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きみの隣で、今日も考えてる  作者: マリセリソウ


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第34話 野菜の供給停止は命取り。一般的には

 夕方のやわらかい光が通りに伸びる中、夏樹と一緒に並んで食堂やまもとの前に立った。暖簾はいつも通り掛かっているものの、どこか静かで、店の外にまで漂ってくるはずの賑やかな気配が今日は薄いように感じられる。扉に手をかけようとしたその瞬間、中から背の高い男性が出てきて、思わず二人は一歩引いた。


 男は軽く会釈をしながら外へ出ようとするが、その表情はどこか険しく、というよりも疲れきっているように見えた。眉間にわずかにしわが寄り、視線もどこか定まっていない。反射的に道を譲りながら、「すみません」と声をかける。


「いえ、こちらこそ申し訳ない」


 低く落ち着いた声でそう返され、二人はすれ違う。ほんの一瞬の出来事だったが、俺の中に妙な引っかかりが残った。見覚えがあるような、ないような、記憶の端に引っかかる感覚だけが残り、振り返るほどの確信もないまま、その男性は通りの向こうへと去っていく。


 ……どこかで、見たような……?

 

 そんな曖昧な感覚を抱えたまま、暖簾をくぐると、店内からすぐに声がかかった。


「いらっしゃい、二人とも。昨日は球技大会お疲れ様!すごい活躍だったって聞いたわよ!」


 奥さんがカウンターの奥から顔を上げ、いつものように柔らかく微笑む。その声に続くように、厨房の奥から店長も顔を出し、「今日もよろしく!」と短く声をかけてきた。いつもと変わらないやり取りのはずなのに、さっきの男性の表情が頭の片隅に残っていて、俺はほんの少しだけ意識が外に引っ張られているのを感じる。


 軽く挨拶を返し、二人はそれぞれの更衣スペースへ向かった。制服に着替えながらも、さっきの男の顔を思い出そうとするが、結局は輪郭の曖昧な印象しか残らず、「まあいいか」と小さく息を吐いて思考を切り替える。今は仕事の時間だ。


 着替えを終えて店に戻ると、店内はほどよく客が入り、いつも通りの営業が続いているように見える。持ち場に入ろうと一歩踏み出したところで、山本さんに声をかけられた。


「山神くんと夏樹ちゃん」

「なんだ?」


 少しだけためらうような間を置いてから、山本さんは言葉を続ける。


「今日、お仕事終わってから、少し時間ありますか?」


 その声色はいつもより控えめで、どこか慎重さがにじんでいた。俺は一瞬だけ視線を夏樹に向ける。夏樹も同じようにこちらを見ていて、二人の間で無言の確認が交わされる。


「……大丈夫」

「うん、私も大丈夫」


 ほぼ同時に答えると、山本さんはほっとしたように小さく頷いた。その表情には、安心と同時に、何かを決めているような硬さも混じっているように見えた。

 その変化を感じ取りながらも、今は深くは踏み込まず、「じゃあ、終わったあとで」とだけ返して持ち場へと向かう。店内には変わらず穏やかな時間が流れているはずなのに、どこかで歯車が少しずつずれていくような、そんな気配が静かに広がり始めていた。



 厨房で最後の皿を洗い終え、水を切って棚に戻すと、軽く手を拭いてからホールへと出る。すると、すでにテーブルには店長と奥さん、山本さん、そして夏樹が座っており、それぞれの前には湯気の立つ湯のみやコーヒーカップが置かれていた。仕事の延長ではなく、明らかに“話すための場”が整えられている。


「遅くなってすみません」


 そう言って席に着くと、店長が軽く手を振って首を横に振った。


「いや、こっちこそすまないな、仕事終わりに時間取らせて」


 その声音はいつもと変わらないようでいて、どこか決意を含んでいるようにも聞こえる。その違和感を拾い上げながら、自然と背筋を伸ばした。

 店長は一度視線を全員に巡らせてから、静かに話し始める。


「まず、萌からも聞いている部分もあるかもしれないけど、うちで使ってる野菜のことなんだ。うちはほとんどの野菜を山田農園から仕入れているんだ。その山田農園の野菜に、ちょっと問題が出てるみたいなんだ」


