第69話 満員御礼、その裏で
「山神君! だし巻きできたかい?」
「はいっ! だし巻き三つ出来た! 運んでくれ!」
「はーい! 夏樹ちゃん、三番テーブルへだし巻きお願い!」
「夏樹ちゃんは今、六番テーブルのバッシングしてます!」
「あぁ! じゃあ直美ちゃん行ける~?」
「はいっ! 三番テーブルですね! すぐ行きます!」
「萌! こっち焼肉定食出来たよ! 二番テーブルへ運んでくれるかい?」
「はい! お父さん! 五番テーブルさん、生中と青リンゴ酎ハイ、オーダーいただきました!」
「ドリンクはこっちでやるわ! 夏樹ちゃん、バッシング終わったら飲み物運んでくれる~?」
「はーい! すぐ行きます!」
「山神君! こっちのオーダーの下準備いける?」
「はいっ! これ焼き上がったらすぐやります!」
「洗い物溜まってるわ! 誰か洗い物できる~?」
「創ちゃん! 手が空いたら洗い物よろしく!」
「はいはい……」
「『はい』は一回!」
「はいはい……」
「だからぁ!」
忙しい。忙しすぎる!!
店長。食洗機、導入しませんか?俺、今なら食洗機メーカーの営業マンが来たら、説明を聞かずに契約書へ判子を押してしまうかもしれません。
いや、俺にそんな権限はないんだけど。
「ぎゃはははは! 流石の山神君でも、今日の忙しさには目ぇ回ってるみてぇだな!」
カウンターから大声が飛んでくる。常連の大工さんたちだ。この人はさっきからビールを飲んでは笑っているだけである。
暇なら手伝え。
……いや、酔っ払いに料理を運ばせる方が危険か。
食堂やまもと営業再開初日。ある程度は混雑するだろうと予想していた。動画で営業再開を告知してから、コメント欄には『絶対行きます!』『待ってました!』なんて書き込みが山ほど来ていたからだ。
しかし、これは予想外だった。常連客は仕事を終えると、そのまま来たんじゃないかと思うほど早く集まり、奥の座敷を占領してどんちゃん騒ぎ。
そこへ『食堂やまもとチャンネルを見ました』という新規のお客さんまで次々と来店している。さらに面白いのが、その二つの客層が妙に馴染んでいることだった。
「兄ちゃん、初めてか?」
「はい。動画見て来たんです」
「だったら焼肉定食食ってみろ! うめぇぞ!」
「そうなんですか?」
「あと、だし巻きな! それをビールで流し込む!」
「いや、この人の言うこと全部聞かなくていいですからね!」
厨房から俺が口を挟む。
「何だよ山神君! 最高の組み合わせだろ!」
「まだ未成年かもしれないでしょうが!」
「あ、俺二十五です」
「じゃあ飲め飲め!」
「おっちゃんが仕切るな!」
新規のお客さんが笑う。そして本当に注文する。しばらくすると、「うまっ!」なんて声が聞こえてきた。すると常連のおっちゃんが、「だろぉ!?」となぜか自分の店みたいな顔をする。
……何なんだ、この店。
厨房では店長と俺がフル回転。ドリンクは奥さん。奥さんがそちらにかかりきりになっているため、ホールは山本さんを中心に夏樹と柴田さんが走り回っている。
山本さんは流石に慣れている。夏樹も食堂で働き始めて長いので、危なげがない。柴田さんはまだ慣れていないものの、そこは持ち前の頭の回転の速さで補っていた。
問題があるとすれば――。
「なあ、ここって本当に森岡高校の三大美少女が働いてんの?」
「三人ともいるらしいぞ」
「マジで?」
……誰だ。そんな噂を流した奴は。そのせいか知らないが、店の外にはとうとう行列まで出来ていた。
テーマパークじゃねぇぞ。
「山神君」
隣で鍋を振っていた店長が、外の様子を確認して表情を曇らせる。
「これはちょっとまずいね?」
俺も時計とオーダー表を見る。
「そうですね……。客が殺到しすぎてます。このままだと回転を早めても、閉店までに全員入れるかわからないですね」
「そうだよねぇ」
