番外編 減らない借金と、幸せのかたち
幼い頃、「守れることが強さだ」と教えてくれた大切な友人――ノア。
そんな彼女から届いた、一通の結婚式の招待状。
これは、幸せそうに笑う友人と、少しずつ“帰る場所”になっていく二人の物語。
春の陽射しが、白い石畳をやわらかく照らしていた。
街の教会へ続く道には、小さな花が並べられている。
風が吹くたび、花びらがふわりと舞った。
「……なんか緊張する」
リゼが小さく息を吐く。
淡い青紫のドレス。
腰のあたりを細く絞った、動けば軽やかに揺れる生地。
肩は少しだけ開いていて、普段より大人びて見えた。
いつものポニーテールではなく、今日はプラチナブロンドの髪をゆるく編み込んで下ろしている。
後ろで結ばれているのは、淡い紫のリボン。
昔、ノアにもらったものだった。
首元には、細い銀鎖のネックレス。
胸元で、小さな青灰色の石が静かに揺れている。
普段は落ち着いた灰色なのに、光を受けると淡く青く滲む。
まるで、水面の奥に沈んだ光みたいだった。
「変じゃない?」
裾を軽く摘んで振り返る。
返事がない。
「……ヴァルク?」
視線を向ける。
ヴァルクの目が、一瞬だけ止まっていた。
黒に近い濃紺のスーツ。
無駄のない仕立てが、鍛えられた体格を余計に際立たせている。
普段ラフな格好ばかり見ているせいか、妙に目を引いた。
ネクタイだけが、リゼのドレスと同じ青灰色だった。
「……いや」
ヴァルクが短く返す。
「似合ってる」
低い声。
リゼの頬が少しだけ熱くなる。
「ヴァルクも……すごい似合ってる」
「そうか」
あっさり返す。
でも、少しだけ口元が上がっていた。
◇
教会の鐘が鳴る。
高く澄んだ音が、春の空へゆっくり広がっていく。
白い花。
祭壇へ続く赤い絨毯。
色とりどりのステンドグラスから、柔らかな光が差し込んでいた。
静かな空気の中。
祭壇の前には、ノアが立っていた。
ふわりと広がる純白のドレス。
細かな刺繍が光を受けて淡く輝いている。
隣には新郎。
細身で背の高い男だった。
銀縁の眼鏡を掛けていて、穏やかな空気を纏っている。
ノアを見る目が、とても優しい。
「……綺麗」
リゼが小さく呟く。
その声に、ノアが振り向いた。
ぱっと笑う。
昔と変わらない笑顔。
でも、あの頃より少しだけ大人びていて――
今は誰かの隣で、幸せそうに立っていた。
「リゼ!」
今にも駆け寄ってきそうな勢いだった。
その瞬間。
「ノアせんせー!」
小さな子供たちが、わっと集まる。
花束を抱えたまま、次々ノアへ飛びついていた。
「今日はすっごくきれい!」
「おめでとう!」
ノアがしゃがみこんで笑う。
「ありがとう」
その顔が、昔リゼへ向けていた笑顔と少し重なった。
子供たちに囲まれて笑う姿は、
手紙で聞いていた“先生のノア”そのままだった。
「……なんか、すごい先生っぽい」
リゼが少し目を細める。
ノアが吹き出した。
「なにそれ」
「リゼに憧れてたから」
「えぇ!?私!?」
「守れる人になりたかったの」
静かな声だった。
リゼが少しだけ息を止める。
その時。
ノアの視線が、ふとリゼの髪へ向いた。
「……そのリボン、まだ使ってくれてたんだ」
リゼが瞬きをする。
「え?だってお気に入りだし」
当たり前みたいに言う。
ノアが少しだけ目を細めた。
「……そっか」
嬉しそうだった。
少し離れた場所で、ヴァルクがその様子を黙って見ていた。
◇
式が始まる。
静かな音楽が、教会の中へゆっくり広がっていく。
誓いの言葉。
重なる手。
柔らかな祝福の鐘。
幸せそうに笑うノアを見た瞬間。
リゼの目から、ぽろっと涙が落ちた。
白いベール越しに笑う顔が、
昔、小さなぬいぐるみを抱きしめて泣いていた女の子と重なる。
――忘れないでね。
幼い日の声が、ふっと胸をよぎった。
「っ……」
慌てて拭う。
でも止まらない。
「お前……」
隣でヴァルクが少し呆れた声を出す。
「だ、だって……っ」
鼻をすすりながら笑う。
「ノア、すごい幸せそうで……」
ヴァルクが小さく息を吐く。
それから、無言でハンカチを差し出した。
「……ほら」
「うん……ありがと……」
リゼは鼻をすすりながら受け取る。
白い花びらが舞う。
祝福の拍手。
幸せそうに笑うノア。
隣で優しく微笑む新郎。
その光景が綺麗すぎて、また涙が滲んだ。
「っ……だめ、ほんと無理……」
小さく呟きながら目元を押さえる。
数分後。
ぐしゃぐしゃになったハンカチを見て、リゼがはっとした。
「あ……」
端を摘んで、おそるおそる見上げる。
「洗って返すね……」
少し申し訳なさそうな声。
ヴァルクはその顔を見て――ふっと笑った。
「泣きすぎだろ」
低い声。
でも、完全に笑っている。
「だ、だってぇ……」
リゼがまた目元を押さえる。
ヴァルクは小さく喉を鳴らしたあと、
ぽん、と肩へ軽く手を置いた。
宥めるみたいに、親指でそっと腕を擦る。
大きな手の熱が、
薄いドレス越しにじわりと伝わった。
「……分かったから」
低い声。
リゼが少しだけ笑う。
「……うん」
その様子を見て、ノアが静かに目を細めた。
