第58話 深まる違和感
実習棟へ足を踏み入れた瞬間、俺は思わず足を止めた。
校舎の中は驚くほど静かだった。放課後の学校というのは意外と騒がしいもので、どこかの教室から部活動の準備をする声が聞こえたり、廊下を走る生徒がいたりする。しかし、この実習棟は別世界のように静まり返っていた。窓から差し込む夕日だけが長い廊下を赤く染めており、人の気配は感じられない。
俺は深呼吸を一つして耳を澄ませた。こういう時は目より耳だ。静かな場所では、わずかな音が思った以上に遠くまで届く。
しばらく意識を集中していると、かすかに上の階から音が聞こえてきた。
足音。
それから話し声。
男と女の声だ。
内容までは聞き取れないが、誰かがいることは間違いない。
「当たりか」
小さく呟き、俺は階段へ向かった。
普段ならさっさと駆け上がるところだが、今回はそうもいかない。もし本当に柴田さんが誰かと一緒にいるのなら、こちらの接近に気付かれる可能性がある。
なるべく足音を立てないよう慎重に階段を上がっていく。
一段、また一段。上へ行くほど話し声は鮮明になっていった。そして、その声の主が誰なのかもすぐにわかった。
柴田さん。
そして川村。
屋上へ続く扉の手前にある踊り場。どうやら二人はそこで話しているらしい。俺は慎重に近付いていく。
今の状況だけ見れば、一刻も早く二人を引き離すべきなのかもしれない。
だがその時、柴田さんと目が合った。本当に一瞬だったが、その視線には妙な落ち着きがあった。
助けてほしいという感じではない。むしろ――。『もう少し待って』。そんな意味を含んでいるように見えた。
気のせいかもしれない。だが、柴田さんならやりかねない。何か聞き出そうとしているのだろう。俺はすぐに飛び出すのをやめ、階段の陰へ身を隠した。
何かあればすぐ動ける距離だ。それなら問題ないだろう。
俺は二人の会話へ意識を向けた。
「君なんだろ?」
「何のこと?」
柴田さんは落ち着いている。少なくとも表面上は。
「ジャーナリストの親戚がいるらしいじゃないか。その親戚に僕のことを色々探らせているんだろう?」
「何の話かまったくわからないわ」
「しらばっくれるのもいい加減にした方がいいよ? この間みたいなことになりたくなければね?」
「この間のこと?」
「おや? 思ったより恐怖は感じていないようだね。やり方がまずかったのかな?」
その言葉を聞いた瞬間、俺の頭には公園での一件が浮かんだ。柴田さんが三人組に囲まれたあの日。あれを指しているのだろう。少なくとも川村は何か知っている。それだけは間違いない。そして柴田さんも、それに気付いたようだったが驚いた様子は見せない。むしろ相手にもっと喋らせようとしているように見える。
「確かに私にはジャーナリストの親戚がいるわ。でも、あなたのことを色々探らせているということはないわ」
「本当に?」
「本当に。そもそも、あなたを調べて価値のある情報が得られるかどうかなんてわからないもの」
俺は思わず顔をしかめた。その言い方はどうなんだ。だが、相手を刺激するには十分過ぎる。案の定、川村の表情がわずかに歪む。
「どうやら、本当に何も知らないようだね」
「さっきからそう言ってるでしょ? わかったなら私は帰るわ。人を待たせているのよ」
「それはまだ出来ない」
「どうして?」
「君が僕のことを探っていないと、僕が信用できるまでは」
その言葉を聞いて、俺は眉をひそめた。言っていることが滅茶苦茶だ。本人も途中で気付かなかったのだろうか。しかし、柴田さんは容赦がなかった。
「今自分で言ったじゃない」
「何を?」
「『本当に何も知らないようだ』って。今言ったことも忘れてしまうほど、あなたは愚かな思考の持ち主なのかしら?」
