過去編 はじまりの約束と届かなかった距離
リゼ 過去編
短編2話
はじまりの約束 ノア×リゼ
届かなかった距離 ハルト&リゼ
■はじまりの約束■
昼下がり。
小さな路地に、乾いた声が響いていた。
「離せよ、それ!」
布が引きちぎられる音。
「やめて……それ、お父さんの……」
細い声。
リゼは足を止めた。この道の少し先。
三人の子どもが、一人を囲んでいる。
地面には、くたびれたクマのぬいぐるみ。
片耳がほつれていた。
寄って集って、それを踏みつけて笑う嫌な声。
「こんなのが宝物だってよ!」
「きたねー!」
同じ年ぐらいの女の子は、それを泣きながら見ていた。怖くて、動けないまま……。
「やめなよ!その子困ってるでしょ!」
少し低めの子供の声か通る。リゼだった。
三人が、笑い声を止めて振り返った。
「なんだよ!」
「お前には、関係ねーだろ!」
リゼは、答えない。
スッと近寄り―
ぬいぐるみを踏んでいた足を、蹴り飛ばした。
「いってぇ!?」
ドン、と鈍い音と共に転んだ。
「な、なんだこいつ!」
二人目が殴りかかる。
サッと避けると、そのまま勝手に転がった。
三人目が後ずさる。
「く、くそ……!」
逃げていく足音。
静かになって、リゼはしゃがみこむ。
地面に転がっていたクマのぬいぐるみを拾って、土埃を軽く払う。袖で、その顔に付いた汚れも拭いてやった。
そして、女の子の前に差し出す。
「はい、これ大事なんでしょ?」
ノアは、震える手で受け取った。
「うん……ありがとう。」
「私、ノアって言うの。あなたの名前は?」
声が小さい。
「リゼ!」
「リゼ……この子、お父さんが誕生日にくれたの」
ぎゅっと抱きしめた。
その日から。
ノアは、リゼの後ろにいるようになった。
少し離れた場所から、でも憧れたように見ていた。
家は近所だった。
父親同士も仲良くて、親しくなるのはすぐだった。
「ねえ、リゼ」
ある日。
「なに?」
「どうして、助けてくれたの?」
リゼは少し考えて。
「うーん?困ってたから……」
それだけだった。
夕方。
家の前。木の柵にもたれながら二人で過ごす。
風が葉を揺らす音。
「リゼって、強いね」
ノアが言う。
「そう?」
「うん……すっごくかっこいい!」
リゼは少しだけ照れた。
「そんなことないって」
ノアは、リゼの服をつまんで引っ張る。
「……私も……リゼみたいに強くなれるかな?」
「うん?」
リゼはノアを見る――泣きそうな顔。
少しだけ考えて、ノアの頭に手を置いた。
「なれるよ」
「でも――強くなるって、殴ることじゃないから」
ノアが目を丸くする。
「守れること――それが強いってことだって思う」
ノアは、ぎゅっとぬいぐるみを抱きしめた。
「……そっか。そうだね」
それから、毎日のように一緒にいた。
街で、迷子を見つけると。
「泣かない。ほら、探してあげるから」
「えっと……お母さんの服の色は?」
リゼが手を引いて、ノアが優しく聞く。
やがて親を見つけて。
「ありがとうございました……!」
頭を下げられて、リゼは少し困った顔で笑う。
またある日。
リゼが壊した店の看板。
「……えっと」
言い訳を考えるリゼの横で、ノアが。
「風で外れたみたいですよ」
「お、おう……?」
納得させて、後で二人で走って逃げた。
「びっくりした〜!」
「なんとかなったね」
二人で顔を見合わせて笑った。
いじめっ子がまた来た日。
「また来たの?」
リゼが、前に出る。
ノアが後ろで、大きく息を吸う。そして――
「……先生―――!!こっちです!」
大きな声で叫んだ。
いじめっ子が顔をしかめて去る。
「……やるね!」
「ふふっ――ちょっとだけ」
少しだけ、胸を張る。
ある日。
リゼが森から戻って来て、手に小さな魔物を持っていた。
「見て!これ」
「きゃー、ちょっとそれ動いてない!?」
ノアが飛び退く。
「大丈夫だって、もう弱ってるし」
「そういう問題じゃないの!」
そのあと、二人で土にちゃんと埋めてやった。
季節が、ゆっくり進んでいく。
ノアのプラチナブロンドの髪が、ゆっくりと伸びていく。頬にかかっていた髪が、肩に触れるようになって。背も少し伸びた。
ある日。
「リゼ。これ……」
ノアが、小さな箱を差し出す。
「なにこれ?」
開けと、中には、淡い紫色のリボン。
リゼの瞳と、同じ色。
「髪、伸びてきたでしょ?
