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きみの隣で、今日も僕は考えてる。本ばかり読んでいた俺の日常は、少しずつ騒がしくなる  作者: マリセリソウ


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第44話 心を届ける

 食堂やまもとの店内は、普段とは少し違う緊張感に包まれていた。

 営業後の店内には照明だけが静かに灯っていて、昼間の賑やかさが嘘みたいに落ち着いている。カウンター席には撮影機材が並べられ、スマホ用の三脚と簡易ライトがこちらを向いていた。

 その中心で、山本さんがスマホ画面を真剣な顔で覗き込んでいる。


「えっと……あ、はい! 配信始まってます! たぶん大丈夫です!」


 たぶんか。

 いやまあ、俺も生配信なんて本格的にやるのは初めてだから人のことは言えないんだが。

 山本さんは画面を確認しながらコメント欄を追っているのだが、その表情はどんどん強張っていっていた。


「コメント、すごい流れてます……」

「そりゃ生配信だからな」

「そういう意味じゃなくてですね! 内容が!」


 半泣きである。

 スマホ画面を横から覗き込むと、コメント欄は予想通りというか、なかなかの地獄だった。

『逃げずに説明するのは偉い』

『どうせ言い訳配信だろ』

『食中毒の件ちゃんと話せ』

『山田農園ってもう終わりじゃね?』

『子供使って同情商法か?』

『ちゃんと行政指導受けてんの?』

『応援してます!』

『誠実に対応してるなら最後まで見ます』

『炎上してから慌てて配信してて草』

『店長さん頑張れ』


 ……うん。まあ、こうなるよな。むしろ応援コメントが思ったより多いくらいだ。

 ただ、コメント欄というのは良くも悪くも感情が増幅される場所である。一つ強い言葉が流れると、それにつられて空気が荒れやすい。

 山本さんみたいな性格には相当しんどいだろう。


「山本さん、大丈夫か?」

「だ、大丈夫です……!」


 声が全然大丈夫じゃない。

 目がうるうるしている。それでもコメント欄を閉じようとしないあたり、この子は本当に真面目だなと思う。

 その少し後ろでは、店長が腕を組みながら静かに待機していた。普段の明るい雰囲気とは違い、今日はさすがに緊張しているのがわかる。何度か深呼吸をしているし、足元も若干落ち着きがない。そんな店長の隣で、奥さんだけはいつも通り穏やかな表情だった。


「大丈夫よ」


 奥さんは小さく笑いながら店長の背中を軽く叩く。


「あなた、昔から緊張すると顔に出るんだから」

「いやぁ……そりゃ緊張するよ。こんなの初めてだもん」

「でも、ちゃんと話すことは決めたんでしょう?」

「うん」

「じゃあ大丈夫」


 そのやり取りを見ていると、何だか少しだけ空気が和らぐ。奥さん、本当に強い人だよなと思う。今回の件で、一番精神的に疲れていてもおかしくない立場の一人なのに、ずっと周囲を安心させる側に回っている。

 俺はそんな様子を横目に、改めてスマホ画面を確認する。同時接続数は想像以上に伸びていた。やはり事前告知の影響が大きい。朝の時点で、今日の配信内容についてはある程度通知を出していた。“食堂やまもとチャンネルの原点とも言える人物が出演すること”、“これまでの経緯について説明すること”、“今回は生配信で行うこと”。

