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きみの隣で、今日も僕は考えてる。本ばかり読んでいた俺の日常は、少しずつ騒がしくなる  作者: マリセリソウ


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第38話 切り取られる前に

 食堂やまもとチャンネルのコメント欄は、数日前までの荒れ具合が嘘のように落ち着きを取り戻しつつあった。もちろん、完全に平穏になったわけではなく、相変わらず一定数の荒らしコメントは流れてくるが、それでも流れは明らかに変わっている。


 一つ一つのコメントに対して、店長や奥さん、そして山本さんが丁寧に返信を続けた結果だろう。時間も手間もかかるやり方だが、少なくとも“見ている側”には伝わるものがあったらしい。


 そんな状況を頭の片隅で整理しながら、俺は自室でパソコンの画面と向き合っていた。編集ソフトのタイムラインには細かく区切られた映像と音声が並び、カットのつなぎ目やテロップの位置を微調整していく。


「……ここ、もう少しテンポ上げるか」


 独り言のように呟きながら、数フレーム単位で調整をかける。地味な作業だが、この積み重ねで見やすさは変わる。


 部屋の外からは、水音がかすかに聞こえてくる。夏樹が風呂に入っているらしい。


 なんでいるんだ。


 手を動かしながら、ふとそんなことを考える。

 広瀬家の両親の海外旅行はとっくに終わっている。にもかかわらず、幼馴染は当然のようにこの家に居座っている。いや、正確には“帰っていないわけではない”。最初の頃は一度自宅に戻って制服を着替えてから来ていたはずだが、最近はその工程すら省略されている。


 学校からそのまま一緒に帰ってきて、玄関で靴を脱ぎ、当たり前のようにリビングに入り、当たり前のように部屋を使う。そして、どこかのタイミングで電話をかける。


「今帰ってきたよー」


 いや、帰ってきてない。ここはお前の家ではない。

 広瀬家のお父さんとお母さん。ここは娘さんのおうちではありませんよ?そろそろ引き取りに来ませんか?


 一応、完全に放置されているわけではないらしく、時々食材が送られてくる。野菜や肉、ちょっとした調味料などがそれとなく増えているのはそのせいだ。

 賄賂だな。理解はしている。非常に実用的でありがたい賄賂だ。だが問題は、これがいつまで続くのかという点だ。

 このまま常態化するのか?

 編集の手を止めることなく、そんなことをぼんやり考える。


 その時、ドアが勢いよく開いた。


「創ちゃーん」


 振り向くと、頭にタオルを巻いた夏樹が、当たり前のように部屋に入ってきていた。髪はまだ完全には乾いておらず、少しだけ水滴が首元に残っている。


「ノックはしようか?夏樹ちゃん。人としてのマナーだぜ?」

「いいじゃん別に!創ちゃんだもん」


 即答だった。俺だったらなんだ?人としてのマナーが不要だって?誰が人外だ!


「それよりさ、直美から電話来てるんだけど、“山神に代わって”って言われた」


 そう言って、スマートフォンをこちらに差し出してくる。


「……なんで俺」

「知らないよ、でもちょっと急ぎっぽかった」


 画面を見ると、確かに通話はまだ繋がっている。仕方なく受け取る。


「もしもし」


 耳に当てると、すぐに聞き慣れた声が返ってきた。その横で、夏樹は何事もなかったかのようにベッドに腰を下ろし、タオルで髪をわしゃわしゃと拭き始める。

 本当にここ自分の部屋だと思ってるな……。


 そう思いながらも、意識は電話の向こうへと向けた。


 特に隠すような内容でもないだろうと判断して、そのままスピーカーボタンを押して机の上に置くと、通話の向こう側の空気がそのまま部屋に流れ込んでくる。


「もしもし、山神?あんた今、普通にその子と一緒にいるわよね、っていうかさっきの流れ的に完全に同居してる感じよね、それ一応言っておくけど高校生としては結構アウト寄りの状況だからね、分かってる?」

「何がアウトだよ、普通に帰るのが面倒で居座ってるだけだろ、それ以上でもそれ以下でもないし、お前が想像してるようなことは一切ないから安心しろ」

「いや“安心しろ”って言われると逆に怪しいのよ、だって男女が同じ家で寝起きしてて何もありませんでしたなんて話、普通は信じないでしょ。山神ってそういうの淡白そうに見えて実はそういう趣味があったりするタイプなの?」

