第2話『未知との遭遇と、ポテトチップス』
「まもなく凱歌の大穴を抜けますが、よろしいですか?」
指輪が、いつもどおり冷静な合成音声で問いかけてきた。
「あの穴、そんな名前だったのね。もちろん、オーケーよ!」
私は返事をすると、推進力を限界まで引き上げた。
ドゴォォォン――!
耳をつんざくような轟音とともに、私の体はついに大穴を抜けた。
「――すごい!すごいわっ……!」
私は思わず急ブレーキをかけ、空中にピタリと静止して周囲を見回した。
そこには、地底の閉塞感など微塵もない、どこまでも果てしなく広がる青い空があった。
天井がない。
頭上には、巨大な発光体が眩しいほどの光を放っている。人工的な疑似太陽などではない。本物の太陽だ。
何も起動していないのに、風が頬を撫でていく。
空気そのものが生きているかのようだった。
(まるで、まったく別の宇宙に放り出されたような気分だわ……!)
感動に浸っていると、遠くの空から何かがこちらへ向かってくるのが見えた。
「もしかして、歴史の授業で映像資料を見た『鳥』かしら?」
次の瞬間。
ブオオオオォォン――!
大きな爆音を響かせながら、翼を固定した巨大な金属の塊が、私のすぐ横を通り過ぎていった。
「あーあ、残念。地上で初めて出会う野生生物だったから、挨拶くらいできるかと思ったのに……」
『――否。あれは鳥ではありません。古代の乗り物、「飛行機」です』
「飛行機?」
私は、遠ざかっていく金属の塊を見つめた。
「あんなに大きいのに、動きもずいぶん鈍そうね。あんなものに乗るくらいなら、自分で飛んだほうがよっぽど早いのに――って、待って。なんで古代の乗り物が空を飛んでいるの!?」
『この地表圏には、古代種が現在も生存している可能性があります』
「なによ、それ!?」
私は思わず身を乗り出した。
「ということは、文献でしか見たことのない古代種に、直接会えるかもしれないってこと?うわぁ、急に楽しみになってきたわ!」
地底で暮らしていた頃には、こんな展開など想像もしなかった。
やっぱり、未知の世界は最高だ。
私は【フルツアンテ】を操作して飛行モードを解除すると、眼下に広がる緑豊かな平原へ向かってゆっくりと降下した。
ふわり。
足が地面に触れる。
そこには土があり、草が生え、風が吹くたびに木々がざわめいていた。
地底の空調管理された空気とはまるで違う、草や土の生き生きとした匂いが鼻をくすぐる。
「……ふふっ。最高じゃない」
地底で過ごしてきた退屈な毎日を思えば、ここはまさに楽園だ。
私は近くにあった大きな木の下まで歩いていき、心地よい木陰に腰を下ろした。
「さて、と。少し休憩しましょうか」
こうして私は、地上での第一歩を踏み出したのだった。
*
「ねえ! さわちゃん、今の聞いた!?」
「うん、聞いたよ。地獄の逆目のあたりから、ドカーンってすごい音がしてさ。風圧みたいなのも、ここまで届かなかった?」
「やっぱり?聞こえたのは私だけじゃなかったんだ!」
私たちは放課後、地元で「絶対に入ってはいけない危険スポット」として知られる『地獄の逆目』の近くにある雑木林で、のんびりと過ごしていた。
地獄の逆目は、底が見えないほど深い大穴だ。
「落ちたら二度と戻れない」「穴の底から不気味な何かに引きずり込まれる」――そんな噂があり、大人たちからも近づかないよう厳しく言い聞かされている。
とはいえ、穴にさえ近づかなければ、このあたりにはほとんど人が来ない。
私たちにとっては、誰にも邪魔されずにダラダラできる最高の場所だった。
だからこそ、すっかり油断していたのだけれど。
「どうする?ちょっと様子を見に行ってみる?」
「ええ?でも、もし本当に私たちの平穏を脅かすヤバい何かが落ちてきてたら、一大事だよね……?」
