第15話『北陸ダービーと、スタジアムグルメ』
「ミナカちゃん、こっちだよー!」
もちこちゃんの声に、私たちは人混みの中を進んでいった。
今、私たちがいるのは、試合開始前の富山県総合運動公園。場外の特設ブースにはたくさんのサポーターが行き交い、まるでお祭りのような賑わいに包まれていた。
その熱気に少し圧倒されながらも、私の足は自然と美味しそうな匂いのする方へと向かっていた。
「はじめまして、持田小春です。ミナカちゃんの……えっと、妹さん?」
もちこちゃんが私に視線を向ける。
「はじめまして。妹のさわです。いつもお姉ちゃんが色々とご迷惑をおかけして、すみません」
私はぺこりと頭を下げた。
「何を言う、さわ。私はどちらかというと、もちこの保護者として大学でも生活しているわよ」
「絶対そんなわけないじゃん!ミナカちゃんが何かやらかしてるって、簡単に想像できるんだからね!」
「ぐっ……!身内による事実無根のプロパガンダを流すのはやめたまえ、さわ君!」
初対面のもちこちゃんを前にしても、いつもどおりの調子で言い合う二人。
……うん。今日も平和だ。
今回、サッカー好きのもちこちゃんに誘われ、ミナカちゃんと私は人生初のJリーグ観戦にやってきていた。
しかも、対戦カードは富山のカターレ富山と、もちこちゃんの応援するツエーゲン金沢による「北陸ダービー」だ。
「ところで、もちこちゃん。サッカーとは、一体どのような競技なの?」
ミナカちゃんが、真剣な顔で尋ねた。
「えっ、そこから!?」
「そもそも、ボールをどうこうする以前に、ルール全体の基本設計が私の脳内データベースにインプットされていない気がするのだが……。まあ、見ていればそのうち解析できるでしょう」
「うん、まあ……試合を見ながら覚えていこうね」
もちこちゃんは苦笑しつつ、チケットを取り出した。
「今回は初めてだし、バック側の自由席を取っておいたよ!私は地元の金沢を応援したいけど、せっかくだから二人は富山を応援してね」
「もちろん!金沢の攻撃など一歩も通さず、富山が三十点差くらいをつけて圧勝する予定よ!」
「ちょっとミナカちゃん!サッカーで三十点って、そんなに取れないから!」
「そうなの?まあ、今日はそれくらい大量得点が期待できるボーナスステージかもしれないじゃない!」
「そうだったらいいわねぇ」
もちこちゃんは、なぜか楽しそうに笑っていた。
「ふふふ……。しかし、勝負の前に!」
ミナカちゃんが、くるりと周囲を見回す。
「この香ばしい匂いを放つ『スタジアムグルメ』のブース群を徹底視察しないことには、始まらないわね!」
……やっぱり、そっちが本命か。
「どのお店にしようか迷うけれど……」
ミナカちゃんは鼻をひくひくさせ、あるブースへと視線を向けた。
「このスパイシーな芳香……!私の全身のセンサーが『今すぐ摂取せよ』と警告を発している!」
彼女が吸い寄せられるように向かった先には、「雨と雪」というカレーのブースがあった。
私たちは列に並び、順番が来るのを待った。
「いらっしゃいませー!本日のカレーの辛さは『注意報』と『警報』、どちらにされますか?」
「なっ……何?一体どれほど危険な食べ物なの?」
ミナカちゃんが、警戒するように身を引いた。
「ミナカちゃん、これは辛さのレベルをそういう表現で表しているのよ」
「なんだ、そういうことか!私は人生経験豊富なエリートだから、当然『警報』でいくわ!」
ミナカちゃんは自信満々に胸を張った。
「さわはお子様だから、『注意報』でいいでしょう!」
「なんで初対面の人たちの前で、そんなに張り合うのよ……。まあ、辛いのは苦手だからいいけどさ」
私はため息をつきながら、自分の分を注文した。
その間に、もちこちゃんは別のブースへと向かっていたらしい。
「お待たせー!二人とも、こっちも買ってきたよ!」
両手に美味しそうな包みを抱え、もちこちゃんが戻ってきた。
「もちこちゃんは何を買ってきたの?」
「『大谷さんちの牛タンのシチュー』と、『ブタ家BLACK DREAMの豚すじ煮込み』!これがもう絶品なんだから!」
「ほう……。牛タンに豚すじ……。なるほど、こちらも見逃せない解析対象ね」
ミナカちゃんの目が、きらりと輝いた。
目移りするほどのご馳走を手に、私たちはワクワクしながら入場ゲートをくぐった。
*
まずは三人で座れる場所を確保し、さっそくスタジアムグルメの試食会が始まった。
ミナカちゃんは、黒く濃厚な「やさたまカレー」の警報クラスにスプーンを入れた。
そして、ひと口。
「……っ!くうっ、これは美味い……!」
最初に押し寄せてくるのは、複雑に絡み合ったスパイスの刺激。ただ辛いだけではなく、その奥には何層にも重なった深い旨味が潜んでいる。
じっくり煮込まれたタマネギとエリンギ、そして上に乗ったふわふわの「やさたま」が、荒々しいスパイシーさをまろやかに包み込んでいた。
「だが……想像以上にスパイスの圧が強いな……!」
ミナカちゃんは額にうっすらと汗を浮かべながら、私のカレーに目を向けた。
「よし、さわ!お姉ちゃんは優しいから、さわちゃんにも『警報級の大人の階段』を登らせてあげよう! ほら、こっちのカレーと交換だ!」