「並んでくれているお客さんに事情を説明して、別の日に来てもらうようお願いするしかないかもしれません」
店長は少し考え込んだ。そして、
「それで、ちょっと提案があるんだけどいいかい?」
と言った。
……いや。ここ、あなたの店なんですけど?なぜアルバイトの高校生に許可を取る。
「何ですか?」
店長の提案を聞く。そして俺は、思わず手を止めそうになった。
なるほど。実にこの人らしい。
「じゃあ料理は少し落ち着いてきてるし、山神君にはさっき言ったメニューをどんどん作ってもらおうかな?」
「わかりました」
「僕は並んでくれているお客さんたちに事情を説明してくるよ」
そう言って、本当に厨房を出ていってしまった。
「……店長」
行動が早い。
「山神君!」
ホールから山本さんが顔を出す。
「お父さん、お店から出ていっちゃったんですけど、どうしたんですか?」
「山本さん。奥さんにも事情を説明したいから呼んできてもらっていいか?」
俺は包丁を動かしたまま答える。
「俺、ちょっと手が離せない」
「はい!」
山本さんは返事をしたものの、なぜか動かない。
「……どうした?」
「お父さんと同じくらい凄いです……」
俺の手元を凝視していた。
「私だったら絶対指切っちゃいます」
「怖いこと言うな! 意識したら俺まで切りそうになるだろ!」
「あ! すみません!」
山本さんが慌てて奥さんを呼びに行く。ほどなくして、「山神君、どうしたの~?」と奥さんが厨房へやってきた。そして俺の隣に立つ。
「ほぇ~。ほんと手際いいわねぇ」
親子だな。さっきまったく同じ顔を見たぞ。
俺は手を動かしながら説明する。
「店長なんですけど、このままだと並んでいるお客さんが閉店までに入れないかもしれないので、臨時で持ち帰れる惣菜を作って、それを渡す代わりに今日は帰ってもらえないか説明しに行ってます」
「あぁ~、それでさっき出ていったのね」
奥さんが納得したように手を打つ。
「はい。並んでくれたお詫びと、再開を応援してくれたお礼も兼ねて、無料で渡すそうです」
「うふふ。あの人らしいわ」
「そうですね……。せめて五百円でも取ればいいのにって思いますけど」
俺は切った野菜をバットへ移す。
「あの人はしないでしょうねぇ。お店に来てもらうのが、本当に好きな人だから」
奥さんは嬉しそうに笑った。
「ですよね……」
俺も苦笑する。そういえば以前、聞いたことがある。
「俺、店長に聞いたことがあるんですよ」
「何を?」
「もっと安い店が出来たり、別の店にお客さんが行っちゃったらどうするんですかって」
「あら、どうせ『また来てもらえるように、美味しい料理を作って待ってる』とか言ったんでしょ?」
奥さんはすぐに笑った。俺は包丁を止めた。
「……流石っす。その通りです」
夫婦って怖い。本人がいなくても発言を完全再現できるのか。
「ほんと、店長には敵いません」
「あら?」
奥さんが楽しそうに俺を見る。
「山神君からそんなこと言ってもらえたら、あの人喜ぶわよ~?」
「そんなことないでしょ。こんなにすごい料理人、なかなかいないですし。俺なんかが何か言ったって大したことないですよ」
俺は再び包丁を動かす。
「そんなことないですよ?」
横から山本さんが言った。いつ戻ってきた。
「山神君は、自分で思っている以上にすごい人ですよ?」
「そんなことないぞ」
「俺はどこにでもいる高校生だよ」
「そうですね」
山本さんが指を折り始める。
「英語、スペイン語、ドイツ語が話せて、読書が好きで、サッカーはプロ並みに上手くて、読書が好きで、無愛想だけど面倒見が良くて優しくて――」
「ほら、普通だろ?」
「ちっとも普通じゃないです!!」
なぜだ。多言語を話すのは日本以外の国では割といるぞ。あと、読書二回言ったな?。大切なことだからかもしれんが…。
「萌ー! ちょっとこっち手伝ってー!」
