第14話『予測演算の指輪と、賄いの夜』
「ミナカちゃん、こっちにビールを追加でお願い!」
「はい!」
「おしぼり、もう一枚もらえる?」
「はい、ただいま!」
ミナカは、客席のわずかな視線の動きやグラスの残量まで正確に把握し、客が何かを頼む前に動いていた。
その神がかった働きぶりに、カウンターの奥で調理していたおかみさんは、思わず手を止めて目を丸くした。
「ミナカちゃん、まるでお客さんの注文を予測しているみたいな速さだねぇ。うちのベテラン従業員より気が利くよ。本当に助かるわ!」
「いえ、人間の微細な行動パターンと、アルコール摂取量に応じた発話確率をバックグラウンドで解析しているだけですよ」
「さすがの観察眼だねぇ。一体どうやったら、そんなに先が読めるのかしら?」
「ははは、もちろん、私のエリートとしての基本スペックが高いからですよ!」
(――ふふふ。我が左手薬指に光る指輪の知的補助演算能力があれば、これくらいのフロアコントロールなど朝飯前よ!)
ミナカの脳内には、指輪から絶え間なく情報が送られてきていた。
『警告。四番テーブルのお子様は、まもなく食事を終える見込みです。同席のお父様はまだグラスを空けていません。デザートを提案する適切なタイミングを算出します』
『通知。カウンターの常連客がキープしている麦焼酎のボトルは、残り約二杯分です。次回の来店に備え、次の銘柄を提案する準備を推奨します』
脳内に直接届けられるアシスト情報に従い、ミナカは今日も完璧にホールを掌握していた。
客がグラスを置くタイミング。注文を迷ってメニューに視線を落とす瞬間。料理を食べ終え、次の一品を考え始めるわずかな間。
それらをすべて先読みし、必要なものを必要なタイミングで差し出す。
(ふふん……地球の雇用システムにも、完全に適応してしまったわね。この無敵感、実に素晴らしい!)
ミナカは、誰にも気づかれないように口元を緩めた。
*
やがて賑やかなピークタイムが過ぎ、店内に落ち着いた静けさが戻ってきた。
「お疲れ様、ミナカちゃん。今日もよく動いてくれたねぇ」
おかみさんは、片付けを終えたミナカに笑顔を向けた。
「……よし! 今日も美味しい賄いを用意したから、食べていくでしょ?」
「もちろん!」
営業を終えた厨房に、ほっとするような温かい香りが広がった。
カウンターの特等席に腰掛けたミナカの前に、おかみさんが料理を並べていく。
湯気の立つみそ汁。味の染みたおでん。そして、こんがりときつね色に揚がった、大ぶりのすり身揚げ。
その横には、白いご飯と新鮮な生野菜、黄色いタクアンも添えられていた。
「やったー!」
ミナカはまず、熱々のみそ汁をひと口すすった。
「……なんという優しい出汁の味だ。昆布と魚介の旨味が幾重にも重なり、刻みネギのシャキッとしたアクセントが、接客で疲れた脳の神経回路に直接染み渡るわ……!」
続いて生野菜をシャキシャキと頬張り、いよいよ本日の主役、すり身揚げへと箸を伸ばす。
表面はきつね色にこんがりと揚がり、香ばしい匂いを漂わせている。
ミナカは醤油を数滴垂らし、端にちょこんと和辛子を添えた。
そして、ひと口。
「――っ!」
瞬間、ミナカの赤い瞳が大きく見開かれた。
豊かな海で育った魚介の凝縮された旨味。すり身に練り込まれた細切り野菜の優しい甘み。そして、揚げることで生まれた香ばしさと油のコク。
それらが一体となり、口いっぱいに広がっていく。
「美味い……!外側の香ばしい食感と、内側のふんわり柔らかなすり身のコントラスト……!これほどシンプルな調理法でありながら、なぜこれほど多層的な旨味が構築できるのだ……!」
ミナカは思わず、白いご飯を豪快にかき込んだ。
すかさず、黄色く輝くタクアンをパリッとかじる。
程よい塩気が口の中に残った油分をすっきりとさせ、再びご飯の甘みを引き立ててくれる。
「……なるほど。すり身揚げ、ご飯、タクアン。この三者の相互補完性も見事ね……!」
その食べっぷりを見て、おかみさんは楽しそうに笑った。
「ミナカちゃんは本当に働き者だねぇ。お客さんの顔もすぐに覚えるし、気配りも完璧。もう、うちの店になくてはならない大事な人材だよ」
そう言って、おかみさんは温かいお茶を一杯差し出してくれた。
「えへへ、エリートですからね!」
ミナカは得意げに胸を張った。
(……まあ、九十五パーセントは私の成果で、残りの五パーセントくらいは、このハイテク指輪のチートアシストのおかげだけど……。この褒め言葉は、素直にデータベースへ保存しておこう!)
食事の締めくくりには、カットオレンジが出された。
ミナカはそれにかぶりつき、口いっぱいに広がる果汁を堪能する。
爽やかな酸味が、揚げ物の余韻をすっきりと洗い流してくれた。
「ふう……ごちそうさまでした!今日も労働と賄いは最高だったわ!」
*
店をあとにすると、夜風が頬を撫でた。
ミナカは、街灯に照らされた通りをゆっくりと歩きながら、地上の夜景を眺めた。
地下の洞窟とは違う、生活の匂いに満ちた夜。
店の中から聞こえていた笑い声も、厨房に漂っていた料理の香りも、今は少しずつ遠ざかっていく。
ミナカは左手を持ち上げ、薬指に光る指輪をそっと撫でた。
異世界からやってきた自分が、こうして人間社会の片隅で汗を流し、誰かと一緒に温かいご飯を食べている。
ほんの少し前まで、地上は未知の文化と未解析の情報に満ちた、観察対象にすぎなかった。
けれど今は――。
「……ふむ。悪くないわね、地上も」
小さくつぶやき、ミナカは再び歩き出した。
その表情には、いつもの得意げな笑みとは少し違う、穏やかな満足感が浮かんでいた。




