第二話 減らない借金と、今日も騒がしい一日
短編3話
リゼ×ヴァルク×猫
ある日の昼下がり。
夏の日差しが、石畳の通りを白く照らしていた。
じり、と焼けるような熱が足元から伝わってくる。
乾いた足音が、規則正しく響く。
「今日は三件だ」
帳簿を閉じながら、ヴァルクが言う。
「少ないね」
「その代わり面倒だな」
「やだなあそれ」
リゼは軽く肩を回しながら、空を見上げた。
「まあでも、ちゃんとやるよ。今日は真面目に」
「毎回言ってるな、それ」
「今日は違うって!」
そう言って、胸を張る。
嫌な予感しかしない。
◇
最初の一件。
路地裏の奥、小さな屋台。
「おや、お客さん」
白い布を被った占い師が、にこりと笑う。
机の上には、水晶玉と、怪しげな壺。
「あなた、運気が落ちてますね」
「え?」
リゼがぴくっと反応する。
「ちょっと待て」
ヴァルクが即座に口を挟む。
「最近、周りとの距離感が変わってきていますね」
「……っ」
「この壺を持てば、金運と恋愛運が上がります」
「ほんとに!?」
「買うなよ」
即答だった。
「え、でもちょっと気になるし」
「借金あるやつが増やしてどうする」
「……あ」
固まる。
占い師が残念そうに肩を落とした。
「またのお越しを」
「こいつはもう来させない」
ヴァルクが、即座に言い切る。
「お前は、利子だけ返せ」
「……はい……」
さっきまでの余裕は消えていた。
占い師は慌てて金を取り出す。
それを受け取ると――
ヴァルクは背を向けたまま、低く言った。
「余計なことするなよ」
一瞬だけ、空気が張り詰める。
占い師は、小さく頷くしかなかった。
◇
二件目。
昼の通り、人通りが多い。
「ねえお姉さん、すごくかわいいね〜」
「良いところあるんだけど、行こうよ」
軽い声。
振り向くと、整った顔の男が立っていた。
だが服装は派手で、どこか落ち着きがない。
「今仕事中で――」
「ちょっとだけでいいからさ〜」
距離が近い。
リゼが一歩引く。
「いや、ほんとに急いでて」
「いいじゃん、きっと楽しいって」
肩に手を回される。
一瞬。
空気が変わる。
「――離して」
低く、抑えた声。
次の瞬間。
ごんっ、と鈍い音がした。
男がその場に崩れる。
「……あ」
リゼが拳を見下ろす。
「やっちゃった」
「……会話しろ」
ヴァルクがため息をつく。
「だって……距離近いし!」
「殴る理由にはならん」
ヴァルクはしゃがみ込む。
倒れた男の懐を、迷いなく探る。
「ちょっと!?何してるの!?」
「回収だ」
「え?」
小さな袋を取り出す。
中身を確認して、軽く数える。
「……利子分だな」
「え、この人……?」
「今日のニ件目」
あっさり言う。
「先に見つけただけだ」
「えぇ……」
呆れる。
ヴァルクはポケットから紙を取り出す。
その場で簡単に書きつける。
しゃ、とペンが走る音。
紙を折って、男の胸元に差し込んだ。
「……はい?」
「領収書だ」
当然のように言う。
「いや、そこちゃんとするんだ!?」
「後で揉めるのは面倒だ」
立ち上がる。
「行くぞ」
「え、放置!?」
「生きてる」
確かに、微かに呼吸している。
「……まぁ、いいけど……」
リゼは少しだけ男を見る。
それからヴァルクの背を追った。
「……結果オーライ?」
「違う」
◇
三件目。
少し静かな住宅街。
夏の熱が、ゆっくりと地面から立ち上っている。
蝉の声が遠くで響き、空気は重く、まとわりつくようだった。
リゼは額の汗を手の甲で拭う。
そのまま、古びた家の前で立ち止まる。
ヴァルクが扉を叩く。
軋む音と共に、ゆっくり開いた。
疲れた顔の男。
その奥――
小さな女の子が、布団の中で横になっている。
「……っ、げほ……っ」
苦しそうな咳。
呼吸が浅い。
空気が、一瞬だけ重くなる。
「……すみません」
男が、頭を下げた。
「まだ、全部は返せなくて」
リゼの表情が、わずかに揺れる。
「その子……」
「薬が必要で」
静かな声だった。
「……そっか」
リゼは、少しだけ視線を落とす。
それから――
ヴァルクの袖を、くいっと引いた。
「ねえ」
小さな声。
「利子、ちょっと下げてあげられない?」
「無理だな」
即答だった。
「なんで!?」
「ルールだ」
「でも――」
「例外は作らねえ」
迷いがない。
リゼが、ぐっと言葉を飲み込む。
しばらく黙ってから、顔を上げる。
「……じゃあ私が払う」
「は?」
「アルバイトするから」
「やめろ」
即答。
「できるって!」
「その顔、ろくな方向に行かねえやつだ」
「どういう意味!?」
そのまま、くるっと踵を返す。
「おい」
止める間もなく、外へ出ていく。
「……ほんとに行きやがった」
ヴァルクが、小さく息を吐く。
しばらくして。
街を彷徨うリゼ。
夏の熱気と人混み。
少し怪しい繁華街……呼び込みの声。
