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きみの隣で、今日も考えてる  作者: マリセリソウ


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第36話 交錯する思惑と現実

 昼休みの教室は、いつも通り騒がしい。弁当の蓋を開ける音や、購買のパンの袋を破る音、他愛のない会話がいくつも重なり合って、一定のリズムを持たない雑音になっている。窓際では日差しが机の端を照らしていて、外のグラウンドからは運動部の掛け声がかすかに聞こえてくる。


 その中で、俺は自分の席に座り、適当に詰めた昼食をつつきながら一冊の本を開いていた。内容は動画編集とマーケティングについてまとめられたもので、以前にも一度読んだ記憶がある。正確に言えば、読んだ“はず”という曖昧な感覚だけが残っていて、それを確かめるために家の書庫を漁ることになった。


 あの時は少し面倒だった。


 書庫の奥の方まで引っ張り出して、埃を払いながら本の背表紙を一つ一つ確認していると、背後から足音がして、短期間同居人が顔を出した。

 何をしているのかと聞かれたので、本を探しているとだけ答えたが、なぜか「じゃあ一緒に探す」と言い出し、そのまま強制的に探索メンバーに組み込まれることになった。

 三十分ほど経った頃、夏樹が「あった」と声を上げたので近寄ってみると、確かに探していた本だった。

 その瞬間、夏樹が何も言わずに手のひらを上に向けて差し出してきたので、反射的にその手を取り、手の甲側から軽く包むようにして握った。親指を添える位置も曖昧で、どちらかと言えば“握る”というより“挟む”に近い、妙に原始的な形になっていたと思う。

 直後に「誰がチンパンジーだ!」と抗議されたが、そもそもその表現を口にした覚えはないので、少し理不尽な気もした。

 意図が分からなかったので聞き返すと、「ご褒美を所望する」と真顔で言われ、結局その日の夕食後にパフェを作ることになった。

 とはいえ、特別な材料があるわけでもないので、冷凍庫のアイスと棚にあったチョコレート菓子を適当にグラスに詰めて、それっぽく層を作っただけの簡易的なものだ。それでも夏樹は妙に満足そうに食べていたので、労力に対するリターンとしては悪くなかったのかもしれない。


 そんな経緯で手に入れた本を、今こうして再読している。


 ページをめくりながら、基本的な部分をなぞっていくと、理解している内容とそうでない部分の境界がはっきりしてくる。視聴維持率、導線設計、サムネイルの役割、視聴者の離脱ポイント、どれも一度は目を通したことがあるはずなのに、実際に自分で運用してみて初めて腑に落ちる部分が多い。

 逆に言えば、最低限の基礎は外していなかったということでもある。


 それだけで、少しだけ安堵した。


 食堂やまもとチャンネルは、現状としては順調に伸びている。再生回数も登録者数も、目に見えて増えている段階だ。

 コメント欄を見ても、全体的に肯定的な意見が多い。

 動画編集については、テンポがいいとか、テロップの入れ方が分かりやすいとか、軽く入れているコミカルな演出が見やすいという反応がある。狙ってやっている部分もあれば、単純に作業効率を優先した結果そうなっている部分もあるが、評価されているなら問題ない。


 店長の料理に関しては、言うまでもなく評価が高い。手際の良さ、工程の無駄のなさ、そして何より完成した料理の説得力が違う。プロの動きはそれだけでコンテンツになる。


 奥さんのナレーションも強い。声が落ち着いていて聞き取りやすく、変に主張しすぎない。視聴者が気になりそうなポイントを自然に拾ってくれるので、動画全体の流れがスムーズになる。


 カメラの画角も、結果的にちょうどいい位置に収まっている。手元が見やすく、かつ圧迫感がない。これは意識して調整した部分だが、評価されているなら方向性は間違っていない。

 全体として見れば、特定の要素に依存せず、複数の要素が噛み合って評価されている状態になっている。

 それは長く続ける上で重要なことだ。一つに頼ると、崩れた時に立て直しが効かない。


 弁当を食べ終え、本のページをもう一枚めくる。


 今やっていることは間違っていない。ただ、それだけでは足りないことも分かっている。これからどう広げるか、そのために何を削るか。本の内容と、現状の結果を照らし合わせながら、次の一手をゆっくりと組み立てていった。


 昼休みのざわめきは相変わらずで、教室のあちこちから笑い声や机を叩く音が断続的に響いている。窓の外では春の柔らかい風がカーテンを揺らし、グラウンドからは部活の掛け声がぼんやりと届いてくる。その中で、俺は弁当を片手に視線を少しだけ上げた。


