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きみの隣で、今日も僕は考えてる。本ばかり読んでいた僕の日常は、少しずつ騒がしくなる  作者: マリセリソウ


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第68話 金があれば何でもできる?

「なるほど……」


 西海が小さく息を吐き、目を細めた。


「つまり、俺の提案は的外れだったって言いたいわけだ」

「いや、そうでもないぞ。西海の言ってたことも間違いじゃない。マーケティングって結局は道具だからな」


 俺は首を横に振る。


「道具?」


 夏樹が首を傾げる。


「包丁みたいなもんだ。魚をさばくにも野菜を切るにも使える。でも、釘を打つのに包丁は使わないだろ?」

「使ったら危ないね」

「そういうこと。大企業には大企業向けの道具がある。西海が言ってた方法は、全国展開するとか店舗数をどんどん増やすなら役に立つと思う。でも、食堂やまもとは違う。今のお客さんを大切にして、この町で長く続ける店だからな。だから今回は使わなかった」


 西海は黙って聞いていた。表情は変わらない。


「じゃあ、もし食堂やまもとが全国展開するって言い出したら?」

「その時は役に立つ。その時になったら、西海の考え方も十分選択肢になる」

「……」


 あっさり答える俺に、西海は少しだけ意外そうな顔をした。


「お父さんにそんな考えはないと思います。今来てくださっているお客さんに喜んでもらうことしか考えてないと思いますので」

「まあ、可能性の話だ。今結論を出す必要はない」

「そうですね。でも、その時が来たら、また山神君に相談すると思います!」


 山本さんがにこっと笑う。


「気が向いたらな」

「もう!創ちゃん! そこは『任せとけ!』って言うところだよ!」

「無理よ。山神にそんな気遣いができるわけないもの」


 夏樹が頬を膨らませ、柴田さんが即座に切り返す。


「おい!色んな人に気を使ってるわ!俺は正直なだけだ!」

「どうだか」


 挑発するような柴田さんの笑みに、何となく悔しくなる。

 ……何でこいつ、毎回勝ち誇った顔なんだ。


「ふん。随分信用されてるみたいだな。でも、その信用がいつまでも続くと思わない方がいいぞ?」


 西海が鼻で笑う。


「そりゃそうだ。良い結果が出てるのは店長や奥さん、山本さんが頑張ったからだ。俺のおかげなんて思ってない」


 俺が心の底から思っていたことを西海に伝えると夏樹がまじめな顔で話し出した。


「そんなことないよ創ちゃんが頑張ってたのは、私が一番知ってる」

「いや、頑張ってないわけじゃないが、人に言うほどではないだろ」

「山神って口出してるだけじゃないの?あ、動画編集もしてたわね、それに山にも登ってたか…」


 柴田さんが腕を組み、俺が今までやってきたことを振り返っているようだ。


「えっとね」


 夏樹が指を折り始める。……嫌な予感しかしない。


「夏樹。いらんことは言うな」

「えへへ」


 全然止まる気配がない。


「萌のお店が困ってるって聞いた日から、創ちゃん、本読んでる途中だったのに別の本を引っ張り出してきたんだよ。マーケティングの本とか、経営の本とか、動画配信の本とか。一週間くらいずっと読んでた。それを全部ノートにまとめて、店長さんたちにもわかるように、難しい言葉を使わないように説明してた」

「お、おい……」

「動画編集もね、学校から帰ったら毎日編集してた。朝起きたら、まだパソコンついてた日もあったもん」

「うぐっ……」

「それだけじゃないよ?」


 まだあるのか。


「コメントも全部読んでたよ。変なコメントは消して、質問が多い内容は店長さんに伝えて、次の配信で答えられるように整理して、動画の再生回数とか視聴時間も見て、『この動画は最後まで見てもらえてる』『これは途中で離脱が多い』って分析もしてた。配信時間も何回か変えて試してたよね?」

「……」

「あと、お店が休みになってからは、店長さんが気落ちしないように毎日様子も見に行ってた」

「お前……言うなって」

「え?」


 夏樹は本気で不思議そうな顔をした。


「でも頑張ってたじゃん」

「別に大したことじゃない」

「大したことあるよ!」


 その瞬間だった。


「山神君!」

「ありがとうございます!」

「ぐえっ!」


 突然、山本さんが勢いよく飛びついてきた。

 首に腕が回る。苦しい!締まる!


