第十五話 減らない借金と、帰る場所
扉を開ける。
――いた。
暗い部屋の奥。
ヴァルクが、腕を組んだまま椅子に座っていた。
窓から差し込む月明かりだけが、ぼんやりとその輪郭を浮かび上がらせている。
机の上には書類が広がっていた。
けれど、ほとんど進んでいない。
インクも乾いている。
待っていたのが分かる。
部屋の空気は静かで――妙に重かった。
「……あれ? 電気つけないの?」
リゼが小さく首を傾げながら扉を閉める。
ヴァルクは答えない。
ただ、ゆっくり目を開けた。
暗がりの中で、金色の瞳だけが静かに光る。
「……随分遅かったな」
低い声。
静かなのに、妙に胸へ落ちる。
リゼは少しだけ視線を逸らした。
酒場の熱がまだ身体に残っている。
頬が少し熱い。
「……ごめん」
ヴァルクは小さく息を吐く。
それから、椅子から立ち上がった。
ゆっくり、一歩近づく。
「で?」
短い声。
「答えは出たのか」
逃げ場を塞ぐみたいな声音だった。
リゼの心臓が跳ねる。
でも、不思議と怖くはない。
ヴァルクは真っ直ぐこちらを見ていた。
怒っているわけじゃない。
ただ、静かに待っている。
リゼは小さく息を吸う。
「今日、告白された」
正直に言う。
「好きだって」
「一緒に来てほしいって」
沈黙。
窓の外で風が鳴る。
ヴァルクが、わずかに目を細めた。
「……初恋の男、か」
小さく落ちた声。
けれど、目は笑っていない。
リゼは少しだけ困ったように笑う。
「うん」
ヴァルクが視線を逸らす。
ほんの短い沈黙。
それから。
「……それで?」
静かな声。
「お前はどうする?」
その言葉に、リゼの胸が少し熱くなる。
選べと言ってくれている。
でも。
逃がす気もない。
そんな声だった。
リゼはゆっくり顔を上げる。
「ちゃんと選びたいって思ったの」
静かな声。
「どんな人と一緒にいたいのか」
「誰と、これから歩いていきたいのか」
月明かりが、金髪を柔らかく照らしている。
「湖で別れた時、自然に思ったの」
小さく息を吐く。
「帰ろうって」
ヴァルクの目が、わずかに揺れる。
「それが誰のいる場所なのか、もう分かってた」
静寂。
互いの呼吸だけが、静かに重なる。
ヴァルクがゆっくり近づく。
距離が近い。
触れそうなくらい。
低い声が落ちる。
「……気に入らないな」
ぽつりと。
自分でも隠す気がないみたいに。
リゼが少しだけ目を丸くする。
ヴァルクが目を細めた。
「お前が他の男といるの」
静かな声。
でも、真っ直ぐだった。
「……好きだ」
低く。
はっきりと。
誤魔化さない声。
リゼの呼吸が止まる。
ヴァルクが、さらに近づく。
「だから、俺のそばにいろ」
その言葉が、胸の奥へ真っ直ぐ落ちる。
リゼの目が揺れた。
それから、少しだけ笑う。
「……うん」
小さく頷く。
その瞬間。
足元から猫が勢いよく割り込んできた。
「みゃー!」
空気が崩れる。
リゼが思わず吹き出した。
ヴァルクが深くため息をつく。
「……お前なぁ」
しゃがみ込み、猫を片手で抱き上げる。
猫は満足そうに喉を鳴らした。
そのまま、もう片方の手でリゼの腰を引き寄せる。
近い。
逃がさないみたいに。
ヴァルクが静かに顔を寄せる。
唇が重なった。
優しく。
でも、確かめるみたいに深く。
長いキスだった。
離れる。
近すぎる距離で目が合う。
呼吸だけが静かに混ざる。
どちらからともなく――笑った。
窓の外では、春の夜風が静かに吹いている。
もう、迷わなくていい。
そう思えた。
◇
数日後。
昼下がり。
店の中には、いつもの静かな空気が流れていた。
窓から入る春風が、机の書類をぱらりと揺らす。
外からは、賑やかな街の声。
焼き菓子の甘い匂い。
猫は日の当たる場所で丸くなって眠っている。
平和だった。
ヴァルクは机に向かったまま、淡々と書類へ目を通している。
リゼは向かいのソファで、頬杖をつきながらぼんやりその姿を見ていた。
付き合い始めた――とはいえ。
何かが急に変わるわけでもない。
相変わらず無愛想だし。
仕事中は仕事しか見えてないし。
でも。
時々ふと視線が合うだけで、妙に落ち着かなくなる。
リゼが小さく息を吐いた、その時だった。
ヴァルクが書類を見たまま、さらっと口を開く。
「借金は、一生残ったままだからな」
「え?」
リゼが顔を上げる。
ヴァルクはペンを走らせたまま続けた。
「お前は俺のものだ」
一拍。
「えーーー!?」
店の中に声が響く。
猫がびくっと耳を動かした。
「な、なにそれ!? 横暴じゃない!?」
「事実だろ」
「どこが!?」
「借金残ってる」
「そういう意味じゃないでしょ!?」
リゼが勢いよく立ち上がる。
ヴァルクはようやく顔を上げた。
その口元が、ほんの少しだけ笑っている。
絶対わざと言ってる。
「返済は一生かけて働け」
「ブラック職場すぎる!!」
「逃げるなよ」
ぼそっと付け足される。
その声が妙に低い。
リゼの顔が一気に赤くなる。
「そ、それ今言う!?」
ヴァルクは返事をしない。
ただ、肩が少しだけ揺れていた。
笑っている。
「うわ、絶対楽しんでる……!」
抗議するリゼの膝へ、猫がぽすっと飛び乗る。
「みゃ〜」
「お前だけだよ味方は……」
抱きしめる。
猫は満足そうに喉を鳴らした。
ヴァルクがそれを見て、小さく鼻で笑う。
窓の外では、春の風が静かに街を抜けていく。
騒がしくて。
少しだけ甘くて。
でも、悪くない日常。
ヴァルクがふと顔を上げる。
その視線がぶつかる。
ほんの少しだけ、空気が止まる。
リゼが照れたように笑った。
ヴァルクも、小さく目を細める。
言葉はない。
でも、それだけで十分だった。
二人の物語は、まだ終わらない。
Season2 完結
これでやっとハッピーエンドになりました。
完結です。 いかがでしたでしょうか?
楽しく書けて、キャラクターも沢山出てきたので整理しながら書くのちょっと大変でした。
でも、みんな生き生き動いてくれたのでたのしかったです。
まだまだ未熟な作品ですが、のんびり次も頑張りたいです。
気に入っていただけましたらブックマーク、メッセージ等お待ちしております。 HANABI




