第45話 君が味方だと言う、その帰り道で
結局、生配信は三時間を超える長丁場になった。
配信開始直後は完全に炎上状態だったコメント欄も、店長や山田園長、それから途中から前へ出た奥さんが一つずつ真正面から質問へ答え続けたことで徐々に空気が変わり始め、終盤になる頃には『大変だと思うけど頑張ってください』『ちゃんと説明してくれてありがとう』『誠実なのは伝わった』『応援しています』といったコメントがかなり増えており、もちろん最後まで否定的な意見や疑いの声が完全に消えた訳ではないのだが、少なくとも“叩くだけ”の空気ではなくなっていたことを考えれば、今回の風評被害への対策としてはまずまず成功だったと言っていいのだと思う。
……思うのだが。
「っ……ぅ、うぅ……っ!」
配信終了のボタンを押した直後だった。
それまで必死に耐えていた柴田さんが、突然声を上げて泣き出してしまった。まるで今まで張り詰めていた糸が、一気に切れてしまったみたいだった。
「直美ちゃん、大丈夫、大丈夫だからねぇ……!」
慌てて奥さんが柴田さんを抱きしめ、その背中を優しく撫でる。
だが、一度崩れてしまった感情は簡単には止まらなかったらしく、柴田さんは奥さんへしがみつくみたいに肩を震わせながら泣き続けていた。
「ご、ごめんなさい……っ、わ、私……別に、泣くつもりじゃ……!」
「うんうん、いっぱい頑張ったものねぇ……」
奥さんの声は優しかった。優しすぎて、余計に胸が痛くなるくらいに。その光景を見た瞬間、俺は思わず歯を食いしばって下を向く。
……わかっていた。
こうなる可能性があることくらい、最初からわかっていたのだ。だから夏樹や山本さんには頼まなかった。あの二人には無理だと思ったからだ。
実際、途中からかなり危なかった。コメント欄を見るたびに「ひぇ……」とか「うぅ……」とか鳴いていたし、たぶんメンタルの耐久値はほとんどないのだろう。だから、こういう役回りを任せる訳にはいかなかった。
任せるなら柴田さんしかいない。そう判断した。
あいつなら耐えられると思った。ジャーナリストを目指しているし、人の感情に飲まれず事実を見ようとする強さもあるし、何よりあの場で“必要な質問”を選び続けられるのは柴田さんしかいなかった。
……でも、それと傷付かないことは別だった。
誹謗中傷っていうのは、直接自分へ向けられていなくても、人の心を削る。悪意を読み続けるという行為そのものが、精神を蝕む。しかも柴田さんは、それをただ眺めていただけじゃない。何百、何千と流れてくるコメントを読み、その中から質問として成立するものを整理し、言葉を選び、配信へ乗せ続けていた。
つまり、悪意を真正面から受け止め続けていたのだ。
そんなもの、平気でいられる訳がない。
「うぅぅぅ……直美ぃ……」
「な、夏樹ちゃんまでぇ……!」
気付けば夏樹と山本さんも抱き合いながら泣いていた。奥さん一人で三人を慰める構図になってる。だが、その光景を見ても笑う気にはなれなかった。
俺の判断ミスだ。結果だけ見れば配信は成功だったのかもしれない。実際、空気は変わった。山田農園や食堂やまもとへ向けられていた悪意も、最後にはかなり薄れていた。でも、そのために柴田さんを必要以上に傷付けた。
もっと別のやり方があったんじゃないか。
もっと負担を減らせたんじゃないか。
そんな考えが頭の中をぐるぐる回る。
そんなことを考えていると、奥さんが泣き続けている柴田さんの頭を撫でながら、こちらを見て少しだけ困ったように笑った。
「山神君、自分のせいだって顔してるわねぇ」
「……」
何も言えなかった。
だって実際、俺が言い出したことだったからだ。
この配信も。
このやり方も。
全部。
俺が、自分の判断は本当に正しかったのかと頭の中で延々反省会を始めていると、不意に袖を軽く引っ張られた。
「……ちょっと」
顔を上げる。そこには、目元を真っ赤にしながらこちらを睨んでいる柴田さんがいた。いや、睨んでいるというか、泣きすぎて若干焦点が怪しい。
しかもまだしゃくり上げている。
「ひっく……ぐすっ……」
完全に泣いている。だが、その目だけは思ったよりしっかりしていた。
「……どうした?」
そう聞き返すと、柴田さんはぐずぐずと鼻をすすりながら、それでもいつもの強気な口調を崩さずに言った。
「私を……っ、こんな目に合わせたんだから……ひっく……絶対に、山田農園と食堂やまもとの再建、成功させなさいよ……!」
「……」
「そうじゃないと……許さないわ……!」
