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きみの隣で、今日も僕は考えてる。本ばかり読んでいた俺の日常は、少しずつ騒がしくなる  作者: マリセリソウ


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第56話 崩れ始めた均衡

 翌朝。俺と夏樹はいつものように並んで登校していた。

 朝の通学路は通勤や通学の人たちでそれなりに賑わっている。とはいえ、俺たちの住む街はそこまで大きな都市ではないため、人混みに揉まれるというほどではない。夏が近づいていることもあり、朝から少し蒸し暑かった。


「今日も暑そうだねぇ」


 夏樹が制服の襟元をぱたぱたと動かしながら言う。


「まだ六月にもなってないんだけどな」

「最近の天気予報、毎日暑い暑いしか言ってない気がする」

「実際暑いから仕方ない」


 そんな他愛もない会話をしながら学校へ向かう。

 昨日は山道を歩き回ったせいか多少の疲労は残っていたが、体を動かすこと自体には慣れている。問題になるほどではなかった。

 学校へ到着すると、俺と夏樹はそのまま教室へ向かった。

 廊下にはすでに多くの生徒がおり、朝の挨拶や雑談があちこちで飛び交っている。そんな中を通り抜け、自分たちの教室へ入る。


「じゃあ後でね、創ちゃん」

「ああ」


 夏樹は自分の席へ向かい、俺は自分の席へ腰を下ろした。鞄から本を取り出す。昨日の続きを読もうとページを開いたところで、視界に人影が入った。


「よう、山神」

「おはよう」


 顔を上げると、高原と三浦が立っていた。二人ともサッカー部らしく朝から元気そうだ。


「おはよう」


 俺がそう返すと、高原が少し照れくさそうに頭を掻いた。


「この前はありがとな」

「ん?」

「試合だよ。代表戦」


 三浦も隣で頷いている。


「ああ」


 そういえばそんなこともあった。だが正直なところ、俺としては日本代表を応援するために行ったわけではない。リアムとシャーロットに半ば強引に呼び出された結果、スタジアムへ行くことになっただけだ。


「別に礼を言われるほどのことじゃないだろ」

「いやいや、そういうわけにもいかねぇよ」


 高原が苦笑する。


「知り合いが見に来てくれるって普通に嬉しいしな」

「そういうものか」

「そういうものだ」


 三浦も同意するように頷いた。プロを目指している連中の感覚は、やはり俺とは少し違うらしい。すると三浦がふと思い出したように口を開く。


「そういえばさ」

「ん?」

「山神ってリアム選手と知り合いなのか?」


 その質問に、高原も「ああ、俺も気になってた」と頷いた。


「試合中に何か叫ばれてただろ」


 そう言われて、俺はスタジアムでの出来事を思い出す。

 シャーロットと夏樹、それに山本さんたちが盛り上がりすぎて試合そっちのけになっていた時だ。リアムがピッチからこっちを指差して、「試合見ろ!」と叫んでいた。今思い返しても理不尽な話である。


「子供の頃の知り合いだ」

「マジで?」


 三浦が目を丸くした。


「親の仕事の都合で昔イギリスに住んでたことがあってな」

「へぇ」

「その時に知り合った」


 俺は簡単に説明する。

 隣の家に住んでいたのがリアムで、その幼馴染がシャーロットだったこと。その後も親の仕事で何度か国を移動したこと。だから実際には、一緒にいた期間はそこまで長くないこと。そんな話をすると、高原が感心したように頷いた。


「なんか山神らしいな」

「どこがだ」

「世界を転々としてましたって、さらっと言うところ」

「別に俺が決めたわけじゃないし」


 親の都合で引っ越していただけだ。自慢できるような話でもない。


「でもリアム選手って、今めちゃくちゃ有名だろ?」


 三浦が言う。


「イギリスでも期待されてる選手だし」

「らしいな」

「他人事だな……」


 他人事だからな。知り合いではあるが、俺が育てたわけでもない。すると高原が少し表情を曇らせた。


「そういや怪我、大丈夫だったのか?」


 試合のことを思い出したのだろう。あのスライディングはかなり危険なものだった。三浦も心配そうな顔になっている。


「一応大丈夫らしい」


 俺はスマホを取り出した。リアムから送られてきていたメッセージを開く。


『Just a sprain. Back to training already.』(ただの捻挫だよ。トレーニングに復帰してるぜ)


