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きみの隣で、今日も僕は考えてる。本ばかり読んでいた俺の日常は、少しずつ騒がしくなる  作者: マリセリソウ


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第35話 小さな発信と、広がる影

 自室のカーテンは半分だけ閉められ、外から差し込む夕方の光が、机の上のノートパソコンをぼんやりと照らしている。画面には編集中の動画が表示されており、店長が手際よく包丁を動かしている姿と、それを横で見ている山本さん、そして時折楽しそうに口を挟む夏樹の様子が映っていた。


 ヘッドホンを片耳だけ外し、キーボードを叩きながらタイミングを微調整していく。ほんの数秒の間の取り方や、テロップの出し方一つで、動画の印象は大きく変わる。


 ……悪くないな


 素材は十分すぎるほど揃っている。問題は、それをどう見せるかだ。


 食堂やまもとのSNSを動かし始めてから、創太郎がまず整理したのは“基本”だった。特別なことをやる前に、まずは当たり前を外さないことが重要になる。


 SNSマーケティングの基本は、意外なほどシンプルだ。まず一つは「誰に見せるのか」を明確にすること。料理動画といっても、プロ向けなのか、家庭向けなのか、学生なのか社会人なのかで、求められる内容は大きく変わる。食堂やまもとの場合は、“家でも少し頑張れば再現できる美味しい料理”という立ち位置がちょうどいい。


 次に重要なのが「最初の数秒」だ。SNSでは、ユーザーは流し見をしているため、最初の数秒で興味を引けなければ、そのままスキップされてしまう。だからこそ、最初に完成形を見せたり、「これだけで味が変わる」といったフックを置く必要がある。


 さらに「継続性」も欠かせない。単発でバズるよりも、定期的に投稿し続けることで、視聴者に“このチャンネルはこういう価値がある”と認識してもらうことが重要になる。そしてその中で、「この人が教えてくれるなら見たい」と思わせる“人”の魅力も積み重なっていく。


 最後に「共感と再現性」。ただすごい料理を見せるだけではなく、「これなら自分でもできそう」と思わせること、そして「やってみたい」と思わせること。この二つが揃うと、視聴者はただの視聴者ではなく、ファンに変わる。


 それらを一つずつ動画に落とし込んでいく。冒頭には完成した料理のカットを入れ、そのあとに店長の一言を差し込む。「ここでひと手間かけると、全然違うぞ」——それだけで視聴者の指が止まる確率は上がる。

 山本さんの少しぎこちない手つきも、そのまま活かす。むしろそれがいい。完璧すぎるよりも、成長していく過程の方が見ている側は感情移入しやすい。


 ……夏樹は、まあ、適度でいいな。


 画面の中で無邪気にリアクションを取っている幼馴染を見て、創太郎は小さく息を吐く。あまり前に出しすぎると方向がぶれるが、完全に消すには惜しい。バランスが重要だ。


 再生バーを少し戻し、もう一度同じ箇所を確認する。細かい修正を重ねながら、創太郎は淡々と作業を続けていた。



 動画のカットをつなぎ直し、テロップの位置を微調整している最中、机の端に置いていたスマートフォンが静かに震え、控えめな通知音が部屋の空気を揺らした。創太郎は一瞬だけ手を止め、画面に視線を落とす。表示された名前を見て、わずかに表情が緩んだ。


……リアムか。


 通話ボタンを押し、椅子に背を預ける。


「Hey, Liam. It’s been a while.(よう、リアム。久しぶりだな)」


すぐに、向こうから明るい声が弾むように返ってきた。


「Soutaro! Finally! I was starting to think you were ignoring me!(創太郎!やっと出た!無視されてるのかと思ったぞ!)」

「No, not at all. I’ve just been caught up with some work.(いや、そんなことない。ちょっと作業に追われてただけだ)」

「Still the same, huh. Always working.(相変わらずだな、ずっと何かやってる)」

「Something like that.(まあ、そんなところだ)」


 軽いやり取りの中にも、久しぶりに話す相手への自然な距離感があった。創太郎はヘッドホンを外し、少しだけ姿勢を楽にする。


「So, what’s going on?(それで、どうしたんだ?)」

「I’m coming to Japan soon. For a tour.(今度日本に行くんだ、遠征でな)」

「A tour?(遠征?)」

「Yeah, youth matches. We’ll be playing in Tokyo and Saitama.(ああ、ユースの試合で、東京と埼玉で試合する予定なんだ)」


