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借金取りの元勇者と、借金まみれの元女勇者 Season2 番外編シリーズ  作者: HANABI


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第十一話 減らない借金と、離れた距離(後編)

焚き火の火が、不安定に揺れる。


その向こう側に広がるのは、底の見えない夜の闇だった。


森の奥から、低く重たい唸り声がゆっくりと近づいてくる。


地面がわずかに震えた。


乾いた木々がざわめき、冷えた空気が肌を刺す。


「来るぞ」


リーダーの低い声が飛ぶ。


その瞬間、場の空気が一変した。


武器を掴む音。

鞘が擦れる音。

押し殺した呼吸。


張り詰めた緊張が、夜気の中へ一気に広がっていく。


リゼが一歩前へ出た。


焚き火の赤い明かりが、その横顔を淡く照らす。


「三手に分かれる。正面はリーダー、右は私。左はそっち二人」


迷いのない声だった。


そして、一瞬だけヴァルクを見る。


「……手、出さなくていいから」


短く言う。


「これは、私の仕事」


ヴァルクは何も答えない。


頷きもしない。


ただ静かに視線だけを向ける。


(……好きにしろ)


細められた目だけが、獲物を狙う獣みたいに鋭かった。


次の瞬間。


闇を突き破るように、ワイルドベアが三頭なだれ込んでくる。


木々を揺らし、地面を震わせながら迫る巨体。

獣臭を含んだ熱い息が、冷えた夜気を押し潰した。


リゼは深く膝を曲げる。


次の瞬間、地面を蹴った。


弾かれたように体が前へ飛ぶ。

風を巻き起こしながら、一瞬で距離を詰め、そのまま横へ跳んだ。


鋭い爪が、髪先を掠める。


着地と同時に剣を振るう。


水を纏った刃が、夜気を裂いた。


――だが。


目の前のワイルドベアが、巨体に似合わない速度で跳び上がる。


土が爆ぜる。


さっきまでそこにいたはずの巨体が、一瞬で視界から消えた。


荒い息が、冷えた夜気に白く溶ける。


喉が焼けるように熱い。

それでも、止まれない。


視線を巡らせる。


中央では、リーダーがワイルドベアに押し込まれていた。


左では二人がかりでどうにか耐えている。

だが、長くは持たない。


(……どっち)


判断は一瞬だった。


リゼは迷わず中央へ駆ける。


「下がって!」


割り込むように飛び込み、振り下ろされた爪を弾いた。


甲高い金属音が夜に響く。


リーダーの肩には深い爪跡が走り、滲んだ血が防具を濡らしていた。


骨まで届いていても、おかしくない。


「悪い……!」


苦しそうな声。


「いい、下がって!」


リゼは前へ出る。


正面から、ぶつかる。


剣と爪が噛み合い、ギチギチと嫌な音を立てて軋んだ。


重い。


押し潰すような力が腕へ食い込み、骨の奥まで衝撃が走る。


咄嗟に力を流すように弾き、後ろへ滑る。


土が削れた。


風を巻き起こす。


砂と枯葉が舞い、ワイルドベアの視界を一瞬だけ塞いだ。


その隙に距離を取る。


剣へ水を纏わせる。


渦を描くように魔力が刃へ絡みつき、淡い光が夜闇に滲んだ。


踏み込む。


低く、鋭く斬り込む。


だが、浅い。


裂けた毛皮の奥から、熱い血が飛び散る。


怒号のような咆哮。


次の瞬間、ワイルドベアが巨大な腕を振りかぶった。


リゼは咄嗟に横へ跳ぶ。


ワイルドベアが振り下ろした腕を、リゼは咄嗟に横へ跳んで回避する。


――だが、避け切れない。


鋭い爪が外套を裂き、そのまま横殴りの衝撃が体を吹き飛ばした。


「……っ」


息が詰まる。


背中から地面へ叩きつけられ、雪混じりの土の上を転がった。


鈍い痛みが全身を走る。


それでも、止まれない。


すぐに剣を支えに立ち上がり、乱れた呼吸を無理やり整える。


冷たい空気が肺を焼いた。


(まだ、いける)


