第54話 灰色の広場
俺たちはフェンスの手前まで戻ると、持っていた荷物を木陰へ隠した。リュックや飲み物をそのまま持って入ると、動きにくいし音も出る。何より、見つかった時に逃げづらい。
「……なんか本格的に潜入捜査みたいになってきたんだけど」
柴田さんが小声でぼやく。
「安心しろ。俺もそう思ってる」
「安心材料ゼロなのよ」
俺は苦笑しながら、周囲を確認してからフェンスの内側へ足を踏み入れた。
幸い、中へ入ってもすぐに開けた場所があるわけではなく、木々がかなり残されている。下草も多く、身を隠しながら進むには都合が良かった。俺たちはなるべく足音を立てないように慎重に進む。
遠くからは、重機の低いエンジン音が断続的に響いていた。
ガコン、ガコンという油圧音。土を掘り返す鈍い音。そのたびに地面がわずかに震える。
「……ねぇ山神」
「ん?」
「今さらだけど、これ本当にみつかったら大変なことになるわね?」
「見つかったらな。見つからなかったら、そこには何もなかったことになる」
「屁理屈だわ……」
柴田さんはげんなりした顔をしながらも、しっかり後ろをついてくる。そのまま数分ほど進むと、視界が急に開けた。
「……っ」
思わず足を止める。木々の先には、大きく開削された広場が広がっていた。航空写真で見た時よりも遥かに広い。
周囲の木々をかなり伐採しているらしく、不自然な空間が山の中へぽっかり口を開けている。
地面は剥き出しの土。タイヤ痕が無数に走り、泥が深くえぐれている場所もある。
そして、その中央付近には――。
「ダンプ……」
さっきの深ダンプが停まっていた。さらに、その周囲には大型のユンボが数台並んでいる。アーム部分には土がこびり付き、かなり頻繁に使われていることが一目でわかった。
一人の男はダンプカーの近くで何か作業をしており、もう一人はユンボを動かしていた。巨大なバケットが地面を掘り返すたび、湿った土が重い音を立てる。
「……何してるの、あれ」
柴田さんが小声で聞いてくる。その間にも、しっかりスマホで写真を撮っているあたりは流石だった。
「多分、穴掘ってる」
「それは見ればわかるわよ」
「じゃあ、あそこへ何か埋めるんだろ」
「何かって……」
柴田さんが眉を寄せた。
その時だった。ダンプカーの荷台がゆっくり持ち上がる。油圧音が響き、荷台が大きく傾いた。そして、中から積載物が滑り落ち始める。
ズルリ、と鈍い音。穴の中へ流れ込んだそれを見て、柴田さんが小さく呟く。
「……土?」
見た目だけなら、確かにそう見えた。
黒っぽい土砂。
泥。
残土。
そんな感じだ。だが、俺は違和感を覚えていた。
「……いや」
「え?」
「普通の土じゃない気がする」
俺は目を細める。荷台から落ちているそれは、水分量が妙に多かった。ベチャッとした重い音を立てながら穴へ流れ込んでいる。しかも色が悪い。周囲の山土よりも灰色がかっていて、部分的には黒ずんでいる。
「ねぇ山神」
柴田さんが小声で囁く。
「これって、どこかから土砂運んできてるだけなんじゃないの? ここ、一時的な置き場とか」
その可能性もゼロじゃない。
だが――。
「それならおかしい」
「何が?」
俺は広場全体を見回した。
「普通、残土の仮置き場なら山積みになってる」
「……あ」
「ダンプで運んできた土を置くだけなら、わざわざ穴掘る必要が薄い」
残土処理なら、盛土材として積み上げるケースが多い。だが、この場所には“山”がない。ただ掘られた穴があるだけだ。しかも、運んできたものをそのまま埋めている。
「隠すように見えるんだよな……」
俺は小さく呟く。柴田さんの表情が強張った。
「それって……」
「まだ断定はできない」
俺は慎重に言葉を選ぶ。
「でも、普通の残土ならここまで厳重にする理由が弱い」
旧道。
フェンス。
有刺鉄線。
南京錠。
深ダンプ。
山中。
そして埋設。
全部繋げると、一つの可能性が浮かぶ。
「……建設汚泥かもしれない」
「建設汚泥?」
「工事現場とかで出る泥状の産廃。適切処理にかなり金がかかる」
「だから山に埋めてるってこと……?」
「可能性の話だけどな」
