第67話 営業再開――信頼が呼んだ行列
今日から食堂やまもとのアルバイト再開の日だ。朝から授業を受け、気づけば昼休み。ようやく読書の時間だと、弁当と読みかけの本を手に教室を出ようとした、その時だった。
「山神君!」
聞き慣れた元気な声に振り返る。
山本さんが息を切らしながらこちらへ駆けてきた。その後ろから夏樹と柴田さんも「何事?」という顔で近づいてくる。教室中の視線まで集まってしまった。
「食堂が大変なことになってるんです!」
……え。俺は思わず弁当を抱え直した。
「何があったの?」
夏樹が慌てたように尋ねる。
「大変って、どうしたの?」
柴田さんも珍しく心配そうな表情を浮かべている。山本さんは満面の笑みで胸を張った。
「お弁当が十分で完売したみたいです!」
「……へ?」
思わず間の抜けた声が漏れる。
「弁当?」
「はい!11時に営業を始めたみたいなんですけど、11時30分くらいから急にお客さんが増えて行列になったそうです! お弁当もあっという間に売り切れちゃって、お父さんから『想定外だ!』ってメールが来てました!」
山本さんは嬉しそうに身振り手振りを交えて説明してくれる。
「すごいじゃない!よかったわね、萌」
「すごいすごい!動画の効果かな!」
柴田さんが笑顔になり、夏樹も両手をぱちぱち叩いている。
「お二人ともありがとうございます!今日はすごく忙しくなりそうで、腕が鳴ります!」
山本さんは今にも飛び跳ねそうな勢いだ。その言葉に俺は少し首を傾げる。
「いや……腕が鳴るっていうか、山本さんはホール担当だろ」
「あ」
本人も気付いたらしい。
「足が鳴ります!」
「それはもっと怖い」
「じゃあ心が鳴ります!」
「心は鳴らん」
「じゃあ何が鳴るんですか!」
「知らん」
俺が適当に返すと、夏樹が吹き出した。
「創ちゃん、そういうところだけ冷静だよね」
「山神は萌の天然を処理する係だもの」
「そんな係になった覚えはない」
そんなやり取りをしていると、山本さんは照れ笑いを浮かべた。
「えへへ……でも、本当に嬉しいんです」
その笑顔を見る限り、本当に順調なんだろう。風評被害だ何だと騒がれていた頃が嘘みたいだ。
「そういえば、弁当は売り切れたとしても、今はランチタイムだろ? 店長と奥さんだけで店は回ってるのか?」
俺は気になっていたことを口にする。
「あ、それなんですが、お客さんたちが協力してくれてるみたいで、お料理はカウンターに置いて、お客さん自身で取りに来てもらってるそうです!」
山本さんはスマホを見せながら説明する。
「セルフサービス方式ね。それなら恵理子さんも厨房に入れるわ」
柴田さんが納得したように頷く。確かに、そうすることで厨房を二人で回せるようになるので、料理が滞ることもないだろう。
「はい! それに、いつも来てくださる大工さんたちが『レジくらいなら俺たちがやる!』って言って手伝ってくれたそうです!」
「大工さんがレジ?」
夏樹が思わず笑う。
「何それ」
「『釘よりレジの方が細かくて難しいなぁ!』って言いながら頑張ってくれたそうですよ!」
「いや、それ絶対楽しんでるだろ」
俺が呟くと、三人も笑い始めた。
「午後の仕事が終わったら夜も食べに来るって言ってくれたみたいです!」
「本当に応援してくれてるんだね」
夏樹が嬉しそうに微笑む。店長たちが積み重ねてきたものが、ちゃんとお客さんに届いていたんだろう。動画も、生配信も、説明も。全部無駄じゃなかった。
「でも…その人たち、前にセクハラまがいのことしてたわよね?」
柴田さんがふと真顔になった。
「あー……」
俺と夏樹の声がぴたりと重なる。山本さんは苦笑しながら頭を掻いた。
「た、多分大丈夫です」
「何で言い切れるの?」
「お父さんが守ってくれますから」
その一言で俺の背筋がぞくっとした。
……思い出した。『トイチでいかがでしょう?』とか言い出したやつだ。徒一と言って、日本に昔あった刑罰のことだ。現代の量刑制度においては使われない歴史用語で、刑罰の五刑である、笞・杖・徒・流・死の中の徒ずを意味するものになる。
『徒一』ってことは、簡単に言うと懲役1年という意味を持ち、『それが嫌なら笞や杖に変更しましょうか?』と言って大工たちを恐怖に落とし入れていた。ちなみに笞は鞭打ち、杖は棍棒のような棒状のもので打つ刑罰を言う。
「創ちゃん」
夏樹が苦笑いを浮かべる。
「思い出した?」
「あぁ……」
「顔色悪いわよ?」
柴田さんが不思議そうに俺を見る。
「何かあったの?」
「……いや」
俺は静かに首を振った。
「店長は怒らせない方がいいって話だ」
「???」
事情を知らない柴田さんは首を傾げる。山本さんは「あはは」と笑い、夏樹は「うんうん」と妙に納得していた。
……今日も食堂やまもとは平和そうで何よりだ。
昼休みの教室は、さっきまで食堂やまもとの営業再開の話で盛り上がっていた。俺はそろそろ屋上へ避難……いや、読書をしに行こうと弁当を持ち上げた、その時だった。
「山本さん、今日から食堂再開なんだってね?」
聞き覚えのある声に振り向く。そこには西海が立っていた。
……あれ?今日は川村はいないらしい。いつもセット販売されているイメージだったから少し違和感がある。まあ、四六時中一緒にいるわけでもないか。