震える足に力を込める。


ワイルドベアが咆哮を上げ、再び地面を蹴った。


リゼも前へ踏み込む。


風を纏い、一気に距離を詰める。


――そのとき。


左側。


視界の端に、人影が映った。


一人、倒れている。


もう一人が、必死にワイルドベアを押さえていた。


だが、限界が近い。


その瞬間。


リゼの表情から感情が消えた。


耳鳴りみたいに、周囲の音が遠のいていく。


焚き火の音も。

怒号も。

獣の唸り声さえ、薄く霞む。


(……まだ)


足が動く。


地面を蹴る。


速い。


さっきまでとは比べものにならないほど。


限界を越えたみたいに、体が軽い。


風が爆ぜる。


次の瞬間、リゼの姿が夜の闇へ溶けるように消えた。


「……おい」


ヴァルクの低い声が飛ぶ。


だが、その声は届かない。


リゼはもう止まれなかった。


中央のワイルドベアへ、真正面から突っ込む。


無理な角度。


無理な速度。


限界を越えた踏み込みで、一気に間合いを潰す。


風を纏った刃が、夜気を裂いた。


斬る。


深く、入る。


ワイルドベアの巨体が揺れ、熱い血が飛び散った。


――だが。


その瞬間、生まれた隙。


唸り声とともに、巨大な腕が振り下ろされる。


避けられない。


間に合わない。


「……チッ」


舌打ちと同時に、ヴァルクが動いた。


地面を蹴る。


一瞬で距離を詰め、風みたいに割り込む。


次の瞬間。


衝撃音。


リゼの前で、防御魔法が二重に弾けた。


ヴァルクの障壁と、リゼが咄嗟に張った風の壁。


二つの防御が重なり、ワイルドベアの一撃を強引に逸らす。


凄まじい衝撃が周囲へ吹き荒れ、焚き火の火が大きく揺れた。


「下がれ」


低い声だった。


怒鳴りもしない。


だが、その一言で、リゼの動きが止まる。


張り詰めていた意識が、一瞬だけ現実へ引き戻された。


「……ヴァルク」


かすれた声。


ヴァルクは前を見たまま、短く言い捨てる。


「行き過ぎだ」


それだけで十分だった。


リゼが乱れた呼吸を整える。


熱くなっていた頭が、少しずつ冷えていく。


焦点の戻った目が、ようやくヴァルクを映した。


「……ごめん」


「あとで聞く」


ヴァルクが一歩前へ出る。


その瞬間、剣に炎が宿った。


赤く揺れる魔力が刃を這い、熱を帯びた空気が周囲を歪ませる。


次の瞬間。


複数の火球が夜空へ放たれた。


轟音。


燃え上がる炎がワイルドベアの目前で炸裂し、熱風が森を揺らす。


獣が怯んだ。


咆哮とともに視界を塞ぐように炎が弾け、巨体の動きがわずかに止まる。


「今だ」


低い声。


その瞬間、リゼが動いた。


風を纏い、一気に加速する。


地面を蹴る。


跳ぶ。


さっきまでみたいな無理な踏み込みじゃない。


呼吸を整え、狙いを定めた、冷静な一撃。


水を纏った刃が、一直線に振り抜かれる。


首元へ、深く入った。


鈍い音。


巨体が傾く。


そのまま首が切り落とされ、ワイルドベアが地面へ崩れ落ちた。


中央、沈黙。


残るは一頭。


左側では、まだワイルドベアが暴れている。


押さえていた男の顔には、限界の色が浮かんでいた。


「どけ」


ヴァルクが低く言う。


男の肩を押し下げ、そのまま前へ出た。


真正面。


ワイルドベアが咆哮を上げ、巨大な腕を振り下ろす。


ヴァルクは避けない。


炎を纏った剣で、真正面からぶつかった。


轟、と熱風が爆ぜる。


爪と炎が噛み合い、凄まじい衝撃が地面を揺らした。


それでも押し切る。


火花を散らしながら、ワイルドベアの体勢が崩れた。


その隙に、リゼが横へ回る。


視線が合う。


言葉はいらない。


同時に踏み込む。


炎と水。


二つの刃が交差した。


次の瞬間。


ワイルドベアの巨体が、大きく揺れた。


鈍い音を立てながら、巨体が地面へ崩れ落ちる。


土が跳ねる。

木々が揺れる。

衝撃が、足元から重く響いた。


荒れ狂っていた咆哮が、そこで途切れる。


燃え残った炎が爆ぜ、舞い上がった灰が夜空へ散っていく。


耳の奥では、まだ剣戟と唸り声の残響が暴れていた。


荒い呼吸。

血の匂い。

焦げた毛皮の臭気。


張り詰めていた空気だけが、その場に取り残されている。


――そして。


不意に、音が消えた。


風が木々を揺らす音だけが、静かな夜へ戻ってくる。


静寂が、ゆっくりと落ちていった。


さっきまで響いていた咆哮も、金属音も、もうない。


冷えた夜気の中に、荒い呼吸だけが残っていた。


「……終わったか」


誰かが、力の抜けた声で呟く。


リゼは休む間もなく動いた。


すぐに倒れた仲間の傍へ駆け寄る。


「大丈夫!? しっかりして!」


リゼはすぐに膝をつき、倒れた仲間の傷口を確認する。


深い。


滲み続ける血に、思わず息が詰まりそうになる。


それでも無理やり呼吸を整え、布を押し当てた。


止血。

呼吸。

意識。


震えそうになる指先を押さえ込みながら、覚え込ませた手順を必死に辿っていく。


血で汚れた手が冷たい夜気に晒されても、気にする余裕はない。


「大丈夫、死なないから……!」


自分に言い聞かせるみたいに、小さく呟いた。


「代われ」


低い声。


振り向くと、肩を押さえたリーダーが立っていた。


深い爪傷からはまだ血が滲んでいる。

顔色も悪い。


それでも片膝をつき、傷口へ手をかざした。


淡い光が、掌からゆっくり溢れる。


治癒魔法。


完全に塞ぐほどの力はない。


だが、流れ出ていた血が少しずつ収まり、荒かった呼吸もわずかに落ち着いていった。


「……応急ぐらいならできる」


掠れた声で言う。


リゼはほっと息を吐いた。


「ごめん、お願い」


「お前は休め」


そう言われて、ようやく自分の呼吸も乱れていたことに気づく。


リーダーへ仲間を任せ、リゼはゆっくり立ち上がった。


周囲では、他の冒険者たちもようやく緊張を解き始めていた。


ヴァルクは少し離れた場所から、その様子を黙って見ている。


(……無茶しやがる)