俺は思わず天井を見上げた。もはや挑発というよりストレートパンチである。しかも顔面に向かって全力で打ち込んでいる。川村の顔が目に見えて引きつった。
「……さっきから、妙に癇に障る言い方をするね?」
「あらそう? はっきり言って、私はあなたのことが嫌いだから、その気持ちを隠しきれないのかもしれないわ」
まったく悪びれる様子がない。ここまで面と向かって言われると、さすがに少し気の毒になる。いや、川村には色々問題があるのだが、それでも少しくらいオブラートという文明を導入してもいいと思う。ただ、本心なのだろう。柴田さんは真顔で言っていたから…。
川村もそれを理解したらしい。しばらく沈黙したあと、苦笑とも怒りともつかない表情を浮かべる。
「……随分はっきり言うね」
「聞かれたから答えただけよ」
「自分で言うのも何だけど、僕の見た目は整っている方だと思うんだけどね。それにサッカーもできる。社長の息子でもあるから、経済的にも君たちに比べると上位に位置すると思うんだけど、何が気に入らないのかな?」
俺は少しだけ感心した。ここまで言われてなお、自分の評価ポイントを列挙できるのはある意味才能だ。普通なら途中で心が折れる。少なくとも俺なら帰って本を読む。そして二度と話しかけない。
「そうね……」
一度考える素振りを見せてから、
「本来の目的を忘れて、しょうもない質問をするようなところかしら?」
とどめだった。
夕日に照らされた川村の顔が露骨に歪む。今にも何か言い返しそうだが言葉が出てこないらしい。
俺は階段の陰で小さくため息を吐いた。柴田さんが必要以上に煽っているのは間違いない。ただ、その様子を見る限り、感情に任せているわけではなさそうだった。おそらく何か狙いがある。川村を挑発し、余計なことを喋らせようとしているのだろう。それならもう少しだけ様子を見るべきかもしれない。俺はいつでも飛び出せるよう身構えながら、二人の会話の続きを見守ることにした。
俺は階段の陰に身を潜めたまま様子を見守る。正直なところ、いつ飛び出すべきか判断に迷っていた。柴田さんは落ち着いているように見えるし、川村も今のところは手を出す様子はない。だが、どちらも一歩間違えれば空気が変わりそうな危うさを感じる。
「確かに、君は前から僕にはあまり好意的ではなかったね」
「あまり? それには語弊があるわ。一度も好意的に見たことはないもの」
即座に返ってきた言葉に、俺は思わず目を閉じた。
強い。やはり強い。
たぶん柴田さんは本当のことを言っているだけなのだろう。だが、本当のことだからと言って全部口に出していい訳ではない。世の中には優しさという名のオブラートが存在する。もっとも、その辺りを柴田さんに期待するだけ無駄な気もするが。
「……この話はまぁいい。僕が聞いているのは、最近学校に僕に関するいろんな噂が出回っていることだ」
「噂? 何のこと?」
「しらばっくれるのもいい加減にした方がいい。全部知っているんだろう?」
「知らないわ。興味ないもの」
「君は山田農園に関することを色々調べているみたいじゃないか」
その言葉に、俺は少しだけ眉をひそめた。どうしてそこで山田農園が出てくる。柴田さんも同じことを思ったらしい。
「あら? なぜ私が山田農園のことを調べているって知っているのかしら?」
穏やかな口調だったが、その一言には鋭さがあった。川村がわずかに言葉に詰まる。
「……噂だよ」
「もしかして、山田農園のことを調べていることのどれかがあなたに関係するのかしら?」
一歩踏み込んだ質問だった。ここまでの会話で初めて、柴田さんが明確に攻勢へ回った気がする。川村の肩がわずかに強張る。
「そんな訳ないだろう?」
早すぎるくらいに否定は早かった。それが逆に不自然だった。俺はその様子を見ながら小さく息を吐く。やはり何か知っているのかもしれない。少なくとも完全に無関係という感じではなかった。