ホールから夏樹の声が飛んでくる。
「はーい! すぐ行きます!」
山本さんは小走りで戻っていった。見ると夏樹がテーブルを片付け、柴田さんは名簿を確認しながら次のお客さんを案内している。奥さんもその姿を見て目を細めた。
「ほんと、あなたたちよく働いてくれるわ。頼もしい限りよ」
「俺も給料分くらいは働かないと怒られますから」
「誰も怒らないわよ~」
それはそれで困る。
「じゃあ私も、あの人と一緒にお客さんへ事情を説明してくるわね」
「あ、奥さん」
「なぁに?」
「店長に、仕上げをお願いしたいって伝えてもらえます?」
「もっちろん!」
奥さんが並べられたバットを見て目を丸くする。
「山神君がほとんど終わらせてくれてるから、助かると思うわ~」
そう言って店の外へ向かった。しばらくして、入れ替わるように店長が戻ってくる。
「山神君、お待たせ!」
そして厨房を見るなり、「おぉ!」声を上げた。
「流石山神君! 完璧じゃないか!」
「下準備だけですよ。味付けと仕上げはお願いします」
「十分十分!」
店長はエプロンを締め直した。
「いや~、お客さんとも話が出来たし、みんな事情をわかってくれたよ」
「怒ってる人はいませんでした?」
「全然! 『また来るよ』って言ってくれた」
店長は嬉しそうに笑う。
……そうか。
俺たちはこれまで、マーケティングがどうとか、顧客との関係性がどうとか、難しい言葉を使って色々考えてきた。
でも。この人はたぶん、そんな言葉を知らなくても昔からやっていたんだろう。来てくれた人を大切にする。美味しいものを作る。また来てくれるように待つ。
ただ、それだけ。
「よし!」
店長が腕まくりする。
「せっかく待ってくれたんだから、美味しいもの作って持って帰ってもらおう!」
「はい」
店長が俺の準備した食材を手に取り、調理を始める。油の弾ける音。包丁がまな板を叩く音。ホールから聞こえてくる笑い声。
「生二つお願いしまーす!」
「四番テーブル、追加注文入りました!」
「創ちゃん! 洗い物!」
「今やる!」
……食洗機。やっぱり買おう。 俺は新しく入った注文票を確認し、また黙々と包丁を動かし始めた。
「こんばんは」
そんな声とともに店の扉が開き、見覚えのある小柄な女性が入ってきた。
「いらっしゃいませ!」
夏樹が元気よく振り返り、すぐに相手へ気付く。
「あ、藤嶋さん!」
「こんばんは。お忙しそうですね」
どうやら律儀に外の列へ並んでいたらしい。
新聞記者なんだから「取材です」とか適当なことを言って入ってきても誰も文句を言わなそうなものだが、そういうところは妙に真面目な人だ。
「お待たせして申し訳ありません。こちらのカウンターへどうぞ!」
「ありがとうございます」
夏樹に案内され、藤嶋さんがカウンター席へ向かう。
この店のカウンター椅子は少し高めに作られている。藤嶋さんの身長だと――。
「そんなに小さくありません」
「……へ?」
藤嶋さんがこちらを見た。
そして、「よいしょ」 と小さく声を漏らしながら椅子へ腰掛ける。 ……いや、やっぱりちょっと大変そうじゃないか。
「山神君」
「はい?」
「顔を見ていればわかります。失礼なことを考えていましたね?」
「いや……」
俺、今声に出してないよな? 最近、俺の顔だけで会話できる人間が増えてきている。
まずい。このままではポーカーフェイス山神の名が廃る。今後は鏡を見ながら無表情の練習でもするか。
いや、そんな名前で呼ばれたことはないけど。
「いらっしゃいです、藤嶋さん!」
山本さんが早速注文を取りにやってくる。
「お飲み物は何にしますか?」
「では、とりあえず生中を一つお願いします」
「かしこまりましたです!」
山本さんが注文を取った、その時。
「おいおい萌ちゃん」
隣のカウンターから声が飛んできた。
