたら治るのかと言われると、そんな気もしない。だったら、ちょっと無理してでも病院で診てもらった方がいいよね。
「じゃあ、ゆっくり起きるぞ」
「うん……」
創ちゃんが私の肩に腕を回して、身体を支えてくれる。朝もそうだったけど、今日はいつも以上に創ちゃんとの距離が近い。
「大丈夫か? 頭ふらふらしないか?」
「ちょっとする……」
「じゃあ急に動くなよ」
そう言いながら、本当にゆっくり身体を起こしてくれる。
ぶっきらぼうなのに優しい。こういうところ、ずるいと思う。
「少し水分取っとけ。欲しくないかもしれないけど、今は無理してでも飲んでもらうぞ」
言っていることはちょっと厳しいのに、声はすごく優しい。
「はぁい……」
渡されたスポーツドリンクを両手で持つ。
コク。コク。
ほんの少しだけ飲む。冷たくて気持ちいい。
「もういいのか?」
「うん……」
「じゃあ立てそうか?」
「たぶん……」
創ちゃんに支えてもらいながら、ベッドの横に足を下ろす。床に足をつけて――。
「よい……しょ……」
立ち上がろうとした瞬間だった。
「あ……」
膝から力が抜けた。身体がガクンと沈む。
「おぉっ!」
倒れる前に創ちゃんが身体を支えてくれた。
「……駄目じゃねぇか」
「ご、ごめん……」
「謝らなくていいって。ほら、一回寝ろ」
そのままベッドへ戻される。
びっくりした。こんなに身体が言うことを聞かないなんて思わなかった。ほんの少し動いただけなのに、全身が一気に重たくなったみたい。
眠いわけじゃない。でも目を閉じたら、そのまま意識がどこかへ飛んでいきそうな変な感覚がする。
あぁ~…。高い熱が出たときって、こんな感じだったなぁ。なんて、ぼんやり考えていると――。
「……こりゃ歩かせるの無理だな」
「え?」
「ちょっとごめんな」
「何が――」
創ちゃんが私のすぐそばまで来る。片方の腕が私の脇から背中へ。もう片方の腕が膝の下へ入った。
……ん?
この体勢って……。
「よっこらしょ」
「ふぇっ!?」
身体が宙に浮いた。
一瞬、何が起きたのか分からなかった。ベッドが下にある。私の身体は浮いている。背中には創ちゃんの腕。膝の下にも創ちゃんの腕。そして、目の前には創ちゃんの顔。
「…………」
え?
ちょっと待って。
これって……。
もしかして……。
いや、もしかしなくても――。
お姫様抱っこだぁぁぁぁぁぁっ!!
「な、なななな……」
「暴れるなよ。落ちるぞ」
「う、うん!」
反射的に創ちゃんの首へ両腕を回す。
「お、そうそう。ちゃんと掴まっとけ」
「…………っ!」
ち、近い!
近い近い近い!
創ちゃんの顔が近い!朝から何度も近くなってるけど、これは今までで一番駄目なやつ!
「……夏樹?」
「な、なに?」
「また顔赤くなってるぞ」
「これは熱じゃないよぅ!」
「じゃあ何なんだよ」
「知らないっ!」
「なんで怒られてんだ、俺……」
創ちゃんが困った顔をする。
もう!どうして分からないの!?
……創ちゃんだからか。
うん。創ちゃんだもんね。分かるわけないよね……。
私は諦めて、創ちゃんの胸元へ顔を隠した。
「おい。やっぱりしんどいのか?」
「……違う」
「じゃあ大丈夫か?」
「大丈夫……」
身体は全然大丈夫じゃない。
でも――。
今だけは。
熱を出したのも、ほんのちょっとだけ悪くないかも。
……なんて思ってしまったことは、創ちゃんには絶対に秘密だ。
創ちゃんにお姫様抱っこされたまま、部屋を出る。
「ちゃんと掴まってろよ」
「……うん」
私は創ちゃんの首に腕を回したまま、できるだけ大人しくしていた。階段を下りて、廊下を抜けて、そのまま玄関へ。
……あれ?ちょっと待って。
「創ちゃん……」
「ん?」
「このまま行くの?」
「何が?」
「病院……」
「…………」
創ちゃんが足を止めて私を見る。
「行くわけないだろ」
「だ、だよね!」
「病院まで何キロあると思ってんだよ。俺を殺す気か」
「そういう意味じゃないよぅ!」
分かってる。分かってるんだけど!