 かなり踏み込んだ内容だ。正直、リスクも大きい。生配信は編集ができない。失言があっても切り取れないし、コメント欄の空気もリアルタイムで変化する。

 だから最初に店長へ相談した時、少し迷った。こんな高校生の思いつきみたいな提案に巻き込んでいいのか、と。

 だが店長は、メッセージを送った数分後には電話を掛けてきた。


『大丈夫!』


 開口一番、それだった。


『何があっても食堂の責任は僕にあるから、山神君は大船に乗ったつもりでやったらいい!』


 あの言葉には、正直かなり救われた。だからこそ、今日は絶対に失敗したくない。そんなことを考えていると、不意に袖を引っ張られた。


「創ちゃん」


 夏樹だった。


「萌、かなり無理してる感じする」


 視線の先では、山本さんがコメント欄を見ながら必死に笑顔を作っている。だが、時々表情が引きつっていた。


「……まあ、あのコメント欄を真正面から受け止めるタイプだからな」

「止めなくていいの?」

「止めたらたぶん余計気にする」


 山本さんはそういう子だ。逃げるより、“ちゃんと向き合わなきゃ”と思うタイプ。それが長所でもあり短所でもある。すると、今度は柴田さんが腕を組みながら口を開いた。


「でも、思ったより視聴者多いわね」

「炎上してる時ほど人は集まるからな」

「嫌な言い方」

「事実だろ」


 実際、注目されている時というのは良くも悪くも数字が伸びる。今回の配信だって、“応援したい人”だけじゃなく、“燃えている様子を見たい人”も確実に混ざっている。

 ネットはそういう場所だ。


「……創ちゃんすごい冷静だね」


 夏樹が若干引いた顔で言う。


「冷静じゃないと編集なんてできん」


 そんな会話をしている間にも、コメント欄は流れ続けていた。


『説明まだ?』

『生配信にしたのは評価する』

『逃げない姿勢は好き』

『結局安全なの危険なの?』

『子供かわいそう』

『応援してます!』

『荒らし多すぎ』

『コメント欄地獄で草』


 ……最後のコメントには少し同意した。本当に地獄だな。


 すると、カウンター席の近くで待機していた山田園長が、小さく頭を下げてきた。


「今日は本当にありがとうございます」

「いえ」


 山田園長の顔には疲労が色濃く浮かんでいた。数日前より明らかにやつれている。それでも背筋だけはしっかり伸ばしていて、逃げずに説明しようという意思が感じられた。

 その隣には山田篤弘も立っている。普段から大人しいやつだが、今日はいつも以上に静かだった。ただ、その表情には少しだけ覚悟みたいなものが見える。親父さんを支えようとしているんだろう。

 そんな空気の中。


「ひゃあっ!?」


 突然、山本さんが変な声を出した。全員の視線が集まる。


「ど、どうした?」

「コメント欄の流れ速すぎて酔いそうですぅ……!」


 そこか。

 思わず店内の空気が少しだけ緩む。

 夏樹なんて吹き出していた。


「萌ぇ……」

「だ、だって本当に速いんですよ!? 文字がシュババババって!」


 両手をぶんぶん振りながら訴える山本さん。緊張しているのか、いつもよりリアクションが大きい。だが、そのおかげで張り詰めていた空気が少し和らいだのも事実だった。

 俺は時計を見る。


 配信開始から数分。


 そろそろ始める時間だ。

 店内の全員が自然と表情を引き締めていく。コメント欄は相変わらず荒れている。視聴者数も増え続けていた。ここから先、一つ間違えれば大炎上する可能性もある。

 それでも。



 逃げるより、向き合う方を選んだ。



 なら、やるしかない。


 山本さんと入れ替わるようにして、店長がカメラの前へ座った。

 普段なら「はいどうもー!」くらいの勢いで始めそうな人なのだが、今日はさすがに空気を読んでいるらしい。背筋を伸ばし、膝の上へ手を置きながら、少し緊張した面持ちでカメラを見つめていた。

 そのすぐ後ろでは、奥さんが穏やかな表情で店長を見守っている。聞こえるのは、スマホの通知音と、時折誰かが小さく息を飲む音くらいだ。

 そんな中、コメント欄だけが別世界みたいな勢いで流れ続けていた。


『始まった』

『ちゃんと説明してくれ』

『逃げずに配信したのは評価する』

『毒野菜の件は?』

『謝罪まだ?』

『店長緊張してるな』


 店長はコメント欄を直接見ないようにしながら、一度だけ深呼吸をする。


「こんばんは。食堂やまもと店長の山本です。本日は急な生配信にも関わらず、見に来てくださってありがとうございます」


 少しだけ声が硬い。だが、その緊張は視聴者にも伝わっているのか、コメント欄には意外と落ち着いた反応も混ざり始めていた。


『ちゃんと話してくれれば聞く』

『店長頑張れ』

『とりあえず最後まで見る』


 店長はゆっくりと言葉を続ける。


「今日は、現在いろいろとご心配をおかけしている件について、私たちが知っていること、それから、これまでどのような対応をしてきたのかを、できる限りきちんとお話ししたいと思っています」


 その言葉を聞きながら、俺は店内の様子を横目で確認する。夏樹は少し不安そうに両手を握っていた。柴田さんは腕を組みながら画面を見つめ、山本さんはコメント欄を確認する役目に集中している。ただ、その表情はかなり強張っていた。

