第五話 減らない借金と、踏み込んだ領域
シーラ&ヴァルク&リゼ&ドラゴン
乾いた風が、色づいた葉を静かに揺らしていた。
空は高く、どこかで鳥の鳴き声が細く響いている。
借金取りに行った家は、拍子抜けするほど静かだった。
木の扉を押すと、きい、と軽い音を立てて開く。
中はもぬけの殻。
生活の匂いだけがまだ薄く残っていて、机の上には飲みかけの水、床には急いで履いたように片方だけ向きのずれた靴が転がっていた。
「逃げやがった、あいつ」
ヴァルクが低く吐き捨てる。
「そんな事あるの?」
リゼがきょろきょろと部屋の奥まで見渡す。
「ある。まだそんなに遠くには行ってない。
追いかけるぞ」
踵を返しかけたところで、こんこん、と妙に軽いノックが響いた。
「誰だ」
「やっほー、久しぶりね〜、元気してた?」
開いた扉の向こうにいたのは、鮮やかな赤髪を揺らした女だった。
陽に透けるような赤ではなく、燃え残った火の芯みたいな濃い赤。
長い脚を惜しげもなく見せる細身の革装備、すっと通った鼻筋、挑発するように上がった口元。
ぱっと見で派手だと分かるのに、不思議と下品には見えない。
ヴァルクは露骨に嫌そうな顔をした。
「何しに来た。帰れ」
「いやよ、わざわざ探してきたのに〜」
「ねえ、ちょっと話さない?」
「今から出るんだ。忙しいから今度にしろ」
「じゃあ、私も一緒に行くわ」
「やめとけ、邪魔だ」
シーラはその言葉をまるで聞いていないみたいに、ひょいと首を傾けてリゼを見る。
「ねえ、その子も行くの?」
「ああ」
「じゃあ私も行っていいじゃない。昔の誼でしょ」
そう言って自然にヴァルクの腕に絡みつく。
躊躇がない。
距離の詰め方に慣れている女の動きだった。
ヴァルクは一度だけその腕を見下ろし、
「好きにしろ」
と言って淡々と外した。
「行くぞ」
短く言ってリゼを見るシーラは余裕ありげに微笑んだまま、剥がされたことすら気にしていない顔だった。
「わかった」
リゼは返事をしながらも、なんとなくその二人の間の空気を見ていた。
軽くて、近くて、でもヴァルクの方だけ妙に温度が低い。
街の情報屋は、逃げた男の顔を聞くなり鼻を鳴らした。
「ああ、見た見た。ザルディア山の方に走ってったぜ。顔色真っ青でな。後ろから死神でも追ってるみたいだった」
ヴァルクは金を一枚置き、
「馬がいるな」
表通りの馬屋へ向かうと、乾いた藁の匂いと獣の温い体臭が鼻をついた。
ヴァルクは、普段預けている自分の馬の手綱を受け取る。
栗毛の大きな馬で、人に媚びる気のない目だけが飼い主によく似ている。
リゼとシーラは貸し馬を選ばされた。
「借りた金は借金に上乗せしておくからな」
「えーー、また増えた!」
リゼが心底嫌そうに肩を落とす横で、シーラがくすっと笑う。
「面白い子ね」
「面白くないよ……」
ぶつぶつ言いながらも、三人はすぐに街道を抜け、山道へと入った。
石畳が土の道に変わると、蹄の音も変わる。
カツカツという乾いた響きから、湿った土を踏みしめる重い音になる。
街のざわめきはすぐ背後に置いてきたように遠くなり、代わりに風が梢を揺らす音と、時折鳥の羽音が頭上をかすめていった。
しばらく走ったところで浅い川が現れ、ヴァルクが手綱を引いて止まる。
「ここで少し馬を休ませる」
三頭の馬が喉を鳴らして水を飲む澄んだ水面に鼻先を突っ込み、ちゃぷ、ちゃぷ、と水を吸う音が続く。
その隙を逃さず、シーラがまた距離を詰めてくる。
「ねえ、今付き合ってる子いるの?」
「知らん」
面倒くさそうに返す声は、いつもよりさらに低い。
「いないんだったら、私とより戻さない? 」
「あの時、嫌いで別れたんじゃないんだから……ね?」
シーラはわざとらしく目を細めて、あと少しで肩に頭が触れそうなところまで寄る。
ヴァルクは一歩も引かない代わりに、するりと半身だけずらした。
「お前、あいつと付き合ってたんだろ。あいつの所に戻れ」
「いやよ! ルースとはもう別れたんだから」
拗ねたように唇を尖らせる。
「喧嘩したのか」
「もういいじゃない。今が楽しければいいのよ」
明るく言ったその語尾だけ、少しだけ寂しそうだった。
ヴァルクはそれ以上追わない。
「行くぞ」
馬に軽く飛び乗り、先に走り出す。
リゼは少し離れた場所から、二人のやり取りをなんとなく見ていた。
(……元カノ?)