「そう……」
柴田さんはそれ以上追及しなかった。だが、表情を見る限り十分な反応を引き出せたと思っているようにも見える。
「いずれにしても、何度聞かれても私はあなたのことについては何も調べていないわ」
静かな声だった。だが、その先はさらに容赦がなかった。
「だって嫌いなんだもの」
追撃である。しかも急所狙いだ。俺は思わず天井を見上げた。もうやめて差し上げろ。
「私、嫌いなものとか興味のないこととかに時間を使うことが嫌いなの。だから、今後もあなたのことについて時間を割くことはあり得ないわ」
俺は何とも言えない顔になった。ただ、柴田さんの狙いは理解できる。川村を挑発しているのだ。感情的になれば、人は余計なことを口にする。そこを狙っている。
実際、男女一対一ならともかく、こちらは実質二対一だ。そう考えれば、確かに川村が暴れたとしても何とかなる。
たぶん。
だからここまで強気なのだろう。いざとなれば俺が止める。そう考えているはずだ。
怒りを抑えているのかと思ったが、意外にも小さく笑う。
「そこまで言われると、逆に気持ちがいいよ。でも、これは忠告だよ?」
笑みが消える。
「僕のことは嗅ぎ回らない方がいい。また、怖い目に会うかもしれないよ?」
公園の件。やはり無関係ではない。直接関わっているのかはわからない。だが、少なくとも知っている。そのことだけは確信できた。
「じゃ、今回はこれくらいにしておいてあげるよ。広瀬さんや山本さんにもよろしく言っておいてね?」
その言葉に、俺は思わず眉をひそめた。なぜそこで二人の名前が出てくる?単なる嫌味か。それとも牽制か。どちらにしても気分の良いものではない。柴田さんも同じことを思ったのだろう。訝しそうな表情で川村を見つめていたが、それ以上言葉を返すことはなかった。
川村はそのまま階段を下り始める。
まずい。俺は慌てて身を縮めた。このままでは鉢合わせになる。階段の陰へ体を押し込み、息を潜める。足音が近付く。
一段。
また一段。
妙に長く感じる。頼むからこっちを見るな。そんな願いが通じたのか、川村はそのまま通り過ぎていった。やがて足音が遠ざかる。
完全に聞こえなくなったところで、俺はようやく息を吐いた。
「ふぅ……」
何とかやり過ごせた。そう思いながら、柴田さんはどうしているだろうと階段の陰からそっと顔を出した。
すると。
「どわわっ!!」
目の前に顔があった。あと少し前へ出ていたら額がぶつかる距離だった。しかも無表情。いや、正確には呆れたようなジト目。
思わず変な声が出たじゃないか…。本気で心臓が飛び出るかと思った。反射的に後ろへ飛び退こうとして、危うく階段を踏み外しかける。
「び、びっくりした……」
胸を押さえながら抗議する。すると柴田さんは冷めた目のまま、小さくため息を吐いた。
「それはこっちの台詞よ」
目の前に突然現れた柴田さんに驚かされた俺は、胸を押さえながら思わず睨みつけた。
「色々話を聞けたわね?」
「……その前に言うことはないのか?」
「何のことかしら?」
「ほんといい性格してるな」
「あら、褒め言葉として受け取っておくわ」
「褒めてない」
「あらそう」
「それにしても…」
俺は柴田さんをジト目で見る。
「な…何よ」
思い当たることがあるのか、柴田さんはすっと目を逸らす。
「いくらなんでも無防備すぎるだろう?」
「何の話?」
「…皆まで言わないとわからない人じゃないだろう?」
「う…そ、そうね。反省はしているわ」
「そうだな。以前、どこの誰だかわからないやつに襲われそうになって、夏樹や山本さんが一人にならないように気を使ってくれていたんだろう?」
「……だから、反省してるって言ってるじゃない」