「そ、それはそうだけど……」
私たちは顔を見合わせた。
結局、好奇心には勝てず、足音を殺しながら木の枝の隙間から穴の方向を覗き込むことにした。
――しかし、そこにいたのは恐ろしい魔物でも、不気味な怪異でもなかった。
「……あれ?」
「え、嘘……」
そこには、人間とは思えないほど美しい少女が、すやすやと気持ちよさそうに眠っていた。
銀色の髪が太陽の光を浴びてキラキラと輝き、顔立ちはまるでお人形さんのよう。
そして、何より目を引くのが、頭の両側からピンと伸びた尖った耳だった。
「これって……エルフみたいじゃない?」
「え、待って。外国人のコスプレ撮影?いやいや、耳がどう見ても本物じゃない!?」
どうリアクションすればいいのか分からず、私たちはその場で固まってしまった。
すると、その美少女が「ん……」と小さくつぶやき、ゆっくりと目を開いた。
大きな赤い瞳が、私たちを捉える。
そして――。
「■▲※●――!」
聞いたこともない言葉が、透き通るような声で紡がれた。
……もちろん、何を言っているのかはさっぱり分からない。
英語ですら怪しい私たちに、未知の言語を理解しろというのは無理な話だった。
*
眠りから目を覚ますと、私より少し幼く見える少女が二人、目の前で固まっていた。
なるほど。
もしかすると、彼女たちが文献に記されている「古代種」の人間なのね。
これは幸先がいい。
「こんにちは」
私はひとまず、友好的に挨拶してみた。
しかし、二人は首をかしげるばかり。どうやら、言葉が通じていないらしい。
ふむ。
ここは慌てず騒がず、指輪の出番ね。
私は右手の指輪を、トントンと叩いた。
【トラドゥサオン】
『――音声認識システム起動。古代語のリアルタイム翻訳機能をロードします』
指輪が私の思考を解析し、彼女たちの言語に変換したうえで、私の口から発声できるよう再構築してくれる。
準備は万端だ。
私は改めて、自信満々に声をかけた。
「こんにちは」
今度は、きちんと意味が伝わったらしい。
二人のうち一人が、驚きながらもはっきりと返事をしてくれた。
よし。
せっかくの初めてのコンタクトだ。ここは友好的に接し、古代種の文化についていろいろと教えてもらうとしよう。
「私の名前はミナーガです。あなたのお名前は?」
「私は田中さわです!こっちは友達の松井あやなちゃん。こんなところで何してるの? ここ、大人に怒られる危ない場所なんだよ?」
「旅でこちらに来たのですけれど、分からないことばかりで……」
「へえ、旅行ねえ。ってことは、日本は初めてですか?」
「ここは、ニホンという名前の場所なのですね?」
「えっ?日本を知らずに来たんですか……?」
しまった。
いきなり無知を露呈してしまった。
私は反射的に頭をフル回転させ、必死に言葉を取り繕った。
「あ、ええと!私の故郷では別の呼び方をするもので……その……!」
「そうですよね!ほら、外国の人ってJAPANとかジパングとか言うもんね!」
「そうです!そうです! まさにそのとおりです!」
あやちゃんと呼ばれた少女が勝手に納得してくれたので、私は内心で大きく胸をなで下ろした。
危ない危ない。
初対面で不審者扱いされ、通報されるところだったわ。
そんな私の内心など知る由もなく、さわはニコニコしながら提案してきた。
「せっかく出会ったんだし、よかったら三人でお茶でもしませんか? 私、おやつを持ってきてたんだ」
そう言って、彼女は背負っていたリュックサックをごそごそと探り始めた。
「オチャ……ですか?」
差し出されたのは、透明な容器に入った茶色い液体だった。
私は思わず首をかしげた。
(なんなの、この古代種は……。わざわざ重くてかさばる容器に液体を入れて、持ち歩いているの?)