 コメント欄も、店長が本題へ入ろうとしているのを察したのか、さらに流れが速くなっていく。


『山田農園の話?』

『どうせ身内擁護だろ』

『結局安全なのか危険なのか言え』

『誠実に説明してくれ』


 店長はそこで、一度言葉を区切った。


「まず最初に、食堂やまもとチャンネルについて、お話しさせてください」


 店長の視線が、一瞬だけ画角の外へ向く。

 そこには山田親子が立っていた。


「このチャンネルは、うちのお店をもっとたくさんの人に知ってもらいたい、という思いから始めたものではありますが、それだけではありません」


 店長は少しだけ笑う。


「実は、大きなきっかけになったのが、山田農園さんの件でした」


 その瞬間、コメント欄が一気に荒れる。


『きた』

『やっぱり関係あるのか』

『傷の舐めあい?』

『毒野菜の話?』

『うわぁ……』

 その流れを見ていた山本さんの顔色が、目に見えて悪くなった。半分くらい泣きそうである。隣の夏樹がそっと肩へ手を置いた。


「萌、大丈夫?」

「だ、大丈夫です……!」


 全然大丈夫そうじゃない。

 だが、それでも山本さんはコメント欄から目を逸らさなかった。本当に真面目な子だなと思う。

 店長は、そんな空気ごと受け止めるように、ゆっくりと言葉を続けた。


「うちの店では、長い間、山田農園さんのお野菜を使わせてもらっていました。最初は知り合いづてで紹介してもらっただけだったんですが、実際に使わせてもらって、私たち家族は本当に驚いたんです」


 店長は、少し懐かしそうに目を細める。


「あの野菜、本当に美味しいんですよ」


 その声には、妙な説得力があった。軽い宣伝みたいな言い方じゃない。本気で惚れ込んでいる人間の顔だった。


「うちみたいな小さい食堂だと、素材の味って本当に大事なんです。同じ料理でも、野菜が変わるだけで全然違う。だから私は、初めて山田農園さんのお野菜を使った時、“これは凄いな”って思いました。なので出荷停止すると聞いた時、本当に驚きました」


 その言葉を聞き、山田園長が静かに頭を下げる。

 だが、コメント欄は相変わらず容赦がない。


『毒野菜に惚れ込んでるとか終わってる』

『美味ければ何でもいいのか?』

『検査結果出てんの?』

『身内で褒め合ってるだけじゃん』

『ちゃんと説明しろ』


 空気が少しずつ重くなっていく。

 山田篤弘は俯いたまま唇を噛み締めていた。夏樹も不安そうに画面を見つめている。そんな中でも、店長は逃げなかった。


「もちろん、今の状況を軽く考えている訳ではありません。私たちも、お客様が不安になるのは当然だと思っています。でも、どうしても山田農園以外の野菜を使って食堂を続けることはできませんでした。だからこそ、今日はこうして、きちんとお話しする場を作ろうと思いました」


 店長はそう言って、まっすぐカメラを見つめる。


「ただ、私は今でも、山田農園さんのお野菜が好きです。それは今回の件があった今でも変わりません」


 その言葉に、店内の空気が静かに張り詰めた。

 コメント欄は荒れている。

 視聴者数も増え続けている。それでも店長は、自分の言葉で話していた。

 そして俺は、その姿を見ながら小さく息を吐く。ここまでは想定通りだ。問題は、この先だ。

 店長が静かに立ち上がり、カメラへ向かって頭を下げた。


「それではここから、山田農園の園長さんご本人に、今回の件についてご説明いただきたいと思います」


 その瞬間、コメント欄の流れがさらに加速する。


『きた』

『元凶登場』

『ちゃんと説明しろ』

『逃げんなよ』

『悪の根源現る』

『顔出しただけマシ』

『で、結局安全なの?』


 画面の向こうの空気が、目に見えるみたいに荒れていた。


 そんな中、山田園長は静かにカメラ前へ座る。普段から人前に立ち慣れているタイプではないのだろう。背筋は伸びているが、肩には明らかに力が入っていた。

 それでも逃げる様子はない。

 山田園長は、まず深く頭を下げた。


「本日は、このような場を設けていただき、本当にありがとうございます。そして今回の件で、多くのお客様、お取引先様、地域の皆様へご心配とご迷惑をおかけしてしまっていることを、まず深くお詫び申し上げます」