「何を言い出すのよ直美!創ちゃんがそんなことするわけないでしょ、変なこと言わないでよ本当に!」

「そうだ。そんな趣味なんかあるわけないだろ、それに仮にあったとしても柴田さんが考えてるような展開にはならないから安心しろ」

「え~…それはそれで……」


 夏樹がぼそぼそと何か言っているがよく聞き取れないののでそのままスルーすることにした。


「夏樹。気持ちはわからないわけではないけど、海のように広い解釈では大切にされているとも取れるのよ?」

「!?確かに!」


 横で夏樹が顔を真っ赤にして、勢いよくベッドにダイブする。枕に顔を埋めて足をばたつかせている。「えへへぇ~。創ちゃんってそうだったんだ~」などとデレデレと何か言っている。


「さて、朴念仁の山神君」

「唐突にディスられてんな。俺は結構察しはいい方だぞ?」

「自分で言う場合って大抵思い込みなのよね……って、まあいいわ、それより本題に入るけど、今ちょっと笑えない話になってるのよ」


 柴田さんの声のトーンが少し落ちる。部屋の空気も自然とそれに引っ張られる。


「山田農園の件、あんたたちも現場見てるわよね、あの状況が今SNSでかなり拡散されてて、単なる地域のトラブルってレベルじゃなくなりつつあるの」

「……だろうな、コメント欄の荒れ方見れば分かる」

「でね、その流れを受けてなんだけど、私ちょっと取材を受けることになりそうなのよ、まだ確定じゃないけど、かなり具体的な話が来てる」

「取材って、誰から?」

「親戚よ、報道のカメラマンやってる人がいるの。その人から直接連絡が来たのよ、今回の件が“扱う価値のある案件”として社内で上がってきてるらしくて、現場を知ってる人間として話を聞きたいって」


 夏樹がベッドから顔を上げる。


「え、それってすごくない?直美ってそういう仕事に興味あるって言ってたよね?」

「あるわよ、というかそれが目標だもの、報道のカメラマンになりたいって思ったきっかけもその親戚だし、現場で何が起きてるかを“記録する側”に回りたいってずっと思ってた。ただ今回は、そういう夢とか抜きにしても、状況がちょっと大きくなりすぎてるのよ」


 一拍置いてから、柴田さんが続ける。


「このままいけばね、ローカルニュースどころか、全国枠で扱われる可能性があるって言われた」

「全国って、具体的には?」

「まずは現地の映像と証言を集めて、社内で精査して、それから地方局で流すか、キー局に上げるかを判断する流れになるんだけど、今回の場合は“食の安全”“風評被害”“SNS拡散”っていう、今の時代に刺さる要素が揃いすぎてるのよ」

「……確かに材料は揃ってるな」

「でしょ?だから扱い方次第では、“地方の一農園の問題”じゃなくて、“全国どこでも起こりうる問題”として取り上げられる可能性がある」


 夏樹が少し不安そうに口を開く。


「それって……良いことなの?悪いことなの?」

「どっちもよ」


 柴田さんは即答した。


「全国に出れば、山田農園がちゃんと対応してるってことも伝えられるし、デマの否定にも繋がるかもしれない、でも同時に“問題がある農園”っていうイメージも一緒に拡散される」