一瞬、このまま病院の受付まで運ばれる自分を想像してしまった。
絶対目立つ。
『あらあら、仲がいいわねぇ』
とか看護師さんに言われる。お年寄りの患者さんからも温かい目で見られる。
無理!熱とは別の理由で倒れちゃう!
「外出るぞ。暑かったら言えよ」
「うん……」
創ちゃんが器用に玄関の扉を開ける。朝だというのに、外からは夏らしい熱気が流れ込んできた。
「暑っ……」
「すぐ車だから我慢してくれ」
家の前には車が停めてあった。しかも、もうエンジンがかかっている。創ちゃんは助手席の扉を開けると、私を抱えたまま慎重に身体を屈めた。
「頭ぶつけるなよ」
「うん」
背中にシートの感触が触れる。そのまま、壊れ物でも扱うみたいにゆっくりと座らせてくれた。
「よっと」
ようやくお姫様抱っこ終了。
……ちょっと残念。
って!何考えてるの私!病人!私は病人なんだから!
「後部座席の方が横になれて楽かもしれないんだけどな」
創ちゃんが助手席の位置を少し調整してくれる。
「乗り降りはこっちの方が楽だから、今日は我慢してくれ」
「全然大丈夫だよ」
「しんどかったらシート倒していいからな」
「うん」
「あとシートベルト」
「自分でできるよ?」
「いいから。今日は病人らしく世話されとけ」
「……はぁい」
創ちゃんがシートベルトを引っ張り、私の身体に掛ける。
カチッ。
……近い。
また近いよぅ。
今日の創ちゃん、距離感がおかしい。いや、看病してくれているだけなのは分かってるんだけど……。
「よし」
創ちゃんは何事もなかったように身体を離した。
ずるい。私ばっかりドキドキしてる。
「……ん?」
そこでようやく気づいた。車内は涼しかった。外は朝から暑かったのに、車の中は冷えすぎても暑すぎもしない。それに、スピーカーから小さな音で音楽が流れている。
知ってる曲。
「あ……」
私が好きなバンドのバラードだ。普段ならもっと元気な曲の方が好きだけど、今はこの静かな曲が心地いい。
偶然……かな?
でも、エアコンもすでについてる。ということは――。
「創ちゃん、先に車準備してたの?」
「ん? ああ。お前連れてきてから車の中が灼熱だったらしんどいだろ」
「…………」
「どうした?」
「ううん……何でもない」
何でもなくない。私が寝ている間に、病院の時間を調べて、車を家の前まで持ってきて、エアコンをつけて。たぶん他にもいろいろ準備してくれてる。創ちゃんはこういうことを何でもないみたいにする。だから余計に困る。
「じゃあ、戸締まりと荷物取ってくるから、少しだけ待っててくれ」
「うん」
「あ、それとこれ」
創ちゃんがドアポケットを指差した。
「エチケット袋入れてある。気持ち悪くなったら我慢しなくていいからな?」
「……そこまで準備したの?」
「車の中で吐きそうになってから探しても遅いだろ」
「そうだけど……」
「あと、水も置いてあるから。無理して飲まなくていいけど、喉乾いたら少しずつ飲めよ」
「……うん」
「じゃ、待ってろ」
バタン。
助手席の扉が閉まり、創ちゃんは家の中へ戻っていった。
「…………」
一人になった車内で、私はぼんやりとフロントガラスの向こうを見る。
申し訳ないなぁ。学校まで休ませちゃった。病院にも連れて行ってもらって。ずっと世話してもらって。でも――。
「……嬉しいなぁ」
ぽつりと声が出た。
ありがたい。
申し訳ない。
恥ずかしい。
嬉しい。
いろんな気持ちがぐちゃぐちゃに混ざって、自分でもよく分からない。
ただ一つだけ分かる。今日の私、絶対に顔が赤い。
……まあ、熱のせいってことにしておこう。こういうときだけは便利だなぁ。三十九度台の発熱。
病院での診察を終えて家に帰ってきた。診断は、たぶん普通の風邪。先生からは「今のところ心配するような症状はないから、薬を飲んでしっかり休んでください」と言われ、何種類かの薬を処方してもらった。
よかったぁ……。
変な病気じゃなかった。
ただ、一つだけ問題がある。帰ってきてからも身体に全然力が入らない。車から降りようとして足に力を入れたところでふらついてしまい、結局――。
「自分で歩けるよぉ……」
「歩けてないだろ」
「歩けるもん……」
「はいはい。元気になってから言ってくれ」
問答無用で創ちゃんに抱き上げられた。行きに引き続き、本日二度目のお姫様抱っこである。もう恥ずかしがる元気すら残ってません。
……嘘です。めちゃくちゃ恥ずかしいです。
ただ、それを表に出すと創ちゃんが「また熱上がったか?」って心配するから困る。
違うの。この顔が赤いの、たぶん風邪じゃないの。
でも、それを説明するわけにもいかない。乙女心というものは、風邪よりも診断が難しいのだ。
そのままベッドまで運んでもらい、私は布団の中で休ませてもらうことになった。
部屋の外から小さく料理をする音が聞こえてくる。私はその音で目を覚ました。
トントントン。
カチャカチャ。
時々、水の流れる音。
何を作ってるんだろう?