泣きながら脅してくるなこの人。いや、でも少し安心した。その言い方が、いつもの柴田さんだったからだ。
すると柴田さんは、自分の顔を片手で覆いながらさらに続ける。
「うぅ……こんなに泣くつもりじゃなかったのに……」
「まあ、あれは普通にキツかっただろ」
「私にもまだ……こんなかわいい部分が残っていたのね……」
「自分で言うのか」
「何よ、事実でしょ……」
涙声なのに妙に自信満々である。だが、その言葉に奥さんが「うふふ、直美ちゃん十分かわいいわよぉ」と追撃したことで、柴田さんは「今それはやめてください……!」とさらに顔を赤くしていた。
さっきまで大泣きしていたのに、少しずついつもの調子へ戻ってきている。そんな様子を見て安心したのか、横で泣いていた夏樹と山本さんが突然「直美ぃぃぃ!」と抱きついた。
「ぐぇっ!?」
柴田さんから変な声が出た。両側から同時に抱きつかれたせいで、完全に圧迫されている。
「よかったよぉぉぉ……!」
「直美ちゃん壊れちゃうかと思いましたぁぁ……!」
「ちょ、待っ……苦しい……!本当に苦しいわよあなたたち……!」
だが二人は離れない。むしろ泣きながらさらに抱きついている。何だこの女子高生団子状態。そしてその光景を見た店長が「青春だねぇ」とか言いながらしみじみ頷いている。
たぶん違う。
そんなカオスな状況の中で、柴田さんは苦しそうにしながらも、小さく息を吐いた。
「……まあ、こうなることは私もわかっていたわ」
「え?」
思わず聞き返す。すると柴田さんは、夏樹たちに抱きつかれたまま俺を見る。
「誹謗中傷なんて、取材対象じゃなくても見続ければ精神に来るもの。しかも今回は、私が自分で選んで拾い続けてたんだから、ダメージを受けない訳ないでしょ」
「……」
「思っていたより痛かったけどね」
そう言って、少しだけ苦笑する。
「でも、別に致命傷じゃないわ。今日のこと思い出して毎晩眠れなくなるほど、私は軟な精神力してないもの」
その言葉は、思っていたよりずっと強く、いつもの柴田さんだった。少し強がっているのかもしれない。空元気も混ざっていると思う。でも、それでも前を向こうとしていることだけはわかった。それに気付いた瞬間、胸の奥に張り付いていた重たいものが少しだけ軽くなる。
……よかった。
本当に。
もしここで柴田さんが完全に折れていたら、俺はたぶんかなり引きずっていた。いや、今も十分引きずってはいるのだが。でも少なくとも、“取り返しのつかないことをした”という最悪の状況ではなかった。
すると柴田さんは、涙で少しぐしゃぐしゃになった顔のまま俺を見て、小さく笑った。
「だから山神」
「ん?」
「負けるのだけは許さないわよ」
「……プレッシャーきつくなってないっすか?」
「当然でしょ。私、こんなに泣いたんだから」
「確かにな……」
「責任重大よ」
そう言い切る柴田さんを見て、俺は小さく息を吐く。
……負けられない理由が、また一つ増えた気がした。
俺たちがそんなやり取りをしていると、店の入り口付近で誰かがこちらへ向かって歩いてくる気配がした。視線を向けると、山田親子だった。二人とも、どこか張り詰めたような表情をしている。そして俺たちの前まで来た瞬間、親子そろって深々と頭を下げた。
「本当に……ありがとうございました」
山田園長の声は、三時間前よりずっと疲れていた。だが、その中には確かな力も感じる。
「皆さんは当事者でもないのに、ここまで心を痛めながら一緒に戦ってくださった。本来なら、こんな重たいものを背負わせるべきではなかったのに……それでも最後まで向き合ってくださったこと、心から感謝しています」
そんなふうに頭を下げられると、何となくむず痒い。
横を見ると、夏樹たちも慌てて「あっ、頭上げてください!」とか「そんな大げさな……!」とか言っているのだが、山田園長はしばらく頭を下げたままだった。
そして隣の山田も、真面目な顔で続ける。
「俺も、本当に感謝してる。正直、今日の配信見るまでは、ここまで真正面から向き合ってくれると思ってなかった」
「おい、失礼だな」
「いや、山神ってよくわからない部分があるし、いつも面倒くさがってるから途中でやめたって言いそうな雰囲気あるし」
「否定できないのが腹立つな……」
実際、面倒くさがりなのは事実なので強く出られない。すると山田は少しだけ笑ったあと、改めて真面目な顔になる。
「すぐにって訳にはいかないけど、必ずちゃんとお礼はさせてほしい」