(すごい積極的……)
水面に映る自分の顔を一瞬だけ見て、すぐに逸らす。
(あんな女の人が好きなのかな)
考えても答えは出ない。
「後で、考えよう」
シーラは少し離れていたため、ヴァルクの背中がもう遠くなりかけているのに気づいて、
「ちょっ……待ってよ」
と慌てて馬に飛び乗り、最後尾から追いかけた。
山道は次第に細くなり、両側の木々が頭の上で枝を絡めるように覆いかぶさってくる。
陽がまだ高いのに、道の上だけ薄暗い。
湿った落ち葉が積もり、蹄が沈むたびにじゅっ、と嫌な音がした。
やがて馬では進みにくくなり、三人は近くの太い木に馬を繋いだ。
手綱がきゅっと鳴る。
ここからは歩きだ。
ヴァルクがしゃがみ、地面を見る。
柔らかい土には慌てて走った足跡が残っていた。
草が無理やりかき分けられた跡、折れた細枝、まだ新しい泥のはね方。
リゼもその横にしゃがみこむ。
「この先だね」
「ああ」
ヴァルクはそう答えたものの、そのまま立ち上がらなかった。
何かに耳を澄ますように、道の奥をじっと見ている。
風が止んだ。鳥の声もない。
静かすぎる。
肌の表面を薄く撫でるような、嫌な圧がある。
(……嫌な感じだな)
ヴァルクは言葉にしないまま、奥に広がる魔力の塊を探る。
肺が重い
一歩踏み出すたび、空気がまとわりつく
「何か、いるね」
少し遅れて、リゼも気づいたように顔を上げる。
シーラはその道の先を睨んだまま、小さく鼻を鳴らした。
「魔物?」
「でかいな」
ヴァルクの短い答えに、一瞬だけ三人の間に迷いが落ちる。
その静けさを破ったのはリゼだった。
「行こう。あの人が逃げたの、この先だよね。このままだと死んじゃうかもしれない」
迷いのない声だった。
ヴァルクがちらりとリゼを見る。
まっすぐだ。
だから厄介で、だから放っておけない。
今度はシーラを見る。
強いが、この先にいるものに対しては明らかに格が足りない。
洞窟の奥から流れてくる魔力の濃さを前にしても、まだどこか分かっていない顔をしている。
ヴァルクは短く息を吐いた。
「……分かった。でもお前はついてくるな。邪魔だ」
シーラがすぐに噛みつく。
「いやよ! 私だって冒険者よ。戦えるわ。バカにしないで」
美人が怒ると迫力がある。
声も強く、目元も鋭い。
だが、ヴァルクは一切ひるまない。
「お前、関係ないだろ。これは仕事だ」
「じゃあ置いていけばいいじゃない。でも私はついて行くから」
頑なだ。
ヴァルクは少しだけ目を細めたあと、諦めたように肩を竦める。
「……好きにしろ。ただし自分の身は自分で守れよ」
「そんなの、分かってるわ」
リゼは黙って二人を見ていた。
何か言うべきか一瞬考えたが、結局言葉にできなかった。
少し先、岩肌の奥にぽっかりと黒い口を開けた洞窟が見えてきた。
中は暗く、湿った冷気が流れ出している。
その奥から感じる魔力は、生き物というより巨大な塊そのものみたいで、息をするだけで肺の中が重くなる。
「入るぞ」
ヴァルクの声にも、さっきまでより少しだけ緊張が混じっていた。
洞窟の中は外よりひんやりしていた。
足音が低く響く。
ぽたり、ぽたり、と天井のどこかから水滴が落ちる音がやけに大きい。
岩壁は黒く湿り、ところどころに鉱脈が薄く光っている。
その途中、足元にごろごろと転がる緑の光があった。エメラルドの原石だ。
埋もれていたものが、何かの拍子に剥き出しになったらしい。
リゼの目の色が変わる。
「これ全部持って帰ったら、借金全部返せるんじゃない?」
さっきまでの緊張が嘘みたいに、いそいそとしゃがみ込んで原石を拾い集め始める。
カバンにごろ、ごろ、と石の当たる重い音が響く。
(お……重い…、もう少し減らしたほうがいい?)