 少し離れた席で、夏樹と向かい合って弁当を食べている山本さんが目に入る。


 何気ない光景だが、ふと気づいたのはその指先だった。細い指に、いくつもの絆創膏が貼られている。一本や二本ではない、両手にいくつか、場所もまばらで、隠しきれていない。


 あれは、動画の裏側だ。


 食堂やまもとチャンネルの中で展開している「料理人への道」は、視聴者からの反応も良く、今のところ順調に伸びているコンテンツの一つになっている。包丁の扱いもぎこちなかった山本さんが、少しずつ工程を覚え、手際が良くなっていく過程は、見ていて分かりやすく、応援したくなる構造になっている。


 ただ、動画の中では“見せていない部分”も当然ある。


 編集でカットしているが、実際にはそれなりに怪我をしている。包丁で指先を軽く切る程度ならまだいい方で、ピーラーで皮を剥くときに勢い余って指の表面まで削ってしまうこともある。少量とはいえ血が出る場面も珍しくない。


 それでも山本さんは止めない。


 むしろ申し訳なさそうにしながらも、次は気をつけますと笑って続けようとする。その結果が、今の指先だ。動画の“成長”は、ああいう積み重ねの上にある。


 ページをめくる手を止めたまま、少しだけ視線を戻す。


 一方で、夏樹はあまり動画には出していない。


 当初は山本さんと一緒に「料理人への道」に参加させる案も考えていたが、結果的には見送った。理由は単純で、長く続けることを前提にしたときに、軸がぶれる可能性があったからだ。

 食堂やまもとチャンネルは、あくまで“食堂やまもと”のチャンネルであり、店長と奥さん、そして山本さんを中心としたコンテンツであるべきだ。そこに外部の人間である夏樹が頻繁に入り込むと、最初は問題なくても、視聴者の中に微妙な違和感が残る可能性がある。

 一度気になり始めた違和感は、理由が曖昧なままでも離脱のきっかけになる。それを避けるためには、最初から構造を崩さない方がいい。

 夏樹自身も、そのあたりは理解していたらしく、むしろこちらが提案する前に「やめた方がいいと思う」と言ってきた。その判断は妥当だったと思うし、結果的にも正解に近い。

 今の形なら、動画の主軸はぶれない。


 店長の料理があり、奥さんのナレーションがあり、山本さんの成長がある。その中に必要以上の要素を足さないことで、視聴者の認識もシンプルに保たれる。


 俺たちが学校に来ている間に、店では料理動画の撮影を進めてもらっている。ある程度まとめて撮りためておくことで、更新の間隔を安定させる狙いもある。そして放課後、山本さんが家に戻ってから「料理人への道」を撮影する。

 負担は軽い訳ではないが、継続できる範囲には収まっている。


 視線を再び本に落とす。


 ページの中に書かれている理論と、目の前で起きている現実が、ゆっくりと重なっていく。

 数字としての結果だけではなく、その裏にある動きや負担、役割の分担まで含めて考えないと、長く続けることはできない。山本さんの指に貼られた絆創膏は、その現実を分かりやすく示していた。それを見落とさないことも、たぶん必要な視点なんだろう。



 昼休みの教室はいつも以上にざわついていた。理由はわかっている。ここ数日で、食堂やまもとチャンネルの認知が一気に広がったからだ。


「ねえねえ山本さん!これってやっぱり山本さんだよね!?」

「この動画の子って本人!?」

「え、すごくない!?普通にバズってるじゃん!」


 次々に飛んでくる声に、山本さんは困ったように、けれどどこか嬉しそうに対応している。


「は、はい……たぶん、私です……」


 「たぶんって何よ!」と笑いが起きる。その様子を、少し離れた位置で夏樹と柴田さんが見ている。夏樹は楽しそうに、柴田さんはどこか微笑ましそうに、しかし冷静に状況を見ているようだった。