 そんな文章と一緒に添付されているのは、練習場で撮られた写真だった。松葉杖も外れ、チームメイトたちと一緒に笑っている姿が映っている。


「ほら」


 スマホを二人へ見せる。


「軽い捻挫だったみたいだな」

「おぉ……!」


 三浦がほっとしたように息を吐いた。


「よかったぁ」

「ほんとにな」


 高原も安心したように肩の力を抜く。同じサッカー選手だからこそ、怪我の怖さは誰よりも理解しているのだろう。


「全体練習にも参加してるみたいだし、大丈夫そうだ」

「それ聞いて安心したわ」

「俺も」


 二人は素直に頷いていた。その様子を見ながら、俺は少しだけ微笑ましい気持ちになる。代表戦では敵同士だったが、同じ競技をやる者同士、やはり思うところはあるのだろう。そんなことを考えていた。


 すると、廊下の方から何やら騒がしい声が聞こえてきた。

 最初は誰かが騒いでいるだけかと思ったが、どうやらそうではないらしい。怒鳴り声のようなものが混じり始め、教室内の生徒たちもざわつき始めた。


「何だ?」


 三浦が廊下の方を見る。


「揉めてるっぽいな」


 高原も席を立ち上がった。二人は顔を見合わせると、そのまま廊下へ出ていく。俺は特に興味もなかったので、閉じていた本を再び開いた。高校生同士の揉め事なんて珍しいものでもない。教師が来ればそのうち終わるだろう。

 そう思ってページをめくろうとした瞬間だった。


「創ちゃん!」


 嫌な予感がした。聞き慣れた声だ。


「男子たちが喧嘩してるみたい!」

「そうか」

「止めなきゃ!創ちゃんも行かないと!」

「何で俺が」


 至極当然の疑問だった。だが夏樹は聞いていない。


「ほらほら!」


 俺の手首を掴む。


「待てって!」

「急いで!」

「本が~!俺の読書時間が!」

「後で読める!」


 ずるずるずる。


 俺は机に置いた本へ最後の視線を送る。まるで飼い主と離れ離れになる犬のような気持ちだった。本もどこか寂しそうに見える。

 気のせいだろうけど。

 そんな俺の気持ちなどお構いなしに、ドナドナよろしく夏樹は俺を廊下へ連行していった。



 教室を出ると、すでに廊下には人だかりができている。生徒たちは階段付近を囲むように集まっており、何とか中の様子を見ようと背伸びしていた。


「すごい人だね……」


 夏樹が俺の腕に掴まったまま呟く。


「もう俺が何かする必要ないじゃん。帰っていい?本読みたい」

「駄目」


 なぜだ…。


 仕方なく人垣の隙間から中を覗く。騒ぎの中心は、階段と廊下を繋ぐ踊り場だった。数人の男子生徒が言い争っている。その中心にいたのは川村だった。

 川村の周囲には同級生らしい男子生徒たちが数人集まっている。俺は同級生の名前をほとんど覚えていないので誰かはわからない。だが、彼らの口から飛び出してくる言葉はかなり辛辣だった。