ぼんやり考えていると、やがて出汁のいい香りが部屋まで漂ってきた。
「……いい匂い」
病院に行く前までは何も食べたくなかったのに、不思議だ。お腹が空いたというほどじゃない。でも、少しくらいなら食べられるかも。そんな気持ちになってくる。
コンコン。
「夏樹~。起きてるか~?」
「……創ちゃん、起きてるよ~」
「入るぞ~」
ドアが開いて、創ちゃんが入ってきた。
手にはお盆。その上には小さな土鍋が載っていて、蓋の隙間から白い湯気がふわふわと漂っている。
「食べられそうか?」
「うん。ちょっとなら」
「じゃあ起こすぞ。ゆっくりな」
創ちゃんがベッドの横へ腰を下ろす。背中と肩に腕を回して、ゆっくり身体を起こしてくれた。今朝から何回こうしてもらったんだろう。創ちゃんの腕に身体を預けることにも少しずつ慣れて――。
……慣れちゃ駄目な気がする。
創ちゃんは枕とクッションを重ね、私の背中に挟んでくれた。
「このくらいだとしんどくないか?」
「うん。大丈夫。楽だよ」
「本当か?」
「本当だよ」
「気持ち悪くない?」
「大丈夫」
「頭痛は?」
「大丈夫だよぉ」
「さっきより顔赤くないか?」
「…………」
それは創ちゃんが近いからです。とは言えない……。
「だ、大丈夫」
「本当かぁ?」
疑われてる。どうしよう。笑えば元気に見えるかな?
「えへへ」
「……大丈夫じゃなさそうだな」
逆効果だった。
どうすれば正解なの?
もう私は途方に暮れるしかない。
「とりあえず、少し食べて薬飲もう。食べられなかったら無理しなくていいからな」
「はぁ~い」
土鍋の蓋が開く。ふわっ、と湯気と一緒に出汁の香りが広がった。柔らかそうなうどんに、溶き卵。細かく刻んだネギも少しだけ入っている。
「わぁ……」
「熱いから気をつけろよ」
「うん」
お箸で少しだけうどんを取る。
ふーっ。
ふーっ。
慎重に冷ましてから口へ運んだ。
「はふっ……」
熱い。でも、美味しい。優しい出汁の味が口いっぱいに広がって、温かいうどんがゆっくり喉を通っていく。
「わぁ……おいしい」
「そりゃよかった」
創ちゃんが少しだけ笑った。その顔を見ていると、もう一口食べてみようかなって思える。
はふはふ。
ずるずる。
いつもの私ならあっという間に食べられる量なのに、今日は一本ずつゆっくり。
「無理して食べなくてもいいぞ? 残したっていいからな?」
「うん」
もう一口。やっぱり美味しい。
「創ちゃんは食べたの?」
「いや。夏樹が食べ終わったら俺も食べるよ。ま、気にすんな」
「でも……」
「病人が人の飯の心配すんな」
「むぅ……」
「そんな顔しても駄目だ」
先回りされた。本当に、今日の創ちゃんはお母さんみたい。
お母さんは私が熱を出してるのに沖縄にいるんだよね。最近のことを思うと創ちゃんの方がお母さんしてるなぁ~って思う。本人に「お義母さんみたいだね」言ったら絶対嫌がりそうだから黙っておこう。
「じゃあ……甘えちゃうね?」
「おう。病人の特権だ。今日くらい好きなだけ甘えとけ」
「…………」
創ちゃんは何でもないことみたいに言っている。
ずるいなぁ。そんなこと言われたら、本当に甘えたくなっちゃうじゃん。
「……ありがと、創ちゃん」
「ん」
短い返事。
それから創ちゃんは何も言わず、私がうどんを食べるのを隣で見守ってくれていた。
窓から差し込む昼前の柔らかな光。土鍋から立ち上る白い湯気。出汁の香り。時々聞こえる鳥の声。学校にいるはずの時間なのに、今日は世界までお休みしているみたいに静かだった。
私はもう一度うどんを冷まして、ゆっくり口へ運ぶ。風邪を引くのは嫌だけど――。
こうして創ちゃんがずっとそばにいてくれるなら。
ほんの少しだけ。本当に、ほんの少しだけなら。
悪くないかも……なんて思ってしまった。
どのくらい眠っていたんだろう。ゆっくりと意識が浮かび上がってくる。