「こんな中学生に酒出しちゃ駄目だろ~」
「そうだぞ? 酒は二十歳になってからって法律で決まってるんだから」
常連の大工二人だ。さっきからビール片手にいい感じで出来上がっている。
「君も駄目じゃないか」
一人が藤嶋さんへ向かって真剣な顔をする。
「今日は食堂やまもとの営業再開記念日なんだぞ?」
「そうそう。また店を休むことになったら大変だろ?」
「私は中学生ではありません」
藤嶋さんが真顔で答えた。
「社会人です」
「「え?」」
二人の声が見事に重なる。
「萌ちゃんと同じくらいじゃないの?」
「いや、ちょっと下くらいに見えるぞ?」
「そんなことないですよ!」
山本さんが胸を張る。
「藤嶋さんは新聞記者さんです!かわいらしい見た目をしていますけど、私たちよりだいぶお姉さんなんですよ!」
「だ……だいぶお姉さん……」
藤嶋さんの表情が固まる。今度は別方向からダメージを受けたらしい。
「こらこら萌。女性の年齢っていうのはデリケートなんだから、大きな声で言わないの」
奥さんが苦笑いしながら近づいてくる。
「あっ! すみません!」
今度は大工二人を見る。
「それと、お二人も今は女性の見た目についてあれこれ言うと、セクハラだと言われる場合もあるんですから、自重してくださいね?」
「えぇ~?」
「奥さんがそう言うってことは、本当に成人してるんだ……」
「ひょえ~、そりゃ驚いた」
どうやら二人とも本当に善意で止めていたらしい。質が悪いのか良いのかわからない。
「こちらをどうぞ」
藤嶋さんは鞄から名刺を二枚取り出し、大工二人へ差し出した。
「改めまして、藤嶋由香と申します」
二人は名刺を受け取り、じっと見つめる。
「……うぉ」
「超大手の新聞社じゃねぇか」
「お前、悪いことしてたらすっぱ抜かれるぞ」
「お前もだろ!」
「大丈夫です」
藤嶋さんがにこっと笑う。
「仮に何か悪いことをされていたとしても、社会的に注目される内容でなければ記事にはしませんので」
「マジか!」
「じゃあ安心じゃん!」
「セクハラくらいなら大目に見てもらえるかもしれんぞ!」
「記事にはしませんが、普通に通報はしますよ?」
藤嶋さんの笑顔が消えた。
「「げ……」」
大工二人が同時に固まる。完全に本気だと理解したらしい。これを機会に少しは大人しくなってくれればいいんだが。
「いらっしゃい、藤嶋さん」
店長が厨房から身を乗り出し、小鉢をカウンターへ置く。
「今日はありがとうございます。ゆっくりしていってくださいね」
「ありがとうございます」
藤嶋さんは丁寧に頭を下げた。
「それから、お店の営業再開、おめでとうございます。先日いろいろご馳走になってから、私もすっかりこのお店のファンになってしまいました」
「あら、それは嬉しいですねぇ」
奥さんが笑う。
「それで、少し差し出がましいかもしれないんですが、友人にグルメサイトや地域情報誌を担当している記者が何人かいるので、勝手ながら食堂やまもとのことを紹介させていただきました。もしかすると、今後取材の依頼があるかもしれません」
藤嶋さんは少し申し訳なさそうに伝える。
「お!」
店長の顔が明るくなる。
「それはありがたいですね!藤嶋さんからのご紹介なら、ぜひ取材もお受けしますよ」
「ありがとうございます。勝手に話を進めてしまったので、余計なことだったかなとも思ったのですが……」
「いえいえ。そんなことありませんよ。ありがたい限りです」
店長は大きく首を振る。
「そうよ~。みんなに応援してもらってるんだから、私たちも頑張らないとねぇ」
奥さんも笑いながら生ビールをカウンターへ置く。
「ありがとうございます」
藤嶋さんはジョッキを受け取る。
「いただきます」
そして一口。
「……美味しいです」
「仕事終わりの一杯は違うだろ~?」
「姉ちゃん、わかってるねぇ!」
「あなたたちはさっきの話をもう忘れたの?」