――結んだほうが……似合うと思って」
リゼは、少しだけ目を丸くして――笑った。
「ありがとう!じゃあ、結んでくれる?」
ぎこちない手つき。ゆるく結ばれた髪。
「……どう?」
リゼは、少しだけ揺らす。
「いいじゃん」
笑う。
それから。
リゼは、ずっとそのリボンで髪を結ぶようになった。
ある日、家の前に、荷車が止まっていた。
「今日、引っ越すの」
リゼが固まる。
「え?」
「……本当は、もっと前に言いたかったの」
ノアが、少し俯く。
「でも……言えなくて」
「離れるの、嫌で」
「ごめんなさい」
リゼは、何も言えない。
「遠く?」
「うん……遠い」
ノアが、小さな袋を差し出す。
「手紙、書くね」
「うん。絶対――私も書くよ」
「うん」
一歩、下がる。――また一歩。
「リゼ!」
ノアが、ぬいぐるみを抱きしめている。
「……忘れないでね」
リゼは少しだけ眉をひそめて。
「忘れないよ」
当たり前みたいに言う。ノアが、少しだけ笑う。
安心したように。
荷車が動く。遠ざかっていく。
リゼは、その場に立ったまま。
風が吹いて、紫のリボンが揺れる。
(……守ること)
拳を、ぎゅっと握る。
――それが。はじまりだった。
■届かなかった距離■
春。まだ少し肌寒い朝。
騎士学校の訓練場には、乾いた声と木剣の音が響いていた。
「おい、女が前出るなって!」
少し馬鹿にしたような笑い混じりの声。
リゼは気にしなかった。
素早く、一歩踏み込む。
カンッ、と鋭い音。
相手の剣を弾く。そのまま、もう一歩。
「終わり」
首元にぴたりと止める。
それから、周りがざわつく。
「……またかよ」
「力だけはあるな」
小さく笑う声。
リゼは肩を回す。
「弱いだけでしょ」
あっさり言う。
最初は、なんとなくだった。
父に勧められて入った騎士学校。
でも、入ってみれば――
つまらなかった。
誰も自分より遅いし、――自分より弱い。
女子は少なくて、やたらと目立つ。
馬鹿にされれば、やり返す。
ただ、それだけの毎日だった。
「……すごいな」
後ろから声。
振り返ると、ハルトが立っていた。
少し細い体つき。
まだ背も低くて、声も落ち着かない。
でも、目だけはまっすぐだった。
「何が?」
リゼが首を傾げる。
「今の動き」
少し照れたように言う。
「速かった」
リゼは少し考えてから、肩をすくめる。
「普通でしょ」
ハルトは小さく笑う。
「俺は、まだ無理だ」
その言い方が、悔しそうでもあり。
でも、どこか楽しそうでもあった。
それから、何度か顔を合わせるようになった。
ハルトは、よく訓練場に残っていた。
人がいなくなったあとも、一人で剣を振っている。
最初は、弱かった。
動きは鈍くて、反応も遅い。
でも。
「……今の、どうやったの?」
気づけば、隣にいることが増えていた。
「見てたでしょ」
リゼが軽く言う。
「もう一回やってよ」
素直に言う。
リゼは少しだけ考えてから、剣を構える。
「一回だけね」
それを何度も繰り返した。
季節が少し進む。
いつの間にか。
ハルトの剣は、前より速くなっていた。
身長も抜かされて、力も強くなっていた。
踏み込みも、迷いがない。