朝に目を覚ました時とは違って、身体を押さえつけていた重たい倦怠感は少しだけ軽くなっていた。まだ頭の奥はぼんやりしているし、身体も熱っぽい。でも、少なくとも朝みたいに指一本動かすのも億劫というほどじゃない。
「ん……」
薄く目を開ける。カーテン越しに差し込んでくる光が、部屋を柔らかく照らしていた。
そして――。
ぱらっ。
すぐ近くで、紙をめくる小さな音が聞こえた。
視線をそちらへ向ける。
「…………」
創ちゃんだ。私のベッドに背中を預けるようにして床に座り、分厚い本を読んでいる。
そばには、創ちゃんが普段使っているノートパソコン。さらにノートやスマホまで広げられていて、なんだか私の部屋の一角だけが臨時の研究室みたいになっていた。
……看病に来たんだよね?いつの間に研究を始めたんだろう。
でも、創ちゃんらしい。
私が眠っているから起こさないように、ここで静かに本を読んでいたのかな。
ちらっと手元を覗く。
……難しそう。
地層の断面図みたいなものや、水が地下をどう流れるのかを説明した図が載っている。水質とか、地質とか……そういう本かな?
創ちゃんが本なら何でも読むのは昔から知っている。小説はもちろん、歴史、経済、料理、スポーツ、心理学。時々「それ、読んで面白いの?」って聞きたくなる本まで嬉しそうに読んでいる。
でも――。地質学まで読むんだ……。
私なら三ページで寝る自信がある。いや、今なら一ページで寝られる。むしろタイトルだけでもいけるかもしれない。そんな私とは違い、創ちゃんは食い入るように文字を追っている。時々ページを戻し、何か気になるところがあるとスマホを手に取ってメモをする。その横顔は真剣そのもの。
……こういうところなんだよなぁ。普段は「面倒くさい」とか「本を読ませろ」とか言ってるくせに。
「創ちゃん」
「ん?」
反射的に返事をしてから、創ちゃんがこっちを見る。
「あ、夏樹、起きたのか?」
ぱたん、と本を閉じた。さっきまで本に向けられていた意識が、一瞬で全部私に向く。
「大丈夫か? どうだ? 気持ち悪くないか?」
「えへへ~。大丈夫だよ。朝に比べるとだいぶ楽になった」
「そうか。ならよかった」
明らかにほっとした顔をする。
「今何時?」
「今は11時頃かな?」
創ちゃんが壁の時計を見る。
そして固まった。
「…………」
「創ちゃん?」
「げ、もう昼の1時じゃねぇか……」
「ふふっ」
やっぱり。
「何で笑うんだよ」
「だって創ちゃん、また本読んで時間忘れてるんだもん」
「仕方ないだろ。面白かったんだから」
地質学の本を読んで二時間消滅させられる高校生を、私は創ちゃん以外に知らない。
ちょっとバツが悪そうにしている創ちゃんを眺めながら、さっきから気になっていたことを聞いてみる。
「創ちゃんが今読んでる本って、どんな内容なの?」
「あ、これか?」
創ちゃんが表紙をこちらへ向ける。
「地質学に関する本。地下水が地層の中をどう流れるのかとか、土壌の性質とか、その辺だな。山田農園のこともあったから、前にネットで注文しておいたんだよ。それがさっき届いた」
「それで、もうこんなに読んだの?」
「まあな」
栞の位置は、すでに本の半分近くまで進んでいる。
……相変わらずおかしい。
「ただ、もう専門家が調査してるからな。付け焼き刃の知識を持った俺がどうこうできる段階じゃないけど」
「相変わらず、創ちゃんは優しいね」
「何でそうなる」
「だって、山田君の農園のことがあったから勉強してるんでしょ?」
「そうでもないぞ」
創ちゃんは本を軽く持ち上げる。
「自己投資の一つだからな。知らなかったことを知るのは面白いし、別に誰のためってわけでもない」
「ふぅ~ん」
「何だよ」
「じゃあ、山田君とか山田園長が助けを求めてきても、その知識は使わないんだ?」
「……それは使うだろ」
「ほらぁ」
「ここまで乗っかったんだからな。できることはするつもりだよ」
「ふふふ。やっぱり優しい」
「はいはい」
創ちゃんは面倒そうに手を振った。
でも否定しきれてないよ?