限界を越えていた。


あと少し遅れていれば、危なかった。


それでも。


止めきれなかった自分に、小さく舌打ちしたくなる。


しばらくして、ようやく野営地に落ち着きが戻り始める。


張り詰めていた空気が少しずつ緩み、安堵したような息が漏れた。


焚き火の火が、小さく爆ぜる。


その赤い明かりの向こうから、リゼがゆっくりこちらへ歩いてくる。


頬には乾きかけた血が薄くつき、外套の裾は鋭い爪で裂かれていた。


呼吸はまだ少し荒い。


それでも、無理にいつもの顔を作ろうとしているのが分かった。


「……ごめん」


素直な声だった。


「手伝わせるつもりじゃなかったんだけど」


ヴァルクは肩をすくめる。


「借りだな」


短く返す。


リゼが苦笑した。


「……また増えたな」


「だよね」


リゼは小さく笑って、それからふう、と長く息を吐いた。


張り詰めていた力が、少しだけ抜けていく。


焚き火の火が、静かに揺れる。


その赤い光をぼんやり見つめたまま、リゼは少しだけ視線を逸らした。


どこか迷うような、照れたような仕草。


「……でもさ」


ぽつりと零す。


「悪くないよ」


ヴァルクが視線を向ける。


リゼは困ったみたいに笑った。


「こういうの」


夜風が、二人の間を静かに通り抜けていく。


「ずっと一緒でも、ヴァルクとなら……嫌じゃない」


――その瞬間。


空気が止まった気がした。


焚き火の明かりが、その横顔をやわらかく照らしている。


あまりにも自然に。


まるで、思ったことをそのまま口にしたみたいに。


焚き火の爆ぜる音だけが、やけに大きく響く。


「……お前」


ヴァルクの声が、わずかに低くなる。


細められた視線が、真っ直ぐリゼへ向いた。


「どういう意味か、分かって言ってるのか」


「……え?」


リゼが固まる。


数秒遅れて、自分の言葉を思い返したらしい。


みるみるうちに顔が赤くなっていく。


「い、いや、その……!」


視線が泳ぐ。


指先まで落ち着きなく揺れて、さっきまで魔物と戦っていた時とは別人みたいだった。


「な、なんでもない!」


慌てて誤魔化す。


そのまま勢いよく立ち上がり、逃げるみたいに背を向けた。


「ほら、戻ろ! みんな待ってるし!」


早口。


耳まで赤い。


外套を翻しながら、リゼが逃げるように離れていく。


その背中を、ヴァルクは黙って見つめていた。


焚き火の赤い光が、静かにその横顔を照らす。


細められた目が、獲物を見定める獣みたいに鋭く揺れた。


逃げる背中を追わず、ただ見ているだけなのに。


その視線だけで、じわじわと追い詰めていくような圧がある。


夜風が低く吹き抜け、火の粉がふわりと舞った。


しばらくして。


ヴァルクは小さく息を吐く。


「……逃げるなよ」


低く落ちた声は、獲物を見つけた肉食獣みたいに静かだった。



帰宅後。


静かな部屋には、まだ湯気の残る熱が淡く漂っていた。


先に風呂を出たヴァルクは、濡れた髪を無造作にタオルで拭いている。


そこへ、浴室の扉が静かに開いた。


リゼが出てくる。


湯気を纏うように揺れるプラチナブロンドの髪は、まだしっとりと濡れていて、灯りを柔らかく反射していた。


普段は跳ねるように動く髪も、今は静かに肩へ落ちている。