「つまり……」

「風評が“確定情報”みたいに扱われるリスクがあるってこと」


 静かな声だったが、重みがあった。


「一度全国に流れた情報ってね、訂正が入っても完全には消えないのよ、“ああ、あの問題あったところね”っていう認識だけが残る」

「……最悪だな」

「でしょ? しかも今回は取引先も巻き込んでるから、農園単体の問題じゃ済まないのよ、卸先、飲食店、地域全体の信用に影響が出る可能性がある」


 言われて、昼間の光景が頭に浮かぶ。怒鳴っていた男たちの顔。あれが、もっと大きな規模で再現される。


「じゃあ、どうすればいいんだ」

「それを今考えてる段階」


 柴田さんは少しだけ間を置いた。


「だから、あんたにも聞いておきたかったのよ、現場にいた側として、どう動くべきか」


 机の上のスマホから聞こえる声が、妙に近く感じられる。横では夏樹が、さっきまでの赤面を忘れたよ

うに真剣な顔でこちらを見ていた。


「夏樹、グループ通話にできるか?山本さんにもこの話、共有しておいた方がいい」

「うん、大丈夫だよ。ちょっと待ってね。グループは作ってあるから。あ、直美、いったん電話切るね」


 柴田さんとの通話を一度切ったあと、俺は軽く息を吐いてから夏樹の方を見る。さっきまでベッドの上で暴れていたくせに、今はもう何事もなかったかのようにスマホをいじっているあたり、切り替えが早い。そう言って手慣れた様子で操作を始める。数秒後には通知音が鳴り、通話が発信された。


「直美ちゃんはすぐ出ると思うけど、萌は……あ、出た」

「もしもし、さっきの続きでしょ?」


 柴田さんの声がすぐに返ってくる。やはり待機していたらしい。そのまま数回のコール音が続き、少し間を置いてから明るい声が弾けた。


「こんばんわでーす!どうしたんですか?夏樹ちゃん、直美ちゃん、こんな時間に珍しいですね、何か面白いことでもあったんですか?」


 山本さんのいつもの元気な声だ。俺はスマホを手に取り、スピーカーに切り替えて机の上に置く。


「こんばんは。ちょっと相談があってな、今いいか?」

「はい!全然大丈夫ですよ、ちょうどさっきまで動画のコメント返ししてたところなので、むしろタイミングいいです!」

「そうか、それなら話が早い」


 そう言いかけたところで、山本さんの声色が少し変わる。


「あれ?山神君の声も聞こえますね……え、ちょっと待ってください、なんで山神君と夏樹ちゃんがこんな時間に同じところにいるんですか?まさか……お泊りですか?!」


 一気にテンションが上がる。


「似たような会話をさっきしたわよ」


 柴田さんがすかさず被せる。


「それに“お泊り”なんてかわいい表現じゃ済まない状況よ、あんたが想像してるよりずっと踏み込んでる

わね」

「えぇええぇええぇ!?!?!?!?」


 鼓膜にダメージが来るレベルの絶叫だった。思わず顔をしかめる。そのタイミングで、別の声が割り込んできた。


「ちょっと、うるさいわよ?ご近所に迷惑でしょうが……って、あら?」


 奥さんの声だった。どうやら山本さんの部屋に入ってきたらしい。


「あら、電話中だったの?やっほー!夏樹ちゃん、直美ちゃん、こんばんわ!」

「こんばんわー!」

「こんばんわ」


それぞれ軽く挨拶を返す。


「あれ?今の声……山神君?」

「はい」

「あら本当だ、どうして一緒にいるの……あ、そうだったわ、幼馴染だったわね」


 一瞬で納得された。そのまま流す。


「で、どうしたの?こんな時間にわざわざ集まって」


 奥さんの声が少しだけ真面目になる。


「店長にも相談したい内容なんですけど、今大丈夫ですか?」

「悟志さーん!」


 間髪入れずに大声で呼ぶ。


「ちょっとー!電話よー!大事な話っぽいから来てー!」


 遠くから「はいはい」と返事が聞こえ、少ししてから足音が近づいてくる気配がする。


「どうしたんだい?」


 店長の落ち着いた声が加わる。

 どうやらそのまま部屋に入ってきたらしい。年頃の娘の部屋に父親が普通に入ってくるあたり、この家はそういう距離感なのだろう。世間一般の“思春期の娘と父親”の関係とは少し違う気がするが、まあ山本家らしいと言えばらしい。


「山神君たちから相談があるそうでね」

「ほう、それはまた珍しい組み合わせだね」


 店長の声にはいつもの余裕がある。その一方で、山本さんはまだ少し動揺しているらしく「ちょっと待ってください、情報量が多すぎて整理が追いついてないんですけど、とりあえず山神君と夏樹ちゃんが同居してるっていうのは事実なんですよね?それで今同じ部屋にいるってことですよね?え、どういうことですか?!」と、話の本筋とは全く関係ないところで混乱していた。