「いや、別に見返り求めてやった訳じゃないから気にすんな」
「でも――」
「気にすんなって」
そう返すと、山田は少し困ったように笑った。
そんな空気の中、不意に山田園長がスマホを軽く持ち上げる。
「実は、先ほど弁護士からメールも来まして……これから事務所へ向かうことになったんです」
その言葉に、俺は少し身構えた。
「え、まずい部分ありました?」
生配信だったのだ。しかもコメントを拾いながらリアルタイムで進めていた以上、法的に危うい発言や不用意な断定表現が混ざっていてもおかしくない。実際、炎上案件って“説明しようとして余計に燃える”ことも多いし。
だが山田園長は、すぐに首を横へ振った。
「いえ、真逆です。配信内容自体には問題はない、と」
その言葉に、店内の空気が少し緩む。山田園長はスマホ画面を確認しながら、弁護士からの内容を説明してくれた。
「今回の配信については、事実確認が取れている内容を中心に構成しており、行政からの通知や検査結果、自主回収の経緯なども客観資料として提示できていたため、少なくとも現時点で“虚偽説明”や“消費者への誤認誘導”に該当する可能性は低いとのことでした」
なるほど。つまり、“感情論”ではなく“確認済みの事実”ベースで話を組み立てたのが大きかった訳だ。
「また、配信内で他社や個人への責任転嫁、原因の断定、憶測による発言を避けた点についても評価されていました。特に、“現時点で判明していない部分は判明していないと説明していたこと”と、“補償範囲については弁護士を通じて協議中であると明言したこと”は重要だったそうです」
「……めちゃくちゃちゃんと見られてるんですね」
「当然でしょ?こういうの、あとから切り抜かれて問題化することもあるんだから」
柴田さんが鼻をすすりながらそう言う。
確かにその通りだ。生配信って、発言が全部そのまま残る。だからこそ、今回みたいなケースでは特に慎重さが必要だった。
すると山田園長は、少しだけ表情を柔らかくした。
「それと……配信を見ていた取引先関係者から、代理人を通じていくつか連絡が入っているそうなんです」
「代理人って……弁護士経由ってことですか?」
「はい。現在直接の契約調整が難しい状況なので、まずは法的リスク確認も含めて代理人同士で整理を進めているそうでして」
かなり本格的だ。だが、逆に言えば“話し合いの土台”には乗ったということでもある。
「内容としては、“説明責任を果たそうとしている姿勢は理解した”というものや、“検査体制と再発防止策が明確になれば取引再開を検討したい”という前向きなものも含まれているそうです」
その言葉に、店内の空気がさらに変わる。夏樹なんて「おぉ……!」と露骨に顔を明るくしていた。山本さんも「よ、よかったですぅ……!」と半泣き状態のまま喜んでいる。俺も正直かなり安心した。三時間かけてやったことが、少なくとも無意味ではなかったのだ。
すると山田園長は、もう一度俺たちへ頭を下げた。
「今日の配信がなければ、こういう話には繋がらなかったと思います。本当にありがとうございました」
そして一通り説明を終えると、親子は弁護士事務所へ向かうため店を後にしようとする。
その時だった。
「待ちなさい」
柴田さんが、まだ少し鼻声のまま山田を呼び止めた。
「え?」
「お礼するって言ったわよね?」
「う、うん」
「だったら、スイーツ食べ放題で手を打ってあげるわ」
「私もそれがいい!」
「萌もです!」
三人が揃って山田を見る。さっきまで大泣きしていたとは思えない切り替え速度だった。いや、女子高生ってすごいな。
すると山田は少し苦笑しながら頭を掻き、父親を見る。山田園長が微笑みを浮かべ頷くと山田は提案した。
「スイーツ食べ放題っていうか……もう少ししたらぶどうの時期だから、ぶどう畑来る?」
「「「行く!!」」」
返事が早い。そして目が輝いている。
……いや、あれは涙の反射なのかもしれないが、たぶん半分くらい食欲で輝いている気がした。
山田親子を見送ったあと、俺たちもそろそろ帰ろうかという話になったのだが、店長が「せっかくだし何か食べていく?」と提案してくれたものの、さすがに三時間以上も配信で気を張り続けたあとにさらに料理までさせるのは申し訳なさすぎたため、俺は気持ちだけありがたく受け取り丁重に断ることにした。
「いや、今日は本当に休んでください。店長、普通に顔疲れてますし」
「えぇ~?そんなことないよ」
「あるんですって。慣れないことをすると思っている以上に疲れが残るものらしいですよ?」