 ………落ち……る。


「も、萌!」


 夏樹が真っ青になっている。


「く、首……!」

「山神君!私、本当に嬉しいです!」

「首がし、締まってるよ!」

「ありがとうございます!」

「創ちゃん!しっかりして!」


 教室中がざわつき始めた。「何だ?」「山本さん飛びついた!」「えぇ!?」「抱きついた?」西海まで目を丸くしている。夏樹がようやく山本さんを引きはがす。


「はぁ……はぁ……」


 酸素って大事だな。空気がうまい。

 山本さんは目を潤ませている。俺の目にも涙が浮かんでいるが、全く別の理由だろう。俺のは外部因子による強制的な生理現象だ。


「そんなに頑張ってくれてたなんて知りませんでした!私、山神君のことが大好きです!」


「「えええぇぇぇぇぇぇっ!?」」


 夏樹と柴田さんの悲鳴が見事に重なった。その直後。


「「「「はぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」」」」


 教室中が大爆発した。窓ガラスまで震えた気がする。


「ちょっ!突然何言い出すんだ!」


 俺は慌てて山本さんを少し離す。山本さんは満面の笑みだった。


「だって!すっごく頑張ってくれてたんです!私は本当に良い友達を持ちました!」

「……へ?」


 友達?夏樹と柴田さんが同時に首を傾げる。


「萌?それってどういう意味?」


 教室中が静まり返る。みんな固唾を呑んで見守っていた。山本さんはきょとんとした。


「どういうことって?山神君は私の大切な友達です!夏樹ちゃんも直美ちゃんも、みんな同じくらい大切な友達です!」

「でも……さっき、大好きって……」


 夏樹が恐る恐る聞く。


「はい!山神君が大好きです!もちろん夏樹ちゃんも!直美ちゃんも!みんな同じくらい大好きです!」

「友達として……?」


 柴田さんが確認する。山本さんは笑顔で答える。


「はい!もちろん異性としては別ですよ?みんなの前で告白なんて恥ずかしいじゃないですか!」

「あ……そ、そうだよね」


 夏樹が胸をなで下ろす。教室中からも、「なんだぁ……」「びっくりした……」「心臓止まるかと思った」そんな安堵の声があちこちから聞こえてきた。

 その横で柴田さんが静かに俺の隣へ歩いてくる。ぽん、と肩に手を置いた。


「山神」

「……何だ」

「振られたわね」

「振られてねぇ!!」


 告白もしてねぇ!されてもねぇ!

 なのに……。何だろう。この、言葉では説明できない敗北感は。



「山本さん俺も食堂を手伝ってやろうか?マーケティング以外にも、色々できることがあるんだぜ?」


 西海が少し身を乗り出した。随分と積極的だな。さっきまで自分の提案が採用されなかったことを気にしていたと思ったら、今度は人材として売り込みを始めたらしい。

 切り替えが早い。営業職に向いているのかもしれない。少なくとも、俺よりは向いているな。俺なら三回断られた時点で、本を読みに帰る。


「いえ、必要ありません」


 山本さんは穏やかな口調で答えた。ただし、内容ははっきりしていた。


「山神君や夏樹ちゃん、直美ちゃんが助けてくれていますし、そんなにたくさんの人は雇えないので」

「そ、そうか」


 西海の口元がわずかに引きつる。


「じゃあ、融資はどうだ?キャッシュフローが安定するだけでも安心だろ?」


 また融資の話か。前にも似たようなことを言っていたな。西海は社長の息子らしいが、そんなに自由に金を動かせるのだろうか。仮に動かせるとしても、教室で大声で話すことではない。ここがもう少し治安の悪い国なら、明日の朝には誘拐犯から電話が来るぞ。

