第十四話 減らない借金と、選んだ距離
ハルト&リゼ&ヴァルク
春の光が、街の色を少しだけ明るくしていた。
冷たさの抜けた風が頬を撫でる。
店先からは焼き菓子の甘い匂いが漂い、人々の笑い声が通りをゆるく満たしている。
どこか、いつもと同じで――少しだけ違う日だった。
昼下がり。
店の前。
ヴァルクとリゼが並んで立っている。
そのとき――
「……リゼ」
後ろから、不意に声がした。
春風に紛れて届いたその声に、リゼの足が止まる。
振り向く。
――一瞬で分かった。
「……ハルト?」
リゼの声が、少しだけ上ずる。
次の瞬間。
迷いなく駆け出した。
石畳を蹴る音。
揺れる髪。
春風が、一気に頬を抜けていく。
「久しぶり〜!」
そのまま、勢いよく抱きつく。
「おい」
ヴァルクの低い声。
でも、止まらない。
ぎゅっと抱きついて――
ふと、違和感に気づく。
(……あれ?)
ゆっくり離れる。
見上げると、ずっと背が高い。
肩幅も広くなっていた。
抱きついた腕の感覚も、昔よりずっと硬い。
記憶の中の少年じゃない。
目の前にいたのは、大人の男だった。
ハルトが軽く笑う。
「久しぶりだな」
春の光が、シルバーの短い髪を淡く照らす。
濃いグレーの瞳は、以前よりずっと落ち着いていた。
ヴァルクの視線が鋭くなる。
ハルトも、一瞬だけ視線を向ける。
言葉はない。
でも――
(……こいつか)
互いに、測っていた。
空気が少しだけ張る。
その変化に、リゼだけが気づいていない。
「なぁ……少し、話さないか」
ハルトが言う。
リゼは頷きかけて――
一瞬だけ、ヴァルクを見る。
「……ちょっと行ってもいい?」
軽く聞く。
ヴァルクは一拍置いた。
春風が、黒い髪を静かに揺らす。
「好きにしろ」
短く返す。
けれど、わずかに眉が寄っていた。
リゼはそれに気づかないまま笑う。
「じゃあ、行ってくる!」
軽い足音が遠ざかる。
ヴァルクは何も言わなかった。
ただ、その背中を黙って見ていた。
◇
馬で、街を離れる。
蹄の音が乾いた土を叩き、風が勢いよく頬を抜けていく。
春の草の匂い。
遠くで鳥が鳴いていた。
少し走った先。
街はずれの湖へ辿り着く。
湖面が、春の光を細かく反射して揺れていた。
風が吹くたび、水面に小さな波紋が広がる。
馬を止め、並んで立つ。
少しの沈黙。
水の音だけが、静かに響いていた。
「懐かしいな〜」
ハルトが言う。
「うん」
リゼが笑う。
それだけで、空気が柔らかくなる。
昔話が始まる。
訓練のこと。
任務のこと。
くだらないやり取り。
「あの時も、お前真っ先に突っ込んでたよな」
「だって間に合うと思ったし!」
「思うな」
「でも間に合ったじゃん!」
自然に笑い合う。
風が吹き、湖畔の草を揺らしていく。
まるで、離れていた時間なんて最初からなかったみたいだった。
でも。
少しずつ、空気が変わる。
ハルトが息を吐く。
視線を落とし、それからゆっくり上げた。
「……あれから、俺すごく努力したんだ」
静かな声。
リゼの表情が少しだけ変わる。
「リゼの事が忘れられなかったから」
まっすぐだった。
逃げない声。
湖を渡る風が、一瞬だけ止まった気がした。
「何度か、諦めて他の女性と付き合ったりしたけど」
少しだけ笑う。
「やっぱり隣りにいるのは、リゼがいいって思った」
一歩、近づく。
足元の草が小さく鳴る。
「だから会いに来たんだ」
静かな湖。
揺れる水面。
「今、お前の隣には誰かいるのか?」
リゼの視線が揺れる。
「……」
一瞬。
頭に浮かんだのは、呆れたみたいに息を吐く顔だった。
低い声。
不器用な優しさ。
気づけば、真っ先に思い出していた。
「さっきの、あいつ?」
ハルトが続ける。
「そいつはリゼの事どう思ってるんだ?」
リゼは小さく首を振る。
「分からない」
正直に言う。
「そうか」
ハルトの表情が少しだけ柔らかくなる。
「俺なら大事にする」
はっきりと。
「お前がいたから俺は頑張れたんだ」
一歩、踏み込む。
「だから俺の傍にいてくれない?」
迷いのない言葉。
「勇者になったお前が誇らしいし、守ってやりたいと思ってる」
静かな風が吹く。