◇
夕方。
教会の外では、そのまま小さな祝宴が開かれていた。
庭には灯りが吊るされ、春の風に揺れている。
料理の香り。
グラスの触れ合う音。
笑い声。
幸せな空気が、静かに満ちていた。
リゼは、教え子たちに囲まれているノアを眺める。
「ノアせんせー!」
「これ食べていい!?」
「先に挨拶してから、一緒に食べましょうね」
困ったように笑いながらも、ちゃんと子供たちを見ている。
その姿が、なんだか嬉しかった。
「……なんか、ノアっぽい」
ぽつりと漏れる。
「そうか?」
隣でヴァルクがワインを飲みながら返す。
「うん。優しい先生って感じ」
「まあ、向いてそうではある」
短い返事。
でも否定はしない。
その時。
楽団の音楽が、ゆるやかに変わった。
周囲で、何組かが踊り始める。
リゼがちらりとヴァルクを見る。
「……踊る?」
小さく聞く。
ヴァルクは少しだけ眉を上げた。
「踊りたいのか」
「……ちょっとだけ」
小さく笑う。
ヴァルクが手を差し出した。
「なら来い」
その手を取る。
大きな手だった。
音楽に合わせて、一歩近づく。
腰へ回された腕に、
自然と熱を意識してしまう。
「ヴァルク近い……」
リゼが小さく抗議すると、
ヴァルクが少しだけ屈んだ。
「踊ってるんだから当たり前だ」
低い声が、耳元へ落ちる。
吐息がかすかに触れて、
リゼの肩がぴくりと揺れた。
ヴァルクはそれを見て、
ほんの少しだけ口元を上げる。
完全に、分かってやっていた。
「力抜け」
低い声。
そのまま、音楽に合わせて自然に足を運ぶ。
ヴァルクの動きは滑らかだった。
慣れている。
リゼが少し目を丸くする。
「……ヴァルク、上手いね」
「まあな」
あっさり返す。
悔しいくらい様になっていた。
音楽に合わせて、ドレスがふわりと揺れる。
その時。
ヴァルクの視線が、ふと止まった。
下ろしたプラチナブロンドの髪。
淡い紫のリボン。
首元で揺れる青灰色の石。
幸せそうに笑う顔。
「……似合ってるな」
ぽつりと落ちた声。
リゼが瞬きをする。
「え?」
ヴァルクはそれ以上言わない。
でも、視線だけは逸らさなかった。
リゼの頬が少しだけ赤くなる。
「……ありがと」
小さく返す。
そのまま少しだけ距離が縮まる。
ヴァルクの肩越しに、ノアがこちらを見ていた。
目が合う。
ふっと笑われる。
全部分かっているみたいな顔だった。
◇
帰り道。
馬車が静かに揺れる。
窓の外には、夜の灯り。
さっきまでの賑やかな音が、少しずつ遠ざかっていく。
リゼがぽつりと呟いた。
「……結婚式、素敵だったね」
リゼがぽつりと呟く。
「ああ」
短い返事。
馬車の車輪の音だけが、静かな夜道へ響いていた。
少し沈黙。
「ヴァルクって、家族いるの?」
静かな声だった。
ヴァルクは少しだけ黙った。
「……まあ、いた」
低い声。
「親は昔いなくなった」
さらっと言う。
「そのあと、変なS級冒険者に拾われた」
リゼが少し瞬きをする。
「変な人?」
「ああ」
ヴァルクが少しだけ笑った。
「世界中ふらふらしてるやつだった」
「でも強かった」
それだけ。
なのに、不思議と信頼していたのが分かる。
「……そっか」
リゼが小さく頷く。
それから、少し笑った。
「でも、ヴァルクが今ちゃんとしてるの、その人のおかげなんだね」
ヴァルクが少しだけ目を細める。
「どうだかな」
ヴァルクが小さく息を吐く。
否定はしなかった。
馬車がガラガラと音を立てて走っている。
静かな夜。
窓の外を、街の灯りがゆっくり流れていく。
リゼがそっとネックレスへ触れた。
胸元で、小さな青灰色の石が揺れる。
指先へ、ひんやりした感触が伝わった。
リゼは窓の外を見ながら、そっと笑う。
――こんな風に、
誰かと並んで生きていくのも悪くないのかもしれない。
そんなことを、少しだけ思った。
その時。
馬車が大きく揺れる。
「わっ」
身体が傾いた。
そのまま、隣のヴァルクの腕へ軽くぶつかる。
硬い。
鍛えられた腕だった。
「……ごめん」
ヴァルクが小さく視線を向ける。
「いい」
短く返す。
離れようとして――
不意に、ぐっと軽く引き寄せられた。
「……え」
ヴァルクが少しだけ腕の位置をずらす。
凭れやすいように。
今度は自然と、その腕へ寄りかかる形になった。
「揺れるからな」
低い声。
リゼが少しだけ目を丸くする。
それから、小さく笑った。
「……ふふ。ありがと」
ヴァルクは目を閉じたまま、小さく息を吐く。
「寝ててもいいぞ」
静かな声。
馬車がゆっくり揺れる。
規則的な振動と、隣から伝わる体温。
その距離が、不思議と心地よかった。
――こんな風に、
誰かと並んで生きていくのも悪くないのかもしれない。
そんなことを、目を閉じながら少しだけ思う。
隣では、ヴァルクが静かに目を閉じていた。
触れ合った腕から、
じんわりと体温が伝わってくる。
硬いはずなのに、
不思議と安心する温度だった。
馬車は夜の街を、ゆっくり進んでいった。
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