 『息子は預かった。身代金を用意しろ』

 いや、先に会社の資金状況を聞き出されるかもしれない。


「ゆうし……?きゃっしゅふろぉ……?」


 山本さんが首を傾げる。見事に頭の上へ疑問符が浮かんでいた。柴田さんが横から耳元に顔を寄せ、小声で説明する。


「お金を借りるってこと。キャッシュフローは、お店に入ってくるお金と出ていくお金の流れよ」


 山本さんは納得したように手を打った。そして、にこやかに西海へ向き直る。


「難しいことは私にはわかりません。お金のことはお父さんとお母さんがしています。たぶん、お金のことも山神君に相談するんじゃないですかね?」

「な、何で山神に?」


 西海が本気で驚いた顔をする。俺も驚いた。思わず頷く。


「ほんとそれ何で俺なんだよ。俺、銀行じゃないぞ」

「そうだよ。創ちゃん、超貧乏だよ?」

「うぉい!」


 反射的に声が出た。幼馴染よ、たとえ事実だったとしてもそんなことを真顔で言うもんじゃありません。


「裕福とは言わんが、それなりに生活できてるわ!」

「食堂のアルバイトのおかげだね」

「私たちに感謝してね?」


 なぜか夏樹と柴田さんが揃って胸を張る。どうしてお前らが得意げなんだ。


「何でお前らがそんな顔できるんだよ!山本さんならまだしも!」

「だって、私たち萌の親友だもの」

「理由になってねぇ!」


 柴田さんが当然のように言う。夏樹も隣でうんうんと頷いていた。

 親友になったら、親友の家の売り上げまで自分の手柄になる制度でもあるのか。初耳だぞ。


「お父さんもお母さんも、山神君なら何とかしてくれるんじゃないかって思ってると思います」


山本さんが少し照れたように言う。


「何でだよ!!俺、結構何にもできないぞ」

「確かに」


 夏樹が即答した。


「創ちゃん、面倒くさがりだから、何にもできないというより何にもしないよね」

「「確かに!」」


 俺と柴田さんの声が見事に重なった。……いや、待て。何で柴田さんが同意するんだよ。俺の何を知っているって言うんだ。柴田さんを見るとすまし顔だった。

 あの顔腹が立つな…。

 西海は、俺たち四人のやり取りを呆気に取られたように見ていた。


「何で山神なんだ?こんな奴を、何で頼るんだ?」


 やがて、納得できないという顔で口を開く。


「こんな奴って言うな」


 一応抗議しておく。山本さんは困ったように眉を下げた。


「何でって言われても……山神君だから、としか……」


 そして柴田さんを見る。『何でですかね?』と顔に書いてある。柴田さんは少し考えてから口を開いた。


「そうね、山神は、自分で責任を持つからじゃないかしら」

「責任?」


 西海が眉を寄せる。俺もよくわからなかった。柴田さんが何を言おうとしているのか、少し測りかねる。柴田さんは腕を組んで話を続ける。


「そう、山神は、どこかの社長の息子でも何でもないわ。見た目はこんなだし、普段はやる気の欠片も見せない、活字中毒の変わり者よ」

「的確な評価!」


 思わず肯定してしまった。一つも反論できる要素がない。見た目は普通だと言いたいところだが、「こんな」が何を指しているのかわからない以上、下手に突っ込むと傷口が広がりそうだ。

 柴田さんは俺の方を見ると少しだけ表情を和らげた。


「だけど、やると決めたことは、最後までやり遂げてきたわ。しかも、見返りを求めることもなく」

「そうなんです!」


 山本さんが勢いよく頷いた。


「お父さんも困ってました!もっと欲を出してもいいのに、山神君は欲がなさすぎるって」

「創ちゃんは本さえ読めればいいんだもんね。定期的に見に行かないと、ご飯も食べずにずっと本を読んでるし」


 夏樹も会話に加わる。その瞬間。教室のざわつきが、ぴたりと止まった。

 ……ん?何だ?

