第1話『退屈な地底と、地上の大穴』
暇だわ……。とてつもなく暇だわ……。
私住むフールエ村は、いつだって退屈で、どこまでも平和だった。
天井を見上げれば、規則正しく配置された人工の疑似太陽が、決められた周期で明るさを変えている。気温は一年を通して誤差一度以内に管理され、地底人が暮らすには申し分のない環境が整えられていた。
雨も雪も降らない。
そんなものは、歴史の授業や古いデータベースの中でしか見たことがなかった。
空から水が降ってくるなんて、本当に実在するのだろうか。そもそも、わざわざ空から降らせるなんて、非効率にもほどがある。
私たちの生活に、不便なことなどほとんどなかった。
喉が渇けば、指輪のナノマシンが大気中の水分を集め、瞬時に飲料水を生成してくれる。調理に熱が必要なら、指輪を使ってエネルギーを供給すればいい。家事も、移動も、医療も、この小さな指輪ひとつで大抵のことは解決してしまう。
村の住民は誰もが、物心ついた頃から一人ひとつずつ指輪を支給され、体の一部のように使いこなしていた。
便利すぎるのだ。
そして、便利すぎる世界は、私にとって退屈すぎる世界でもあった。
私はまだ九十歳。寿命が二千年近くある私たち地底人にとっては、ようやく大人になったばかりの若者だ。
いわゆる、遊び盛りというやつである。
それなのに、この村には驚くような変化が何ひとつない。毎日が同じように過ぎていき、この先の人生まで見えてしまう。
もっと刺激が欲しい。
予測不能な出来事に振り回され、自分の体を動かして汗をかき、生きている実感を味わえるような何かが。
そんなことを考えていた私の目は、いつしか村のはるか上方へと向かっていた。
そこには、ひと際不気味な存在感を放つ巨大な穴が、ぽっかりと口を開けている。
その穴を越えた者は、二度と故郷に帰ってこなくなる。あるいは、運よく戻ってきたとしても、何かに取り憑かれたような奇怪な言動をとるようになるという。
子供の頃から、嫌というほど聞かされてきた話だ。
もちろん、これまでにも、あの穴を越えようとした地底人はいたらしい。
ただし、普通の指輪であの穴を越えるのは、命懸けの挑戦だったという。飛行制御が難しいうえ、穴の向こうに何が待ち受けているのかもわからない。無事に帰ってこられる保証など、どこにもなかった。
それでも、未知の世界を求めて旅立った者たちはいた。
そして、帰ってこなかった者もいれば、運よく戻ってきたものの、まるで別人のようになってしまった者もいた。
そんな話が繰り返されるうちに、あの穴は誰も近づいてはならない場所として、村人たちに恐れられるようになったのだ。
「あんな危険な場所には近づいてはならない」
それが村の常識だった。
けれど、私にはどうしても納得がいかなかった。
なぜなら、あの穴の向こうには、村の疑似太陽とはまるで違う光が見えるからだ。
決められた時刻に明るくなり、決められた時刻に暗くなる。そんな規則正しい光ではない。
強烈に輝いたかと思えば、ふっと弱まり、また思い出したように明るくなる。
まるで、何かが生きているかのように。
――あの先には、何があるのだろう。
一度そう考えてしまうと、もう目を離すことができなかった。
もちろん、周囲の反応は冷ややかだった。
母親からは「あんなものに興味があるなんて、ミナーガも変わり者だねえ」と、呆れ顔で笑われる。
同じ村の幼馴染であるルミアちゃんなんて、「あの穴の先にあるのは地獄に違いないわ。気味の悪いことを考えるのはやめておいた方がいいわよ」と、本気で宇宙人でも見るような目を向けてくる始末だった。
……いや、地底人の私からすれば、宇宙人というのも十分に気になる存在なのだけれど。
とにかく、誰も私の好奇心を理解してくれなかった。
でも、私はどうしても諦められなかった。
実は、私には心強い切り札があった。
右手にはめた、この指輪だ。
もっとも、これには少しばかり秘密がある。
この指輪、ドワルフ村に住む幼馴染のカンナちゃんに、こっそり改造してもらった特別仕様なのだ。
カンナちゃんたちドワーフ族は地底人の中でも指折りの技術者集団で、機械いじりとなると目の色が変わる。以前、私が指輪の飛行機能について相談したところ、面白そうだからと二つ返事で引き受けてくれた。