 山本さんの肩がわずかに揺れるのが見えたが、店長はそこには触れずに話を進める。


「検査の結果でね、本来あまり検出されない成分が、ほんの微量だけど出てるらしい」

「え……?」


 夏樹が思わず声を漏らす。店長はそれを受けて、すぐに補足するように言葉を重ねた。


「ただ、自然環境の中でも全く出ないもものじゃない。土とか水の影響で、ごく稀に検出されることもある。ただ、今回はその数値が少しずつ上がってきてる」

「それって……危ないものなんですか?」

「いや、そこは大丈夫」


 店長ははっきりと首を振る。


「今出てる数値なら、健康被害が出るレベルじゃないって保健所の見解もある。ただ……原因がわからないようなんだ」


 その一言が、場の空気をわずかに重くした。


「何が原因で数値が上がってるのかが特定できてない以上、そのまま出し続けるわけにはいかないってことで、山田農園の方も出荷を止めてる」


 奥さんが静かに頷きながら言葉を引き取る。


「安全だとは言われてるけど、“理由がわからないもの”を出し続けるのはやっぱり違うからねぇ」


 俺は黙ってその話を聞きながら、状況を頭の中で整理していく。危険ではない、しかし原因不明。だからこそ止めるしかない。判断としては妥当だが、店にとっては致命的だ。

 店長は一度深く息を吐くと、次の言葉を口にした。


「でね……。野菜の供給が戻るまで、うちは一旦店を休むことにしたんだ」

「えっ……?」


 今度は夏樹だけでなく、山本さんも驚いたように顔を上げた。


「休むって……いつ野菜が届くかわからないんですよね?ずっとですか?」

「うん、ずっとだよ」


 店長は迷いなく答える。その表情には、迷いよりも“決めたあとの静けさ”があった。

 少しの沈黙のあと、夏樹が戸惑いながらも口を開く。


「他のお店から仕入れる、とかは……?」


 その問いに、店長はほんの少しだけ苦笑いを浮かべた。


「それは全く考えてない」

「……え?」

「たぶん、経営者としては失格なんだろうけどね」


 そう言いながらも、その言葉に自嘲の色はほとんどなかった。


「僕は山田農園の野菜に惚れ込んでる。あの野菜だから、この店の味が出せてるって思ってる」


 奥さんも静かに続ける。


「他の野菜でも料理はできるけど、“同じもの”にはならないのよ」

「……」

「うちの味って、調味料だけでできてるわけじゃないから」


 その言葉は静かだったが、はっきりとした芯を持っていた。

 俺は何も言わずにそのやり取りを聞きながら、内心で小さく頷く。味を落としてまで営業しないという判断は理解できる。それに、店長が“経営者として失格かもしれない”とまで言い切った時点で、これは思いつきではない。


 ……前から考えてたな。


 少なくとも昨日今日の話ではない。もっと前から、もしこうなったらどうするかを考え、その上でこの選択をしている。だからこそ、あれだけ迷いなく言えるのだろう。

 俺は静かに湯のみを手に取りながら、その決断の重さを改めて噛みしめていた。



 店長の言葉が一通り落ち着いたところで、わずかな沈黙がテーブルの上に広がる。その空気を破るように、夏樹が少しだけ身を乗り出して口を開いた。


「……あの、その間、お店を閉めてる間って、どうするんですか?」


 その問いは素直で、そしてどこか不安を含んでいた。店長は一瞬だけ視線を天井に向けてから、軽く肩をすくめるようにして答える。


「まあ、ずっと何もしないってわけにもいかないからね。しばらくは日雇いでも探そうかと思ってるよ。これでも昔、トラック乗って配送の仕事してたこともあるんだよ。今でもまだやれると思ってるんだけどね」