 そんな空気の中、教室の扉が開いた。


 一瞬だけ視線がそちらに集まる。


 入ってきたのは、川村と西海だった。クラスが違うはずの二人が、迷いなくこちらへ歩いてくる。


「山本さん」


 先に口を開いたのは川村だった。


「今、食堂が大変なんだろう?」


 穏やかな口調だが、話題は核心を突いている。


「僕に何か力になれることはないかい?」


 「え……」と山本さんが戸惑う。その横で西海が自然に言葉を継いだ。


「そうそう、川村も俺も社長の息子だからさ、経済的な面も含めて、いろいろ手助けできることがあるんじゃないかと思ってるんだ」

「ゆ……融資、ですか……?」


 山本さんの声が少しだけ小さくなる。その瞬間、なぜか夏樹と山本さんがちらっとこちらを見る。


 なんでだ。


 視線を受け止めつつも、とりあえず何も言わないでおく。代わりに柴田さんが一歩前に出た。


「そんなの、私たちが決める話じゃないでしょ。親同士で話すならともかく、子供に言われても困るだけよ」


 もっともな指摘だ。

 だが、西海は表情を崩さなかった。むしろ少し楽しそうにすら見える。


「そうでもないぜ?俺は西海コーポレーションで帝王学を学んでるから、ある程度の決裁権は持たされてる。実際、俺の直轄で動かしてる飲食店もいくつかあるしな」

「そっちはそうかもしれないけど、萌は違うのよ。そんな大きな話をされても、困るだけだわ」

「まあまあ、聞くだけでもいいと思うんだけどどうかな?西海の言ってることは、理屈としては筋が通ってるし、実際に結果も出してるしね」


 川村が柔らかく割って入ってきて後押しする。西海が一歩踏み込んだ。


「例えば今のチャンネルだけどさ、伸びてはいるけど、まだ“局所的”なんだよ」


「きょくしょ……?」と夏樹が小さく首を傾げる。


「一部の層には刺さってるけど、広がり方が限定的ってこと。マーケティングって、まず“認知の最大化”から入る」


 さらっと言いながらも、内容は的確だ。教室の一角とは思えない話が始まる。


「例えば、動画単体で完結させるんじゃなくて、ショート動画で切り抜きを大量に投下して、入口を増やす」

「入口……?」

「短い動画で興味を引いて、本編に流す。いわゆる導線設計ってやつだな」


 なるほど、言っていること自体は正しい。


「さらに言えば、ターゲットも細かく分ける。家庭向け、学生向け、一人暮らし向け、それぞれに刺さる見せ方を変える。今の動画は“全部に向けてる”から、逆に深く刺さりにくい」


 「たしかに……」と夏樹が小さく呟く。


「あと、コラボだな」


 西海は続ける。


「同じジャンルか、少しズレたジャンルでもいい、有名なチャンネルと組んで相互に流入を作る。これで一気に登録者を増やせる」

「企業案件も絡めれば、収益も安定するかもしれないね」と川村が補足する。

「広告費を使って露出を増やすのもありだ。リターゲティング広告って言って、一度見た人にもう一度見せる手法もある」


 次から次へと出てくる専門用語に、周りの空気が少しだけ静かになる。言っていることは、どれも筋が通っている。実際に使われている手法だし、効果もある。


 「……すごいね」と夏樹が素直に言う。山本さんも「はい……」と小さく頷いている。柴田さんは腕を組んだまま黙っているが、さっきまでのように食ってかかる様子はない。理屈としては理解できるからだろう。


「で、どうだ?やってみる価値はあると思うぜ?」


 西海が軽く笑う。

 川村も頷く。


「俺もそう思う。西海のやり方は実績もあるし、試すだけならリスクも低いはずだ」


 その言葉に、夏樹と山本さんがまたこちらを見る。


 だからなんでだ。

 

 視線の意味は分かるが、あえて気づかないふりをする。流れ的にそうなるのは分からなくもないが、納得はできない。こちらに明確に話しかけられたわけでもないので、そのまま本に視線を落とした。


「創ちゃん!何で無視するの!?」


 案の定、夏樹の声が飛んできた。


「無視じゃないだろ、俺に話しかけてない」

「今の流れで分かるでしょ!?」

「分からん、主語がない」

「またそれ!?」


 軽く言い返したところで、山本さんが申し訳なさそうに口を開いた。


「山神君は……どう思いますか?」


 今度ははっきり名前が出たので、顔を上げる。


「それなら分かる」

「だからそこじゃないって……」


 小さくため息をつきつつ、視線を西海に向ける。


「……結論から言うと、言ってること自体は間違ってないと思う」


 はっきり答える。


「ただし、全部そのままやると失敗する可能性がある」


 その一言に、西海の口元がわかりやすく歪む。


「は?」


 空気が一段階だけ張り詰める。俺はそんなことお構いなしに続ける。西海の言っていることは正しい。帝王学を学んだのは間違いないのだろう。でも、物事は教科書通りには進まないことが多い。