私は知ってるんだから。
「俺のことはいい。それより腹減ってないか?」
「ん~……」
「昼の薬も飲まなきゃいけないから、ちょっとだけでも何か食えそうか?」
お腹に意識を向けてみる。うどんは美味しかったけど、まだ普通のご飯を食べたい感じではない。
「プリンとかなら食べられそうかなぁ」
「プリンな。わかった。確か冷蔵庫に入ってたはずだから取ってくるよ」
創ちゃんが立ち上がる。本を閉じて重ね、パソコンを端へ寄せ、ノートとスマホも邪魔にならない場所
へまとめていく。こういうところは妙に几帳面。
「ちょっと待ってろよ」
「はぁ~い」
ドアが静かに閉じられる。
「…………」
創ちゃんがいなくなった場所を見る。さっきまで読んでいた地質学の本。パソコン。 ノート。
私が眠っている間も、ずっとここにいてくれたんだ。
「……えへへ」
自然と頬が緩んでしまう。風邪を引いたのは最悪。身体はしんどいし、学校にも行けないし、みんなにも心配をかける。
でも――。
「プリン……」
創ちゃんが持ってきてくれるプリンを待ちながら、私はもう一度枕へ身体を預けた。
今日はもう少しくらい。創ちゃんの優しさに甘えていても、いいよね。
しばらくすると、廊下から創ちゃんの足音が聞こえてきた。
コンコン、と二回ノック。
「入るぞ~」
「はぁ~い」
ドアが開き、創ちゃんが戻ってくる。片手には小さなお盆。その上にはプリンと水の入ったコップ、それから病院でもらった薬が載っていた。
「ほら、ご所望のプリンだぞ」
「わぁ~……」
「そんな嬉しそうな顔するか?」
「するよぉ」
だってプリンだもん。
創ちゃんはベッドの横にお盆を置くと、さっきと同じように私の背中へ腕を回してくれる。
「起こすぞ?」
「うん」
ゆっくり身体を起こしてもらい、枕とクッションを背中に入れてもらう。朝から何度もしてもらっているせいか、創ちゃんの介護技術が着実に上達している気がする。
……私、まだ十七歳なんだけどなぁ。
「これで大丈夫か?」
「うん。ありがとう」
プリンを受け取る。
ひんやり。手のひらに伝わる冷たさが気持ちいい。
蓋を開けてスプーンですくい、口へ運ぶ。
「ん~……」
冷たくて、甘い。
熱を持った身体に染み込んでくるみたい。
「おいしい……」
「夏樹は本当にプリンが好きだよな~」
「……うふふ~。そうだねぇ」
小さい頃から好きだった。風邪を引いた時も、お母さんがよく買ってきてくれたっけ。
ちょっとずつプリンを食べていると――。
「ん?」
突然、創ちゃんの手が伸びてきた。そのまま私の前髪を軽く上げて――。
ぺた。
「…………っ!」
手のひらが額に触れる。
ち、近い。
創ちゃんの顔がすぐそこにある。
「……ちょっと熱が下がってるみたいだな」
「そ、そう?」
「薬が効き始めてるのかもしれん」
「……そ、それはよかった」
たぶん今、別の理由で体温上がりました。
創ちゃんの手が離れていく。ほっとしたような、ちょっと残念なような……。
「あれ?」
「な、何?」
「でも顔真っ赤だな」
「…………」
それはあなたのせいです。
「まだしんどいのか? いくら好きなものでも今は残していいからな。無理して食べるなよ?」
「う、うん……」
違うんだけどなぁ。でも、心配そうに私を見ている創ちゃんに本当の理由なんて言えるはずもなく、私は黙ってプリンをもう一口食べた。
……甘い。
「食べたら、この薬飲んどけ」
「はぁい」
薬を受け取り、まだプリンは残っていたけど、忘れないうちに飲んでしまうことにする。ヒートから錠剤を取り出していると、何も言っていないのに創ちゃんが水の入ったコップを渡してくれた。
「はい」
「ありがと」
薬を口へ入れ、水で流し込む。
「飲めたか?」
「子供じゃないんだから飲めるよぉ」
「今日のお前見てると心配なんだよ」
「むぅ……」