 そう言って、「意外でしょ?」少しだけ苦笑する。

 冗談めかした口調ではあったが、その実現可能性をきちんと見据えていることは伝わってくる。軽く言っているようで、しっかりと現実を見ている言葉だった。


「私は……」


 奥さんが自分の足にちらりと視線を落としながら、小さく息をつく。


「今はこの足だからね、外に出て働くのは難しいし、内職くらいかしら」


 その言葉には悔しさが滲んでいたが、それを強く表に出すことはなく、あくまで淡々とした口調を保っていた。


「私は……。一応、他の飲食店でアルバイトしようかなって思ってます」


 続いて山本さんが少し遠慮がちに口を開く。その言葉に、店長と奥さんは同時に頷いた。


「無理して働かなくてもいいんだよ?萌の分くらいはちゃんと稼ぐから」

「そうよ?無理しないでね?萌がどうしてもしたいことなら止めないけど、私たちのためだと思っているんなら、それは心配しないで」

「もちろん、心配がないと言ったらウソになります。でも、いろんなお店を経験するのも今後のためにはいいんじゃないかって思ってます」

「そうか。ただ…いや、萌の話はまた後でしよう。家族のことだからね」


 店長や奥さんが山本さんに何を言いたかったのかなんとなくわかった。別の店で働いた場合、やはり中途半端には辞められない。思いのほか食堂の再開が早くにできた場合、新しく始めたアルバイトをすぐに辞めなければならないかもしれない。その懸念があったのだろう。 

 それぞれがそれぞれに、現実的な選択をしている。間違ってはいない、むしろ正しい判断のはずなのに、どこか噛み合っていないような、そんな違和感が場の空気に残る。


 ふと、視線を感じて顔を上げる。夏樹がこちらをじっと見ていた。


 ー-なんとかならない?


 言葉には出していないが、その目ははっきりとそう訴えている。期待と、不安と、少しの焦りが混ざった視線だった。

 その視線を受け止めたまま、何も言わずに一度だけ目を閉じる。感情だけで動けば、きっと何かはできるのかもしれない。しかし、それで本当にうまくいく保証はどこにもない。


 静かに息を吐く。


 頭の中で、今ある情報と、選択肢と、リスクを並べていく。

 そして、ゆっくりと目を開けた。


「……一つ、提案してもいいですか」


 その声は大きくはないが、はっきりと場の全員に届いた。


「……SNS、やりませんか?」


 俺の口から出た言葉に、その場にいた全員が一瞬、言葉の意味を理解できなかったかのように固まった。店長は湯のみを持ったまま動きを止め、奥さんは目をぱちぱちと瞬かせ、山本さんに至っては「えっと……え?」と小さく声を漏らしている。