(で、でも借金が減る……かも?)
ヴァルクは、薄く笑った。
「そうかもな…でも、無理すんなよ」
言葉とは裏腹に、視線は周囲を鋭く走らせていた。
シーラは呆れたように両手を腰に当てた。
「そんなの、大した価値にならないわよ。時間の無駄」
「ちょっとだけ……」
リゼの表情は、思いのほか真剣だった。
「行きましょ」
とシーラが言った、その時だった。
洞窟の奥、ずっと奥の闇から、腹の底に響くような咆哮が轟いた。
ゴォォォォォォッ――。
空気が震え、岩壁がびりびり、と悲鳴を上げる。
カバンの中の原石が小さく跳ねた。
リゼの手が止まる。ヴァルクが静かに目を細めた。
完全に、目が覚める音だった。
洞窟の奥から、低く重い唸りが続く。
空気が、震えている。
リゼの手の中で、エメラルドの原石がかすかに鳴った。
素早く立ち上がる。
ヴァルクが、ゆっくりと顔を上げる。
「……来る」
シーラが思わず一歩引く。
「なに……これ……!」
奥の闇が、動く。
ずるり、と巨大な影が這い出てくる。
鱗が擦れる、重たい音。
光を反射する、鈍い金色。
ゆっくりと、巨大な頭が持ち上がる。
その奥――
さらにもう一つ、小さな影に赤い二つの光。
ヴァルクの目が細まる。
「……親子か」
低く吐く。
ドラゴンの瞳が、三人を捉える。
赤く、濁った、怒りの色。
前足が持ち上がる。
ドン―――ッ!!
地面が沈む。
衝撃が足元から突き上げる。
リゼが踏みとどまる。
(……重い)
空気が、重く体の動きが一瞬固くする。
逃げ道は後ろか、ドラゴンの先……。
影に隠れて暗い。
――先が見えない。
「下がれ」
ヴァルクが短く言う。
「シーラ、前に出るな」
「言われなくても!」
強がる声、体がこわばり足が一歩も出ない。
ドラゴンの喉が膨らむ。
口のなかに熱が、集まるのが分かる。
周囲の空気が膨張していく。
「構えろ!」
ヴァルクの声と同時に――
轟ッ!!
炎が吐き出された。
一直線。
洞窟を焼き払う熱。
リゼが反射的に動く。
水を纏い、限界まで圧縮する。
前に出て、両手を広げてシールドで爆風を防ぐ。
防ぎきれずに、炎の圧力を受けて後ろにそのままずり下がる。
シールドは一部破壊されていた。
「リゼ!」
ヴァルクの声。
風の流れで再び、水のシールドの外に膜を張る。
ドォンッ!!
炎が弾かれる。
風の壁が、正面から叩き返す。
熱と風がぶつかり、白い蒸気が爆ぜる。
視界が一瞬、真っ白になる。
「前を見るな。横から抜ける」
「……分かった!」
リゼが踏み込む。
足音が、低く響く。
水を腕に絡めて、圧縮しながら細く伸ばして行く。
水流は渦を巻いている。
更に鞭打つようにしならせていく。
空気を切り裂きながら
――打つ
バシーーーンっ!!