「サッカーのスカウトも離れていったんだろ? 日頃の行いだな」

「日本代表戦で相手のエースに危険なファールしてレッドカードとか笑わせんなよ」

「ネットじゃ世界中から叩かれてるらしいぞ」

「今まで偉そうにしてたくせにな」


 周囲の生徒たちも静まり返っている。誰も止めようとはしない。

 川村の顔を見る。怒りで顔が歪んでいた。今にも噛みつきそうな表情だ。


「だから何だと言うんだい? 君たちが進んで今の立ち位置になったんだろう? それを今更反故するつもりかい?」


 男子生徒たちは鼻で笑った。


「進んでだって?」

「笑わせるなよ。 俺たちにも目的はあったが、今のお前にはその力はないよ」

「全世界の笑いものに求心力があると思うのか?」


 その言葉が引き金だった。川村の表情がさらに歪む。


「飼い犬は大人しく主人の言うことを聞いていればいいんだ!カーストのトップは僕なんだから!」


 その声は怒鳴るというより叫びに近かった。

 次の瞬間、川村が相手へ掴みかかった。女子生徒たちから悲鳴が上がる。


「きゃっ!」

「危ない!」


 俺の隣では夏樹がびくっと肩を震わせた。そしてそのまま俺の腕にしがみついてくる。


「創ちゃん……」

「大丈夫だろ」


 多分。

 いや、保証はないけど。

 ただ、幸い川村が相手へ到達する前に別の男子生徒たちが飛び込んできた。池上と後藤だった。


「川村! 落ち着け!」

「やめろ!」


 二人が必死に川村を押さえ込む。だが相手は日本代表に選ばれるレベルのアスリートだ。体格も筋力も一般生徒とは比べ物にならない。池上たちもかなり苦労しているようだった。


「離せ!」

「いいから落ち着けって!」

「うるさい!」


 騒ぎはさらに大きくなっていく。周囲の生徒たちは完全に引いていた。

 その時だった。


「何事だ!」


 教師たちの声が響く。どうやら騒ぎを聞きつけたらしい。数人の教師が慌ただしく駆けつけてくる。さすがに教師が現れたことで騒ぎは一気に収束へ向かった。教師たちは事情を聞くより先に、生徒たちをそれぞれ引き離していく。


「とりあえず職員室だ!」

「君たちも来なさい!」


 川村も反抗しようとしていたが、複数の教師に囲まれてしまえばどうしようもない。不満そうな顔をしながらも連れて行かれる。

 その時だった。川村がふとこちらを見た。


 正確には――俺たちを。


 その視線が俺で止まる。続いて夏樹へ向く。そして、俺の腕に掴まっている夏樹を見る。一瞬だったが、はっきりとわかった。川村の目に浮かんだ感情が。

 敵意だった。明確な敵意。

 それだけを残し、川村は教師たちに連れられて廊下の向こうへ消えていった。



 朝の騒動のあと、川村たちは教師に連れられていった。それで全てが終わったかと言えば、もちろんそんなことはない。

 授業はいつも通り行われたものの、教室の空気はどこか落ち着かなかった。休み時間になるたびにあちこちでひそひそ話が始まり、先生が入ってくると慌てて話題を変える。そんな光景が午前中ずっと続いていた。

 もっとも、俺自身はあまり気にしていなかった。休み時間になれば本を開き、授業が始まれば教科書を開く。それだけだ。周囲がざわついていようがいまいが、俺の日常はあまり変わらない。


