第3話『突然のハッキングと、自称お姉ちゃん降臨』
「あ、お母さんからだ。ごめん、ちょっとメッセージ確認するね」
あやはポケットからスマートフォンを取り出し、画面をタップした。
それを横目で眺めながら、私は心の中で鼻を鳴らした。
(なんだ、わざわざこんな薄っぺらい板を通さないと通信もできないの? つくづく、古代種の文明は不便で非効率ね)
「お母さんが早く帰ってきなさいって言ってるから、私、もう行くね。ミナーガさん、さようなら!」
「ああ、気をつけて帰りなさい」
あやが立ち去ると、さわが私に向き直った。
「あのさ、ミナーガさん。せっかくだから、うちに来ない? よかったら、お茶でも飲み直さない?」
ふむ。
古代種の住処か。どうせ原始的な住居だろうけれど、文明レベルを観察するには悪くない。
「いいわね。案内してくださるかしら」
「うん、じゃあ行こっか!」
では、さっそく――。
私は右手の指輪に触れた。
「【フルツアンテ】。飛行モード起動。さわを連れて――」
「わっ!?」
指輪の磁場を操作し、ふわりと宙に浮かび上がった瞬間、さわが驚きのあまり、ひっくり返りそうになった。
……ああ、そうか。
古代種は指輪を持っていないから、重力に縛られたままなのね。
それにしても、これくらいの浮遊移動なら、地底では子供だって日常的にこなしているのに。
「なによ、さわは飛べないの?」
「そんなのできるわけないでしょ!?ミナーガさんの国って、一体どうなってるのよ! 空を飛ぶって何なの!?」
私は不思議に思い、脳内の指輪に問いかけた。
『――確認。古代種は自力での飛行能力を有していません』
なるほど。やっぱりそうなのね。
仕方ないわ。
本当は飛んで移動したいところだけれど、今日は古代種に合わせて歩いてあげるとしましょう。
「分かったわ。歩けばいいのね?」
「うん……。できれば、普通に歩いてくれると助かるかな……」
さわは、まだ少し引きつった顔をしていた。
……まったく。地上での生活は、想像以上に不便そうね。
*
「――で、ここが私の家よ」
「ほう……」
私は目の前に建つ、四角いコンクリートの建造物をじろじろと観察した。
「もっとこう……土を掘っただけの洞穴みたいなものを想像していたのだけれど」
「洞穴なわけないでしょ! ここは普通の一軒家だよ!」
さわは呆れたように言いながら、玄関の引き戸を開けた。
「さっ、どうぞ。靴は脱いで上がってね」
「靴を脱ぐの?なぜ?」
「なぜって……家の中を汚さないためだよ!」
「なるほど。わざわざ履物を脱ぎ履きすることで、室内の清潔さを保っているのね。なかなか手間のかかる仕組みだわ」
「そういう大げさな話じゃないんだけど……」
さわの小言を聞き流しながら、私は家の中へと足を踏み入れた。
案内されたリビングは、想像していたよりもずっと整っていた。
テーブルやソファがあり、壁には時計が掛かっている。特別に高度な設備があるわけではないけれど、生活するには十分そうだ。
そんな部屋の中で、私の目を引いたものがあった。
テーブルの上に置かれた、一冊の冊子だ。
「これは……?」
「あ、それ?漫画だよ」
漫画?
私は興味を引かれ、その冊子を手に取った。
ページをめくると、そこには色鮮やかな絵と、吹き出しの中に書かれた文字が並んでいた。
「ふうん……。この紙の束を、一枚ずつめくって読むのね」
「そうだよ。普通はそうやって読むものだからね」
「面倒ね……。直接、脳内のデータストレージに送信して読めないの?」
「そんな機能あるわけないでしょ!紙をめくって読むの!」
「ふん……。まあいいわ。どれ、暇つぶしに拝見させてもらおうかしら」
私はソファに腰を下ろし、漫画を読み始めた。
――そして、数分後。
「こ、これは……素晴らしい……!」
私はページをめくる手を止め、感動に震えていた。
「未来からやってきた、青いタヌキ型の万能ロボットが、ポンコツな一般少年の家に居候している……!しかも、不思議な道具で少年の夢を叶えたり、日常を大騒動に巻き込んだりするですって!?」
思わず声が大きくなる。
「なんて素晴らしい共生システムなの……!地上の古代種は、こんな最高の設定を考え出して楽しんでいるわけ!?」
私の中で、何かが盛大に弾けた。
(そうか……。私が求めていた刺激と研究対象は、まさにこれだわ!)
(わざわざ地下の退屈な管理社会に帰る必要なんてない。私もこの地上で、この『居候システム』を完全に再現してやる!)