 周囲の空気がおかしい。

「見に行く?」「定期的に?」「家に?」「幼なじみで家が隣なのは聞いてたけど……」ひそひそ声が、あちこちから聞こえてくる。男子だけではない。女子まで同じ温度でこちらを見ている。羨望と殺意を混ぜて一晩煮込んだような視線だ。

 夏樹の人気、少し異常じゃないか?


「「「山神! あとで話がある!」」」


 教室の数か所から同時に声が飛んでくる。


「何で夏樹が絡むとお前らは団結するんだよ!」


 怖い。


 普段は男子と女子で派閥が分かれているくせに、こういう時だけ共同戦線を張るな。


「責任って言うなら、俺だって持つぜ?融資の話だって、ちゃんと確認を取って、なるべくそっちに有利になるようにしてやるって言ってるんだ」


 西海が話を戻す。


「そういうことじゃないわ」


 柴田さんが静かに返す。


「じゃあ、どういうことなんだ?」


 西海の声に苛立ちが混じる。


「金なんか、たくさんあるに越したことはないだろ?それをやってやるって言ってるんだ。俺にはその権限がある」


 教室の空気が少しずつ変わっていく。さっきまで俺の貧乏疑惑で盛り上がっていた連中も、黙って成り行きを見守っていた。


「萌は、お金のためだけに頑張っているんじゃないわ。地域の人に喜んでもらうために頑張っているの」


 柴田さんは一歩も引かない。


「あー……」


 西海が呆れたように息を吐く。


「その理屈かよ。それは詭弁だな。人に喜んでもらうだけじゃ、飯は食えない。その考えは間違ってるから、すぐに修正した方がいい。やっぱり俺が手伝ってやらないと駄目だわ」