「柴田さんのことだから、相手が川村一人だったし、学校内だから滅多なことは起こらないだろうと踏んでいたのもわかるよ。それに、たぶんだけど放課後になる前から川村から何か言われていたんだろう?」
「そこまでわかっていたのね」
「じゃないと、柴田さんがこんなことをするとは思えないからね」
「ふふふ…そうね、川村から放課後話がしたいって言ってきていたわ。もちろん、夏樹や萌のいる前でね。だから一旦は断ったのよ。二人を巻き込むわけにはいかないから」
「そんなことだろうとは思っていたよ」
「放課後になって、川村が私達の後を付いてきていたわ。だから敢えて一人になってみたのよ。教室に忘れ物を取りに行くふりをして」
「遅くなると教室に夏樹や山本さんが探しに来るだろうから、場所を変えるためにこの校舎の屋上前に移動したってわけか」
「そうね。川村も不特定多数には聞かれたくない様子だったし、こちらの校舎は放課後に生徒の数は減るけれど、実験室や音楽室には先生たちはたくさんいるもの。何かされても大声を上げれば何とかなると思っていたわ」
「はぁ…ま、理由はわかったよ。でも、後で夏樹と山本さんから怒られるだろうけど、それはしっかりと受け止めてやれよ?」
「わかっているわ」
全く悪びれる様子がない。このまま言い合っていても話が進まないので、俺は小さくため息を吐いて本題へ戻した。
「それで? 何か思い当たることがあったのか?」
「色々あったわ。まず、公園で私が襲われたことを川村は知っているようだった」
「確かに、それは俺も思ったよ」
あの会話の流れを聞く限り、偶然知ったという感じではなかった。むしろ知っていて当然のような口ぶりだった。
「あいつが知っているってことは、おそらく柴田さんを襲った連中とつながりがあるってことだ」
「それは間違いなさそうね」
「直接関わってるかどうかはまだわからないけどな」
「ええ。でも無関係ではないと思うわ」
柴田さんも同じ結論だったようだ。俺は階段へ視線を向ける。すでに川村の姿は見えない。だが、さっきまでの会話を思い出すと妙な違和感が残っていた。
「川村のことは今まで本当に何も調べていないけど、色々調べてみる必要があるかもしれないわね」
「それはそうかもしれないが、一人で調べるのはやめておいた方がいい」
「わかっているわ」
「それこそ、この間みたいなことになったら大変だ」
「だから一人では調べないわ」
そう言いながら、柴田さんがこちらを見る。嫌な予感がした。非常に嫌な予感だった。
「そこで俺を見るな」
「気のせいよ」
「絶対違う」
俺が即座に否定すると、柴田さんは楽しそうに笑った。何か企んでいる時の顔だ。間違いない。
「俺は手伝わないぞ」
「薄情ね」
「薄情で結構。柴田さんの身の安全のためなら、薄情者にでも何でもなってやるよ」
「何にでもなってくれるの?」
「……なるわけないだろ」
「残念だわ。いい方法を思いついたんだけど……」
「聞きたくないから言わなくていい」
「私の代わりにあなたが色々調べるの」
「聞きたくないって言ったよな?」
予想通りだった。予想通り過ぎて頭が痛い。
「私は夏樹と萌と一緒に安全な場所にいるわ。その間に親戚へ相談して情報を集める。実際に現場を見たり、危険な場所を調べたりするのはあなた」
「何でだよ!全部危険な部分を俺に押し付けてるじゃないか!」
思わず声が大きくなる。
「そうとも言うわね」
「そうとしか言わないんだよ!」
俺の抗議などどこ吹く風だった。むしろ真面目に検討しているような顔をしている。何なんだこの人。
「でも合理的でしょう?私が行くよりは安全だと思うわ」
「それはそうなんだが……」
言ってからしまったと思った。こういう時に少しでも同意すると押し切られる。案の定だった。
「それに、山田農園や食堂やまもとの問題解決につながりそうじゃない?」