反論できない。朝なんて一人で立てなかったもんね。
残ったプリンをゆっくり食べながら、私は創ちゃんを見る。
「……ごめんね」
「何が?」
「創ちゃんも学校休ませちゃって」
「ん? 別にいいよ」
本当に何でもないみたいに答える。
「一日くらい休んだからって、どうってことないし」
「創ちゃん、成績優秀だもんね」
「まあ、授業の進度は把握してるからな。今日の範囲くらいなら自分でどうにでもなる」
そういうことをさらっと言えるのが創ちゃんなんだよなぁ。
「あ、学校で思い出した」
「ん?」
「山本さんや柴田さん、高原、池上、伊谷、加藤……あと他にも色々。お見舞いのメッセージが届いてるはずだぞ。スマホ見とけよ」
「え?」
枕元に置いていたスマホを手に取る。
画面をつけて――。
「わっ」
通知がいっぱい。
SNSを開くと、未読の数字が見たことのないことになっていた。
『大丈夫!?』
『ゆっくり休んでね!』
『ノート必要だったら送るよ』
『お大事に!』
クラスの子だけじゃない。他のクラスや球技大会で知り合った子からも届いている。
「こんなに……」
「山本さんと柴田さんは見舞いに来たいって言ってたぞ」
「萌と直美が?」
「ああ。でも感染する風邪かもしれなかったから遠慮してもらった。病院では大丈夫だろうって言われたけど、用心するに越したことないしな」
「そうだね……。その方がいいよね」
二人のメッセージを開く。
萌からは大量の『大丈夫ですか!?』と泣いているスタンプ。直美からは『ちゃんと寝てなさい』。
……性格出てるなぁ。
返事を打とうとする。
『心配してくれてありがとう。大丈――』
ぽち、ぽち……。
「…………」
指が止まる。思ったより頭が回らない。
「返信、無理しなくていいと思うぞ?」
創ちゃんが横から声をかけてきた。
「みんな心配してるけど、無理して元気アピールしてほしいわけじゃないだろ」
「そうだね……。萌と直美には『大丈夫だよ』って返しておこうかな」
「それでいいんじゃないか?」
そう言った創ちゃんが、ふと私のスマホを見る。
そして固まった。
「…………」
「どうしたの?」
「いや……届いたメッセージ、多くね?」
「そうかな?」
「そうかなって……」
創ちゃんが自分のスマホを取り出す。画面を確認。
私のスマホを見る。
もう一度、自分のスマホを見る。
「俺なんか普段、母さんと父さんと夏樹くらいだぞ」
「三浦君からも来るんでしょ?」
「来るけど、意味わからん動画とか画像ばっかりだぞ。昨日なんて踊ってる猫だった」
「可愛いじゃん」
「何て返せばいいんだよ」
「可愛いね、でいいじゃん」
「そうなのか……?」
何をそんなに悩む必要があるんだろう。創ちゃんは私のスマホを見ながら感心したように息を吐く。
「しかし、すげぇな。人気者だな、お前」
「そんなことないよぉ」
「あるだろ。普通、風邪で休んだだけでこんなに来ねぇよ」
「創ちゃんだって休んだらいっぱい来ると思うよ?」
「来るか?」
「来るよ」
きっと。創ちゃんは自分で思っているより、ずっとみんなから頼りにされてるから。
でも――。
今は言わなくてもいいかな。
「……じゃあ、ちょっとだけ返したら寝るね」
「おう。そうしろ」
創ちゃんは再び地質学の本を手に取った。ぱらり、とページをめくる音がする。私は萌と直美へ短い返事を送って、スマホを枕元へ置く。
すぐそばには創ちゃん。
静かな部屋。時々聞こえる、本のページをめくる音。それだけで妙に安心する。
「創ちゃん」
「ん?」
「……ありがと」
「何が?」
「何でもな~い」
「何だそりゃ」
私は小さく笑って、布団へ身体を沈める。まだ熱はある。身体も重い。だけど朝よりずっと楽だった。薬が効いてきたからなのか。
それとも――。
すぐそばに創ちゃんがいてくれるからなのか。たぶん、両方ということにしておこう。




