第9話『シュワシュワの木型と、想定外の味覚』
「ねえ、ミナカちゃん。今日の授業が終わったら、ちょっと寄りたいところがあるんだけど、一緒に来てくれない?」
大学の講義室を出るなり、もちこがスマホの画面を見せながら声をかけてきた。
「寄り道?一体、どんな場所に行きたいの?」
「大野屋っていう和菓子屋さんなんだけどさ。そこで作っている『高岡ラムネ』っていうのが有名で、どうしても買いに行きたくてさ!」
「ラムネ……?」
聞き慣れない言葉に、ミナカのルビー色の瞳がピクリと反応した。
即座に、脳内データベースへと思考をダイブさせる。
『――ラムネ。一般的には、炭酸を含む清涼飲料水、またはタブレット状の菓子を指す名称です』
「それでね、木型を使って作っている、ちょっと変わったラムネ菓子があるんだよ!」
「……木型?」
ミナカは怪訝そうに首を傾げた。
飲み物と固形の菓子が、同じ名称で呼ばれている。それだけでも理解しがたいのに、今度は木型を使って作るという。
地上人の言語体系は、相変わらず不思議な仕様をしているわね。
「伝統の木型で作った、すっごく美味しいお菓子があるの!」
「ふむ……。こちらの説明も、ずいぶん曖昧ね」
ミナカは腕を組み、少し考え込んだ。
「だが、そこまで言うのなら、その古代種の曖昧な言語体系から生まれた菓子とやらを、この目で直接解析してやろうではないか!」
「いや、そんな大げさなものじゃないんだけど……。まあ、行こっか!」
こうして二人は、高岡の街並みへと繰り出した。
歴史ある町並みを抜けた先に見えてきたのは、風情ある佇まいの老舗和菓子店「大野屋」だった。
「いらっしゃいませー」
店内に足を踏み入れた瞬間、ふわりと上品な甘い香りが鼻をくすぐる。
ショーケースや棚には、繊細な意匠を凝らした美しい和菓子が並んでいた。
そして、その一角に、もちこの目当ての品があった。
「これこれ!この『高岡ラムネ』!」
もちこが指さした先には、色とりどりの小さな菓子が並んでいた。
伝統的な木型を用いて形作られたその姿は、まるで小さな工芸品のようだ。
ミナカはガラスケースに張り付くようにして、その精緻な造形を凝視した。
「……驚いたわ。これは……」
「でしょ?すごいんだよ、これ!」
「長い歴史の中で培われてきた木型の技術……。季節や行事に合わせて生み出された、精緻な造形美。さらに、富山県産コシヒカリの米粉や厳選された素材を組み合わせ、食べ物として完成させている……」
ミナカの瞳が、興味深そうに輝いた。
「ただの砂糖菓子と侮っていたけれど、そこに宿る職人技は、地底世界の精密パーツの加工技術にも匹敵するわね……!」
「えへへ、そこまで褒められると、私まで嬉しくなっちゃうな」
「ふむ。では、今度は味覚データの解析ね」
ミナカは高岡ラムネを一粒つまみ上げ、慎重に口の中へと放り込んだ。
その瞬間――。
「……っ!?」
ミナカの動きが、ぴたりと止まった。
「な……なんなの、これは……!」
「どうしたの?」
「口に入れた瞬間、確かな固体としての存在感があるのに……。舌の上で、ふんわりとほどけるように消えていく……!」
ミナカは驚いたように口元を押さえた。
「その直後に、素材の芳醇な香りが鼻腔を優しく刺激する。そして、甘さがいつまでも口に残ることなく、すっと消えていく……!」
「ね?美味しいでしょ!」
「美味い……!」
ミナカは、思わず声を上げた。
「これは、単なる糖分の摂取ではない……!口どけから香りの余韻に至るまで、計算し尽くされた味覚体験だわ!」
――古代種の伝統技術、侮っていたわね。