 そして山本さんを見る。


「今日から再開するんだろ?俺も行ってやるよ」


「え……」


 山本さんが困ったように視線を泳がせる。


「いえ、えっと……」

「どっちにしても、店長さんに聞いてみよう?」


 夏樹が助け舟を出した。


「あ、はい。お父さんに連絡してみます」


 山本さんはほっとしたように頷き、スマートフォンを手に廊下へ出ていった。西海はその背中を見送り、小さく鼻を鳴らす。


「まったく、これだから経営の素人には困るんだ。金がなきゃ、何もできないじゃないか。それなのに、地域の人に喜んでもらうために頑張ってる?詭弁だな」

「詭弁じゃないわ。あなたに言われなくても、お金が大切だということくらいわかってる」


 柴田さんの声が少し低くなる。


「じゃあ、俺の話に乗らない理由がないだろ」


 西海は勝ち誇ったように言う。


「まあ、柴田さんにはどうやら嫌われているみたいだけど食堂やまもとは山本さんの家が経営しているんだろ?最後の最後は、あんたは部外者だ」

「部外者じゃないよ!直美は時々お店を手伝ってくれてるから、立派な従業員だよ!それに、私もお金だけじゃないと思う」

「広瀬さん」


 西海の表情が少し柔らかくなる。ただし、声には妙な上から目線が残っていた。


「君までそんなことを言ってちゃ駄目だよ。世の中は金だ。金があれば、何とでもなる。やっぱり君も間違うんだね」

「そ、そんなことないよ」


 夏樹は反論する。しかし、少し気圧されたように語尾が弱くなった。


「言い切れるのか?」


 西海が一歩、夏樹に近づく。


「この先何十年と続いていくはずの食堂やまもとが、今日ここで融資を受けなくてもいいって、君たちは、言い切れるのか?」


 夏樹が言葉に詰まる。柴田さんもすぐには答えなかった。二人の視線が、自然と俺へ向く。

 ……何でそこで俺を見る。俺は金融庁でも日本銀行でもないぞ。ただの高校生だ。しかも昼休みに弁当を食べ損ねかけている、かなり空腹な高校生だ。

 西海はそんな俺たちを見て、自分の主張が通ったと思ったらしい。口元に薄い笑みを浮かべた。


 俺は大きく息を吐く。面倒だ。非常に面倒だ。

 だが、ここまで言われて黙っていると、夏樹たちが納得したことにされそうだった。それはもっと面倒だ。

 俺は西海を見る。


「はぁ……。何言ってんだ、お前?」


 俺がそう言うと、西海は露骨に眉をひそめた。


「何って、融資の話だよ。食堂やまもとに金を貸してやるって言ってるんだ」

「だから、その『貸してやる』って言い方がおかしいんだよ」

「は?」

「融資をするのは、お前個人じゃなくて、お前の親が経営してる会社なんだろ?」


 西海は一瞬黙った。どうやら、そこから説明しないといけないらしい。俺は弁当の入った袋を机に置き直した。今日の昼休み、もう屋上は無理かもしれない。俺の静かな読書時間が、経営講座に変わっていく。


「会社には会社の手続きがある。株式会社なら、取締役会を置いている会社もあるし、重要なことなら株主総会の決議が必要になる場合もある。合同会社みたいな形なら、社員の同意が必要になることもある」

「そんなの、親父に言えば――」

「親父に言えば全部決まる会社なのか?」

「ぐっ……」


 西海が言葉に詰まる。


「社長だからって、会社の金を自分の財布みたいに自由に使えるわけじゃない。少なくとも、まともな会社ならな」


 教室の何人かが、静かにこちらを見ていた。

 そりゃそうだ。昼休みに高校生が会社法っぽい話をしていたら、俺でも聞く。


「しかも、融資ってのは金を渡して終わりじゃない」


 俺は指を一本立てた。


「まず、相手に返済能力があるか確認する。店の売り上げ、利益、今後の見通し、借金の状況、担保や保証をどうするか。そういうものを審査する」

「食堂なんだから、売り上げくらい見ればわかるだろ」

「わからないから審査するんだろ」


 おそらく、西海は融資に携わった経験はあるのだろう。確かに高校生でそこまでのことに首をツッコんでいるのは評価できることかもしれない。ただ、金銭のやり取りには責任が伴う。そこら辺までは経験していないのかもしれない。ま、かく言う俺も経験なんかないんだが…。


「……」

「貸す金額も決める。金利も決める。返済期間も決める。毎月いくら返すのか、いつから返すのか、もし返せなくなったらどうするのか。契約書だって必要だ。それに、食堂やまもとが会社組織なのか個人事業なのかでも、契約の相手は変わる。誰に貸すのか、誰が返済責任を負うのかも確認しないといけない」

「……」

「何より、融資を受けるかどうかを山本さんが決められるわけないだろ」


 俺は山本さんが出ていった廊下の方を見る。


「食堂やまもとの経営者は店長だ。話を持っていくなら、まず店長に正式に話をする。それから必要な資料を出してもらって、会社側で審査して、条件を提示して、双方が納得したら契約する。教室で娘に『貸してやる』って言って成立するほど、融資は軽くない」