奥さんの一言で、大工二人が揃って口を閉じた。学習能力はあるらしい。
「それにしても……この時間なら、もう少しお客さんも落ち着いているかと思っていました。少し失敗しましたね」
藤嶋さんは店内を見回す。
「どうかされましたか?」
店長が穏やかに尋ねる。藤嶋さんの視線の先では、夏樹が空いた皿を片付け、山本さんが新しい注文を取り、柴田さんが待っている客を案内している。
確かに、ゆっくり話ができる状況ではない。
「いえ」
藤嶋さんは少し恐縮したように笑う。
「明日、また記事が出る予定なんです。その内容を、皆さんには先にお伝えしておこうかと思いまして」
「おいおい、そんな話、俺たちがいるところでしていいのかよ?」
大工の一人が目を丸くした。
「俺らも聞いちまうぞ?」
「大丈夫ですよ。あと数時間もすれば全国のコンビニへ配送されますし、朝刊にも掲載される内容です。情報解禁というほどではありません」
藤嶋さんは落ち着いて答える。
「そんなもんなのかねぇ……」
「なんか俺ら、聞いちゃいけない話を盗み聞きしてるみたいで落ち着かねぇな」
意外だった。もっと「得した!」とか喜ぶタイプかと思っていた。見かけによらず妙なところで律儀だ。藤嶋さんも、そんな二人だからこそ問題ないと判断しているのかもしれない。
「それでは」
藤嶋さんはジョッキを一度置いた。さっきまでの柔らかな表情が少しだけ引き締まる。
「山本店長、奥様、それから山神君」
「はい?」
俺は包丁を動かしながら返事をする。
「手を止めなくて大丈夫です」
「むしろ止めたら大変でしょうから、そのまま聞いてください」
「助かります」
今止めたら、注文が三件くらい雪崩を起こす。俺はまな板の上の長ネギを切りながら耳だけを藤嶋さんへ向ける。
「先ほどお話しした通り、明日の朝刊とニュースサイトに追加の記事が出ます」
店内は相変わらず賑やかだった。グラスが触れ合う音。客の笑い声。ホールを行き交う夏樹たちの声。その中で、藤嶋さんの声だけが妙にはっきりと耳へ届いた。
「今回の記事では、株式会社川村について、前回よりさらに踏み込んだ内容を掲載する予定です」
俺の包丁を握る手が、ほんの一瞬だけ止まった。
藤嶋さんはジョッキを一度置き、少しだけ声の調子を落とした。
「まず、山田農園の件ですが、現時点では水質汚染でほぼ間違いないと見られています」
俺は包丁を動かしながら、その言葉を聞く。
「土壌そのものが広範囲に汚染されているというより、何らかの原因で農業用水に汚れた水が混入していた可能性が高いそうです」
「やっぱり、あの水の流れか……」
思わず呟く。
「そうですね。まだ断定はできませんが、これまでの検査結果とも整合するようです」
店長はフライパンを振りながら、少し安心したような表情を見せた。
「原因が絞れてきたのは良かったですね」
「えぇ。ただ、山田農園の園長さんは今も対応に追われています」
「そうだろうねぇ……」
奥さんが困ったように眉を下げる。
「それでも、園長さんは相変わらず協力的です。『原因がはっきりするなら、必要な調査には全部協力する』と話されていました」
「ほんと、あの人らしいですね」
店長が苦笑する。あの園長なら、そう言うだろうな。自分の農園に不利な結果が出る可能性があっても、逃げるタイプじゃない。
「それと、例の山道の旧道にある広場についてですが、山田園長から行政と保健所へ正式に情報が伝わっています。私たち新聞社からも確認できた範囲の情報を提供しました」
「警察も動いているんですか?」
店長が聞く。
「はい。ただ、まだ捜査というよりは情報収集に近い段階ですね」
「私有地ですし、勝手に掘るわけにもいきませんから」
「そりゃそうですよねぇ」
奥さんが頷く。
「でも、行政、保健所、警察の三つが動き始めているので、広場に埋められているものの正体が分かるのも時間の問題だと思います」