「確かに……それは俺も思っていたんだよ」
「じゃあ問題ないじゃない。あなたはその二つを放置するつもり?」
「……」
その言葉に詰まった。
放置するつもりはない。山田農園の件も。食堂やまもとの件も。気付いてしまった以上、知らなかったことにはできないからここまで動いている。柴田さんはそれをわかっていて言っているのだ。
「ほら。 図星ね」
「否定はしない」
すると柴田さんが満足そうに頷いた。
「じゃあ決まりね」
「人質を取られた状態での詰将棋は卑怯だと思うぞ」
「この先のことを色々と検討する必要があるわね」
「人の話を聞け」
「聞いているわ」
「聞いてないだろ」
「聞いた上で無視しているの」
「余計悪いわ」
俺が頭を抱えると、柴田さんはくすりと笑った。どうやら完全に押し切る気らしい。そして悲しいことに、俺も反論材料が尽き始めていた。
「……わかったよ」
観念してそう言うと、柴田さんの表情がぱっと明るくなった。
「ありがとう。じゃ早速今後のことを考える必要があるわね」
たぶん最初からこうなるように誘導されていたのだろう。川村との会話を聞いていた時から、いや、もっと前からかもしれない。そう考えると少し悔しい。
わくわくとした顔をして今後のことを考え始める柴田さんを横目に、俺は話題を変えることにした。
「それにしても……夏樹たち、今頃心配してるぞ」
「あっ」
柴田さんが固まった。今気付いたらしい。
「そういえば、かなり待たせてるわね……」
「かなりどころじゃない」
俺はスマホを取り出した。着信履歴には夏樹の名前がずらりと並んでいる。
「うわ……」
このあと夏樹に見つかった時、柴田さんはたぶん長めに説教されるはず。叱られている芝田さんを想像すると少しだけ気が楽になった。
ただ、俺も巻き込まれるんだろうなぁ…とそこまで予想したところで、深いため息が出た。
俺たちは実習棟の階段を下り始めた。夕日が窓から差し込み、長く伸びた影が階段に落ちている。さっきまでの緊張感はだいぶ薄れていたが、頭の中にはまだ川村との会話が残っていた。
「川村って自分で言っていたけど、親御さんが会社を経営しているんだってな」
「そうみたいね」
柴田さんは手すりに軽く指を添えながら頷く。
「結構昔から経営されているみたいよ。もしかしたら、萌のお父さんならよく知っているかもしれないわね」
「確かに。それもそうか」
食堂やまもとは地元ではかなり長く営業している店だ。店長なら地域の会社事情にも詳しいかもしれない。
「この後、食堂に撮影のために行く予定になっているから聞いてみることにしよう」
「そうね」
数段階段を下りたところで、俺はもう一つ気になっていたことを口にした。
「川村のことなんだが……実際どう思う?」
「嫌いよ」
「いや、好き嫌いじゃなくてだな」
「嫌いだけど?」
「そこを聞いてるんじゃない」
迷いなく即答しやがった。
「何にあんなに焦っているんだろうと思って」
「ああ、そっちね」
ようやく意図が伝わったらしい。
「今日の揉め事から考えると、サッカーの調子が悪くてスカウトが離れてしまった。先日の代表戦で悪質なファールをして退場になった。その試合の戦犯扱いでネットが炎上している。自分のモテ期の終焉が近づいていて、スクールカーストから転落しそうになっている」
「最後のやつ必要か?」
「本人にとっては一番重要かもしれないわよ?」
「そういうもんなのか?」
「そういうものなんじゃない?」
全くわからない。俺には一生理解できそうにない世界だった。カーストの上位とか下位とか考えたこともない。本が読めて飯が食えればだいたい幸せである。
「俺も似たような見解なんだよな」
「じゃあ終わりじゃない」
「でも、どうしても引っかかる」
「何が?」
「こんなことをするタイプには見えないんだ」