『謝って済む問題か?』

『ちゃんと説明して』

『何が原因なの?』

『最後まで聞く』


 山田園長は、一度呼吸を整えてから話し始める。


「今回、最初に異常へ気付いたのは、出荷前の検品作業でした。通常よりも変色している作物が一部確認され、農園内でも“これはおかしい”という判断になりました」


 山田園長はそう言いながら、机へ数枚の書類を置いた。

 カメラ担当の俺は、それが映るよう画角を少し調整する。


「こちらが、その時点で農園内に残していた記録になります」


 画面には、日付入りの管理記録表が映し出される。栽培区画、収穫日、検品担当者、異常発見時刻などが細かく記載されていた。


 コメント欄の流れが少し変わる。

『ちゃんと記録あるんだ』

『意外と管理してる』

『へぇ』


 山田園長は続ける。


「異常を確認した当日、すぐに出荷を停止しました。その上で、行政機関と保健所へ連絡し、指示を仰いでおります」


 次に映されたのは、行政とのやり取りを記録した通知書だった。個人情報部分は編集用テープで隠されているが、受付日や相談内容は見えるようになっている。


「こちらが、保健所へ相談した際の受付記録です。こちらについては、配信前に公開可能な範囲を確認しております」


 コメント欄が少し静かになる。


『ちゃんと相談してたのか』

『隠してた訳じゃないんだな』

『でも何が原因なん?』


 山田園長は、その質問を待っていたかのように頷いた。


「現在も原因については調査中です。ただ、現時点で確認されている範囲では、特定の土壌区画に偏って異常が見られており、そのため現在は該当区画の作物を全て廃棄処分にしております」