 その言葉に、創太郎は少しだけ考えるように間を置く。


「That’s not too far from here. I might be able to come, depending on the schedule.(それならここからそんなに遠くないな、予定が合えば行けると思う)」

「Really? That would be great! I was hoping you’d say that.(本当か?それは助かる、そう言ってくれると思ってたよ)」

「Send me your schedule when you have it. I’ll take a look.(スケジュールがわかったら送ってくれ、確認する)」

「Of course. I’ll send everything later.(もちろん、あとで全部送るよ)」


 少しの間を挟んでから、リアムがふと思い出したように続ける。


「By the way, how’s Natsuki doing?(そういえば、夏樹は元気にしてるか?)」

「She’s doing well.(元気にしてる)」


 創太郎は画面の動画にちらりと視線を戻しながら答える。


「She’s out right now, filming for a video.(今は外で撮影してる、動画のために)」

「A video? What kind?(動画?どんなやつ?)」

「A cooking channel. We’re helping out a local diner.(料理系のチャンネルだ、近くの食堂を手伝ってる)」

「That sounds interesting. Can you send me the channel?(面白そうだな、そのチャンネル教えてくれよ)」

「Sure. I’ll send you the link later.(ああ、あとで送るよ)」

「Thanks. I’d like to see what you’re working on.(ありがとう、お前が何やってるのか見てみたいしな)」


 その言葉に、創太郎はほんの少しだけ目を細める。


「It’s still a work in progress, though.(まだ試行錯誤中だけどな)」

「Even better. I want to see it from the beginning.(むしろその方がいい、最初から見たい)」


 リアムの変わらない調子に、わずかに肩の力が抜ける。


「Alright. I’ll send it.(わかった、送るよ)」

「And hey, when I get there, you’re showing me around, right?(それでさ、日本に行ったら案内してくれるんだよな?)」

「If the timing works, yeah. I’ll do what I can.(タイミングが合えばな、できる範囲で案内するよ)」

「That’s more than enough. I’m looking forward to it.(それで十分だ、楽しみにしてる)」


 短い沈黙のあと、リアムが少し柔らかい声で言った。


「See you soon, Soutaro.(近いうちにな、創太郎)」

「Yeah, see you.(ああ、またな)」


 通話を終え、スマートフォンを静かに机に戻す。再び部屋には作業音だけが残り、創太郎はゆっくりと画面に向き直った。ほんの少しだけ、日常に別の予定が差し込まれた気がしたが、それを邪魔とは思わなかった。



 動画編集を終えた俺は、ノートパソコンを片手に食堂やまもとへ向かっていた。さっきまで触っていたカットの繋ぎやテロップの位置がまだ頭に残っているが、出来としては悪くない、むしろ初動としては十分すぎる出来だと思う。あとは実際に見てもらってどう感じるか、それ次第だろう。


 店の引き戸を開けて「お疲れ様です」と声をかけながら中に入った瞬間、鼻に突き刺さるような焦げた匂いが一気に流れ込んできて、思わず足が止まった。これは料理の失敗というより、何かが燃えた後の匂いに近いなと冷静に判断しつつ視線を奥に向けると、ちょうど原因が音声付きで飛び込んできた。


「あぁ!!真っ黒です!何で!?お父さんと同じようにしたのに!」

「火が強かったのかな??」


 山本さんの悲鳴が店内に響き渡りと夏樹が困ったように続ける。


「あらあら……これじゃなかなかお嫁さんにはなれそうにないわね」

「失敗から学ぶことも多いからな」

「でも!がんばったら食べられるんじゃないですか?」

「いや、これは無理じゃない?ほとんど炭になってるよ!?」


 話を聞きながら、なるほどこの匂いの正体はこれかと納得しつつ厨房に目を向けると、フライパンを前に立ち尽くす山本さんと、それをどうフォローするか悩んでいる夏樹、そしてどこか微笑ましそうに見守る店長とカメラで撮影しながら笑っている奥さんという、妙に平和な修羅場が広がっていた。

 フライパンの中を見た瞬間、予想は確信に変わる。均一な黒。ここまでくると料理というより素材の記憶すら残っていない。どうやったらここまで焦がせるのか少し気になるレベルだし、火事の後の匂いって案外こんな感じなのかもしれないなと、どうでもいいことまで頭に浮かぶ。