「私はお子様なので、ミナカちゃんがその素晴らしい刺激を一人で責任を持って完食してください」
私は自分のカレーを、さっと胸元に引き寄せた。
「むっ……!冷徹な妹ね……!」
ミナカちゃんは悔しそうに唸りながらも、自分のカレーを再び口に運んだ。
その隣で、私は注意報クラスのカレーをゆっくり味わう。
うん。私にはこれくらいがちょうどいい。
「こっちの牛タンシチューも食べてみなよ!」
もちこちゃんに勧められ、ミナカちゃんはシチューをひと口すくった。
濃厚なルーには野菜のコクがたっぷりと溶け込み、その中で牛タンがほろほろと崩れていく。
「……素晴らしい。肉の繊維が抵抗なくほどけていくわ……!」
続いて、豚すじ煮込みにも手を伸ばす。
こちらは濃厚な脂の旨味に、シャキシャキとしたネギの食感が加わり、力強い味わいを生み出していた。
「これ一杯で白米が何杯でもいけそうな完成度ね……!」
ミナカちゃんは、すっかり感動した様子だった。
「――凄く美味しい……!」
もちこちゃんも、満足そうに頷いている。
「でしょ?どれも美味しいんだから!」
「満足ね!もう試合を見なくても、今日の目的の八割は達成したわ!」
「まだ試合が始まってないからね!?何のためにここに来たのよ!」
私は思わず声を上げた。
*
やがて、ピッチに両チームの選手たちが姿を現した。
スタジアムの空気が一変する。
両サイドのゴール裏から熱い応援歌が響き渡り、手拍子と歓声が地響きのように押し寄せてきた。
「おお……。これはなかなかの音響空間ね」
ミナカちゃんは、周囲の熱気を興味深そうに観察していた。
「ところで……なぜ選手たちは手を使わず、わざわざ足でボールを蹴っているの?」
「えっ?」
「手で持った方が運送効率が良いし、何なら私の指輪の遠隔操作でボールを直接ゴールに――」
「ちょっとミナカちゃん!それをやったら、サッカーというスポーツの存在意義が完全に消滅するから!」
「なるほど……。あえて『手を使うな』という厳しい制約を設けることで、人間の身体能力の限界を引き出す高度なエンターテインメントというわけね」
ミナカちゃんは、納得したように頷いた。
「ふむ。悪くないロジックだわ」
……この人、何でも自分の理屈で納得しようとするんだよね。
試合が始まると、両チームは一進一退の激しい攻防を繰り広げた。
ボールがゴール前へ運ばれるたびに、スタジアムのあちこちから歓声が上がる。
点が入れば大歓声。惜しいシュートには大きなため息。
最初はルールを理解するのに精いっぱいだったミナカちゃんも、次第に試合に夢中になっていった。
そして、二対二の同点で迎えた後半終盤。
富山の選手がゴール前へと駆け上がり、放ったシュートが――。
ゴールネットを揺らした!
「うおおおおおおっ!」
スタジアムを揺るがすような歓声が爆発した。
周囲のサポーターが一斉に立ち上がり、喜びを分かち合う。
「な、なんだ、この振動は……!スタジアム全体の歓喜が一気に増幅されている……!」
ミナカちゃんも驚いた顔をしていたが、すぐに周囲の熱気に飲み込まれた。
「よしっ!決まったわね!」
いつの間にか、彼女も両手を高く掲げていた。
そのまま富山はリードを守り切り、三対二で勝利をもぎ取った。
*
「やっぱり、ホームの富山が勝つ運命だったのよ!」
試合終了後、ミナカちゃんは、まるで自分の手柄であるかのように胸を張っていた。
「いやいや、ミナカちゃんは何もしてないでしょ……」
「何を言う!私の応援が勝利を引き寄せたに決まっているわ!」
「はいはい……」
一方、金沢サポーターのもちこちゃんは、悔しそうに頬を膨らませていた。
「うう……!次は絶対に負けないんだから!」
「ふふん。次も富山が勝つわよ!」
「ミナカちゃん、次は私が勝つからね!」
二人は、早くも次の対決を見据えて火花を散らしていた。
……初対面のときから思っていたけど、もちこちゃんも結構負けず嫌いなんだよね。
私はそんな二人の様子を眺めながら、心の中でそっと呟いた。
(ミナカちゃん、この大学でもちゃんと新しい友達を作っているんだね……)
最初は、地上の常識を何も知らず、食べ物のことばかり考えていたミナカちゃん。
今だって食い意地は相変わらずだし、何かにつけてエリートだと張り合っている。
それでも、もちこちゃんやあんこちゃんと一緒に笑い、時には本気で勝負をして、少しずつ人間関係を築いている。
その姿を見ていると、なんだか安心する。
私は、どこか母親のような気持ちでミナカちゃんを見つめていた。
「……何よ、その安心したような目は?」
不意に視線に気づいたミナカちゃんが、怪訝そうにこちらを振り向く。
「何でもなーい。ミナカちゃんが元気そうで何よりだよ」
私は笑って答えた。
「ふむ……?まあいいわ!」
ミナカちゃんは少し不思議そうに首を傾げたあと、すぐにいつもの得意げな表情に戻った。
「さあ、次は何を食べに行こうかしら!」
「えっ、まだ食べるの!?」
「当然でしょう!スタジアムグルメの完全解析は、まだ終わっていないのだから!」
「もう、ミナカちゃんったら!」
もちこちゃんの笑い声が、夕暮れのスタジアムに響いた。




