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借金取りの元勇者と、借金まみれの元女勇者 Season2 番外編シリーズ  作者: HANABI


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12/20

第十話 減らない借金と、離れた距離(前編)

ヴァルク視点 ワイルドベア編

夜。


北風が、建物の隙間を抜けていく。

雪はほとんど溶けていたが、空気はまだ冷たい。

扉を開ける。


「……」


静かだった。

いつもなら、何かしら音がある。

紙をめくる音とか、猫の鳴き声とか――


「……いないのか」


部屋を見渡す。

猫が、机の上からこちらを見ていた。


「みゃ」


「お前だけか」


歩み寄る。

机の上に紙が一枚。

走り書き。


――依頼受けた。少し遅くなる。

短い文字。


「……ちゃんと書くようになったな」


小さく呟く。

以前なら、何も言わずに消えていた。

それを思えば、十分だ。

紙を置く。


「……まあ、いい」


信頼はしている。

あいつは、やるべきことはやる。

借金も、逃げずに返してる。


「……」


でも。

部屋が、妙に静かだった。

猫を撫でる。

すぐに離れる。


「……落ち着かねえな」


短く吐いて、外套を掴む。


「飲みに行くか」


繁華街の外れにある、小さな酒場。

酒の匂いと人々の笑い声が、狭い店内に満ちていた。

広くはないが、その分だけ熱気がある。


奥のカウンター席に腰を下ろし、ビールを頼む。

運ばれてきた琥珀色の酒を、喉に流し込むように煽った。

冷えきってはいない。だが、勢いだけで喉を通っていく。


「……」


それでも、妙に落ち着かなかった。

酒場は賑やかだ。

笑い声、ぶつかるジョッキの音、酔った客の怒鳴り声。

いつもと変わらないはずなのに、今日はそれが妙に遠く感じる。


「ねえ、お兄さん」


甘ったるい声が横から落ちてくる。

振り向かない。


「一人? 一緒に飲もうよ」


「……やめとく」


短く返す。


「つれないなあ」


女が肩に触れてくる。

酒と香水の匂いが混ざっていた。


「触るな」


低く言う。

それだけで女は少し身を引いた。

けれど、完全には離れない。


「ほんと無愛想ね」


「そうだな」

適当に流す。


(……うるせえな)


視線を逸らす。


(あいつなら)


もっと騒がしい。

勝手に話して、勝手に笑って、勝手に怒る。

――なのに。

その姿がないだけで、酒場がやけに静かだった。

わずかに口元が緩む。


「……」


すぐに表情を戻す。


「つまんねえな」


ぽつり。

そのとき。

別の席の会話が耳に入る。


「北の山の依頼、今夜から動くらしいぞ」


「ワイルドベアだろ?」


「ああ。しかも三頭って話だ」


「新人混ざってるってよ」


「やばくねえか、それ」


ヴァルクの手が止まる。


(……北)


頭の中で、線が繋がる。


「……おい」


立ち上がる。

話していた男の席へ近づく。


「その依頼、詳しく聞かせろ」


酒場を出る。

夜風が強い。


「……」


一度、空を見上げる。


(関係ねえ)


小さく息を吐く。

あいつは強い。

あれくらいの依頼、問題ない。


(……だが)