膨大な力の塊が、轟音を響かせながらドラゴンの足元を穿つ。
ドラゴンの視線がリゼに向く。
咆哮を上げながら首と尻尾を鞭のようにうねらせる。
「今だ!!」
ヴァルクが動く。
剣は抜かない。
風と熱の塊は圧縮され、周りの空気を吸い込んでいく。
無数の巨大な塊を、雨のように首の横から叩きつけた。
ヴァルクの一撃が、リゼの作った“隙”をそのまま押し広げる。
言葉はない。
だが、流れが繋がっている。
リゼは次を待たない。
もう一歩、踏み込んでいく。
ドラゴンの低く響く、地を這うような唸り声が響く。
首をうなだれさせ、上げることが出来ない。
考えない。
ただヴァルクの動きに合わせて。
周りがスローモーションに見える。
でも怖くない。
ヴァルクが前に出る。
風が、足元から巻き上がる。
剣は抜かない。
その代わり、空気そのものが刃になる。
ドラゴンの視線がヴァルクに向く。
――引きつけている。
リゼはそれを見た瞬間、理解した。
考える前に、体が動く。
踏み込んでいく。
ドラゴンの死角だ。
さっきヴァルクが“空けた”位置。
ヴァルクの動きがよくわかる。
流れるように、自分も攻撃をしていた。
時には、ブレスを水のシールドで防ぎながら。
ドラゴンの動きも、見える。
遅い。
前足が振り下ろされる。
その“外側”へ滑り込む。
足元すれすれ。
風が、背中を押す。
(合わせてる……)
思考が一瞬だけ走る。
でも止まらない。
(……これ)
一瞬だけ、思考が浮かぶ。
(合わせてるんじゃない)
(合ってる)
違和感がない。
合わせに行っていないのに、ズレない。
抜ける。
奥へ。
逃亡者が見える。
岩陰に縮こまっている。
「た、助けてくれぇ!」
「後だ」
ヴァルクが吐き捨てる。
そのまま首根っこを掴む。
引きずり出した。
「離せえええ!!」
「黙れ」
投げるように後ろへ。
「リゼ、通せ」
「うん!」
リゼが前に出る。
腰から剣を抜き、水流を絡ませた鋭い剣を振る。
剣先から、大砲のように水の塊が撃ち込まれる。
鋭く、的確に。
ドラゴンを傷つけすぎないよう、しかし動きを止めながら。
岩がガラガラと崩れる音がする。
ドラゴンの左側、男と反対側。
シーラは右へ回る。
言われる前に、死角へ滑り込む。
「指示ぐらいしなさいよ」
「要るか?」
「……いらないけど」
ドラゴンの尾が岩壁を叩き、砕けた岩が逃亡者の頭上に降る。
ヴァルクが動くより早く、シーラが舌打ちして踏み込んだ。
「邪魔なのよ!」
逃亡者の襟を掴んで、更に後ろへ蹴り出す。
次の瞬間、さっきまで男がいた場所に岩が突き刺さった。
ヴァルクが無言で一瞬、目を向ける。
シーラは肩で息をしながら、口元だけで笑った。
「伊達にあんたの隣にいたわけじゃないわ」
また岩が天井から崩れてくる。
「シーラ、下がれ!」
「分かってる!」
叫びながら、後退する。
足がもつれて、体勢が崩れる。
ドラゴンの尾が岩に当てられ、大きな岩がシーラの方向に勢いよく飛んでくる。
空気が裂ける。
「……っ!」
間に合わない。
視界が、潰れる。
ドォンッ!!
風が叩きつけられる。
岩が砕かれ、大きな塊は弾け飛んだ。
「行け!」
低い声。
シーラが息を飲む。
「……ありがとう、なんて言わないわよ!」
「いらん」
即答。
その間にも、天井が軋む。
石が、ぱらぱらと落ちてくる。
「崩れるぞ!」
ヴァルクが言う。
「下がる!長居する場所じゃない」
「倒さないの!?」
シーラが叫ぶ。
「親子だ」
短い言葉。
「俺たちが踏み込んだ」
それだけ。
次の瞬間。
剣を抜く。
風が渦を巻いて、刃に絡む。
空気を切り裂く音が、遅れて耳に届いた。
ズンッ!!