そのせいか、いつもよりずっと大人びて見えた。


風呂上がりの熱が残っているのか、頬がほんのり赤い。


白い肌にはまだ水滴が残り、細い首筋をゆっくりと伝っていく。


「……」


ヴァルクの手が止まった。


タオルを握ったまま、視線だけがリゼを追う。


一瞬、言葉が出ない。


(……なんだ)


胸の奥が妙にざわつく。


自分でも、理由は分かっていた。


目が離せない。


いつもと同じはずなのに、いつもと違う。


無防備で。


柔らかくて。


やけに、近づきたくなる。


(……やっぱり)


そう思うのに、視線が逸らせなかった。


リゼが気づいて、首を傾げる。


「ん?」


その何気ない声で、ヴァルクはようやく視線を戻した。


「……いや」


短く返す。


けれど、ほんのわずかに口元が緩む。


(……無防備だな)


濡れた髪。

熱の残る頬。

風呂上がりの柔らかな空気。


普段なら気にも留めないはずなのに、妙に意識を持っていかれる。


(……これは)


「なぁ」


低く呼ぶ。


リゼが振り向いた。


「えっ……何?」


一歩、近づく。


反射みたいにリゼが下がろうとする前に、その腕を掴んだ。


軽く引き寄せる。


一気に距離が縮まる。


「今日のあれ、どういう意味だ」


逃がさない。


視線を逸らさせない。


リゼの肩が小さく跳ねた。


「え、いや……その……」


顔が熱を持っていくのが、自分でも分かる。


言葉が出ない。


ヴァルクはその反応を見つめたまま、静かに口を開く。


「俺は」


一瞬だけ、言葉を探すように視線を落とした。


「……最初、面倒だなって思ってた」


リゼが少しだけ眉を寄せる。


「でも」


続く声は、思ったよりも穏やかだった。


「危なっかしくて、放っとけねえし」


「目の前にいないと、調子狂う」


まっすぐな言葉。


飾りも誤魔化しもない。


「だから」


ヴァルクは細めた目でリゼを見る。


「一緒にいるのは、悪くないと思ってる」


静かな声だった。


リゼが小さく息を呑む。


「それって……どういうこと?」


問い返す声は、少し震えている。


ヴァルクはほんの少しだけ口元を歪めた。


「はっきり言わなきゃ、分かんねえか」


獲物を追い詰めるみたいな目。


逃げ道を塞ぐくせに、最後までは言わない。


「……お前が借金返し終わったら」


リゼの目が大きく見開かれる。


「言ってやる」


低い声。


「それまでは働け」


沈黙。


それから――


「……逃げるなよ」


付け足すみたいに落ちた声が、やけに近かった。


「……ずるい」


小さく漏れる。


ヴァルクがわずかに眉を動かした。


「……分かってて言ってるでしょ」


拗ねたみたいな声。


それでも、リゼは視線を逸らさない。


近い。


触れられそうなほど近いのに、まだ触れてはいない。


その曖昧な距離のまま、二人の間の空気だけが静かに変わっていく。


窓の外では、夜風が小さく揺れていた。


まだ誰も、答えを口にはしない。


けれど。


もう、戻れないことだけは分かっていた。


いつも読んでいただきありがとうございます。

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