「そうなんです!お客さんみんなが応援してくれてるみたいで、とっても嬉しいです!」
山本さんがぱっと笑顔になる。
「……そうなんだ。よかったな。まさかこんなに早く再開できるとは思わなかったけどな」
西海も笑顔を返す。
ん? 俺は少しだけ眉をひそめた。
「それはどういうこと?」
案の定、柴田さんも同じところが気になったらしい。西海は一瞬だけ「あっ」という顔をしたが、すぐに苦笑した。
「いやいや、深い意味はない。結構大変そうだったじゃないか。配信も見てたし、ネットでもかなり騒がれてただろ? もっと営業再開まで時間がかかると思ってたってだけだ」
「あぁ、そういうことね」
柴田さんも納得したように頷く。確かに普通ならそう考えるか。風評被害なんて、一度広まると元に戻す方がずっと難しいからな。
「山神君のお陰ですね!」
突然、山本さんが俺を指差した。
「……へ?」
何で俺?
「お父さんもお母さんも、本当に山神君には感謝してるんです!」
山本さんは力いっぱい頷く。
「いやいや、俺は提案しただけで何にもしてないからな?」
「でも、あの時、お店をしばらく休んで別のお仕事を探さなくても済んだのは山神君のお陰だって言ってました。動画配信で収入を得られたから、何とか生活もできたって」
そこまで言われると少し照れる。いや、実際に動画の編集は手伝ったが、撮って配信し続けたのは店長たちだ。俺は本で読んだ知識を話しただけだし、できることをただやっていただけにに過ぎない。
「へぇ……そうだったんだな」
西海が興味深そうに俺を見る。そして少し笑いながら続けた。
「じゃあ、俺が言ったことも役には立ったのか?」
その言葉で思い出した。動画配信を始めた頃、西海がマーケティングについて色々語っていたことがある。広告をもっと打つべきだとか。ターゲットを広げるべきだとか。数字を意識するべきだとか。話している内容自体は別に間違ってはいなかった。
ただ――。
「西海君が言ってくれたこと?」
山本さんが首を傾げる。……覚えてないな、これは。
「動画配信を始めた頃に、頼んでもないのにマーケティングについて熱く語っていた時のことでしょ?」
柴田さんがさらっと言う。
「ちょっと、直美!言い方!」
夏樹が慌てて止める。
「事実じゃない」
「ははっ。確かに、少し恩着せがましかったかもしれない。でも、役に立つ内容だったとは思うんだけどな」
西海も苦笑する。その言葉を聞いて、山本さんがちらっと俺を見る。あの顔はわかりやすい。マーケティングって言葉は聞いた気がする。でも、何だったか覚えてない…。たぶんそんなところだろう。
「創ちゃん、実際どうだったの?」
夏樹も山本さんの様子を見て察したのだろう。俺に話を振ってきた。
読書の時間がどんどん削られていく。まあ、ここまで来たら答えるしかない。俺は小さくため息を吐いた。
「結論から言うと、使ってない」
「……」
教室が一瞬静かになる。
「というか、使う必要がなかった」
俺は肩をすくめた。
「はぁ?」
西海が思わず声を漏らす。その顔には、「何を言ってるんだ、こいつ」という文字が見事なくらい浮かんでいた。
……さて。どう説明したもんかな。
「そりゃそうだよな。マーケティングをせずにどうやって経営するんだって話だ」
「どういうこと?もう少しわかりやすく教えてほしいわ」
柴田さんが腕を組む。
「私も!」
夏樹が元気よく手を挙げる。
「……」
山本さんも頷いている。
ただ、あの表情は完全に「マーケティングって言葉は聞いたことあるけど、説明しろって言われると無理です」という顔だ。
わかる。高校生なら普通だ。俺だって本を読むまでは知らなかった。
「うーん……」
俺は少し考えてから話し始める。
「まず、マーケティングっていう言葉を簡単に言うと、『商品やサービスをどうやってお客さんに届けるかを考えること』だ」
「なるほど。つまり宣伝とか広告ってこと?」
「それもマーケティングの一つだな。でも、それだけじゃない」
「例えば飲食店なら、『誰に来てほしいか』『何を売るのか』『どうやって知ってもらうか』『どうやったらまた来てもらえるか』全部マーケティングなんだ」
「へぇ……」
山本さんは感心したように聞いている。
「だから、マーケティングって実は広告よりずっと広い考え方なんだ」
俺は机の上に指を一本立てる。
「その中でも、一番最初にやるのがSTPって考え方」
「STP?」
三人とも首を傾げる。
「Segmentation、Targeting、Positioningの頭文字だ」
「横文字になった!」
山本さんが早くも諦め始める。
「大丈夫。ちゃんと日本語で解説するから」
俺は苦笑する。
「まずセグメンテーション。これは『世の中にはいろんなお客さんがいるよね』って分類すること。例えば飲食店なら、学生、会社員、家族連れ、高齢者、観光客、こんなふうに分ける」
三人とも頷く。
「次にターゲティング。その中から、『自分たちは誰を一番大切にするか』を決める。そして最後がポジショニング。ライバルとどう違う店になるかを決める」
夏樹と柴田さんは興味をもって聞いているのがわかる。山本さんはギリギリだ。何とかついてこ~い!
