第11話『看板娘への道と、賄いの誘惑』
「さわ!見てくれない?!」
ある日のこと。ミナカが、いつものように興奮した様子で私のところへやってきた。
「なに、ミナカちゃん?そんなに慌てて」
「これよ、これ!」
ミナカが差し出したのは、地元の求人情報だった。
「文明亭がアルバイトを募集しているわ!」
「文明亭?ああ、あのお店ね」
文明亭は、地元で人気の老舗の定食屋さんだ。ラーメンやおでん、それに定食系のメニューも充実していて、昔から地域の人たちに親しまれている。
「ふむ……。ラーメン、おでん、定食。いずれも地上の食文化を代表する料理ね。しかも、働けばそれらを間近で観察できる。これは見逃せないわ!」
「いや、別に料理の研究をするための募集じゃないと思うけど……」
私が呆れていると、ミナカは求人情報を食い入るように見つめた。
「それに、アルバイトをすれば労働の対価として給金が得られる。つまり、地上の食文化を自らの力で継続的に享受できるということね!」
「うーん……。まあ、働く理由としては間違ってないけど」
「決めたわ!私、ここで働く!」
「ええっ、もう決めたの!?」
相変わらず、食べ物が絡むと行動が早い。
とはいえ、地上での生活にも慣れてきたミナカちゃんが、自分で働いてみたいと思うのは悪いことではない。
「でも、ミナカちゃん。アルバイトをするなら、お店の人に相談しないとね」
「もちろんよ。まずは現地調査を兼ねて、料理の品質を確認する必要があるわ」
「それ、ただ食べたいだけじゃない?」
「失礼ね。私は常に合理性を追求しているのよ!」
そんなわけで、私たちは家族と一緒に文明亭へ食事に行くことになった。
*
文明亭に入ると、店内には出汁の香りと、料理を作る音が満ちていた。
「いらっしゃい!」
おかみさんの明るい声に迎えられ、私たちは席についた。
壁にはラーメンや定食のメニューが並び、その一角にはおでんの鍋も見える。
「さて、何を注文しようかしら……」
ミナカちゃんはメニューをじっと見つめ、真剣な表情で考え込んでいた。
「ラーメンも魅力的だけれど、おでんも捨てがたい……。ここは複数の料理を比較検証するべきね」
「普通に好きなものを頼めばいいんだよ?」
「さわ、食文化の研究に妥協は禁物よ!」
そこへ、指輪の声が響いた。
『――推奨メニュー。ちくわ、こんにゃく、そして大根。出汁の風味、食感、味の浸透度を比較するうえで、最適な組み合わせです』
「なるほど。あなたにしては、なかなか的確な選択ね!」
「指輪まで食いしん坊になってない……?」
ほどなくして、注文したおでんが運ばれてきた。
まずミナカちゃんが手に取ったのは、大根だった。
箸を入れると、ほろりと崩れるほど柔らかい。
ひと口食べた瞬間、ミナカちゃんの表情が変わった。
「……これは!」
じっくり煮込まれた大根の中から、出汁の旨味がじゅわっと広がっていく。
「外側だけでなく、中心部にまで出汁が行き渡っている……。しかも、煮崩れを防ぎながら、この柔らかさを実現しているなんて……!」
ミナカちゃんは、まるで未知の超技術を目の当たりにした研究者のように感嘆した。
「続いて、ちくわね!」
ひと口かじると、魚の旨味と出汁の風味が口の中で重なり合う。
「なるほど……。素材そのものの味を活かしつつ、出汁との調和も成立させている。これは実に合理的な設計だわ!」
続いて、こんにゃくをひと口。
表面に刻まれた細かな切れ目から出汁の旨味が広がり、独特の弾力が心地よい。
「こちらも見事ね。食感と味の浸透を両立させている……!」
ミナカちゃんは大真面目に感嘆しながら、あっという間に皿を空にしてしまった。
「はぁ……。もっと無限に摂取したいわ……」
「ミナカちゃん、まだまだ料理はあるからね」
すっかり感動している私たちを見て、お母さんがさらに耳寄りな情報を教えてくれた。
「ミナカちゃん、ここはラーメンや定食も絶品なのよ。特に、隠れた名物があるんだけど……」
「そうそう!お父さんは名物の豚串も追加で頼もうかな。みんなも食べるだろ?」
「もちろん!」
ほどなくして、香ばしい匂いとともに豚串が運ばれてきた。
こんがりと焼かれた厚みのある豚肉。その間には、玉ねぎとかぼちゃが絶妙なバランスで挟まれている。
ひと口かじると、じゅわりと広がる豚肉の脂の甘み。そこへ野菜の自然な甘みが加わり、仕上げの胡椒がピリッと全体を引き締める。
「……っ!」
ミナカちゃんの動きが止まった。
その瞳が、ゆっくりと輝きを増していく。
「――決めた!」
突然、ミナカちゃんが勢いよく立ち上がった。
「私はここでアルバイトをして、毎日この賄いを合法的に摂取するわ!」
「ちょっと、ミナカちゃん!動機が不純すぎない!? アルバイトの目的が完全に賄いになってるじゃない!」
「当たり前でしょう。働くうえで給金も大事だけれど、労働の対価として得られる『極上の賄い』こそ、アルバイト最大の醍醐味なのよ!」
『――労働意欲の換算において、賄いのカロリーおよび精神的満足度は全体の94%を占めます』
「なんだか、全知全能のスーパーマシンだったはずの指輪が、急に食い意地の張った俗っぽい存在に見えてきた……」
「さて、明日の賄いは何にしようかしら……。今日食べたメニューを参考に、予習しておかなくては」
ミナカちゃんは真剣な顔でメニュー表を穴が開くほど見つめ始めた。
私は盛大なため息をつくしかなかった。
*
そんなコントのようなやり取りをしていると、空いた皿を片付けに来たおかみさんに、お母さんが声をかけた。
「そういえば、おかみさん。うちのミナカが、ここでアルバイトをしたいらしいんだけど、今、人手は足りているかしら?」
「おっ、ミナカちゃんがうちで働いてくれるのかい?」
おかみさんは手にしていた布巾を止め、ぱっと顔をほころばせた。
「そりゃあありがたい!うちの新しい看板娘になってくれるだろうし、こんな可愛い子がフロアに立ってくれたら、常連客も大喜びだ。大歓迎だよ!」
「看板娘……。ふっ、私の優秀な演算処理能力と美貌を活用すれば、文明亭の売上を今月中に120%底上げできると計算で出ているわ!」
「頼もしいねぇ!じゃあ、来週からさっそく頼むよ!」
「ええ、任せなさい!」
こうして、お互いの思惑は見事に一致した。
おかみさんは頼もしい働き手を、ミナカちゃんは圧倒的な食欲を満たす賄いを。
老舗の定食屋でのアルバイトは、驚くほどトントン拍子に決まってしまったのだった。