ほんのわずかに、胸の奥が引っかかった。


「……チッ」


舌打ちする。

立ち上がり、そのまま部屋へ戻った。

窓辺で丸くなっていた猫が、じっとこちらを見る。


「みゃ」


「……行かねえぞ」


そう言いながら、装備に手を伸ばす。


剣を腰に差し、外套を羽織る。

手慣れた動きだった。


「……様子見るだけだ」


誰に向けたものかも分からない言い訳。

猫が、呆れたみたいに目を細めた。


「……すぐ戻る」


餌を置いて、水を替えてやる。

それだけやって、外へ出る。


馬に乗り、夜道を駆ける。


吐き出す息は白く、冷え切った風が頬を痛いほど打ちつけながら通り過ぎていった。

外套の裾が激しくはためき、乾いた蹄の音だけが静まり返った夜道に響いている。


考えるのはやめた。


あいつは強い。

あれくらいの依頼でどうにかなるような奴じゃない。


――それでも。


胸の奥に引っかかった小さな違和感だけが、どうしても消えなかった。


手綱を握る指先に、わずかに力が入る。

馬は主の焦りを感じ取ったように速度を上げ、冷たい夜気を裂くように駆けていく。


しばらくして、暗闇の向こうに小さな焚き火の光が見えた。


野営地だ。


木々の隙間から漏れる橙色の灯りと、かすかに流れてくる笑い声。

張り詰めていた呼吸が、そこでようやく少しだけ緩む。


馬を止め、静かに周囲の気配を探る。


見張りの位置。

焚き火を囲む人数。

武器の音。


その中に――リゼがいた。


焚き火の傍で誰かと話しながら、楽しそうに笑っている。


その姿を見た瞬間、胸の奥に溜まっていた重苦しいものが、わずかにほどけた。


無事だった。

ただ、それだけでよかったはずなのに。

知らない男の隣で笑っている姿が、妙に目につく。


焚き火の明かりに照らされた横顔を見つめながら、ヴァルクは小さく眉を寄せた。


「……何やってんだ、あいつ」


ほんの一瞬。

胸の奥に、小さな棘みたいな違和感が引っかかった。


焚き火の向こう。

リゼの隣には、見知らぬ男が座っている。


距離が近い。

何かを話しかけるたびに、リゼは素直に相槌を打ち、困ったように笑っていた。


その様子を眺めながら、ヴァルクは小さく息を吐く。


(……気づいてねえな)


向けられる視線にも。

下心にも。


手綱を軽く引き、馬を進める。

乾いた蹄の音が夜の空気を打ち、焚き火の傍にいた視線が一斉にこちらへ向いた。


リゼが振り返る。


「――あれ?」


ぱちりと目を瞬かせる。


「ヴァルク? どうしたの?」


驚いたような声。

ヴァルクは馬上から無表情のまま視線を落とした。


「……なんとなく来た」


短く、それだけ返す。


「街で噂を聞いた」


それだけ告げる。

男の目に、警戒の色が浮かぶ。


「……なんだ、お前」


低い声とともに、鋭い視線が向けられた。


「関係者か?」


「関係ねえ」


ヴァルクは間を置かずに返す。

その声に、男の眉がわずかに寄った。

静かな圧がある。


感情を見せないまま立っているだけなのに、無意識に空気を押し潰してくるような威圧感。


「通りすがりだ」


焚き火の向こうで、男が探るように目を細める。


「なら帰れ。ここは仕事中だ。報酬も出ないぞ」


牽制するような口調。

だが、ヴァルクは視線一つ逸らさなかった。


「いらねえ」


短く返す。


「手は出さない。邪魔もしない」


一拍置いてから、低く続ける。


「……見てるだけだ」


男はまだ警戒したままだった。

張り詰めた空気を割るように、リゼが間へ入る。


「いいよ。問題ないから」


その言葉に、場の空気がほんの少しだけ緩んだ。


――次の瞬間。


遠くの森の奥から、低い唸り声が響く。

空気が、びり、と震えた。


静まり返った夜を切り裂くように、鳥たちが一斉に飛び立つ。

バサバサと乱れた羽音が、闇の中へ広がっていった。


「……来るぞ」


誰かが低く呟いた。

その瞬間、リゼの表情が変わる。


さっきまで柔らかく笑っていた顔から、迷いが消えた。

一瞬で、戦闘の顔になる。


「起こして」


短い指示。

それだけで、周囲の空気が動いた。


焚き火の傍にいた男たちが素早く立ち上がり、眠っていた仲間を揺さぶる。


剣を掴む音。

鞄を引き寄せる音。

押し殺した足音。


緩んでいた空気が、一気に張り詰めていく。

冷えた夜気の中に、鋭い緊張だけが広がった。


ヴァルクはその様子を、少し離れた場所から黙って見ていた。


焚き火の明かりの向こうで、リゼが迷いなく前へ出る。


その背中から、なぜか目が離せない。


胸の奥に引っかかった違和感だけが、まだ消えなかった。


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