「……お疲れ様です」


 少し遅れて声をかけると、夏樹がぱっと振り向いた。


「創ちゃん!」


 助けを見つけたみたいな顔をするなと思いつつ近づくと、「ちょうどよかった!見てこれ!」とフライパンを差し出される。


「いや、見なくてもだいたいわかるけど」


 そう言いながら一応中を覗き込み、「……うん、炭だな」と結論を出すと、山本さんが「ですよねぇぇぇ!」と頭を抱えた。


「一応聞くけど、これ何作ろうとしてたんだ?」

「オムレツです!」

「……途中で別の料理に進化したのかと思った」


 思わず出た言葉に、店長が小さく笑い、奥さんも肩を揺らす。山本さんは「ちゃんと卵だったんです!」と主張しているが、説得力はほとんどない。

 少し場が落ち着いたところで、本来の目的を思い出し、持ってきたノートパソコンを軽く持ち上げる。


「それより、預かってた動画、編集終わりました」

「ほんと!?」


 夏樹の表情が一気に明るくなり、山本さんも「見たいです!」とさっきまでの落ち込みを忘れたように食いついてくる。


「試写してもらおうと思って持ってきたんで、時間あれば」

「今!今見たい!」


 勢いよく言われて、思わず苦笑する。


「わかった、じゃあ準備する」


 近くのテーブルにパソコンを置き、Wi-Fiに接続しながら、まだ少し残る焦げた匂いと、この騒がしさが妙にしっくりくるなと思う。多少の失敗も含めて、こういう空気がこの店らしいのかもしれない。

 そう思いながら、俺は静かに動画ファイルを開いた。

 俺がノートパソコンをテーブルに置いて動画を再生すると、さっきまでの騒がしさが嘘みたいに店内が静かになった。全員が画面に視線を集中させているのがわかる。湯気の立つ料理、店長の手元の動き、山本さんのぎこちない包丁さばき、それをフォローする夏樹の声、そういった何気ない一つひとつを丁寧に繋いだだけの動画だが、無駄な部分は削ぎ落としているのでテンポは悪くないはずだ。

 動画が終わっても、すぐには誰も口を開かなかった。数秒の沈黙のあと、最初に声を上げたのは山本さんだった。


「……すごいです」


ぽつりと漏れたその一言に、他の三人も一斉に頷く。


「なんか、普通にテレビとかで流れてても違和感ないよね」

「うんうん、料理もいつもより美味しそうに見えるもの」

「ここまでちゃんと形になるとは思ってなかったな」


 店長は腕を組みながらと感心したように言った。

 俺としては、特別なことはしていない。素材がいいから、余計なことをしないように整えただけだが、こうして素直に反応をもらえると、悪い気はしない。


「この内容で大丈夫そうですか?」


 そう確認すると、三人がほぼ同時に「うん!」と答え、店長も「問題ない、これでいこう」と頷いた。


「じゃあ、上げますね」


 動画をアップロードしながら、タイトルと簡単な説明文を入力していく。公開ボタンを押した瞬間、画面の数字が「0回」からゆっくりと動き出した。


「おぉ……!」


 山本さんが小さく声を上げ、山本さんも「増えてます!増えてます!」と身を乗り出す。

 夏樹も「なんかドキドキするね」と笑っているが、その様子を見て、俺は少しだけ現実的なことを口にする。


「まあ、そんなにすぐ伸びるものでもないけどな」


 その一言で、三人のテンションがわかりやすく少し下がる。


「え、そうなの……?」

「こういうのは継続と積み重ねですから、一本で一気にっていうのはなかなか難しいです」


 奥さんにそう言いながら、用意しておいた別のフォルダを開く。


「その代わり、短い動画は何本か作ってあります。そっちで興味を持ってもらって、本編に流す形ですね」


「なるほど……」と店長が納得したように頷き、「ちゃんと考えてるんだなぁ」と感心したように言う。


 少し空気が落ち着いたところで、店長がふっと表情を引き締めた。


「そういえばな。山田農園から連絡があったよ」


 その名前が出た瞬間、場の空気が少しだけ変わる。


「SNSのこと、あっちも興味はあるみたいなんだけど……今はそれどころじゃないらしいよ。取引先への説明や対応で手一杯みたい。それに……風評被害も出始めてるらしい」


 店長は少しだけ言葉を選ぶように言う。


「風評被害ですか?」


 俺がそう聞くと、店長は小さく頷き、少しだけ苦い顔をした。


「農作物に毒物が紛れ込んでいた、なんていう話も出回ってるらしい」


 その一言に、場の空気が一気に重くなる。奥さんが「そんなこと……」と呟き、山本さんも言葉を失ったように黙り込む。


「もちろん事実じゃない。保健所も入って調べてるし、現時点で健康被害が出るようなものじゃないって話は出てるんだけど……。それでも、一度そういう話が出ると止まらない。農園の方にも、保健所にも、問い合わせの電話がひっきりなしに来てるらしい」