(水分が欲しければ、指輪で大気中から生成すれば一瞬なのに……)
よく見ると、彼女たちは二人とも指輪を装着していなかった。
まだ幼いから持っていないのだろうか?
いや、体格から考えれば、すでに支給されていてもおかしくない年齢のはずだ。
(なるほど。この時代の人間は、指輪の技術すら失っているのね……。文字どおり、未開の古代種ということかしら)
私は心の中で少しだけ同情した。
とはいえ、せっかくの好意を無下にするのも失礼だ。
私は恐る恐る容器を受け取り、蓋を開けて一口飲んでみた。
「――うげぇっ!?」
あまりの苦さに、思わず身をのけぞらせてしまった。
な、なんなの、これ!?
舌に広がる渋みと、よく分からない苦味。
もしかして、私に対する嫌がらせなのかしら?
「あ、ごめんなさい!お茶って、初めて飲む人にはちょっと苦かったよね!? こっちはおいしいお菓子だから、こっちをどうぞ!」
さわは慌てて飲み物を引っ込めると、今度は別の袋を差し出してくれた。
中から出てきたのは、薄くて丸い、ひらひらとした黄色っぽい物体だった。
……なんだろう、これは。
警戒しながらも、私は一枚つまんで口に放り込んだ。
パリッ。
軽快な音が響いた瞬間、口の中にコクのある旨味と、脳を直接殴られるような強烈な塩気が弾けた。
噛めば噛むほど旨味が広がり、後からスパイスの風味が追いかけてくる。
「――な、なんなの、この複雑で背徳的な味わいは……っ!?」
私は目を見開いた。
地底で食べていたのは、栄養バランスだけを考えて作られた、味気ないキューブ状の食事やペーストばかり。
それらとは、まるで次元が違う。
これは、旨味と快楽のために作られた物質だ。
「どう?そのポテチ、コンソメ味なんだけど、おいしいでしょ?」
さわが、何でもないことのように尋ねてきた。
「お、おいしい……ですって?」
私は思わず、手元のポテトチップスを凝視した。
「食事というのは、本来、効率的に栄養を摂取するためのものでしょう?味なんて、必要ないはずなのに……。どうして、こんな、生きるために必要のない快楽が口の中で爆発しているの!?」
「え、ええと……おいしいから、だよ?」
さわは少し困ったように笑った。
「ミナカさんの国では、こういうの食べないんだ?」
「残念ながら、私の故郷にはこんな贅沢品はありません……」
私は思わず、かしこまった口調になってしまった。
そして、ふと疑問が湧いた。
「というか、あなたたち二人は、もしかしてこの国の王族か何かでいらっしゃるの?」
「あはは、そんなわけないじゃないですか!私たちはごく普通の、どこにでもいる一般市民ですよー」
――一般市民が、こんなにおいしいものを日常的に食べている?
私の中で、これまで信じてきた価値観が音を立てて崩れ去っていく。
退屈な管理社会を飛び出してきた私が、地上に期待していたのは、未知の生物や新しい文明との出会いだった。
ところが、どうだろう。
文明が遅れていると思い込んでいたこの世界には、私たちがとうの昔に忘れてしまったものがある。
それは――食べることそのものを楽しむという、贅沢な文化だ。
この地上には、まだ私の知らない味がいくつも存在しているに違いない。
そう考えるだけで、胸が高鳴った。
私はポテトチップスを握りしめ、さわの顔をまっすぐに見つめた。
「……ねえ、さわ」
「ん?なあに?」
「この『ポテトチップス』という物質について、もっと詳しく教えてもらえるかしら?」
私は真剣な表情で告げた。
「これは……徹底的な調査、いえ、研究が必要だわ!」
こうして、私の新たな研究は、この緑豊かな平原から幕を開けたのだった。