 そして昼休み。

 俺はいつものように机の上へ弁当を広げていた。午前中に読んでいた本へしおりを挟み、さて昼飯にするかと思ったその時だった。


「創ちゃーん!」


 聞き慣れた声が聞こえた。顔を上げる。嫌な予感がした。そしてその予感はだいたい当たる。

 案の定だった。夏樹が弁当を持ってこちらへ向かってきている。その後ろには柴田さんと山本さんの姿もあった。

 三人とも当然のような顔をしている。俺は露骨に嫌そうな顔をした。


「何よ、その顔」


 夏樹が即座に反応した。


「何しに来た?」


 三人の足がぴたりと止まった。

 数秒の沈黙。

 そして。


「ひどっ!」


 真っ先に叫んだのは夏樹だった。


「開口一番それ?」

「さすがに失礼ね」


 柴田さんも呆れたように肩を竦める。


「ちょっと傷つきました……」


 山本さんまでしょんぼりしていた。

 何なんだこの人たち。


「せっかく私たちが一緒にお弁当を食べてあげようとしてるのに」

「普通は喜ぶところだと思います」


 俺は周囲を見回した。すでに何人かの男子生徒がこちらを見ている。非常に居心地が悪い。


「お前たちといると目立つから嫌なんだ」


 俺が本音を言うと、三人は顔を見合わせた。


「へぇ」

「ふーん」

「なるほど」


 嫌な予感がする…。次の瞬間、三人は近くの空き机を引っ張ってきて俺の机へ連結し始めた。


「おい」


 ガガガッ。


「聞いてたか?」


 ガガガッ。


「何が?」

「お前たちは目立つ!目立つ奴らの近くにいると面倒なことが増える!だから俺から離れろって行ってるんだよ!」

「嫌よ」

「何でだよ!!」

「多数決だから!」

「民主主義って便利ね」


 こんなしょうもないことで民主主義なんかひけらかすんじゃねぇ!山本さんも「便利ですねぇ」じゃねぇ!


 こうなったらもう何を言っても無駄だ。俺は諦めて弁当箱を開いた。

 しばらくは普通に昼食を食べながら雑談が続いた。食堂やまもとチャンネルの話。昨日の山道の話。山本さんの親子丼が予想以上に美味しかった話。夏樹は相変わらず自分が作ったわけでもないのに「でしょ?」と得意げだった。