球技大会の時の川村を思い出す。嫌な奴だった。間違いなく嫌な奴だった。だが、計算高くて冷静だった印象もあるが、今みたいに感情のまま暴れる人間には見えなかった。
「やけに川村を信用しているのね?球技大会で友情でも芽生えた?」
「そんな訳あるか。俺は何とも思ってないけど、向こうはきっと俺のこと嫌いだよ」
「そうなのね」
「そうだと思う」
「どうでもいいけど」
「……あのな」
少しは興味を持て。いや、持たなくていいのかもしれないが。
俺は頭を掻いた。やはり何か引っかかっている。だが、それが何なのかがわからない。考えれば考えるほど霧がかかるような感覚だった。
「そういえば…腰巾着といつも一緒にいたと思うんだけど、最近見かけないな」
「腰巾着?」
「ほら、あいつだ」
「……ああ、西海のことね」
「たしかそんな名前だったと思う」
「同級生の名前くらい覚えたら?」
「必要になったら覚える」
「まったく……今、必要になってるじゃない。たしかに、西海とは最近あまり一緒にいるところを見かけないわね」
「やっぱりか」
「今日のお昼のもめごとの原因にもなっていたけど、カーストのトップから落ちそうになっている川村を見限ったんじゃない?」
「そんなこと本当にあるんだな……。ラノベの世界ではよく見るが」
「現実とラノベを一緒にしないの」
「でも現実の方が変なこと多いぞ?」
「それは否定できないわね」
柴田さんが少し笑った。
「本人に聞いたわけじゃないから本当のことはわからないわ。でも、今はそう考えるのが自然じゃない?」
「確かにそうなんだが……」
やはり何か引っかかる。だが答えが出ない。そんなことを考えながら校舎を出た時だった。
「創ちゃん! 直美!」
聞き慣れた声が響いた。反射的に顔を上げる。学習棟の校舎方から夏樹と山本さんがこちらへ走って来ていた。夏樹は全力疾走。山本さんも一生懸命走っている。身長差のせいか歩幅が全然違うが、必死についてきているのがちょっとかわいい。
「もう!心配したんだからね!」
到着した夏樹が肩で息をしながら叫んだ。
「悪かった」
「あと二人とも電話出てよ!」
「電話?」
「直美から無事だってメールが来たっきり全然出ないんだから!」
言われて俺はスマホを取り出した。画面を見て固まる。
着信履歴。『夏樹』『夏樹』『夏樹』『夏樹』『夏樹』『夏樹』『夏樹』
「……うわ」
「うわじゃない!」
どうやら屋上付近で隠れるためにマナーモードへ切り替え、そのまま戻し忘れていたらしい。完全に俺が悪かった。
「ごめん」
「本当だよ!」
夏樹はほっぺたをぱんぱんに膨らませている。ハムスターみたいだなと思って見ていると――
ぷに。
柴田さんが指で突いた。
「直美?」
「柔らかいわ」
「直美!?」
さらにぷにぷに。
「怒ってるのに!ぷにぷにしないで!!」
「かわいいわ」
「直美!」
どうやら柴田さんは安心したらしい。心配していた夏樹が元気に怒っている姿を見て、少しほっとしたような表情になっていた。一方で山本さんも珍しく怒っていた。
「山神君もです!」
「すみません」
「本当に心配したんですから!」
小さな体でぷんぷんしている。
なんだろう。怒っているはずなのに小動物観があり、どこかゆるキャラっぽい…。
「なんか失礼なこと考えてましたね!?」
「……そ…そんなことないぞ」
「同様の仕方があからさまです!!もう少し隠そうとしてください!」
なんか理不尽に怒られた。結局その後もしばらく説教を受けることになり、俺と柴田さんは大人しく謝り続けた。ようやく二人の機嫌が少し直った頃には、空はすっかり夕焼け色に染まっていた。
「じゃあ行こうか」
俺たちはそんなやり取りをしながら学校を後にし、食堂やまもとへ向かって歩き出した。夕暮れの道には四人分の影が長く伸びていた。