天井が割れる。
巨大な岩が落ちてくる。
土煙が視界を埋める。
ドラゴンの動きが一瞬止まり、子供を守ろうと意識が逸れる。
「今だ!走れ!!」
三人が駆ける。
足音が重なる。
呼吸が荒くなる。
背後で咆哮。
岩が崩れる音。
出口が見える。
光が見えた。
飛び出す。
暗い空間に慣れた、感覚は明るい光に対応できず眩しさに目を閉じる。
――直後。
ドォォォンッ!!!
洞窟の入口が、崩れ落ちてくる。
砂煙が舞って、視界が更に遮られた。
荒い息づかい、緊張と気配を探る時間が続く。
冷たい風が、4人の間をすり抜ける。
束の間の静寂。
リゼが膝に手をつく。
「はぁ……はぁ……」
心臓がうるさい。
でも。
(……生きてる)
ヴァルクは振り返らない。
「……終わりだ」
短く言う。
シーラが息を整えながら笑う。
「……あんなの普通じゃないわよ……」
ヴァルクは答えない。
ただ、崩れた洞窟を一度だけ見る。
その奥で――
まだ、低い唸りが響いていた。
崩れた洞窟の入口は、さっきよりさらに埋もれていた。
大きな岩が折り重なり、隙間から白い砂煙がまだゆっくりと流れ出ている。
奥からは、かすかに低い唸りが残っていた。
生きている証だ。
リゼがそれを見て、ほんの少しだけ息を吐く。
その足元で、借金男がへたり込んだまま動けなくなっていた。
膝をつき、両手を地面について、そのまま崩れる。
「た、助けてくれ……もう無理だ……」
顔を上げる。
涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。
「借金……見逃してくれぇ……!」
必死に手を合わせる。
「金は、借りたら返せ」
ヴァルクが低く言う。
「それがルールだ」
「か、勝手に決めるなよぉ……!」
「変えていいもんじゃねえ」
男はそのまま、わんわんと泣き出した。
助かった安堵と、逃げられない現実と、色んなものが混ざった泣き声だった。
「……あなたが、逃げるなんてね」
少し離れたところで、シーラがぽつりと呟く。
ヴァルクは洞窟の方を見たまま答える。
「なんでも殺せばいいってもんじゃない」
「あれは親子だった」
「昔なら、そんなこと言わなかったのに。変わったわね」
「人は変わる」
淡々とした声。
「お前も、いつまでも拗ねてないで戻れ」
シーラは視線を逸らす。
「……ほっといて」
ほんの少しだけ距離を取る。
ヴァルクが振り返る。
「リゼ」
「何?」
「あの時……どう思った」
「何のこと?」
「……あのドラゴンを殺さなかったことだ」
リゼは少しだけ考える。
洞窟の入口をちらっと見て、それからヴァルクを見る。
「そんなの、ヴァルクが必要だと思ったからそうしたんでしょ?」
少し肩をすくめる。
「私は、困ってる人は助けたいけど……無闇に殺したいわけじゃないよ」
一瞬の間。
「それに、ヴァルクなら何か考えがあるって分かるし」
風が抜ける。
ヴァルクはほんの一瞬だけ目を閉じた。
「……そうか」
ほんのわずか、肩の力が抜ける
口元がわずかに緩む。
「ほら、帰るぞ」
ヴァルクが借金男の首根っこを掴む。
「やだあああ!!帰りたくないぃぃ!!」
情けない悲鳴を無視して、そのまま馬に放り上げる。
山を下る。
木々の隙間から日の位置が下がっているのがわかる。
影が長く伸びてきていた。
土の匂いと風の音。
さっきまでの圧が嘘みたいに軽い。
遠くに街が見える。
戻る場所だ。
少し遅れて、シーラが馬でついてくる。
表情は読めない。
さっきまでの軽さが、少しだけ落ちていた。
街に戻ると、少しづつ光が灯り始めていた。
石畳の音と、少し浮かれた人のざわめきが一気に戻ってくる。
借金男の家の前で止まり、そのまま引きずり下ろす。
「逃げても無駄だ」
ヴァルクが言う。
「また追いかける。ちゃんと仕事して返せ」
少しだけ間を置く。
「家族が待ってるんだろ」
男はまた泣き出す。
「うわあああああん!!」
馬屋に戻る。
干し草の匂いと木の柱。
手綱を外す音がやけに大きく響く。
「ねえ」
シーラが口を開く。
「私のこと、好きだった?」
突然だった。
ヴァルクは振り返らない。
「さあな」
「ちゃんと答えて」
少しだけ沈黙。
「……あの時は、一緒にいたいと思った」
シーラの表情が揺れる。
「じゃあ……なんで別れたの?」
「……魔王を倒しに行く時、俺は戦うことを選んだ」
短く言う。
「だから、女は邪魔だと思った」
パンッ!!