 その言葉に、夏樹が小さく息を飲む。

 山本さんもコメント欄を見る手を止めていた。

 山田園長は続ける。


「また、問題が確認された可能性のある出荷先については、一覧を作成し、順次自主回収を進めました」


 次に映されたのは、卸先一覧だった。もちろん企業名は隠してある。だが、“何件へ連絡済みか”、“回収状況がどうなっているか”が細かく記載されていた。


『自主回収ちゃんとしてるな』

『かなり件数多くね?』

『これ全部回るの大変そう』


 山田園長は苦笑するように小さく頭を下げる。


「正直、かなり大変でした」


 その声には疲労が滲んでいた。


「私と息子、それから従業員の皆で、直接お取引先様へお伺いし、謝罪と状況説明を行っております」


 その瞬間、山田篤弘が少しだけ俯く。たぶん、あの日のことを思い出しているんだろう。食堂やまもとの前で、卸先の人たちから詰め寄られていた時のことを。


「もちろん、お怒りになる方もいらっしゃいました。ご迷惑をおかけしたのは事実ですので、それについては真摯に受け止めております」


 コメント欄には相変わらず厳しい言葉も流れる。


『被害受けた店はたまったもんじゃない』

『そりゃ怒るわ』

『でも逃げてないのは評価する』


 山田園長は、その一つ一つを否定しなかった。


「現在、行政からは“継続的な検査と記録管理を徹底すること”という指導を受けております」


 そう言って次に映したのは、行政からの指導通知書だった。検査継続、記録保存、出荷停止範囲などが細かく書かれている。


「こちらについても、既に対応を進めています」


 山田園長はそう言いながら、農園内での追加対策について説明を始めた。

 土壌検査頻度の増加。

 水質検査。

 区画ごとの管理強化。

 外部機関による定期確認。

 記録保存体制の見直し。

 さらには、今後同様の問題が起きた際にすぐ対応できるよう、農園内での緊急対応マニュアル作成まで進めているらしい。

 そこまで聞いたあたりで、コメント欄の空気が少し変わり始めていた。


『思ったよりちゃんと対応してる』

『隠蔽してる感じではないな』

『これリアルタイムで見せるの勇気いるだろ』

『大変だな……』


 もちろん、まだ荒れている。


『でも被害は出てるんだろ?』

『信用回復は簡単じゃない』


 それでも、最初みたいな感情的な罵倒一色ではなくなってきていた。山田園長は、その空気の変化を感じているのか、小さく頭を下げる。


「現在、経済的な補填についても、弁護士の先生と相談を進めております。ただ、正直に申し上げると、全てをすぐ補填できる状況ではありません」


 そこで誤魔化さないのが、この人らしいと思った。


「ですが、責任から逃げるつもりはありません。時間は掛かるかもしれませんが、できる限り誠実に対応していきたいと考えております」


 夏樹も、山本さんも、柴田さんも、誰も口を挟まない。たぶん全員、山田園長の言葉を聞いていた。そして俺は、モニターを見ながら小さく息を吐く。


 ここまでは、予定通りだ。

 誤魔化さない。

 隠さない。


 その代わり、客観的な情報をできる限り提示する。炎上時の対応としては、かなり危険なやり方でもある。だが同時に、一番信頼を積み上げやすい方法でもあった。



 配信が始まってから、気付けば二時間近くが経過していた。

 営業を終えた食堂やまもとは昼間の喧騒が嘘みたいに静まり返っているのに、テーブルの上へ置かれたスマホやタブレットの画面だけは異様な熱を帯びており、コメント欄は今も止まることなく流れ続けていた。最初の頃は感情的な罵倒や決めつけばかりだった空気も、山田園長が行政とのやり取りや自主回収、検査体制について一つずつ丁寧に説明を重ねたことで、“とにかく叩きたい人”と“本当に状況を知りたい人”が徐々に分かれ始めているように見える。

 そんな中、不意に奥さんが静かに立ち上がった。


「じゃあ、次は私も前に出ようかしら」


 その言葉に、その場の空気が一瞬止まる。


「え?」


 店長が間の抜けた声を漏らし、山本さんに至っては「えぇ!?」と素っ頓狂な声を上げていた。

 それも無理はない。奥さんは普段、動画では“声の人”に徹しており、店長へツッコミを入れたり料理の補助をしたりすることはあっても、自分からカメラ前へ出ることは滅多にないからだ。

 だが奥さん本人はそんな反応を気にした様子もなく、「ずっと二人だけで話してるのも大変でしょう?」と穏やかに笑いながら店長と山田園長の間へ腰を下ろし、そのまま三人が横並びで画面へ映る形になると、コメント欄が一瞬だけ別方向へざわついた。


『奥さんきた!?』

『声の人だ』

『レア回じゃん』

『奥さん初めてちゃんと見たかも』

『なんか安心する』


 さっきまで殺伐としていた空気へ、少しだけ柔らかい色が混ざる。

 やっぱり奥さんって、視聴者から妙に人気あるんだよなと思う。たぶん、店長の暴走を止める最後の良心みたいな立ち位置だからだろう。

 そんなコメント欄を見ながら、奥さんは落ち着いた様子で頭を下げた。


「こんばんは。今日はせっかく生配信なので、皆さんからいただいているコメントも拾いながら進めていこうと思います」


 その言葉をきっかけに、コメント欄の流れがさらに加速する。


『質問いいの!?』

『じゃあ聞きたいことある』

『逃げずに答えろよ』

『専門的なこと聞いていい?』

『同業者だけど気になる』


 その流れを見ながら、俺は柴田さんへ視線を向ける。

 ここからが、俺が事前に頼んでいた役目だった。

 柴田さんにはコメント欄から質問を拾い、それをメモへ書き出して奥さんへ渡してもらうことになっている。ただし、単純な質問では意味がない。重要なのは、“視聴者が本当に不安に思っていること”や、“同業者だからこそ気付く違和感”を避けずに拾うことだった。

 夏樹や山本さんにはできない。あの二人は優しすぎる。

 だから俺は柴田さんへ、「なるべく厳しい質問を選んでほしい」と頼んでいた。

 正直、かなり酷な役目だと思う。それでも柴田さんは、「将来、ジャーナリストになりたいなら避けて通れないわね」と静かに言って引き受けてくれた。

 今、その柴田さんはスマホ画面を睨みつけるように見ながら、次々と質問を書き出している。その横で俺も、質問の意図が伝わりやすいものや、視聴者が気になっていそうな流れを探し続けていた。

 奥さんは最初のメモへ目を通し、小さく頷いてから読み上げる。


「こちら、“異常が出た区画の土壌は現在どうしているんですか? 農業やってる者として気になります”というご質問ですね」


 コメント欄が少しざわつく。


『同業者っぽい質問』

『確かに気になる』

『そこどうしてるんだろ』


 山田園長は少し驚いたような顔をしたあと、真面目な表情で答えた。


「現在、該当区画については全面的に出荷停止にしております。また、土壌サンプルを複数地点から採取し、外部検査機関へ提出しています。行政からも、“原因が明確になるまで該当区画は使用を控えるように”との指導を受けていますので、現在は耕作そのものを止めている状態です」


