第10話『富山湾の恵みと、初めてランチタイム』
「ねえ、さわ。このテレビの放送システムというのは、どうしてこんなにも不便なの?」
テレビのリモコンを片手に、ミナカが不満そうに眉をひそめた。
「また始まった……。今度は何が気に入らないの?」
「また明日、あるいは次週まで待つなどと言わず、全データをサーバーに常時配置しておき、いつでも要求に応じて再生できるようにしておけばいいのに」
「まあ、言いたいことは分かるけどさ。ミナカちゃんが見てる深夜アニメって、制作にものすごく人手と時間がかかってるんだよ。それに、原作のストックに追いついちゃう問題とか、大人の事情もいろいろあるの!」
「指輪の演算装置を使って、思考をダイレクトに映像化すれば一秒で完了するのになぁ……」
「そんな地底人のチートな常識を地上人に押し付けないでよ!」
さわは呆れたようにため息をついた。
「そもそも、途中で挟まる『CM』という謎の広告インターバルも問題だわ。せっかく物語のクライマックスで感情の同期率がピークに達した瞬間に、強制的に遮断してくるのよ? その直後に、得体の知れない洗剤の効能を見せつけられる。あれはテロ行為なの?」
「いや、そのCMスポンサーの資金があるからこそ、アニメが作られて放送できるの!」
「むぅ……。地上の娯楽を取り巻く環境は、想像以上に複雑なのね」
ようやく納得したのか、ミナカはリモコンをテーブルに置いた。
それを見届けたさわは、ふと思い出したように口を開いた。
「それにしても、さっきから『富山といえば寿司!寿司といえば富山湾の神秘!』って自分で言ってたけどさ。ミナカちゃん、お寿司って知ってたっけ?」
「知っているに決まっているでしょう。確か、お母さんが非常食として作ってくれたおにぎりの上に、塩漬けにした小魚の切り身をポンと乗せた、あれのことよね?」
「うーん……。それ、たぶんお寿司じゃなくて、ただの保存食の握り飯だね……」
さわは苦笑した。
「ちょうど今月のバイト代も入ったところだし、週末にでも近所の『一丁目寿司』でランチを食べてみる?」
「ほう。その一丁目寿司とやらで、私の胃袋を使って直接検証してやろうではないか!」
ミナカの赤い瞳が、キラリと輝いた。
*
道中、ミナカはなぜかご機嫌なスキップを踏みながら、歌を口ずさんでいた。
「おっすっしー♪おっすっしー♪」
「ミナカちゃん、ずいぶん嬉しそうね?」
「ふっ。これから未知なるタンパク質とシャリの結合体をハックしに行くと思えば、全身の活性率が上昇して……っと、到着したようね!」
二人がたどり着いたのは、年季の入った渋い暖簾を掲げる寿司屋だった。
ミナカは期待に胸を膨らませ、暖簾をくぐる。
「大将、お久しぶりです!」
さわが元気よく挨拶すると、カウンターの向こうから威勢のいい声が返ってきた。
「いらっしゃい!おっ、さわちゃんか。……おや、隣の子はミナカちゃんだね。久しぶり!」
「……大将、ミナカの顔とデータまで、すでにインプット済みなのね。地底人の認識改変、恐るべし……」
「ミナカちゃん、何か言った?」
「いえ、何でもないわ」
ミナカは何食わぬ顔で、さわの隣に腰を下ろした。
「大将、ランチのセットを二つお願いします!」
「あいよ!ちょっと待っててな!」
大将は手慣れた様子で包丁を操り、次々と寿司を握っていく。
その流れるような手際を眺めながら、ミナカは目を細めた。
「ほう……。あの手の動き、無駄がないわね。長年の反復によって最適化された動作というわけか」
「ミナカちゃん、分析するのはいいけど、ちゃんと食べてね?」
「当然よ。今日の私は、味覚データの収集を最優先事項に設定しているのだから!」
そうこうしているうちに、目の前へ料理が運ばれてきた。
「はいよ、お待たせ!」
「おお……!」
そこに並んでいたのは、色とりどりのネタが美しく盛り付けられた、おまかせ握り十貫のランチセット。そして、湯気を立てるはまぐりの味噌汁だった。
一つひとつの寿司が、まるで宝石のように輝いている。
「さあ、食べよっか!」
さわが箸を手に取った、そのとき。
「……待ちなさい、さわ」
ミナカは真剣な顔で皿を見つめていた。
「これ、一つひとつの体積が、先ほど母上の作ったおにぎりと比べて致命的に小さくないかしら?」