「創ちゃん、ちゃんと美味しいって言ってたもんね」

「嘘をつく必要はないからな。びっくりするくら美味かった」

「もっと褒めていいんだよ?」

「お前をか?」

「それでもいいよ?」


 山本さんが小さく笑う。


「でも本当に嬉しかったです」

「店長も褒めてたしな」

「はい。あれはかなり嬉しかったです」


 山本さんは照れ臭そうに笑った。そんな穏やかな空気の中だった。柴田さんがふと箸を置く。


「そういえば、朝の件なんだけど」


 その声で全員の視線が集まった。


「川村が何やら揉めていたやつか?」

「そう。私も午前中に色々聞いてみたんだけど、興味深いことがわかったわ」


 柴田さんはそう言うと弁当箱の蓋を閉じた。


「興味深い?」


 柴田さんはどちらかと言えば川村に対してあまり好意や興味を持っていなかったように感じていたんだが…。


「最近、川村を見る周囲の目がかなり変わってきてるみたい」

「変わった、ですか?」

「今まではイケメンでスポーツ万能の人気者だったじゃない?」

「まぁ、そうですね」

「でも最近は違うみたい」


 柴田さんは少し考えるような顔をした。


「自分の見た目を鼻にかけてる嫌な奴って印象の方が強くなってるらしいわ」


 夏樹が顔をしかめる。


「それはまた極端だね」

「人の評価なんてそんなものよ。持ち上げる時はとことん持ち上げるし、落とす時は一気に落とすわ」


 柴田さんは肩を竦めた。

 俺は黙って聞いていた。別に珍しい話ではない。成功者が失敗した時ほど、人は面白がるものだ。


「実際ね、川村って今まで結構好き放題やってたみたいなのよ」

「好き放題ですか?」


 山本さんが聞き返す。


「掃除当番とか雑用とか、自分でやらずに他の生徒へ頼んだりね」


 柴田さんは指を折りながら説明した。


「あぁ……」


 夏樹が何とも言えない顔になる。


「でも、それって断ればいい話じゃないの?」

「普通はそう思うでしょ?」


 柴田さんが苦笑した。


「でも川村はスクールカーストの上位だったから、川村に気に入られたい人たちがいたのよ」


 その言葉に夏樹が少し嫌そうな顔をした。俺もあまり好きな言葉ではない。


「そのスクールカーストのトップに君臨する川村に取り入って、おいしい思いができると思っている奴がいるってことか?」

「そういうこと。仲良くなれば女子を紹介してもらえるかもしれないとか、恩恵があるかもしれないとか、そういう期待ね」

「しょうもない」


 ちらっと横を見ると夏樹も山本さんも呆れているようだ。


「だから今までは言うことを聞いてた人たちがいたみたいなのよ。……でも今は違う」


 全員が自然と静かになった。


「日本代表戦の件でイメージが悪くなったってことか?」


 俺が言うと、柴田さんは頷いた。


「そう。ネット上で結構叩かれているみたいなのよ。さっき、SNSを少し覗いてみたんだけど、否定的な書き込みをしている人たちの中にはうちの学校の生徒たちもいるみたいだわ。サッカーの試合だけじゃなく、学校での振る舞いのことも書かれていたわ」

「そこに掃除当番や雑用のことが書いてあったのか?」

「そうよ。さわやかイケメンってみんな思っていたけど、裏では弱者に対して権力を振りかざしていたって周りが思うようになってきているみたいよ。だから、今までみたいな価値がなくなったと思われ始めてるわ」


 だから反発が起きた。今まで従っていた人間が従わなくなった。そして朝の騒動になった。話としてはそれだけだ。

 俺は卵焼きを口へ運びながら考える。

 結局のところ。川村自身は何も変わっていない。変わったのは周囲の評価だ。だからこそ、本人は余計に納得できないのだろう。今まで当たり前だったものが、急に当たり前ではなくなったのだから。


 柴田さんから朝の騒動の経緯を聞き終えた俺は、弁当の最後の卵焼きを口に放り込んだ。

 話の内容は理解できる。川村を取り巻く環境が変わり、それまで表面化していなかった不満が一気に噴き出した。そういうことなのだろう。

 だが、それを聞いた感想は正直なところ一つしかなかった。


「要するに仲良かった友達同士の喧嘩だろ?」


 三人が揃ってこちらを見る。


「創ちゃん、それで片付けるの?」

「だってそうじゃないか。一般的な友達像とは違うのかもしれないけど、お互いに利害が一致していた関係ってことだろ?その利害が一致しなくなったから、一方がそれに不満を持ったから、それをぶつけたってことじゃん」


 肩を竦めながら弁当箱を閉じる。

 長く付き合っていれば意見がぶつかることもあるし、立場が変われば関係も変わる。仲が良かったからこそ拗れることだって珍しくない。


「よくある話だろ」

「朝のあれを見ても?」

「そうだな。むしろ裏でこそこそするよりは健全なんじゃねぇか?」


 夏樹は納得いかない顔をしていたが、俺としては本当にそう思っていた。

 もちろん穏やかな喧嘩ではなかった。だが、人間関係なんて外から見える部分だけが全てじゃない。長年積み重なったものがあるからこそ、当人たちにしかわからない事情もある。

 すると、向かいに座る山本さんが小さく肩を震わせた。


「私は結構怖かったです……」


 朝の様子を思い出したのか、箸を持つ手が少し固くなっている。


「もう少しで殴り合いになりそうでしたし……」

「それはそうだな」


 あの場にいた人間なら、そう感じてもおかしくない。

 川村は本気で掴みかかろうとしていたし、周囲もかなり緊張していた。普段穏やかな山本さんからすれば、十分怖い出来事だっただろう。

 だが、それでも俺の考えは変わらなかった。


「だからこそ放っておくしかないんだよ。今までの関係もあるだろうし、何が原因であそこまで拗れたのかなんて本人たちにしかわからない。そういう話に部外者が入ると、大体余計にややこしくなる」


