第九話 減らない借金と、名前のつかない気持ち
シーラ&リゼ お茶会編
冬の雪が、少しずつ溶け始めた頃だった。
石畳の隙間に残った水が、光を細く反射している。
冷たい空気の中に、ほんのわずかだけ柔らかさが混じっていた。
リゼは一人、街を歩いていた。
(……なんだったの、あれ)
考えても、まとまらない。
距離、温度――逃げ場のなかった感覚。
無意識に、足が止まる。
(……意味わかんない)
そのとき――
「あら」
聞き覚えのある声。
顔を上げる。
「……リゼじゃない?」
「え……シーラ!?」
思わず声が上がる。
シーラが、くすっと笑った。
「久しぶりね〜」
相変わらず隙のない立ち姿。
燃えるような赤い髪が肩口で揺れ、冬の淡い光を受けて鮮やかに映えている。
細身の外套の下には、無駄のないしなやかな体のライン。立っているだけで目を引く存在感。
獲物を見極めるみたいに鋭い視線が、リゼをロックオンした。
「どうしたの?なんでここに」
「仕事よ〜」
軽く肩をすくめる。
「ちょうど終わったところ」
そして、にっこり笑ってじっとリゼを見る。
「……なんか顔、面白いことになってるけど?」
「え!?」
思わず頬を触る。
「ふふっ……いいわ、ちょうど」
ぐいっと腕を掴まれる。
「時間ある?」
「え、いや――」
「お茶しましょ」
「ちょっと待ってって!」
「前に約束してたでしょ」
「してないって!」
「したことにするのよ」
強引だった。
そのまま引っ張られていく。
(相変わらずだ……)
――連れてこられたのは、小さなカフェ。
クラッシクなレンガで出来た落ち着いた建物。
店内は女性客が多く、暖炉がパチパチと音をたてて室内を温めていた。
穏やかな空間に、白いクロス席。
机の上にはかわいらしい花が飾られている。
リゼは少しだけきょろきょろする。
「……こういうとこ、初めて」
「でしょうね」
即答。
席に案内される。
気がつけば、注文も終わっていた。
しばらくして――
運ばれてくる美しく飾られたケーキと紅茶。
甘い香り。
「……わあ」
リゼの目が輝く。
「すごい……」
フォークとナイフを戸惑いながら、丁寧にカットする。
シーラはそれを見て、くすっと笑う。
「ほんと、変わってないわね」
「え?」
「いい意味でよ」
紅茶を一口飲む。
それから――
静かにカップを置いた。
「で」
一拍。
「ヴァルクとは――」
視線が合う。
逃げ場がない。
「……今、どうなってるの?」
面白がるように、顎に指をかけ少し首をかしげる。
リゼの手が止まる。
フォークの先で、苺がころりとケーキから落ちる。
「……え」
言葉が出ない。
「借金取りの……その……」
視線が泳ぐ。
「上司……かな?」
弱い答え。
シーラは何も言わない。
ただ、じっと見ている。
「ふぅん?」
その一言で、全部見透かされている。
「ほんとにそれだけ?」
「え?」
「だってあんた」
紅茶を口に運ぶ。
「顔、全部出てるもの」
「え、なにが!?」
「全部」
即答。
リゼの顔がじわっと赤くなる。
(そんなに……?)
頭の中に、断片が浮かぶ。
距離。
触れられた感覚。
あのキス。
「……っ」
思考が止まる。
シーラが少しだけ身を乗り出す。
「嫌だった?」
「……え?」
「近づかれたとき」
一拍。
「触れられたとき」
リゼが黙る。
(……嫌?)
浮かぶのは、拒絶じゃない。
むしろ――
「……」
言葉が出ない。
シーラが小さく息を吐く。
「それね」
静かに言う。
「好きって言うのよ」
――止まる。
「……え」
理解が追いつかない。
「ちが……」
否定しようとして、止まる。
「男ってね」
シーラがフォークをくるくる回す。
「頼られると嬉しいし」
「触れられると意識するし」
「名前呼ばれるだけでも嬉しいものなのよ」
「そんなに?」
「そんなに」
にっこり笑って、即答する。
「あんた、それ全部無意識でやってるのよ」
「は??」
完全に固まる。
「ちょっと待って!?」
「待たない」
シーラが笑う。
「一番タチ悪いタイプね」
「ひどくない!?」
「褒めてるの」
リゼが頭を抱える。
「……わかんない……」
「でしょうね」
あっさり、いい切った。
紅茶のおかわりを、店員に注文する。
シーラは少しだけ視線を落とす。
「……私も似たようなことしてたけど」
ぽつりと落ちる。
リゼが顔を上げる。
「え?」
「勝手に拗ねて」
「勝手に離れて」
「勝手に終わらせようとした」
一拍。
「でも」
少しだけ笑う。
「向こうが離さなかった」
リゼが黙る。
「ちゃんと引き止めて」
「ちゃんと怒って」
「ちゃんと……好きって言われたわ」
静かな言葉。
「言わなきゃ、伝わらないのよ」
リゼの胸が、少しだけ揺れる。
(……言う)
(あの人が……?)
想像できない。
でも――
「……どうしたらいい?」
小さく聞く。
シーラが笑う。
「詰めなくていいの」
「え?」
「もう詰まってるから」
即答。
「は!?」
混乱。
「むしろ」
にやっと笑う。
「これ以上やったら、あっちが先に落ちるわよ」
「ええ!?」
リゼが固まる。
シーラが楽しそうに笑う。
「だから少し引くの」
「バランス」
「分からないよ……」
「難しいわよ」
さらっと言う。
「恋愛なんてそんなもん」
一拍。
それから、少しだけ優しく。
「でも」
視線を合わせる。
「ちゃんと考えなさい」
「どうしたいか」
「どうなりたいか」
リゼが黙る。
浮かぶのは――
あの距離。
あの空気。
(……嫌じゃなかった)
むしろ――
言葉にならない。
シーラが、それを見てクスッと笑う。
「あんた達」
少し間を置く。
「意外と合ってるわよ」
リゼの顔が、ゆっくり赤くなる。
「……え」
そのまま固まる。
シーラは、楽しそうに紅茶を飲んだ。