リゼは少しだけ目を伏せた。
湖面が揺れる。
「……私は」
言葉を探す。
「今まで、自分の為にみんなの事守ってきたんだと思う」
ゆっくり。
一つずつ。
「自分が嫌だから」
息を吐く。
「もちろん父に守りなさいって言われたことも大事にしてた」
「でも違うんだ」
顔を上げる。
「ヴァルクは、私を守ってくれる訳じゃない」
ハルトの目が、わずかに動く。
「助けてくれるだけじゃないけど、隣で見守っててくれるんだ」
風が、金髪を揺らす。
「私が、私らしくあれるように」
静かに。
でも、はっきりと。
「だから自分で選ばなきゃいけないと思ってる」
「どんな人と一緒に歩きたいか」
「どんな人と笑って泣いて、それでも傍にいたいのか」
一歩、距離を取る。
「だからごめん」
「一緒には行けない」
「まだ、ここでやらなきゃいけないことがあるから」
でも……
少しだけ、表情が柔らかくなる。
「でも、会いに来てくれて嬉しかった」
「ハルトが頑張ってるのも応援してる」
「ありがとう」
静寂。
風が湖を渡っていく。
ハルトが、ふっと笑う。
「そんなはっきり言われたら、
――もうなんも言えないよな」
少しだけ空を見上げる。
白い雲が、ゆっくり流れていた。
「そっか……」
小さく息を吐く。
「……だよな」
視線を戻す。
「俺も、あいつ見た時、なんとなくそうかなって思ったんだ」
苦笑する。
「でも、俺はお前と帰りたかったし、ずっと好きだったよ」
「だから努力したんだ」
「強くなりたかった」
「お前と一緒にいたかったから」
それから、ぱん、と手を叩く。
空気を切り替えるみたいに。
「よし!」
笑う。
「行くか!」
「馬で、街まで競走しよう!」
いつもの調子。
少しだけ懐かしい。
「酒くらい付き合ってくれるよな?」
「うん」
「俺にもまた、次があるように応援してくれよ」
「行くぞ!」
ハルトが走り出す。
リゼも笑いながら追いかけた。
◇
馬での競走。
結果は――リゼの負けだった。
街へ戻る頃には、夕焼けが石畳を赤く染めていた。
「はは、やっぱ速いな」
ハルトが笑う。
風を切ったせいで、銀髪が少し乱れている。
「負けた〜……」
リゼが悔しそうに頬を膨らませる。
でも、その顔は笑っていた。
そのまま二人で酒場へ入る。
木の扉を開けると、酒と肉の焼ける匂いが一気に流れてきた。
賑やかな笑い声。
グラスのぶつかる音。
夜の酒場特有の熱気が、肌にまとわりつく。
「ほら、奢りだろ」
ハルトが席へ腰掛けながら言う。
「分かってるって」
リゼも笑って向かいへ座った。
運ばれてきた酒を、軽く掲げる。
グラスが触れ合い、小さく澄んだ音が鳴った。
短い時間。
でも、不思議とそれで十分だった。
昔話をして。
笑って。
少しだけ、懐かしい時間に戻る。
店を出る頃には、二人とも少しだけ頬が赤かった。
夜風が、火照った頬を冷ましていく。
「じゃあな」
ハルトが言う。
リゼが頷く。
「うん」
少しだけ間。
でも、どちらも迷わない。
「またな」
軽く手を上げる。
「うん、また」
リゼも笑って手を振り返した。
春の夜風が、静かに二人の間を抜けていく。
もう、追いかけなくてもいい。
そう思えた別れだった。
春の夜風が、静かに髪を揺らしていく。
胸の奥に残っていた淡い痛みも、少しずつ静かに溶けていく気がした。
リゼは小さく息を吐く。
それから、ゆっくり店への道を歩き出す。
夜はもう深く、通りの喧騒も昼間よりずっと遠い。
酒場から漏れる笑い声。
石畳を打つ自分の足音。
ひんやりした空気が、火照った頬を冷ましていく。
――帰ろう。
自然と、そう思った。
扉を開ける。
――いた。
暗い部屋の奥。
ヴァルクが、腕を組んだまま座っていた。
これでやっとハッピーエンドになりました。
完結です。
いかがでしたでしょうか?
楽しく書けて、キャラクターも沢山出てきたので整理しながら書くのちょっと大変でした。
でも、みんな生き生き動いてくれたのでたのしかったてす。
まだまだ未熟な作品ですが、のんびり次も頑張りたいです。
気に入っていただけましたらブックマーク、メッセージ等お待ちしております。
HANABI