西海は知っているのだろう。今更何言ってるんだ?という顔をしている。
「例えば、『安さ日本一』『ボリューム日本一』『映える料理』そんなお店もある」
「創ちゃん、食堂やまもとだとどうなるの?」
「そこなんだ。食堂やまもとは最初から勝負する場所が違った。安売りではチェーン店に勝てない。品数でも勝てない。広告費でも勝てない。だから勝てる場所で勝負した」
「勝てる場所ってどこですか?」
「人だよ」
「……人?」
「店長、奥さん、その娘である山本さん、山田農園、地域の人、この人たち全部が食堂やまもとの価値なんだ」
三人とも静かに聞いている。
「だから俺たちは、『料理が美味しい店』を前面に出すんじゃなくて、『あの人たちに会いたい店』を目指した」
「……」
教室が静かになる。三人はともかく、教室全体が俺の話に聞き入っているようだ。時々、「なるほど~」「そういえば、うちのじいちゃんも毎日喫茶店に行ってるけど、コーヒーを飲みに行くんじゃなくてマスターと話をしに行ってるって言ってたな」「うちの近所の診療所は、井戸端会議ができるように待合を朝早くから開けてるよ」など、様々な感想が漏れ聞こえてくる。
「これがポジショニング」
「なるほど……。だから動画でも料理ばっかり映してなかったのね」
柴田さんが納得したように頷く。
「そう、普通なら、凝った料理を作ってこんなこともできるんだって宣伝するとかそういう戦略を打ちがちんだけど、食堂やまもとでは違って、店長が料理してる姿、奥さんの笑顔、声、山本さんの失敗を前面に出してその人柄や雰囲気を好きになってもらう努力をしたんだよ」
「料理じゃなくて、人を見せたんだね」
「そう。それがストーリーマーケティング」
「ストーリー?」
「料理だけじゃなく、その料理がどうやって作られているか、誰が作っているかを伝える。だから料理に価値が付く。店長が朝から仕込んでる様子を流し、丁寧に食材と向き合って調理している姿を見てもらう。そんな背景を知ると、同じ料理でも食べたくなる」
「確かに!店長の料理を見ていると美味しく感じる!」
「そういうこと。そしてもう一つ。一番大きかったのはリレーションシップマーケティング」
「……長い」
山本さんが真顔で呟く。長文の英語を聞いて理解が追いつかなくなっているようだ。もう少しで終わるから頑張れ!
そんな山本さんの様子を見たクラスメイト達から笑いが起こる。愛されてんな~。三大美少女小動物枠。
「簡単に言えば、お客さんとの信頼関係を大事にするってことだ。新しいお客さんを百人連れてくるより、今来てくれている人が十年通ってくれる方が価値がある。店長ともよく話したんだが、それが食堂やまもとの考え方なんだ。だから動画も広告じゃく、応援してくれている人たちへの近況報告という意味合いが強かった」
それに、料理に対する信念も伝え、山田農園に対する感謝も同時に発信していった。動画で丁寧に料理をすることで、店長の料理への信念を伝え、食材の一つ一つに愛情を持っていることを伝え、この料理人がほれ込んだ山田農園の作物っていったいどんなものなのかを伝えていった。
「その結果、お客さんが応援団になった。営業再開の日に大工さんたちが手伝ってくれたのも、その結果だ。あれは広告では作れない」
「……」
三人とも静かだった。俺は最後に西海を見る。
「西海が言ってたマーケティングは間違いじゃない。大企業なら、その方法で正しい。でも、食堂やまもとは全国チェーンじゃない。地域の小さな食堂だ。だから新しいお客さんをどんどん集めるより、今まで来てくれていた人たちとの関係をもっと深くする方が大事だった」
食堂やまもとが愛され続ける限り、向こう十年続けられるだけのマーケットはすでにあったんだよ。新たに顧客を呼ぶ必要はなかったんだ。だから、これまでのお客さんを喜んでもらえるように、再開してからも変わらず応援してもらえるような動画づくりを心がけたんだ。
「その結果、応援してくれる人が増え、その人たちの口コミや動画を見た新しいお客さんが自然と来てくれるようになった。今いるお客さんを大切にした結果、新しいお客さんが集まってきた。それが、俺たちが選んだマーケティングだ」