私は漫画をそっとテーブルに置くと、右手の指輪を操作した。
「ねえ、指輪。【ヘイスクレヴェウ】。この国の行政ネットワークにアクセスできる?」
『――マスターの権限でアクセス可能です。どのような操作を行いますか?』
「この国の人間には『戸籍』という社会管理システムがあるようね。私の情報もそこに登録したいのだけれど、何とかならないかしら?」
『――承知しました。現行データベースへのアクセスを開始します』
指輪の内部で、膨大な情報が処理されていく。
『――登録情報の作成が完了しました。田中さわの家族データに、新たな個体情報を統合します』
『続いて、周囲の古代種の認識データを上書きできます。対象者の認知を改変しますか?』
私はちらりと、目の前でポテトチップスをかじり始めたさわに目を向けた。
そうね……。
せっかく居候するのなら、家族として認識してもらったほうが何かと都合がいいだろう。
「そうね。さわの両親や友人関係のデータには、私を『さわの姉』として登録しておいて」
『――了解しました。周辺の生体認識および関連記録の書き換えを実行します』
その瞬間。
さわが、ぴたりとポテトチップスを食べる手を止めた。
「……え?」
彼女は眉間を押さえ、困惑したように首を傾げた。
「今……なんか変な感じがした……。頭の中に、急に知らない記憶が流れ込んできたような……」
「なにかしら?」
「えっ、だって……お姉ちゃん?私、お姉ちゃんなんていたっけ……?」
さわはぶつぶつとつぶやきながら、記憶を探るように目を泳がせた。
「……あれ?でも、私には少し離れた大学に通っている、銀髪の綺麗なお姉ちゃんが……」
そこで、さわの動きが止まった。
「って、えええっ!?」
彼女は勢いよく私を振り返った。
「な、なにをしたの、ミナーガさん!?今、私の記憶に『田中さわの大学生の姉』ってイメージが……っ!」
「ふふっ。どういうもこうもないわよ。文字どおり、私は今日からあなたのお姉ちゃんとして、この家で暮らすことに決めたの」
「はあぁぁ!?ちょっと待って! 勝手にうちの家族構成を書き換えないでよ! 大犯罪だよ、それ!」
「それにしても、おかしいわね?」
私は首を傾げた。
「ちゃんとお姉ちゃんとして登録したはずなのに、どうして呼んでくれないの?」
『――確認。対象の自我が強いため、周囲の認知改変が一部拒絶されています』
「へえ、そうなの?」
私は感心した。
「古代種にも、なかなか興味深い個体がいるのね」
「感心してる場合じゃないでしょ!?」
さわは頭を抱えた。
「これからよろしくね、さわ!」
「よろしくできる要素がどこにあるの!?」
私は、さわの抗議を華麗に聞き流した。
「だって、あの青いタヌキみたいに居候するなら、身分を証明する戸籍データくらい必要でしょう?」
「漫画と一緒にしないで! あと、そういう問題じゃないから!」
「ふむ。なるほど。地上では、何をするにもいちいち説明が必要なのね……」
「そういう問題でもないってば!」
私はさわの声を背に、スタスタとリビングを出て廊下へ向かった。
「さて。さすがに、押し入れで生活するわけにもいかないし……」
「ちょっと待って。何をする気?」
私は廊下の壁を眺めながら、指輪の機能を確認した。
「この辺りの空間構造なら、微小な次元歪曲を利用すれば、簡単に拡張できそうね」
「……え?」
「【エスパンスォン】。新たに、私のプライベートスペースを作成……完了」
ゴゴゴゴ……。
小さな振動が起こったかと思うと、廊下の壁の一角がふわりと光った。
次の瞬間。
そこには、さっきまで存在しなかったはずの扉が現れていた。
私は何のためらいもなく扉を開ける。
その向こうには、広々とした部屋が広がっていた。
整った内装に、ふかふかのベッド。収納スペースも十分で、生活に必要な設備もひととおりそろっている。
「うん。悪くないわね」
私は満足げに頷いた。
一方、さわはというと――。
「な、なにこれ……。壁の中に、新しい部屋が……増えた……?」
口を半開きにしたまま、現実を受け入れられずに立ち尽くしていた。
やがて、彼女は膝から崩れ落ち、その場にへたり込んだ。
私は新しく作った部屋に入り、ふかふかのベッドに腰を下ろした。
「よし。これで地上での生活基盤は完璧ね!」
「完璧じゃないよぉ……」
背後から、さわの力ない声が聞こえた。
振り返ると、彼女は頭を抱えながら、ふらふらとゾンビのようにこちらへ近づいてきた。
「あの……ミナーガさん。一応、言っておくけど……」
「なあに?」
「日本人で『ミナーガ』なんて名前、どこをどう探しても絶対に通じないからね? よくて外国人……いや、もう、やってることは侵略に来た宇宙人だよ!」
「嫌ねえ。宇宙人なんているわけないじゃない」
私はあっさりと答えた。
「じゃあ、どうすればいいかしら? 何かおすすめの偽名はある?」
さわはしばらく私を見つめていたが、やがてぐったりと肩を落とした。
「……もう何でもいいよ。その名前をちょっとアレンジして、『ミナカ』とかにしとけば?」
「ミナカ……」
私は、その響きを口の中で転がしてみた。
「いいわね。気に入ったわ」
私はふっと微笑み、ベッドから立ち上がった。
そして、まだ床にへたり込んでいるさわの肩に、お姉ちゃんらしく優しく手を置いた。
「よし。じゃあ、さわちゃん!」
「……なに?」
「これからは、お姉ちゃんのミナカとして、いろいろよろしくね!」
「……もう勝手にして……」
さわは、すべてを諦めたように遠い目をした。
こうして私は、地上での新生活を始めることになった。