地底の合成栄養ブロックでは、決して味わえない繊細さだ。
効率や栄養価だけでは測れない、食べることそのものの喜び。
この小さな菓子には、それが詰まっていた。
「……もちこ。これを、もう少しいただけるかしら?」
「もちろん!気に入ってくれてよかった!」
ミナカはすっかり高岡ラムネを気に入ったようだった。
そして、家で待っているさわにも食べさせてあげようと、お土産を買うことにした。
「ふふ、すっかり気に入ったみたいじゃん。じゃあさ、もう一つの『ラムネ』も気になるところだし、行こっか!」
「……もう一つのラムネもあるの?」
ミナカの瞳が再び輝いた。
「この近くに、昔ながらの瓶に入った、冷え冷えのラムネが買えるお店があるんだよ!」
「なに……!?固形の次は、流動体のラムネ……!」
ミナカは目を見開いた。
「一日にして、二つの異なる形態のラムネを摂取することになるとは……。情報量が多すぎて、オーバーヒートを起こしかけているけれど……やぶさかではない!」
「いや、そこまで気合いを入れなくても大丈夫だからね?」
もちこに導かれるまま、二人はほどなくしてレトロな商店へとたどり着いた。
そこで手渡されたのは、透明なガラス瓶に入った、ビー玉栓付きの清涼飲料水だった。
「これが……瓶入りのラムネ」
ミナカは物珍しそうに、ずっしりとしたガラス瓶を持ち上げた。
瓶の中では炭酸の気泡がシュワシュワと立ち上り、ビー玉がカランと涼しげな音を響かせている。
「開け方がちょっと特殊なんだよね。こうやって、上の蓋をグッと押し込むと……」
「ほう。この部品を垂直方向に押し込み、内部の栓を開放する構造なのね。理解したわ。では、私の筋力リソースを解放して――こうか!」
『ポンッ!!』
小気味よい乾いた音が響いた。
瓶の口にビー玉が落ち、シュワシュワと炭酸の泡が弾ける。
「おお……!内部の圧力が解放され、二酸化炭素の気泡が一斉に発生したぞ!」
ミナカは興奮を隠せない様子で、瓶の中を覗き込んだ。
そして、慎重に瓶へと口をつけ、冷たい液体を喉へ流し込んだ。
「――っ!!」
再び、ミナカの動きがぴたりと止まった。
「な、なんだ、この飲み物は……!」
「どう? 美味しいでしょ?」
「美味い!圧倒的に美味いわ!」
ミナカは目を輝かせ、早口でまくし立てた。
「まず、丸いガラス玉という物理的な障害物を備えた瓶の構造! それを自らの手で押し下げるという、飲む行為そのものに付加された謎の遊戯性!」
「うんうん……?」
「そして、喉を駆け抜けるシュワシュワとした清涼感に、爽やかな甘み……!これは単なる水分補給ではない。飲むまでの過程も含めて完成された、エンターテインメントなのね!」
感動のあまり、ミナカは瓶を両手で握りしめた。
固形のラムネで見せつけられた、伝統の職人技。
そして、瓶入りラムネで体験した、遊び心に満ちた飲料文化。
「……地上人、侮れないわね」
ミナカは、しみじみと呟いた。
夕暮れの高岡の街並み。
ガラス瓶の向こうで揺れる炭酸の泡を眺めながら、ミナカは深く、深く頷いた。
「私のこれまでの人生観を揺るがす一日だったと言わざるを得ないわ……」
そして、彼女は隣にいるもちこへと勢いよく振り向いた。
「ねえ、もちこ。この瓶入りラムネの在庫を大量に確保できる拠点はないの?」
「いや、飲みすぎるとお腹がタプタプになるから、やめておいた方がいいと思うよ……」
もちこは呆れたように笑った。
その声が、心地よい秋風の中へと溶けていく。
曖昧で、しかしどこまでも奥深い地上人の文化。
今日もまた、私は新しい美味しさという名のバグを、脳内に叩き込まれたのだった。