「子供がそんなに気を遣うものじゃないわよぉ」
奥さんはいつもの穏やかな笑顔でそう言ってくれたのだが、そういう訳にもいかない。今日の店長たちは、本当にギリギリのところで踏ん張っていたと思う。だからこそ、これ以上何かさせる気にはならなかった。
そんなやり取りをしている横では、山本さんが完全に柴田さんへ張り付いていた。
「直美ちゃん今日は帰っちゃ駄目ですぅ……!」
「いや、だから大丈夫だって言ってるでしょう……!」
「駄目です!絶対駄目です!萌が許しません!」
「あなた誰目線なのよ……!」
両腕をがっちり掴まれた柴田さんが、かなり本気で困った顔をしている。しかも夏樹まで参戦したことで状況はさらに悪化していた。
「そうだよ直美!今日は萌の家泊まりなって!」
「夏樹まで何なのよ……!」
「だって直美、絶対一人になったら色々考え込むじゃん」
「うっ……」
図星だったらしい。柴田さんが一瞬言葉に詰まる。
結局、山本さんが最後までべったり離れなかったこともあり、柴田さんはそのまま山本家へ泊まることになった。襲われた訳ではないとはいえ昨日の今日だし、それに加えてあれだけ泣きはらした顔を両親へ見せるのも少し気まずかったのだろう。すでに奥さんが柴田家へ連絡を入れてくれていたらしく、「直美ちゃん、今日はうちで預かりますねぇ」と伝えたところ、向こうもかなり安心していたらしい。
……まあ、そりゃそうだ。
娘が男三人に囲まれた上に、生配信で誹謗中傷の嵐を三時間浴びて帰宅とか、親からしたら胃が痛すぎる。そんなこんなで、最終的に俺と夏樹だけが店を出ることになった。
「じゃあまた明日ね!」
「直美ちゃん、夜中に泣きたくなったら萌を起こしていいですからね!」
「だから泣かないわ!」
「わからないわよ?直美って結構、感情的だし」
「夏樹うるさい!」
店の前では、そんな騒がしい声が飛び交っていた。
だが、シャッターを半分閉めた食堂やまもとから漏れる暖色の光と、店長たちの穏やかな笑い声を背に歩き出すと、不思議なくらい夜の静けさが耳に入ってくる。
昼間は人通りの多い通学路も、この時間になるとずいぶん落ち着いていて、道路脇の街灯が等間隔に並びながら淡いオレンジ色の光をアスファルトへ落としており、初夏特有の少し湿った夜風が頬を撫でるたびに、張り詰めていた神経が少しずつ緩んでいくような感覚があった。
遠くでは車の走る音がかすかに聞こえ、住宅街のどこかからはテレビの音まで漏れてきている。
いつも通りの夜。
なのに今日は、その“いつも通り”が妙にありがたく感じた。そんな中、俺は気付けばずっと下を向いたまま歩いていたらしい。
「……創ちゃん」
隣から声が飛んでくる。
顔を上げると、夏樹が少し心配そうにこちらを見ていた。
「大丈夫?」
「ん?あぁ……まあ」
「全然“大丈夫”って顔じゃないけど」
図星だった。
柴田さんは大丈夫だと言っていた。致命傷じゃないとも。それでも、どうしても気になる。責任を感じてしまう。今回の配信を提案したのは俺だったからだ。
すると夏樹は、小さく息を吐いたあと少しだけ呆れたように笑った。
「創ちゃんさ、今日学校で私が言ったこと、ちゃんと覚えてる?」
「……学校?」
「うん」
はて、何だっけ?
そんな顔をしてしまったんだと思う。
次の瞬間、夏樹が頬を膨らませた。
「そういうところだよ!」
「えぇ……?」
「もー!ちゃんと聞いてた!?」
聞いてなかった訳ではない。
たぶん。
おそらく。
いや、でも今日ずっと色々考えてたし……。
そんな俺を見て、夏樹はさらに呆れた顔になる。
「“何があっても私は創ちゃんの味方だから”って言ったじゃん」
その瞬間、昼休みの記憶がふっと蘇った。不安を吐き出した俺に対して、夏樹が当たり前みたいな顔でそう言ってくれたこと。根拠なんて全然ないのに、不思議と気持ちが軽くなったあの言葉。
「あー……」
「思い出した?」
「……はい」
「ちゃんとわかるように伝えなきゃ駄目だね」
そう言って夏樹は小さく笑うと、不意に俺の手を取った。
「え?」
「今日はこれくらいしてあげないと、創ちゃん絶対また一人で抱え込むでしょ」
「いや、別に子供じゃないんだけど」
「はいはい」
完全に流された。
だが、振り払う気にもなれなかった。
夏樹の手は少し温かくて、街灯の下を並んで歩くその時間は、不思議なくらい静かで心地よかった。
結局、その手は家へ着くまでずっと繋がれたままだった。