乾いた音が響く。
頬に赤い跡が残る。
ヴァルクは動かない。
「そんなの、勝手じゃない……!」
シーラの声が震える。
「待ってろって言ってくれたら、待ったのに」
「死ぬかもしれなかった」
静かな声。
「……もう終わったことだ」
風が通り抜ける。
「お前も、新しい道を進んでるだろ?」
しばらくの沈黙のあと、シーラが小さく息を吐いた。
「……もういいわ」
顔を上げる。
「なんだかあの時のこと、聞けたからちょっとスッキリした」
リゼを見る。
「ねえ、あなた。リゼって言うのよね。この男のこと好きなの?」
リゼが固まる。
「……分からない」
「そう」
シーラが少しだけ笑う。
「男を見る目、養いなさいよ。でないと、私みたいに苦労するわよ」
「……分かった」
「真面目ね。嫌いじゃないわよ」
荷物を持ち上げる。
「またどこかで会ったら一緒に飲みましょ」
「お酒はあまり……」
「そういう子に飲ませてみたいのよ」
くすっと笑ってから、ヴァルクの前に立つ。
目線を合わせるように、見上げる。
荷物を足元に置く。
次の瞬間……少し背伸びをし、腕を首に回した。
軽く、唇を合わせる。
ほんの一瞬。
ヴァルクの目がわずかに開く。
すぐに離れる。
「好きだったわ……じゃあね」
風みたいに去っていく。
――沈黙。
リゼは視線を逸らす。
心臓がやけにうるさい。
何も言えない。
ヴァルクは何事もなかったように歩き出す。
「行くぞ」
「えっ……ちょっと待って……!」
慌てて追いかける。
街の中、人の流れ、いつもと変わらない賑やかな声……
でもリゼの足元はどこかおぼつかない。
小さな石に躓く。
「うわっ」
どこか心ここにあらずのように。
男が二人、近づいてくる。
やけに距離が近い。
酒の匂いも漂ってきた。
「ねえ、ちょっとおねえさん〜大丈夫?」
「疲れてそうだよ。ちょっと休んだほうがいいんじゃない?」
「いいところ知ってるんだ、行こうよ」
次の瞬間。
ぐるんっ!!
男が宙を舞う。
ドォン!!
屋台に激突。果物がばらばらと飛び散る。
もう一人の男は、もう見えなくなっていた。
周囲の視線が一斉に集まる。
リゼがゆっくり振り返る。
壊れた屋台、倒れている男、怒っている店主。
「あ……」
顔が青くなる。
ヴァルクが横で見ている。少し面白そうな顔。
「……またか?」
「またなの!?」
リゼが叫ぶ。
頭を抱える。
「ああっ!!また借金!?」
「そうだな」
軽く言う。
「まだまだ働いてもらわないとな」
「やだああああ!!」
叫びが街に響いた。
その日の夜、突然思い出す。
「あっ……あの石…置いてきちゃった……」
「あれで少し減ったはずなのに……」