「いや、これくらいが一口で食べられてちょうどいいのよ。おにぎり十個も食べたら、お腹いっぱいで動けなくなっちゃうでしょ?」
「私ほどの処理能力があれば、おにぎり十個など余裕なのだけれど……」
「贅沢言わないの!ほら、食べてみて!」
「むぅ……。それにしても、なんて視覚的な美しさなの。十個の個体が、それぞれ異なる生体情報を搭載しているのね……」
「生体情報って……。まあ、ネタが違うのは確かだけど。ほら、見てないで食べようよ」
さわに促され、ミナカはようやく手を伸ばそうとした。
だが、その直前、カウンターの向こうに座っている客が目に入った。
「み、見なさい、さわ!あそこにいるおじいさん、箸を介さずに直接ネタをホールドしたわ!」
「いや、お寿司は手で食べる人もいるよ!おにぎりだって手で食べるでしょ?」
「……言われてみれば、確かにそうね。よし、私も直接接触による解析を続行する!」
ミナカは納得したように頷くと、指先で寿司をつまみ上げた。
最初に選んだのは、つややかな身が目を引くフクラギだった。
慎重に口へ運び、一口。
その瞬間――。
「……っ!!」
ミナカの全身が、電撃に打たれたように硬直した。
「ど、どう……?」
さわが恐る恐る顔を覗き込む。
「美味い……っ!」
ミナカは震える声で呟いた。
「なんだ、これは……!口に入れた瞬間、シャリがほろりとほどけ、ネタの旨味が一気に広がっていく……!プリプリとした歯ごたえの後から、酢の酸味が全体を絶妙にまとめ上げる……!」
赤い瞳が、これ以上ないほど輝いていた。
「それぞれの要素が互いの長所を引き出しながら、一つの味覚体験として完成している……! なんという、洗練された味覚のアルゴリズムなの……!」
「ふふっ。そんなに気に入ってくれたんだね」
カウンターの向こうで、大将が嬉しそうに目を細めた。
「ミナカちゃん、相変わらずいい食べっぷりだな! じゃあ、これもサービスだ!」
ポン、と差し出されたのは、海苔でしっかりと巻かれた太巻きだった。
「これは……?」
ミナカは興味深そうに太巻きを観察した。
「海苔で巻いてあるのね。先ほどの握りとは違って、複数の具材が一つにまとめられている……。しかも、食べやすいように断面まで綺麗に整えられているわ」
「太巻きっていうんだよ。中にいろんな具が入ってるの」
「なるほど。では、こちらも解析させてもらおうかしら!」
ミナカは太巻きを口へ運び、ぱくりと頬張った。
「――っ!これはまた……!」
「どう? 美味しいでしょ?」
「美味しい!中に巻き込まれた複数の具材が、海苔の香ばしさと一体になって、口の中でオーケストラを奏でている……!」
ミナカは感動に打ち震えた。
「単体の握りとはまた違う、総合的なコンビネーションアタック!一つの皿の中に、これほど多彩な味覚体験を詰め込めるなんて……!」
その勢いのまま、ミナカは次々と寿司を口へ運んでいった。
フクラギ、マグロ、エビ、イカ。
それぞれの食感や風味に驚きながら、時には真剣な顔で味を分析し、時には目を輝かせて感嘆の声を上げる。
そんなミナカの姿に、店内には自然と温かな空気が広がっていった。
*
数分後。
二人の皿はすっかり空になっていた。
「はああ……美味しかった……!」
さわが満足そうに息をつく隣で、ミナカは深く頷いていた。
「さわ、最高だったわ。最高の味覚体験だったと言わざるを得ない……!」
そして、勢いよくさわの方を向く。
「次のバイト代が入ったら、またこの『一丁目寿司』に行く予定を今すぐ組んで!」
「気に入ってもらえて何よりだけど……。ミナカちゃんも早く自分でバイトを始めれば、自分のお金でもっと頻繁に来られるようになるんじゃない?」
「それは名案ね!私も、バイト代を支給されるクラスへとクラスチェンジしなくては!」
「いや、クラスチェンジって……」
さわは苦笑した。
すっかり寿司の虜になったミナカは、次に食べる寿司のことを考えているのか、赤い瞳をキラキラと輝かせている。
「また来てくれよ!」
大将の元気な声が、アットホームな店内に響き渡った。
こうしてミナカは、富山湾の恵みと職人の技にすっかり魅了されたのだった。