俺は改めて穴を見る。ユンボが土を被せ始めていた。まるで最初から何もなかったみたいに。
「……もし本当にそうなら、かなり大問題じゃない?」
柴田さんが小さく言う。
「大問題だろうな」
しかも、もしこれが雨で流出しているなら――。
山田農園の異常とも繋がる。
その時、風向きが変わった。湿った臭いがこちらへ流れてくる。土の臭い。だが、それだけじゃない。どこかコンクリートみたいな、薬品みたいな臭いが混ざっていた。
俺は眉をひそめる。
「……やっぱり臭いも変だな」
「臭い?」
「ああ。普通の山土じゃない」
柴田さんも鼻を押さえる。
「なんか変な臭いするわ……」
俺たちは木陰へ身を潜めたまま、広場の様子を見守っていた。
ユンボのアームがゆっくり持ち上がり、さっきダンプカーから流し込まれた泥状のものへ土を被せていく。巨大なバケットが地面を押し均すたびに、湿った土の重い音が広場へ響き、地面には無数のキャタピラ跡が刻まれていた。広場の端には別のダンプカーも停まっており、どう見ても一度や二度の作業ではない。周囲の木々だけ不自然に切り開かれている光景も含め、ここが継続的に使われている場所であることは明らかだった。
柴田さんはスマホで何枚も写真を撮りながら、小声で聞いてくる。
「さっき言ってた建設汚泥って、そもそも何なの?」
俺は視線を作業現場へ向けたまま答えた。
「簡単に言うと、工事現場で出る泥だな」
「泥?」
「トンネル工事とか地下工事とか、地面を掘る工事あるだろ? ああいうので大量に出る」
「それって普通の土とは違うの?」
「違う場合がある」
俺は穴へ流し込まれた泥状のものを見る。
「もちろん、ただの土に近いケースもある。でも工事内容によっては、セメント成分とか油分、重金属なんかが混ざることもある」
「聞けば聞くほど良くなさそうね……」
柴田さんが嫌そうな顔をした。
「だから法律上は“産業廃棄物”として扱われることが多い」
ユンボが再び地面を掘り返す。湿った泥がめくれ上がり、灰色っぽい土が露出する。
あの色。周囲の山土と微妙に違う。
「そして、建設汚泥は本来は専門の処理施設へ運んで、適切に処理しないといけない」
「それをここに埋めてるかもしれないってこと?」
「多分な」
俺は小さく頷いた。
「建設汚泥の処理ってかなり金がかかるらしい」
「まさか……」
「運搬費も処理費も必要だし、成分分析もしなきゃいけない。だから違法に捨てる業者が問題になることがある」
「なるほどね……」
柴田さんは納得したように頷きながらも、表情は硬い。
広場の中央では、ダンプカーが再び荷台を下ろしていた。油圧音が響き、荷台に残った泥がべちゃりと地面へ落ちる。そのたびに、妙な臭いが風に乗って流れてくる。
土の臭い。でもそれだけじゃない。どこかコンクリートみたいな、湿った薬品みたいな臭いが混じっていた。
「……やっぱり変な臭いする」
「普通の山土だけなら、こんな臭いにはならない。しかも、さっき言ったみたいに、普通の残土ならわざわざ穴掘って埋める必要が薄い」
「その辺に置いててもいいってこと?」
「そう。造成とか埋立とかで再利用されることもある」
「でもここは埋めて隠してる」
「そう見える」
柴田さんは広場を見渡した。
「だからフェンスとか有刺鉄線もあったのね……」
「多分、見られたくないんだろ」
「違法なことをしてるから?」
その時、ユンボを操作していた男がエンジンを吹かした。重機のアームが持ち上がり、穴へさらに土を押し込んでいく。作業そのものは淡々としている。まるで日常業務みたいに。それが逆に不気味だった。
「……これ、かなり長いことやってるかもしれないな」
「わかるの?」
「広場が広すぎる」
切り開かれた山肌。
踏み固められた地面。
複数の重機。
そして大型車両。
一時的な作業現場にしては規模が大きい。
「もしこれが本当に建設汚泥だとしたら、かなりの量が埋まってる可能性ある」
山田農園で起きている異常と、あの場所が繋がっている可能性はかなり高い。だが、現時点ではまだ“疑い”の段階に過ぎなかった。
「……戻るか」
俺がそう声を掛けると、柴田さんは小さく頷いた。さすがに緊張し続けていたのだろう。表情にはわずかに疲労が滲んでいる。