その結果、磁場制御と気流解析の機能が大幅に強化され、長距離飛行もお手のものになった。あの巨大な穴を越えるくらいなら、余裕でこなせるはずだった。
……まあ、カンナちゃんには「絶対に変なことに使わないでよ、私が怒られるんだからね」と念を押されていたのだけれど。
ごめんね、カンナちゃん。
たぶん、これからすることは、カンナちゃんの想像をはるかに超えていると思う。
それに、私はついこの間、基礎学術機関を卒業したばかり。指輪のシステム構築も一通りこなせるし、社会的な手続きの上では立派な大人の仲間入りをしている。
つまり、自分の責任で旅に出る権利くらいあるはず。
……もちろん、母親にそんなことを正直に話せば、間違いなく反対されるだろうけれど。
そもそも、私たち地底人の寿命は二千年近くある。
成人したばかりの九十歳なんて、人生のスタートラインに立ったばかりだ。あと百年もすれば、村の決まりに従って適当な相手と結婚し、子供を産み、何百年も続く日常に組み込まれていくのだろう。
もちろん、それを幸せだと思う地底人もいるはずだ。
でも、少なくとも私には、そんな未来はまっぴらごめんだった。
先が見えすぎている人生なんて、退屈にもほどがある。
私は、まだ知らない世界を自分の目で見てみたい。
そうと決まれば、行動あるのみ。
私はその日の朝、何食わぬ顔で母親に話しかけた。
「ねえ、ミナーシェお母様。私、ちょっと旅に出ようと思うの」
私たち地底人の間では、ほかの地下都市や居住区を見て回るために旅に出る若者も少なくない。
何しろ寿命が二千年近くもあるのだ。十年や二十年ほど家を空けたところで、周囲からは「ちょっと放浪癖があるね」で済まされる。
長期旅行そのものは、決して珍しいことではなかった。
「あら、いいんじゃない? 若いうちにいろいろなところを見ておくのは勉強になるしね」
母親は、あっさりと頷いた。
よし、第一関門突破。
もちろん、「天井の穴を越えて、地上へ行ってくる」などと言おうものなら、絶対に反対されるに決まっている。
だから私は、あらかじめ考えておいた目的地を口にした。
「隣のドワルフ村のカンナちゃんのところに、まずはお泊まりに行こうと思ってさ。そこからカンナちゃんと一緒に、いろいろな居住区を回ってこようかなって考えてるんだ」
「しっかり者のカンナちゃんと一緒なら、あんたでも大丈夫でしょ。向こうに着いたら、カンナちゃんとカンナちゃんのお母さんのクギーネさんにもよろしく言っておいてね」
「はーい、行ってきまーす!」
こうして私は、あっさりと母親の許可を取りつけた。
最小限の荷物をまとめ、指輪の収納機能にしまい込む。
あとは、出発するだけだ。
村のセキュリティゲートを抜け、人気のない平原まで歩いていく。
背後を振り返ると、そこにはいつもと変わらない地底都市の景色が広がっていた。整然と並ぶ建物も、均一に照らされた地面も、何ひとつ変わらない。
きっと明日も、明後日も、その先も。
この村は、変わらず平和であり続けるのだろう。
でも、私は違う。
ここから先は、誰も知らない未知の領域だ。
胸の奥で、期待と不安が入り混じる。
あの穴の向こうには、いったいどんな世界が広がっているのだろう。
私は右手の指輪に意識を集中させた。
「【フルツアンテ】」
『システム確認。ユーザー認証完了。飛行モードを起動します』
指輪から微かな駆動音が響く。
次の瞬間、足元の感覚がふわりと軽くなった。
磁場を制御し、周囲の気流をつかむ。体がゆっくりと地面から浮き上がっていく。
これで準備は整った。
私は頭上にぽっかりと口を開けた、あの巨大な穴を見上げた。
村の誰もが恐れ、近づこうともしなかった場所。
その向こうには、私がまだ知らない世界がある。
そう思うだけで、胸が高鳴った。
「それじゃあ、退屈な世界、しばらくさようなら!」
私は指輪の出力を引き上げた。
一気に加速し、地底の空気を切り裂くように飛び上がる。
目指すは、天井の向こう。
私の知らない世界へ。
こうして私は、生まれ育ったフールエ村を飛び出した――。