「そこはいいから話を進めるぞ」


 軽く切り捨てる。


「えぇー!?そこ重要じゃないですか!?」

「重要じゃない」


 適当に流すと、不満げな気配が伝わってくる。その横で柴田さんが小さく笑っているのが分かる。


「いいから本題に入るぞ」


 軽く咳払いを一つして、意識を切り替える。さっきまでの空気とは違う、少しだけ重い話になる。


「山田農園の件なんですが、さっき柴田から情報があって、少し状況が変わりそうなんです」


 俺がそう切り出すと、通話の向こう側が静かになる。さっきまでの軽い空気が引いて、全員が耳を傾けているのが分かった。


「変わる、というと?」


 店長が落ち着いた声で促す。


「報道が動き始めているらしいです、まだ確定ではないみたいですが、SNSでの拡散状況と、食堂やまもとチャンネルの伸び方が“ネタとして成立する可能性がある”と判断されて、現地の調査に入るかどうかの検討段階に入っているそうです。このまま何もしなければ、ローカルで一度取り上げられて、それが全国に上がる可能性もある、という話でした」

「……なるほどねえ」


 店長が低く息を吐く。奥さんも小さく「そうなのね……」と呟いた。山本さんは少し不安そうな声で口を開く。


「それって、ニュースになったら……やっぱりまずいんですか?」

「良い面もあるが、リスクの方が大きい。全国で取り上げられれば、“問題が起きている農園”として認識される可能性が高い、事実と違う部分があっても、イメージだけが独り歩きする」

「うん……」

「しかも今回は、風評被害とSNSの拡散が絡んでるから、“分かりやすい構図”にされやすい、つまり、悪者を作られる可能性がある」


通話の向こうで、誰もすぐには言葉を返さなかった。


「だから、その前に動く必要があると思っています。できる限りのことを、こちらから先にやっておくべきです」

「具体的には、どういうことを考えているのかな?」


 店長の声は変わらず落ち着いているが、その奥に興味が見える。


「まず、情報の主導権を取ることです。現状は、断片的な情報と憶測が広がっている状態です、それを放置すると、外部の視点で“ストーリー”が作られる。だから、こちらから正確な情報を出す必要があります」

「……なるほど」

「具体的には、今回検出された成分の内容と数値、健康被害の有無、保健所の見解、行政との連携状況、出荷停止の判断理由とその経緯、このあたりを時系列で整理して、誰が見ても分かる形で公開する」

「結構踏み込むのね……」


 奥さんが静かに言う。


「中途半端に出すと逆効果です、隠していると判断される」

「確かにね」

「あと、実際に行っている対策も見せた方がいいです、水質の調査、原因特定のための動き、再発防止の取り組み、そういう“今やっていること”を見せることで、放置しているわけではないと理解してもらえる」

「うん……うん……」


 山本さんが小さく頷いている気配がする。


「それと、感情の部分も必要です。文章やデータだけだと伝わりにくいので、実際に現場の人間が話す形にした方がいい」


 そこで一度言葉を切る。


「……動画、かい?」


 店長が先を読む。


「はい」


 短く答える。


「食堂やまもとチャンネルで、山田農園の園長に直接話してもらう形が一番伝わると思います」


 通話の向こうが少しざわつく。


「園長さんが、ですよね?いきなり出てくれるものでしょうか……」

「そこは交渉次第だな」

「でも、顔出しで説明するって、かなり勇気がおるよね……」


 夏樹も少し不安そうに言う。


「だからこそ意味がある。逃げずに説明する姿勢そのものが、信頼につながる」


 静かな時間が流れる。店長がゆっくりと口を開いた。


「……なるほどねえ、確かに筋は通っているし、やる価値はありそうだ。ただ、園長さんがどう思うかだね」


 その声には、少しだけ楽しそうな響きが混じっていた。


「はい」

「でもまあ、あの人の性格からすると、断ることはないんじゃないかな? むしろ正面から向き合うタイプだと思うよ」

「本当ですか?」


 山本さんが少し明るい声を出す。


「うん、昔からそういう人だからね。それなら僕の方から話してみよう。明日にでも連絡を取って、状況を説明してみるよ」


 あっさりと引き受けてくれた。


「ありがとうございます」


 素直に頭を下げる。


「うまくいくかは分からないけど、やらないよりはいいはずだ」


 店長の言葉に、全員が静かに頷いたような気がした。通話の向こうとこちらとで、同じ方向を見ている感覚があった。

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