そのまま俺たちは旧道を引き返し始めた。下ってきた時には気にならなかったが、帰り道は緩やかな登りになっているらしく、足場の悪さも相まって思っていた以上に体力を使う。
俺たちは広場から十分に距離を取ったところで、一度足を止めた。山の奥からは、まだ重機のエンジン音が微かに響いている。木々に遮られて姿こそ見えないものの、あの場所で作業が続いていることだけははっきりとわかった。俺は背後を振り返り、鬱蒼とした森の向こうに隠された広場の存在を改めて頭の中で整理する。フェンス、有刺鉄線、南京錠、旧道を利用した搬入経路。そして、深ダンプから穴へ流し込まれていた泥状の何か。
舗装されていない地面には深いタイヤ痕がいくつも刻まれており、雨水が乾いた跡が白く残っていた。大型車両が最近まで頻繁に出入りしていたことがよくわかる。周囲の枝は不自然に折れ、下草は踏み潰されていた。人が数人歩いただけではこうはならない。ダンプカーや重機が何度も通った結果なのだろう。
「っ……」
前を歩いていた柴田さんの足元がわずかに崩れる。俺はすぐに距離を詰め、肩を支えるようにして体勢を立て直させた。
「大丈夫か?」
「……うん。ちょっと滑っただけよ。ありがとう」
そう答える声は少し息が上がっていた。今日は朝からかなり気温が高い。山の中だから多少は涼しいかと思っていたが、実際には湿気が強く、空気がまとわりつくようだった。俺は歩く速度を少し落とし、柴田さんを前に歩かせながら、後ろから支えられる距離を保つようにする。
そのまましばらく無言で歩きながら、俺は頭の中で状況を整理していた。まず間違いないのは、あの場所が普通の残土置き場ではないということだ。仮に単なる残土処理なら、わざわざ山奥にフェンスを張り、有刺鉄線まで設置して隠す必要性が薄い。それに、運び込まれていたものの状態もおかしかった。水分量が異様に多く、色も悪い。さらに、あの独特の臭い。土に混じるコンクリートのような匂いは、どう考えても自然の山土とは思えなかった。
建設汚泥――。
可能性としてはかなり現実的だと思う。工事現場で出た泥状の産業廃棄物を不法に埋設しているのだとすれば、雨水による汚染とも綺麗に繋がる。実際、山田農園の異常は一部区画だけで発生しており、しかも数値は日によって変動していた。常時汚染されているというより、降雨によって一時的に何かが流れ込んでいるような動きだった。山の地形、斜面、水の流れ、そして農地の位置関係を考えると、あの広場が上流側にあるのは偶然とは思えない。
だが、問題はここからだ。
仮に警察へ通報したとしても、“高校生二人が山の中で怪しい作業を見た”だけで、大規模に動いてくれる保証はない。もちろん通報自体は必要だろう。しかし、不法投棄案件は私有地問題も絡むため、行政側も慎重になるはずだ。だからこそ、まずはあの土地の所有者を調べる必要がある。フェンスの中が誰の管理地なのか。搬入しているダンプカーはどこの会社なのか。そして、正式な産廃処理許可を持っているのか。その辺りを整理して初めて、行政や警察も本格的に動きやすくなる。
「……土地か」
自然と口から漏れた言葉に、前を歩いていた柴田さんが振り返る。
「何か気づいたの?」
「あのフェンスの中。まずは誰の土地なのか調べる必要があると思う」
「なるほど……」
柴田さんは汗を拭いながら小さく頷いた。かなり疲れているはずなのに、話の内容はしっかり理解しているらしい。
「もし本当に建設汚泥だったら、かなり大きな問題になるわよね」
「ああ。農地への影響まで出てる可能性があるからな」
不法投棄だけでは終わらない。農作物への被害、出荷停止、風評被害。山田農園が受けた損害も含めれば、かなり深刻な話になる。だからこそ、感情的に突っ込むんじゃなく、慎重に証拠を積み上げる必要があった。
木漏れ日が揺れ、蒸し暑い風が山道を抜けていく。遠くでは鳥の鳴き声が聞こえていたが、俺の頭の中には、さっき見た灰色の泥と、それを無機質に埋めていくユンボの光景がずっと焼き付いたままだった。