『そこまで止めてるのか』

『ちゃんとしてんな』

『損害やばそう』


 次の質問が渡される。

 奥さんは少し眉を下げながら、それでも逃げずに読み上げた。


「こちら、“風評被害って言うけど、実際に被害が出てるなら風評じゃなくないですか?”というご意見ですね」


 店内の空気が少し重くなる。

 かなり鋭い質問だった。

 山田園長は一瞬だけ言葉を選ぶように視線を落とし、それから静かに答える。


「おっしゃる通りだと思います。実際に異常が確認された以上、全てを風評被害という言葉で片付けるつもりはありません。ただ、現在確認されている範囲以上の情報が拡散され、“山田農園の作物は全て危険だ”という形で受け取られている部分については、正確な情報をお伝えしたいと思っています」


 コメント欄へ『ちゃんと区別して説明したな』『誤魔化さないのはいい』『確かに全部危険扱いは違うか』といった反応が流れる。


 そして次の質問。


「“農機具や保管庫の検査はしたんですか?”というご質問です。こちらも農業関係の方でしょうか」


 山田園長が頷く。


「はい。農機具についても洗浄・点検を行っています。また、保管庫や洗浄設備についても行政立会いのもと確認を進めています。現時点では設備側から明確な異常は確認されていませんが、可能性を一つずつ潰している段階です」


『そこまでやるのか』

『ちゃんと原因究明してるな』

『農家としては参考になる』


 コメント欄の空気が、少しずつ変わっていく。

 もちろん厳しい質問は止まらない。


『結局いつ安全になるんだ?』

『他の農家に迷惑かかってるのわかってる?』

『信用回復できると思ってる?』


 それでも奥さんは逃げなかった。


「こちら、“地域全体の農業イメージに影響が出ていることについてどう考えていますか?”というご質問ですね」


 その問いに対し、山田園長は深く頭を下げる。


「本当に申し訳なく思っています。近隣農家さんへもご迷惑をおかけしていますので、現在は直接ご挨拶へ回りながら、情報共有も進めています。同じ地域で農業をやっている方々の信用まで傷付ける結果になってしまったことについては、重く受け止めています」


 その声には、張り詰めた疲労みたいなものが滲んでいた。

 コメント欄の流れは、時間が経っても一向に止まる気配がなかった。

 むしろ、“質問へちゃんと答えてくれる”という空気が広がったことで、視聴者たちは遠慮なく次々と言葉を書き込み始めているようにも見える。


『結局、原因わかってないの怖すぎる』

『他の農家にどれだけ迷惑かけてると思ってるんだ』

『自分の店だけ守りたいように見える』

『本当に全部説明してる?』

『被害者ぶるなよ』

『こんなんで許されると思ってんの?』

『子供まで出して同情狙いか?』


 そんなコメントが、休みなく流れていく。

 その中には、“本当に不安だから聞いている質問”も確かにある。だが同時に、明確な悪意を持って投げつけられている言葉も少なくなかった。

 普通なら読み飛ばしたくなる。いや、実際、読み飛ばした方が精神衛生上は絶対に正しい。


 それでも柴田さんは、一つ一つ目を通していた。

 スマホ画面を睨むように見つめながら、流れていくコメントを止め、読み返し、言葉を整理し、その中から“今、聞くべき質問”を選び出していく。

 単純に辛辣なコメントを拾えばいい訳じゃない。感情だけをぶつけたコメントをそのまま読んでも、ただ場が荒れるだけだ。だから柴田さんは、その言葉の奥にある“本当に聞きたいこと”を拾い上げようとしていた。