 誰かの味方をしたつもりが別の誰かを傷つけたり、善意で動いた結果さらに関係を悪化させたり。そういう話は本の中でも現実でも何度も見てきた。


「本人たちが解決するしかない話もある」


 しばらく沈黙が続いた。最初に息を吐いたのは柴田さんだった。


「まぁ……それはそうね」

「何でもかんでも首を突っ込めばいいってわけじゃないもんね」

「そうですね」


 どうやら納得はしてくれたらしい。そうして自然と川村の話題は終わった。すると待ってましたと言わんばかりに夏樹が身を乗り出す。


「じゃあさ!」


 嫌な予感しかしない。


「食堂やまもとチャンネルの話しよう!」


 案の定だった。山本さんの表情も一気に明るくなる。


「そういえば登録者数、もう少しで十万人なんです!」

「10万人?それは凄いわ!」


 柴田さんが素直に感心した声を上げる。

 10万人。数字だけ聞くと改めて凄い。最初は地元の食堂が始めたチャンネルだったはずなのに、いつの間にか銀の盾が見えてきている。


「もう少しで六桁よ?」

「すごいよねぇ」


 夏樹も嬉しそうだ。本人は出演者ではなく裏方なのだが、それでもチャンネルが成長していくのは嬉しいのだろう。


「店長さんたち喜んでるだろ?」

「お父さんは意外と冷静なんですけどね。登録者数も嬉しいけど、それでお店を知ってくれる人が増える方が嬉しいって言ってました」

「店長らしいな」

「そうだね。早くお店再開できたらいいね」


 夏樹も深く頷いていた。数字そのものより、その先にいる人を見ているあたりが実に店長らしい。


「一番再生数が伸びてるのってどの動画なの?」


 柴田さんの質問に、山本さんが急に遠い目をした。


「親子炒飯です……」

「「「あぁ……」」」


 あれは強い。料理人への道の初期回にして伝説回だ。親子丼を作ろうとしてるのに、なぜかフライパンが火柱を上げ、店長が本気で慌てたあの回である。


「ちょっと火が大きくなっただけなのに……」


 山本さんが不満そうに言う。


「ちょっと?店長が消火器の場所を確認し始めた時点でちょっとじゃないだろ」


 俺は思わずツッコんだ。


「店長、めちゃくちゃ焦ってたよね。しかも編集で炎の効果音まで入ってたし」


 夏樹がリアルで見ていた光景と、俺が動画作成の時に少しだけ誇張した演出をかけた動画を思い出したのか笑いながら言う。


「だって面白かったし」

「創ちゃん、一番楽しそうに編集してたよね?」

「素材が強かったからな。どうやって料理してやろうかと結構熱が入ったのは否定しない」


 柴田さんが呆れたように笑う。あれは編集者として抗えない魅力があった。

 その後も話題は尽きなかった。玉ねぎを切りながらなぜか笑い出して撮影が止まった回。店長が真面目に料理を教えている横で夏樹が派手にくしゃみをしてNGになった回。奥さんが乱入してきて、いつの間にか料理より雑談がメインになった回。どれも視聴者からの評判は上々だったらしい。


「私としてはあのくしゃみの回は黒歴史なんだけど」

「コメント欄では大人気だったぞ」

「うそでしょ」

「『裏方の人、生存確認』って書かれてた」

「やめて!」


 夏樹が頭を抱える。山本さんと柴田さんは大笑いしていた。そんな三人の様子を見ながら、俺は静かに弁当箱をカバンにしまう。話に加わらないわけではないが、基本的には聞き役だ。たまに編集担当として意見を求められ、その時だけ口を挟む。


 やがて俺は鞄から読みかけの本を取り出した。三人はまだ盛り上がっている。ならば昼休みの残りくらいは静かに過ごそう。そう思って本を開いた、その時だった。

 廊下の方から再びざわめきが聞こえてきた。最初は誰かが騒いでいるだけかと思ったが、どうやら違う。教室の何人かも反応し、席を立って廊下を覗きに行き始めている。


「また何かあったのかな?」

「今日は騒がしいわね」


 そんな声が聞こえる。俺は開いたばかりの本から顔を上げた。

 ……嫌な予感しかしなかった。

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