俺たちはようやく旧道を抜け、元の山道へ戻ってきた。舗装された道路が見えた瞬間、柴田さんが小さく息を吐く。さすがに慣れない山道を歩き続けた疲労は大きかったらしく、麦わら帽子の下の前髪は汗で額に張り付いていた。
「……生還したわね」
「遭難してたみたいに言うな」
「途中から割と本気でそんな気分だったんだけど?」
俺は苦笑しながらスポーツドリンクを一口飲む。山の中は湿気が強く、思っていた以上に体力を削られていた。だが、疲労よりも頭の中を占めていたのは、さっき見た広場の光景だった。
俺たちはそのまま山田農園へ向かうことにした。事情を考えれば、今日見たものを早めに共有しておくべきだろう。
農園へ到着すると、山田園長と山田はまだ畑で作業をしていた。夕方が近づいているとはいえ、日差しはまだ強く、二人とも首にタオルを掛けながら黙々と作業をしている。俺たちが畑の外から声を掛けると、二人は手を止め、こちらへ駆け寄ってきた。
「山神君、柴田さん。大丈夫だったかい?」
園長は俺たちの様子を見るなりそう聞いてくる。やはり気にしていたのだろう。柴田さんの顔色まで確認しているあたり、本当に心配していたらしい。
「一応、無事です」
「……色々見つけることはできました」
柴田さんが疲れた顔でそう付け加えると、園長の表情が少し引き締まった。
俺たちは日陰へ移動し、山の中で見たことを順番に説明していく。旧道の先にフェンスで囲われた場所があったこと。有刺鉄線や南京錠が設置されていたこと。さらに、その奥に広い作業場があり、深ダンプやユンボが動いていたこと。そして、ダンプカーから泥状のものを穴へ流し込み、そのまま埋めていたこと――。
話を聞くにつれ、山田園長の眉間には深い皺が刻まれていった。
「……それは、かなりまずい話かもしれないな」
低く漏れた声には、驚きと警戒が混じっていた。
その横では、山田が不安そうな顔で父親を見ている。普段は明るいやつだが、流石に農園の問題と直結する可能性がある話となれば、そうもいかないのだろう。
……しかし、この親子、本当に背が高い。
並んで立っていると圧がすごい。親子揃って農作業焼けしているせいか、妙に海外ドラマの農場主感まである。深刻な話をしている最中なのに、そんなことを考えてしまった自分に少しだけ呆れた。
一方、柴田さんはスマホを取り出し、現地で撮影した写真を見せながら説明を続けていた。
「これがフェンスです。それで、これが広場の写真。少し遠いですけど、ダンプカーと重機が写ってます」
「……確かに大型車両だな」
「あと、臭いも変だったんです。普通の土っていうより、コンクリートみたいな……薬品っぽい臭いがして」
園長は写真を見ながら静かに頷いている。長年農業をしてきた人間だからか、“普通の土ではない”という感覚は理解できるらしい。
俺は帰り道に整理していた考えを、なるべく順序立てて伝えることにした。
「まだ断定はできません。ただ、山田農園の異常が出ている場所と、あの広場の位置関係を考えると、雨水か地下水経由で何かが流れてきている可能性は高いと思います」
園長は腕を組みながら黙って聞いている。
「それと、行政や警察へ話を持っていくにしても、まずはあの土地の所有者を調べた方がいいと思います。フェンスの中が誰の私有地なのか。正式な許可を取っている場所なのか。その辺りを整理した方が、動いてもらいやすいはずです」
「なるほど……」
園長はゆっくり頷いた。
「山林の所有者については、こちらでも少し調べてみよう。昔からこの辺りに住んでる人間なら、何かわかるかもしれない」
「お願いします」
山田も真剣な顔で頷いていた。
「もし本当に関係あるなら、放っておけないしな……」
その後も今後の動きについて四人で簡単に話し合い、無理はしないこと、単独行動は避けることなどを確認する。話し終えた頃には、日差しも少し傾き始めていた。
俺と柴田さんはそこで農園を後にし、そのまま食堂やまもとへ向かうことにした。山道を歩いた疲れはまだ残っていたが、頭の中は妙に冴えたままだった。山の奥に隠されていた広場。その存在が、これからもっと大きな話へ繋がっていく気がしてならなかった。