カンッ、と剣が鳴る。
リゼの剣が止められる。
「……今の」
リゼが目を細める。
ハルトは息を整えながら言う。
「やっと、並べた」
少しだけ、誇らしそうに。
リゼは――
少しだけ、楽しくなった。
「まだ負けてないけどね」
「次は勝つ」
「言うわね」
軽く笑う。
そのやり取りが、自然になっていた。
任務。
小規模な魔物討伐。
「右だ!」
短い声。
リゼが反応する。
次の瞬間、ハルトの剣が横から入る。
無駄がない。
呼吸が合う。
「さっきの、良かったね」
戦闘後。
リゼが言う。
ハルトが少しだけ息を吐く。
「お前が突っ込むから合わせただけだ」
「じゃあ、完璧だね」
リゼが笑う。
ハルトも、少しだけ笑った。
「……楽しいな」
ぽつりと。
「でしょ」
即答だった。
いつの間にか。
隣にいるのが、当たり前になっていた。
訓練でも、任務でも。
気づけば、同じ場所に立っている。
「お前ら、付き合ってんのか?」
からかう声。
リゼが顔を上げる。
「違うって」
即答。
ハルトは何も言わない。
でも、否定もしなかった。
進路の話が出たのは、卒業が近づいた頃だった。
夕方。
訓練場の端。
風が少しだけ冷たい。
「俺、騎士になろうと思う」
ハルトが言った。迷いのない声だった。
「そっか」
リゼは、少しだけ間を置いて頷く。
「お前も、騎士にならないか?」
リゼは黙る。
その選択は、考えたことがなかった。
(ハルトとなら)
一瞬、よぎる。
でも――
「……私は違うかな」
ゆっくり言う。
「もっと、手の届く近くの人たちを助けたいんだ
―――だから一緒には行けない」
迷いはなかった。
ハルトは、それを聞いて。
少しだけ目を細めた。
「……だと思った」
小さく笑う。
校門の外。
夕方になり、空が少し赤い。
さわやかな風が、抜けていく。
「じゃあな」
ハルトが言う。
そのまま歩き出そうとして。止まった。
振り返る。
初めて、ちゃんと目が合う。
「――もう一回、考えろよ」
真っ直ぐな声。
「俺と来い」
一歩、踏み込む。
「一緒に戦える」
「お前なら、騎士でも――」
言葉が少しだけ詰まる。
それでも。
「……隣にいろ」
それが、精一杯だった。
リゼは、少しだけ息を飲む。
胸が、わずかに揺れる。
でも………首を振る。
「ごめん」
はっきり言う。
ハルトの目が、わずかに揺れる。
でも、すぐに戻る。
「……そっか」
小さく息を吐く。
それから、少しだけ笑った。
「じゃあ」
背を向ける。
「ちゃんと騎士になって」
一歩、進む。
「それでもまだ、この気持ちが変わらなかったら」
少しだけ、振り返る。
「その時は、会いに行く」
そのまま歩いていく。
もう止まらない。
やがて、その背中は見えなくなる。
リゼは、しばらくその場に立っていた。
風が、静かに通り抜ける。
(……あいつなら、大丈夫でしょ)
小さく息を吐く。
「……ちゃんと騎士になれ」
ぽつりと呟く。
「私も、負けないから」
少しだけ、口元が上がる。
それから、くるっと背を向ける。
一歩、踏み出す。
でも――
ほんの一瞬だけ、足が止まる。
振り返りはしない。
そのまま、歩き出した。