「理論としては正しい。けど、それは大企業前提の話が混ざってる」

「マーケティングに規模は関係ない」

「理論はな。でも運用は別だ。分かりやすく言うと、そうだな…。さっき出てた話を一個ずつ見ていけばいい。まず、ショート動画で入口増やすって話。これは実はやろうと思って動画を準備している」


 「それみたことか」と西海が即座に返す。


「ただし、“量産”は別問題だ。大企業は専属チームがいて、一日に何本も回せる。でもこっちは違う。撮影も編集も限られた人間でやってる」

「それは工夫次第で――」

「工夫でカバーできる範囲はあるのは理解している」


途中で遮る。


「でも無理に本数増やすと、本編の質が落ちるか、作業が回らなくなる。で、どっちに転んでも継続できなくなる可能性がある。継続できないと意味がない。だから“できる範囲でやる”って制限が必要になる」


 やり続けるというのは本当に大切なんだ。質を落として手数を増やすというのも一つの方法だろう。でもそれは短距離走に近い戦略になる。大企業は短距離を走る選手をたくさん雇えるかもしれない。その選手を100人雇えば1回で10000m分の仕事をしたことになる。でも、食堂やまもとにはそんなに人を雇う余裕はない。同じように10000m走る必要があるなら、こちらは短距離ではなく長距離で走り切る必要がある。100mを少ない時間で走り切るのではなく、100mを100回走れるように設計していく必要があるんだ。


「次、ターゲット分け。これも理屈としては正しい。でも今やると分散する」

「分散?」


夏樹が小さく反応する。


「例えば学生向け、主婦向け、一人暮らし向けって分けると、それぞれ別の構成が必要になる。でも今のリソースで全部やると、どれも中途半端になる可能性が高い。今は“家庭で真似できる料理”って軸があるだろ」


「はい……」


 山本さんが小さくうなずく。


「それを強くした方がいい。広げるのはその後。それに、コラボも同じだ。有名なところと組めば確実に伸びる。でもその代わり、“誰のチャンネルか”がぼやける」

「そんなことはない!」


 即座に否定が飛ぶ。


「あるんだよ」


 短く返す。


「視聴者は強い方を見る。最初にそれやると、“食堂やまもと”じゃなくて“コラボ先の一部”になる。自分たちの軸が弱いまま広がると、後で戻すのが大変になる」


 その言葉に、西海の視線がわずかに鋭くなる。


 食堂やまもとチャンネルはあくまで、集客装置だ。これで生計を立てていこうというものではない。もちろん、今はその役割を担っているが山田農園の問題が解決すれば食堂としてまた営業を行うことになる。なので、その食堂としての営業を最大化できるようにコンテンツを作り続ける必要はあるが、不特定多数に見られるコンテンツにする必要はない。

 このチャンネルを見た視聴者が実際に食堂やまもとに足を運んだ時に、あまりにも動画と実際が違うとそれはそれで評判を落とすことになりかねない。


「最後、広告」


一度区切る。


「リターゲティングとかは確かに効率いい。でも前提がある」

「前提?」


 柴田さんが聞き返す。


「広告費を回収できる構造があるかどうかだよ。大企業は一回の広告で広く影響出せる。でも小規模だと、一人一人の来店の重みが違う」

「……」

「例えば広告で10000人見ても、実際に来るのが数人だと赤字になる」


 1万人に広告を打つ時の広告費用は結構馬鹿にならない。一見さんが数人来た程度では到底回収できない費用がかかることになる。ましてやネット広告なんでサラリーマンの年収程度かかることだってある。

 「なるほどね……」と柴田さんが小さく呟く。


「だから、使うならタイミングと範囲を絞る必要がある」


 もともと、食堂やまもとは地域に根ざしたという戦略を立てている。なので不特定多数に対する広告とは相性が悪い。チェーン店のように各地域に同じブランドの店があるわけではないんだ。


「まとめると。全部マーケティングとしては正しい。ただし、全部やる必要はないし、やれない。今の規模に合わせて、使う部分だけ使う。それが一番現実的だと思う」


 沈黙の中で、夏樹がぽつりと呟く。


「……創ちゃん、今のすごく分かりやすい」

「最初からそこまで考えて戦略を立てていたんですか?」

「当たり前だろう?」

「凄いです!!」


 そのやり取りの横で、西海は何も言わずにこちらを見ていた。納得している顔ではない。だが、完全に否定もできない。そんな中途半端な表情だけが、静かに残っていた。



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