第5話『3分間の待機時間と、容赦ないスープ泥棒』
「さて、問題は――このような文明の進んでいない環境において、私の脳に匹敵するエリートが、『大学』とやらで学ぶべきことなど、そもそも存在しないというところなのよね」
ミナカはソファに深く腰掛け、腕を組んで深刻そうに唸っていた。
――いや、そもそも大学ってそういう場所じゃないからね?
というか、普通の大学生として潜り込むつもりなら、少しは人間社会に合わせる努力をしてほしいものだ。
「確かに、普通の大学に行って、うっかり空を飛ばれたりしたら周囲が困るし……。何か、私の高度な知性を退屈させない分野はないものかしら」
「うーん……。じゃあ、父の趣味だった古いカメラでも貸そうか? これ、まだ実家にあるはずだし」
「カメラ?それは何の機能を持つ道具なの?」
「これだよ。ここをこうやって覗いて、ボタンを押すと、目の前の景色を画像として記録できるの」
「なんだ、そんなもの。指輪のナノマシンで空間を直接スキャンすれば、網膜に永久保存できるのに……」
「もー!そういう問題じゃないでしょ! アナログな機械だからこそのロマンがあるの!」
「ふん……。まあいいわ。古代種の文化に触れるのも、研究の一環として悪くないか。ねえ、指輪。【イントゥルザオン】調べて」
『――承知しました。芸術系の高等教育機関をスキャンします』
『――写真技術を研究対象とするのであれば、「高岡芸術大学 芸術学部 写真学科」の一般学生枠が妥当かと』
「うむ、それでいこう。登録よろしく」
『――登録完了しました。「高岡芸術大学 芸術学部 写真学科」の一年生として、戸籍および学籍データのハッキング・統合を完了しました』
「――ちょっと、ちょっと、ちょっと! さらっとまた凄いことしなかった!?」
もうだめだ。
このエルフを相手に真面目にツッコミを入れていたら、私の寿命が縮まる。
私は現実から目を背けるように、深くため息をついた。
必要以上にエネルギーを使いすぎたせいか、お腹がグーッと情けない音を立てる。
時計を見ると、すでに午前十一時五十分を回っていた。
少し早いけれど、お昼にしよう。
私は立ち上がり、棚からストックしてあったカップ麺を二つ取り出した。
「なにをしているの?」
「お腹が空いたから、お昼にしようと思って。ミナ……じゃなくて、ミナカちゃんもカップ麺食べる?」
「いただくわ」
「醤油味とカレー味、どっちがいい?」
「どう違うのかさっぱり分からないけれど、とりあえず『醤油味』とやらを試させてもらうわ」
「はーい」
私はお湯を沸かし、カップ麺の蓋を開けて、熱湯を勢いよく注いだ。
「ふう。じゃあ――」
「待ちなさい。なぜ蓋をして、じっと見つめているの?」
「カップ麺は、お湯を入れてから三分待たなきゃいけないのよ」
「相変わらず面倒くさい生活よね、古代種は。【アヴァンソ・ラピド】。指輪のタイムコントロールで、内部の時間を三分ほど早めて――」
「――って、何やってるの! そんなことで、この世界の物理法則や時間を勝手に狂わせないでください!」
「その方が効率的じゃないの?」
「違うの! この『三分間待つ』という焦れったい時間こそが、出来上がったときの美味しさを何倍にも引き上げる、重要な儀式なの!」
「よく分からない理論ね……」
ブーブーと文句を言うミナカを横目に、私はキッチンタイマーのボタンを押した。
……ピピピピ、ピピッ。
「はい、三分経ちました!いただきまーす!」
私は蓋を剥がし、箸で麺を持ち上げると、勢いよくズズッ、ズルズルッと音を立ててすすり込んだ。
「なんだか、食べ方が少し汚らしくない?」
「ノーノー! 日本の麺類は、こうやって空気と一緒に勢いよくすするからこそ、香りが引き立って美味しいの!」
「本当かしら……。どれ」
ミナカも興味津々といった様子で、自分のカップ麺の蓋を開けた。
そして、私を真似するように箸で麺をつかみ、見よう見まねで口に運ぶ。
――ズズズズッ……!
「……っ!?」
ミナカの綺麗なルビー色の瞳が、驚愕に見開かれた。
「な、なんだこれは……!濃厚な出汁の旨味と、香ばしい油が口いっぱいに広がる……! 美味いっ!」
「でしょ、でしょ?」
私は得意げに胸を張った。
そんな私をよそに、ミナカは夢中になって麺をすすり続ける。
そして、ふと私の手元に目を落とした。
そこには、さっきまで彼女が気にしていた、もう一つの味――『カレー味』のカップ麺があった。
「ねえ、さわ」
「ん?」
「そっちの、いかにもスパイシーでいい匂いのする物体も……なかなかオイシソウね」
「あ、これ?ちょっとだけだよ?」
私が少し取り分けてあげようとした、その瞬間――。
ミナカは私の制止を華麗に無視した。
自分の麺を食べ終えるや否や、私のカレー味のカップ麺をすごい勢いで引き寄せたのだ。
ズズズズッ……! ゴクゴクゴクンッ!
「あ――っ!私のカップ麺が!」
気づいたときには、カレー味の麺どころか、スープまで一滴残らず胃袋に収められていた。
ミナカは満足げにふぅっと息をつき、空っぽになった容器をテーブルに置いた。
「……ごちそうさまでした」
「ちょっと――!私の分のカレー味が空っぽじゃない!」
「ふっ、美味いものを素早く制圧するのも、エリート研究者の重要なスキルよ。さわ、ごちそうさま。午後からは、さわの言う『芸術大学』とやらの下見でも付き合ってあげるわ」
「いや、そこは私が付き合ってあげる立場でしょ……。ていうか、私の昼食はどうしてくれるのよ!」
こうして、私の平穏な昼食タイムは、胃袋とプライドを容赦なく奪われて幕を閉じたのだった。