そこで藤嶋さんは一度言葉を切った。
「現時点では、行政や保健所も建設汚泥である可能性が高いと見ているようです」
「……やっぱりか」
俺は切り終えたネギをバットへ移す。予想していた話ではある。それでも、俺たち高校生の推測ではなく、行政や専門家側も同じ方向を見始めたというのは大きい。
「ただし、まだ正式な分析結果は出ていません」
「ですよね」
「ですので、記事でも『建設汚泥である可能性』という書き方に留めます」
「流石ですねぇ」
奥さんが感心したように笑う。
「ちゃんと分かっていることと、分かってないことを分けるんですね」
「そこを曖昧にすると、記事そのものの信用がなくなりますから」
「なるほどなぁ」
店長が頷いた、その瞬間。
「お父さーん! 焼き魚定食二つです!」
「はーい!」
「創ちゃん! こっち小鉢足りない!」
「今やる!」
「三番テーブル、お冷お願いしまーす!」
重要な話をしているのに、店内はまったく待ってくれない。俺は再び包丁を握り直す。
大人たちが少しずつ真相へ近づいている。それはありがたい。ありがたいんだが――。
その前に、この大量の注文票を何とかしてほしい。事件より先に俺の腕が限界を迎えそうだった。
俺は切り終えた野菜をバットへ移しながら、藤嶋さんの話を頭の中で整理した。
「今の段階だと、まだ『誰がやったのか』までは辿り着いてないんですよね?」
「そうですね」
藤嶋さんが頷く。
「埋められているものが何なのか、その正体がほぼ見えてきた段階です。誰が、どのような経緯で、どういう目的で持ち込んだのかはこれからです」
「でも、行政も保健所も警察も動いてるなら、そこに辿り着くのも時間の問題じゃないですか?」
俺は次の食材に包丁を入れる。
「僕もそう思うよ。何が埋められていたかが分かれば、それを運んだ業者や車両、土地を借りた人なんかも調べることになるだろうしね」
店長が鍋をかき混ぜながら会話に入る。
「えぇ。その流れになると思います。私たち新聞社も独自に追っていますが、ここから先は行政や警察の方ができることは多いでしょうね」
藤嶋さんも同意する。
高校生が山道をうろうろしている場合ではなくなってきたらしい。
それなら助かる。
俺は本を読む。
大人は捜査する。
適材適所である。
「それと、もう一つ情報があります」
藤嶋さんが声を少し落とす。
「株式会社川村の資金繰りについてです」
俺は思わず手を止めそうになったが、切っている途中なのでやめた。指は大切にしよう。
「以前、一時的に資金繰りが改善した時期があったとお話ししましたよね?」
「はい」
「どうも、あれは本格的な経営改善ではなかったようです。現在も資金繰りはかなり厳しい状態が続いているようです。支払いの遅れや、取引条件の見直しを求められているという話も複数から出ています」
「じゃあ、一時的に金が入っただけ?」
「その可能性が高いですね」
店長が難しい顔になる。
「根本的な問題は何も解決していないってことか」
「そう見ています」
俺は小さく息を吐く。一時的に金が入り、また苦しくなった。
何だか、引っ掛かる。ただ、まだ材料が足りない。
「……とりあえず、今は大人に任せるしかないですね」
「そうですね」
「創ちゃん! 追加でだし巻き二つ!」
ホールから夏樹の声が飛んできた。
「はいはい!」
「『はい』は一回!」
「はい!」
事件の真相より先に、俺の返事の矯正が進みそうだった。
ひと通り重要な話が終わると、藤嶋さんは大工のおっさん二人や柴田さんと談笑を始めた。さっきまで建設汚泥だの資金繰りだのと話していたのが嘘みたいだ。
「お待たせしましたです!」
そこへ料理を持った山本さんがやってくる。
「こちら、だし巻きと――」
「おぉ、萌ちゃん!」