 あまりにも予想外の方向から飛んできた提案だったのだろう。

 その反応を見ても特に慌てる様子もなく、続けて口を開いた。


「あと、これは山田農園とも相談が必要ですけど……あっちにも同じ話を持ちかけたいと思ってます」

「山田農園にも……?」


 店長が眉をひそめると、俺は軽く頷く。


「はい。今回の件って、店だけの問題じゃなくて、農園側も同じように困ってるはずなんで」


 そこで一度言葉を区切り、テーブルの上に視線を落としながら、ゆっくりと言葉を選ぶように続ける。


「店を休むのは仕方ないと思いますし、その判断も間違ってないと思います。ただ……お店に対して何もしないというのはちょっともったいないかなと」


 店長の視線がわずかに鋭くなるが、否定の色ではなく、続きを促すようなものだった。


「食堂やまもとの“強み”って、料理の味だけじゃなくて、作り手の人柄とか、雰囲気とかも含めてだと思うんです」


 俺は顔を上げ、順番に全員を見る。


「だったら、それを“見える形”にした方がいい」


 静かだが、はっきりとした声だった。


「例えば、店長の料理スキルを紹介する動画でもいいですし、ちょっとした工夫で美味しくなる家庭料理とかでもいいと思います」

「動画……?」


 山本さんがぽつりと呟くと、俺は頷きながら言葉を重ねる。


「あと、山本さんが料理人目指してるっていうのも、コンテンツになりますよね。メニューごとに店長に教えてもらって、それをシリーズにするとか」

「え、わ、私ですか……?」


 急に話を振られ、山本さんが戸惑ったように自分を指差すと、あっさりと肯定する。


「ああ。その方が“成長していく過程”も見せられる。アイドルを応援するような感じになれば最高だな」

「アイドル!? 私なんかじゃ……」


 不安そうに視線を揺らす山本さんに対して、当然のように続ける。


「じゃあ夏樹も時々出ればいいだろ」

「え、私!?なんで!?」


 急に話を振られた夏樹が目を丸くするが、俺は特に気にせず言葉を続ける。


「一人より二人の方が見やすいし、雰囲気も柔らかくなる。山本さんもそれならやれるんじゃないか?」

「そ、それはそうかもしれないですけど……!夏樹ちゃんはどうですか?」

「え!?私が動画に!?」


 慌てる夏樹を横目にさらに話を広げる。


「撮影とかは奥さんができると思います。奥さんの話し方は聞き取りやすいので、声の人の役割ができると思います。あとは……写真部の柴田さんとかも協力してくれるかもしれないですし」

「声の人……?」


 奥さんが少し意外そうに呟くが、否定はしない。


「それに、高原とか三浦とか広田に相談すれば、大人数向けの料理とか、部活向けのメニューとかも出せるかもしれないですし」


 次々と具体案が出てくる中で、場の空気が少しずつ変わっていく。最初の戸惑いから、“考える空気”へと。

 俺は最後に、少しだけ言葉を強めた。


「コストとか手間とかも、全部隠さずに出した方がいいと思います。そういうリアルな部分も含めて見てもらえれば、よりリアルに届くと思います。で、実際に店が再開したときには視聴者が新しいお客さんとして来てくれるかもしれません」


 静かに言い切ると、再び小さな沈黙が落ちる。

 しかし今度の沈黙は、さっきまでのものとは明らかに違っていた。

 しばらくの沈黙のあと、店長が腕を組みながらぽつりと口を開いた。


「……ただね…」


 その一言に、視線を向ける。


「正直、そういうの、全くやり方がわからないんだよ。恥ずかしながら」


 店長はあっさりとそう言い切り、少しだけ困ったように笑った。奥さんも同じように肩をすくめる。


「私もよ、スマホで写真撮るくらいならまだしも、動画とか編集とか言われるとねぇ……」


 山本さんも小さく頷きながら、「私もです……」と不安そうに呟く。その反応を見ても、俺は特に驚く様子もなく、淡々と答えた。


「その辺はたぶん教えられますし、最初のうちは動画の編集も俺がやります。撮影も最初は簡単な形でいいと思います」

「えぇ?そんなこともできるのかい?」

「そんなことまでできるの?」


 店長と奥さんが感心したように言う。


「まあ、趣味みたいなものです」


 実際には、海外の友人たちとやり取りする中で自然と身についたスキルなのだが、わざわざ詳しく説明することでもない。


「あと、報酬とかは……成果が出てからでいいです」


 その一言に、店長の眉がぴくりと動く。


「そういうわけにはいかないだろう?」

「そもそも成果が出るかもわからないですし、僕がやることはほとんどありませんので大丈夫です」


 そう言いながらも、内心ではそこまで悲観していなかった。むしろ、時間の問題だろうと思っている。

 遅かれ早かれ、伸びる。


 理由は単純だ。

 素材が揃いすぎている。料理のクオリティ、店の雰囲気、そして——


 ー-三大美少女


 頭の中で、夏樹、山本さん、柴田さんの顔が順番に浮かぶ。あの三人が少しでも関われば、少なくとも“見られる”ことには困らない。

 だが同時に、そのリスクも理解していた。三人が前に出過ぎるのはまずい。人気が出るのはいいが、主役が入れ替わってしまっては本末転倒だ。あくまで主軸は料理であり、店長と奥さんの“味”と“人柄”でなければならない。

 どう配置するか……。

 露出のバランス……。

 編集の見せ方……。

 すでに俺の頭の中では、構成や見せ方の組み立てが始まっていた。

 一方で、店長と奥さんは顔を見合わせ、小さく頷き合う。


「……どうする?」

「どうするも何も、やらない理由はないんじゃない?」


 奥さんの言葉に、店長は少しだけ考えるように顎に手を当ててから、ふっと息を吐いた。


「……そうだな」


そして、俺の方を見て、ゆっくりと口を開く。

「とりあえず、やってみようか」


 その一言で、場の空気がわずかに変わる。決断が下された瞬間だった。


「はい」


 俺は短く頷き、その目はすでに“次”を見据えていた。

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