 西海は黙り込んだ。たぶん、反論したいのだろう。ただ、どこから反論すればいいのかわからない顔をしている。その時だった。


「お待たせしました!」


 明るい声とともに、山本さんが教室へ戻ってきた。スマートフォンを胸元で両手に抱えている。


「萌、連絡ついたの?」


 夏樹が聞く。


「はい!」


 山本さんは大きく頷いた。


「西海君が融資のお話をしてくれてるって伝えました」

「それで、店長さんは何て?」

「『それはありがたいけど、今は大丈夫だ』って言ってました」


 西海の顔がわずかに引きつる。山本さんはさらに続けた。


「あと、『困ったことができたら山神君が何とかしてくれるよ』って」

「「何でだよ!!」」


 俺と西海の声が、見事に重なった。同じ言葉なのに、意味はまったく違う。俺は「何で俺なんだ」という意味。西海は「何で俺じゃないんだ」という意味だろう。


「創ちゃん、頼りにされてるね」


 夏樹が嬉しそうに笑う。


「……プレッシャーがきついぞ。俺なんて、ただのアルバイトじゃねぇか……」


 俺は肩を落とした。何とかしてくれるって何だ。俺に何ができる。店が火事になったら消火するのか。税務調査が来たら帳簿を見るのか。もう少し専門家を頼ってほしい。

 西海は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。


「今日の話を断ったことを、後悔する日が来ないといいな」


 そう言い残し、教室を出ていく。俺はその背中を見送った。


「断るも何も……」


 思わず呟く。


「そもそも、西海個人には融資なんてできないって話なんだが。融資するのは西海じゃなくて、西海の家の会社だろ。会社と店との取引なんだから、本人の気分だけでは何も決まらない。あいつの学んだ帝王学には、『社長の息子は会社の金を自由に動かせる』って書いてあったのか?」


 俺は首を傾げる。


「サッカー部って、みんなああなのかしら?あまり人の話を聞かないわね」


 柴田さんが真顔で言う。


「そ、そんなことないと思うよ」


 夏樹が遠慮がちに否定する。その瞬間。


「「「そうだそうだ!!」」」


 高原、広田、三浦が声を揃えて抗議した。いたのか、お前ら。柴田さんは気にせず続ける。


「だって、あの話、前にもしてたでしょ?その時も断ったのに、何事もなかったみたいにもう一度話を持ってくるのはどうかと思うわ」

「そういえば、前にも似たようなこと言ってたな……」


 俺は時計を見る。何だったんだ、この時間は。昼休みの残り時間と引き換えに、俺は西海へ無料で融資の基礎を教えてしまった。

 授業料を請求したい。

 そんなことを考えていると、夏樹と柴田さんと山本さんが、徐に机を動かし始めた。がたがたと机を寄せ、一つの島を作る。


「何してんだ?」

「何って、創ちゃんも、これからお弁当食べるんでしょ?一緒に食べようよ」


 夏樹が当然のように言う。


「嫌だよ。俺は読書しながら、一人で食べると決めている」

「でも、今から屋上に行っても、そんなにゆっくりできませんよ?」


 山本さんが申し訳なさそうに言う。


「そうね、屋上に着いた頃には、昼休みも終わると思うわ」


 柴田さんが時計を見ながら時間がないと教えてくれる。俺も改めて時計を見る。確かに、残り時間は少ない。

 ……西海め。俺の昼休みを返せ。

 俺は大きくため息を吐き、しぶしぶ椅子に座った。


「わぁ!」


 弁当の蓋を開けると、山本さんが目を輝かせた。


「今日のお弁当も美味しそうですね!」

「山神君の作った料理も美味しいですもんね?」

「うん!」


 夏樹がなぜか自分のことのように胸を張る。


「創ちゃんの作る料理は、何でも美味しいよ」

「山神は、どういう料理が得意なの?」


 柴田さんに聞かれ、俺は箸を取りながら考える。


「得意っていうか、個人的な好みなら和食だな。洋食や中華も好きだけど、出汁の味は落ち着く」

「食堂のアルバイトを始めてから、創ちゃんの料理、もっと美味しくなった気がする」


 夏樹が卵焼きを見ながら言う。


「店長さんから何か教わってるの?」

「あぁ。食材の切り方とか、下ごしらえとか、ほんのひと手間を隣で見せてくれるんだ。同じ調味料を使っても、入れる順番や火を止めるタイミングで全然変わる。教わった通りにやると、ぼやけてた味が、しゃきっとするんだよ」

「へぇ……」


 山本さんが感心したように弁当を覗き込む。


「店長には本当に感謝してる」


 融資だの責任だのと、さっきまで面倒な話をしていたのが嘘みたいだった。俺たちはその後、料理の話や店の話をしながら弁当を食べた。結局、今日も本は一ページも読めなかった。

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