「……そんなにですか?」


 夏樹が不安そうに聞くと、「…うん」と店長は頷く。


「うちは事情を聞いてるからいいけど、道の駅の客や一部の卸業者は、その話をそのまま信じてしまってるみたいでね。取引をやめたいと言っているところも出てきてるらしいよ。このままだと、営業を再開しても業績の回復が難しいかもしれない」


 静かに語られるその現状に、店内の空気がさらに沈む。さっきまで動画を見て盛り上がっていた空気とは、まるで別の場所みたいだった。

 夏樹がゆっくりと俺の方を見る。


「……創ちゃん、何とかできない?」


 その視線には、期待と不安がそのまま乗っている。


「出来るわけないだろ」


 反射的にそう返しながらも、頭の中ではすでに別の回路が動き始めていた。こういう話は、正しい情報があるだけでは足りない。伝わらなければ意味がないし、間違った情報の方が広がる速度は早い。


「ただの噂でも、放っておくと事実みたいに扱われるからな……。否定するだけじゃ弱いし、かといって農園が直接発信しても、今の状況だと対応に追われてそれどころじゃない……」


 そこまで考えて、ふとさっき自分たちがやったことが頭をよぎる。

 動画。SNS。発信。


「……ああ、そういうことか」


 小さく呟くと、夏樹が「え?」と首を傾げる。


「いや、まだ考えがまとまってるわけじゃないけど」


 そう前置きしながら、俺はもう一度整理するように言葉を続ける。


「デマって、情報がないところに広がるんだよ。だったら、ちゃんとした情報を見える形で出すしかない。農園単体でやるのは無理でも、……こっちと組めば、できることはあると思います」


 そう言いながら、頭の中でバラバラだった考えを少しずつ繋げていく。さっきまでやっていた動画編集と、今聞いた話が、一本の線で繋がり始めていた。


「食堂やまもとのSNS、今ちょうど動き始めたところですよね」


 店長が「そうだね」と頷く。


「まだ規模は小さいですけど、これから伸ばしていく前提なら、発信力は作れる。だったら、その中で山田農園のことも扱えばいい」

「扱うって……紹介するってことですか?」

「紹介もそうだけど、それだけじゃ弱い。今必要なのは“安心できる材料”だ。単に大丈夫ですって言うだけじゃなくて、見てわかる形で伝える必要がある」

「見てわかるって、例えばどんなことですか?」

「例えば、農園の様子をそのまま撮るとか…。どういう環境で作ってるのか、どんな人が関わってるのか、今どういう状況なのか」


「……なるほどな」と店長が小さく唸る。


「あと、保健所の対応をちゃんと受けてることも、言葉だけじゃなくて“流れ”として見せる方がいいです。検査してます、問題ありません、じゃなくて、その過程を見せる」

「それって、動画にするってことですか?」

「そう。短いものでもいいから、継続して出す。断片的な情報じゃなくて、ちゃんとストーリーとして見せる方が信頼されやすい。あと、こっちの動画で実際にその野菜を使ってるところを見せるのもありですね。料理として成立してるっていうのは、それだけで安心材料になる」


「確かに……」と夏樹が小さく頷く。


 言いながら、自分の中でも少しずつ形がはっきりしてくる。


「うちが保証する、っていう形になるわけだね」


 と店長が言うと、俺も頷く。


「はい。少なくとも、何も知らない人よりは説得力は出ます」


 少しの沈黙が流れる。全員が同じ方向を見ているのはわかるが、簡単な話じゃないことも同時に理解している空気だった。


「……ただ」


 俺は一度言葉を切る。


「これ、山田農園の協力がないと成立しないですし、向こうも今余裕ないはずなんで、無理に進めるのは難しいかもしれません」


 店長は腕を組みながら「そうだね……」と考え込む。


 それでも、さっきまでとは違って、完全に行き詰まっているわけではなかった。少なくとも、やれるかもしれない方向は見えている。


「でも、選択肢としては持っておいていいと思います」


そう言うと、夏樹が少しだけ安心したように息を吐いた。

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