第6話『空中侵入と、お月見ロールケーキ』
「はぁ、散々だったわ……」
私たちは大学の正門前まで足を運んだものの、あいにく休日で門が閉まっていたのか、それとも正規の手続きを一切踏んでいない私たちを警戒されたのか、頑丈そうな門扉は固く閉ざされていた。
運悪く巡回中の守衛のおじさんに「学生証はお持ちですか?」と声をかけられ、当然そんなものを持っていない私たちは、あえなく追い返されてしまったのだ。
私は「出直しましょう」と諦めて帰ろうとした。
ところが、隣を歩くエルフ型地底人は、どうにも納得がいかないらしい。
「どうしても中の構造や雰囲気を、この目で確認しておきたいわ」
そう言うなり、ミナカはおもむろに右手を空へとかざそうとした。
私は慌てて、その袖をびしっと引っ張る。
「ちょっと、何をする気?!ここは正門の前よ! 誰かに見られたらどうするんですか!」
「まったく、面倒くさいわね……。それなら、見えなければいいんでしょ?」
ミナカは呆れたように小さく息を吐くと、右手の指輪をトントンと軽く叩いた。
「【デザパレセール】と【フルツアンテ】、よろしく」
『――光学迷彩、および低高度飛翔モードを起動。周囲の光学的・電磁気的波長を屈折させます』
指輪の合成音が響いた次の瞬間、私たちの姿は周囲の景色に溶け込んだ。
自分の手を目の前にかざしてみても、そこには何も見えない。まるで自分の身体が消えてしまったかのようだった。
そのまま、ふわりと重力を無視して宙へと浮き上がる。
「わっ……!」
思わず声を上げかけた瞬間、ミナカが片手で私の口を塞いだ。
「んんっ!?」
抗議する間もなく、私たちは誰にも気づかれることなく、高岡芸術大学のキャンパス上空へと舞い上がっていった。
ミナカは満足げに校舎や中庭を眺めながら、キャンパスの上空をぐるりと一周する。
――いや、これ、完全に不法侵入だからね!?
心の中で叫んだところで、もちろん何の解決にもならない。
そして、ミナカがようやく満足して地上へ降ろしてくれた頃には、私のHPはゼロ寸前。私はアスファルトの上にぐったりとしゃがみ込んでいた。
「急に勝手に飛ばないでください!心臓が止まるかと思いましたよ、本当に!」
「情けないわね……。私たちの村なら、まだ物心がついたばかりの赤ん坊でも、おもちゃのリングでこの程度の浮遊くらい毎日やっているというのに」
「地底人と一緒にしないでください!私はか弱い日本の女子高生なんです!」
「まったく、これだから地上に住む古代種は……」
「――あのですね、前から気になっていたんですけど、その『古代種』っていう呼び方、そろそろやめてもらえませんか?私たちのことですよね?」
「そうよ。私たちの世界の歴史の教科書には、あなたたちのような種族の生態や文明の記録が詳しく残っているわ」
「なんだか、博物館の奥に飾られている恐竜みたいな扱いですね……。もうちょっとこう、聞き馴染みのいい言い方はないんですか?」
「そんなことを私に言われても困るけれど……。そんなに響きが気に入らないの? うーん……そうね。じゃあ、今日から『地上人』というのはどう?」
「……まあ、さっきのよりは多少マシですね。受け入れます」
「そう。では、これからは地上人と呼んであげるわ」
「別に、そんな恩着せがましく言わなくてもいいんですけど……」
そんな軽口を叩きながら、夕暮れの住宅街を並んで歩いているうちに、いつの間にか辺りはすっかり暗くなっていた。
ふと見上げた夜空には、秋の澄んだ空気が広がっている。
「あ、すっかり遅くなっちゃいましたね。早く帰りましょう。お母さん、心配してるかも」
「待って、さわ。足を止めなさい。あれは……もしや『メシュ』?」
「メシュって……? ああ、あれのことですか? あれは月ですよ」
「月……?」
ミナカは立ち止まり、夜空を見上げた。
「あの夜空に浮かぶ巨大な発光体……。地底の人工的な疑似太陽とは違って、なんていうか……こう、不規則な輝きを放ちながら、周囲の闇を圧倒しているわ」
彼女はしばらく言葉を失ったように、月を見つめていた。
「すごく……美しい。まさか、地上に出てきて最初にこんな素晴らしいものが見られるなんて……」
その声には、いつもの尊大な響きがなかった。
夜空にぽっかりと浮かぶ満月を見上げて、ミナカは珍しく目を輝かせ、うっとりと見入っている。
普段のマイペースで偉そうな態度からは想像もつかない、年相応の少女らしい横顔だった。
私は思わず、そんな彼女の顔をじっと見つめてしまう。
――なんだ。こういう顔もできるんだ。
少しだけ意表を突かれながら、私はミナカと同じように夜空を見上げた。
「それにしても、地上は地底の都市に比べて圧倒的に明かりが多いわね。もっとこの夜のメシュを楽しむべきだわ」
「いや、ずっと立ち止まって見上げていたら、不審者に見られますって。ほら、歩きますよ」
「まったく、風情の分からない地上人ね……」
名残惜しそうなミナカをなだめながら、私たちは再び歩き始めた。
さらに数分ほど進んだところで、前方の角に、ひときわ眩しい蛍光灯の光を放つ建物が見えてきた。
ガラス張りの自動ドアの横には、色とりどりの飲料や菓子のポスターが貼られている。
「ねえ、さわ。あそこの、ひときわ明るく輝いている建物は何?」
「あそこですか? コンビニですよ。ちょっと寄っていきます?美味しいアイスとかスイーツとかもありますよ」
「『スイーツ』が何なのか、私のデータベースにはないからさっぱり分からないけれど……。なんだか、ものすごく知的好奇心をそそられる響きね。急ぐぞ、さわ!」
「だから、そんなに慌てなくてもコンビニは逃げませんってば!」
言い終わる頃には、ミナカはすでにコンビニへ向かって歩き出していた。
私たちは自動ドアをくぐり、冷暖房の効いた店内へと足を踏み入れる。
すると、ミナカは目の前に広がる光景に息を呑んだ。
棚という棚に、色鮮やかなパッケージのお菓子や、見たこともない形の食品が所狭しと並んでいる。
「なによ、これ……!小さいけれど、どれもこれもキラキラして、宝石みたいに並んでいるわね!」
ミナカは棚から棚へと視線を走らせ、興奮した様子であちこちを見回している。
「あそこの棚にある、白い円柱状の物体……。あれがものすごく美味しそうに見えるけれど、いったい何なの?」
「ああ、あれはロールケーキですね。生クリームがたっぷり入っていて、甘くてすごく美味しいんですよ。よし、じゃあ今日のデザートはこれにしましょうか」
せっかくの休日だ。たまには、こういう寄り道も悪くない。
私はカゴを手に取り、スイーツコーナーへ向かった。
「これも気になるわね。ねえ、これは何?あっちの棚にあるものは、どういう構造の食べ物なの?」
「ええと、そっちはプリンで、こっちはシュークリーム……。ミナカちゃん、質問するのはいいけど、あんまり大きな声で騒がないでね?」
「ふむ……。地上の食文化は、想像以上に奥が深いわね」
目を輝かせるミナカに質問攻めにされながら、私たちは家族の分も含めて、ロールケーキを四つほどカゴに入れた。
――この調子だと、家に帰るまでに何回足止めされることやら。
そんなことを考えながら会計を済ませ、私たちは店を後にした。
こうして私たちは、秋の夜風を感じながら、甘い戦利品を抱えて仲良く家路についたのだった。