『全部廃棄した証拠あんの?』


 そのコメントを見た柴田さんは、一度画面を止め、小さく眉を寄せる。

 そして少し考え込んでから、メモへ書き換えた。


「廃棄処分の管理や記録はどのように行っていますか?」


 別のコメントが流れる。


『同業者だけど、普通そこまで異常出る前に気付くだろ』


 その言葉を見た柴田さんは、一瞬だけ表情を曇らせたあと、再び指を動かす。


「異常発見までに時間差が生まれた理由について、農園としてどのように考えていますか?」


 そんなふうに、感情的な言葉をそのままぶつけるのではなく、“説明すべき部分”へ変換していく。

 だが、コメント欄の勢いは止まらない。


『もう農業辞めた方がいいんじゃない?』

『近隣農家かわいそう』

『謝って済むなら警察いらねぇんだよ』

『どうせ裏で隠してることあるだろ』

『泣けば許されると思ってんの?』


 明確な悪意。

 人格否定。

 決めつけ。


 読んでいるだけで胃が痛くなりそうな言葉が、延々と流れ続ける。それでも柴田さんは、逃げなかった。時折、小さく唇を噛み締めながら、それでも視線を逸らさずコメント欄を追い続けている。

 俺も横で質問を探していたが、正直、途中からかなりきつかった。

 当事者じゃないだけまだマシだ。もし自分が直接こんな言葉を浴びせられ続けたらと思うと、普通に心が折れる。それでも、店長も山田園長も逃げずに座り続けている。

 だからこそ、質問を選ぶ側も逃げられなかった。


 柴田さんは、何度も深呼吸を挟みながらスマホを見続ける。そしてまた、新しいコメントを拾い上げる。


『行政に言われたからやってるだけだろ』


 少し考え込み、メモへ書く。


「行政からの指導以外で、自主的に改善した部分はありますか?」


 さらに別のコメント。


『農家だけじゃなくて、食堂もなんでそこまで庇うの?』


 柴田さんは視線を落としたまま、小さく呟く。


「……これ、聞くのね」


 それでも、ちゃんとメモへ書いた。


「食堂やまもとが、ここまで山田農園へ向き合う理由は何ですか?」


 その横顔を見て、俺は少しだけ息を飲む。柴田さんは、ただ質問を拾っている訳じゃない。視聴者の不安や怒り、悪意まで含めて全部受け止めながら、その中から“意味のある言葉”を探そうとしている。

 たぶん、想像以上にしんどい作業だ。それでも手を止めない。止めようとしない。

 そんな中、不意に流れてきたコメントがあった。


『息子かわいそう』

『親のせいで人生終わりだな』

『学校でも居場所ないだろ』

『もう転校した方がいいんじゃね?』


 その瞬間だった。

 柴田さんの手が止まる。スマホを持つ指先が、小さく震えていた。たぶん、自分でも気付いていなかったんだと思う。

 限界が近かったことに。

 これまでもずっと、心無い言葉を読み続けてきた。


 誰かの怒り。

 誰かの不安。

 誰かの悪意。


 それを、“質問”という形へ変換し続けてきた。けれど今流れた言葉は、問題や対応への批判ではなく、ただの人格攻撃だった。しかも、その矛先が山田へ向いている。クラスメイトへ向けられた悪意だった。

 柴田さんは何か言おうとしたみたいに小さく口を開き、それからゆっくり俯く。


 ぽたり、と。

 メモ帳の上へ涙が落ちた。


 それでも柴田さんは、手を止めなかった。

 乱暴に涙を拭い、震える指で次の質問を書こうとしている。その姿を見て、夏樹もとうとう耐えきれなくなったみたいに顔を伏せる。山本さんなんて、もう完全に泣いていた。

 それでも誰も、「もうやめよう」とは言わなかった。

 店長も。

 奥さんも。

 山田園長も。

 逃げなかったからだ。だから、ここで止める訳にはいかなかった。


 山田も、ずっと父親を見ていた。何度も唇を噛み締めながら、それでも一度も目を逸らさない。

 そんな空気の中で、不意にコメント欄へ流れた。


『ここまで逃げずに答えるとは思わなかった』


 続けて、『同業者だけど参考になる』『正直、印象変わった』『ちゃんと向き合ってるんだな』『これ生配信でやるの勇気いるわ』というコメントが増え始める。


 もちろん、まだ厳しい言葉も残っている。

 だが最初みたいな感情的な罵倒一色ではなくなってきていた。俺はその流れを見ながら、小さく息を吐く。編集された動画じゃない。生配信だからこそ伝わるものがある。


 逃げないこと。

 誤魔化さないこと。

 心を痛めながら、それでも真摯に向き合うこと。


 画面の向こう側に少しでも心が届きますように。

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