大工の一人が山本さんと藤嶋さんを交互に見た。
「こうやって並ぶと姉と妹みたいだな!」
「あぁ、わかるわかる!」
もう一人も同意する。
……おっさんたち。俺は知っているぞ。その話題は地雷だ。
「へぇ」
藤嶋さんが笑った。
「それで?」
「へ?」
「どちらが姉で、どちらが妹ですか?」
「「…………」」
大工二人の動きが止まった。罠に掛かった小動物みたいな顔してやがる。
「え、えーっと……」
「それは、その……なぁ?」
「俺に振るなよ!」
「山神君助けて~!」
「何で俺なんだよ」
こっちは料理してんだぞ。自分で踏んだ地雷くらい自分で処理しろ。
「山神君なら、こういう時どう答える?」
「そりゃ藤嶋さんが姉に決まってるでしょうが。二人を見ていれば、そこを疑う理由は一つもないですよ」
俺は即答した。
「嘘をつかないでください」
「何で!?」
自信満々に答えたら、藤嶋さんから物言いが着いた。
「山神君、藤嶋さんに初めて会った時、『中学生にしか見えない』って言ってましたもんね?」
山本さんがニコニコしながら口を挟む。
「山本さん!?」
なぜ今それを掘り返す!?
「ほらぁ!」
「やっぱりそうだろ!?」
大工二人が復活した。
「だって藤嶋さん、小さくて可愛いから」
「そうそう! 萌ちゃんと並んだら、もう二人とも可愛くってなぁ!」
「…………」
藤嶋さんの目から光が消えていく。
おい。やめろ。これ以上掘るな。
「……どうせ私は小さいですよ」
「あ」
「直美と似た遺伝子を持って生まれてきたはずなのに……」
まずい。
「年だって私の方が上なのに……。小学一年生の直美と一緒にいたら同級生に間違われたこともありましたし……」
「由香姉……?」
柴田さんが困った顔をする。
「高校生の時だって、直美と歩いていたら姉妹に間違われて……しかも私の方が妹だと思われて……」
どんどん深みに嵌っていく。誰かロープ持ってこい。
「あ~あ」
俺は大工二人を見る。
「大工さんたちが藤嶋さん泣かしましたね」
「えぇ!? おじさんたちのせい!?」
「俺たち可愛いって褒めただけじゃん!」
「なるほど。やっぱり人の見た目について言うのは、あまり良くないってことですね。さっき奥さんに注意を受けたところじゃないですか。駄目だなぁ~人の容姿をあまり言っちゃぁ…」
よし。
俺は関係ない。
ここから自然に離脱――。
「山神君が言うことではありません!!」
「はいっ!」
怒られた。
「初対面の女性に向かって『中学生にしか見えない』と言ったのは誰ですか?」
「俺です!!」
「私が取材のために学校へ来た時も、散々小さい小さいと」
「いや、あれは――」
「今日だってカウンターの椅子に座れるか心配していましたよね?」
「何でわかったんですか!?」
「顔です!」
くそっ。
本気でポーカーフェイスを練習しよう。
「ぎゃははは! 山神君も怒られてやんの!」
「仲間だ仲間!」
「お前らのせいでこうなってんだよ!」
結局、大工側から抜け出すことには失敗した。その後も藤嶋さんは料理を食べながら、思い出したように俺へ小言を言ってきた。どうやら初対面の時のことを相当根に持っているらしい。
怖い。新聞記者の記憶力怖い。
もっとも、料理そのものには満足してくれたようで、生中もしっかり二杯空けていた。
「では、私はそろそろ帰ります。明日も朝から仕事がありますので」
「ありがとうございました!」
「また来てくださいね!」
みんなに見送られ、藤嶋さんが店を出ていく。俺も厨房から軽く頭を下げた。すると藤嶋さんは扉の前で振り返り、
「山神君」
「はい?」
「女性の見た目については、もう少し勉強してください」
「……善処します」
「そこは『気をつけます』です!」
「はい!」
最後まで怒られた。
夏樹と柴田さんと山本さんに残念な人を見る目で見られた。
解せぬ…。