薄手の白いシャツに、動きやすいショートパンツ。
腰には剣。
長い脚と軽装が目を引く、いかにも“目立つ”格好をしたリゼは、周囲から浮いて注目を浴びていた。
少し日暮れ前のまだこれから店を開けようとしている夜の店たち。
男達はまばらで、普段は無いめずらしい様子に興味津々の目を向けていた。
スカウトらしき男達がリゼに、熱心に声をかける。
「お姉さん、仕事探してるの?」
「お姉さんなら、ここすごく稼げるよ」
「ちょっと入ってみてよ。体験だけでもいいからさ」
追いついたヴァルクが、無言で腕を掴んで引っ張って行く。
少し離れた所でリゼが話しかける。
「ねえ、あれどう思う?」
指差した、さっきいた場所。
赤い派手な看板。
妙にキラキラしている。
あの男たちが手を振っている。
「稼げるんだって。しかも体験でもお金もらえるって」
リゼが、真剣な顔で指差す。
「やめろ」
即答。
「でもすごく稼げそうじゃない?」
「やめとけ」
「短時間で――」
「やめろって言ってる」
三回目で――肩を、掴まれる。
ぐっと引き寄せられる。
「……何やってる」
低い声。
「あれがどんな店か、分かって言ってるのか」
見上げると、ヴァルクの灰色の瞳が、すぐ近くにあった。
夏の熱気とは違う、逃げられない熱。
リゼが、少しだけしょんぼりとする。
「知らない」
正直だった。
「お酒とか飲むの? それとも踊る?」
「違う」
「え、違うの?」
「違う意味で面倒だ」
じっと見下ろされる。
「……ほんとに分かってねえな」
「でも……」
小さく言う。
「早く返してあげたくて……」
沈黙。
ヴァルクの視線が、少しだけ緩む。
「……あの親子のためか」
「……うん」
小さく頷く。
しばらくの間。
風だけが、通り抜ける。
ヴァルクが、深く息を吐いた。
「……利子、少しだけ下げる」
「え」
リゼが顔を上げる。
「ほんとに?」
「今回だけだ」
一歩、近づく。
「次、同じこと言ったら――」
わずかに口元が歪む。
「あの店、連れていくぞ」
「え!?なんで!?」
「自分で体験した方が早いだろ」
「なんか、絶対やだ!!」
慌てて首を振る。
「……だろうな」
小さく笑う。
「だからやめろ」
リゼが一瞬止まる。
それから――
「……うん」
小さく頷く。
ぱっと、笑う。
「ありがとう」
その顔を見て。
ヴァルクは、小さく息を吐いた。
「……面倒なやつだ」
でもその声は、ほんの少しだけ柔らかかった。
リゼは一瞬だけきょとんとして――
「それ、褒めてる?」
「違う」
即答。
「えぇ!?」
でも。
少しだけ嬉しそうに、笑った。
◇
やっと店に戻って来た。
木の扉が静かに閉まる。
いつもの匂い。
帳簿と、紙と、インク。
「はぁ―つかれた……」
リゼがソファに崩れ落ちるように座った。
その横で。
「みゃあ」
猫が軽く鳴いた。
「来い」
ヴァルクが自然に手を出す。
猫がひょいと乗る。
膝の上で、丸くなって喉を鳴らす。
ごろごろと、低い音。
そのまま。
ヴァルクは片手で帳簿をめくりながら、もう片方で猫を撫でている。
無意識。
完全に無意識。
「……」
リゼがじっと見る。
「なにそれ」
「なんだ」
「顔」
「普通だ」
「普通じゃない」
細い目で見つめる。
「……ミャオ」
真似する。
ヴァルクがびくっと顔を上げる。
「……は?」
その反応を見て、リゼが吹き出す。
「ひっかかった」
「くだらん」
でも猫は逃げない。
満足そうに目を閉じている。
そのとき。
ガチャッ、と勢いよく扉が開いた。
「おい!いるか――」
大きな声。
次の瞬間。
猫が跳ねた。
「みゃっ!」
ばさばさばさっ!
書類が舞う。
「ちょっ――!」
机の上が一瞬で崩壊する。
紙が床に散らばる。
「……あー……」
リゼが頭を抱える。
ヴァルクが、ゆっくり立ち上がる。
椅子が、わずかに軋む。
それだけで――
部屋の空気が、変わった。
来客を見て、視線が落ちる。
ただそれだけなのに、
喉元を掴まれたみたいに、息が詰まる。
音が、消える。
逃げ場のない、重さ。
「……出ていけ」
低い声が、静かに落ちる。
「え?」
一歩、踏み出す。
床が、鈍く鳴る。
「静かに入れ」
声は変わらない。
だが――
さっきより、確実に低かった。
来客が青ざめる。
「す、すみません!」
そのまま逃げていった。
静寂。
床一面の紙。
猫は何事もなかったように、また丸くなる。
「……」
リゼがゆっくり口を開く。
「これ、どうするの」
「お前がやれ」
「なんで!?」
「お前のせいだろ」
「猫でしょ!?」
「管理不足だ」
「ひどい!!」
叫びが店に響く。
翌日。
扉の前に、紙が一枚貼られていた。
「静かにノックしろ。さもないと――」
「外して!!」
リゼが全力で剥がした。
その後ろで。
猫がのんびりとあくびをした。




