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翌朝。
「……それじゃあ、行ってくるよ」
「はい、行ってらっしゃい!」
いつものようにグレースに見送られながらアパートを後にしたデイルは職場には向かわず、辻馬車が停まっているところを目指した。
隣の街まで向かうその馬車には、すでに四人の客が乗っていた。やがて席が埋まると、馬車はゆっくり動き出した。
デイルは馬車が動き出すまで、気が気でなかった。もしグレースに見つかったら、きっと逃がしてもらえないと、恐怖したから。
辛くて惨めでも、ようやく慣れてきた仕事、環境。それを手放してでも、デイルはグレースから離れたかった。昨日は本気で、命の危機を感じたから。
グレースにばれないよう、持ってこれたのは、少しのお金だけ。もちろん不安はつきなかったが、迷いはなかった。
馬車は日暮れ前には隣街に着き、デイルはほっとしたように、馬車から降りた。
とぼとぼと歩き、広場にあるベンチを見つけたデイルは、疲れたようにそこにどかっと座った。
「……はあ」
ようやく見つけた仕事だったのに。少しずつでも、居場所になってきたところだった。
ただでさえ、どうしてこんなことになってしまったのかと後悔する日々だったのに。
オリヴィアが卒業する日。女官になったオリヴィアを迎えに行って、これまで一人で頑張ってきたデイルをオリヴィアが一人前と認め、褒め称えてくれたら、両親との仲も取り持ってくれるかもしれない。そうしたら、こんな汚くて狭い部屋から出られて、明日の生活に怯えることもなくなる。そんな希望があったから、なんとか心を保てていられたのに。
「……オリヴィアに、また裏切られた」
オリヴィアがグレースにデイルの居場所を教えなければ、少なくとも自分の力だけで手に入れたあの場所から逃げる必要はなかったのに。また一からやり直しとは。
「……そもそもは、ナタリア様が亡くなったことがはじまりか」
オリヴィアは憎いが、怒る元気も、いまのデイルにはなかった。
デイルだって、はじめからオリヴィアを鬱陶しく思っていたわけではない。ただ、母親を亡くしてからのオリヴィアが、暗く、泣いてばかりいるのが、次第に苛つくようになっていっただけで。
(……まあ実際は、マケラ子爵にナタリア様のものを捨てられたり、乳母を解雇されたりで、ぼくが知るより、可哀想ではあったんだよなあ)
そして運悪く、グレースと出会ってしまった。あの頃のオリヴィアと比べて、グレースは、とても輝いて見えた。そこに惹かれてしまったのだ。
「……母親が亡くなってすぐに、父親が愛人と隠し子を連れてきたら、一層暗くもなるよな」
やることが一瞬にしてなにもなくなり、さらに、グレースの怖ろしさを目の当たりにしたいま、デイルは突然、言ってみれば当たり前のことにようやく思い至った。
思い返せば、はじめて出会った日にグレースに惹かれたのに、もう会わないでほしいと願うオリヴィアに、内心ではムカついていた。両親の手前、理解ある婚約者を演じていたが、本当はグレースに会いたかった。
だからグレースが王都に来たとき、デイルは浮かれた。やっと会えた、と。会えなかった期間が、愛してはいけないという縛りが、より一層、グレースへの想いを加速させた。
冷静に振り返り、どうしてグレースを好きなってしまったのかの結論がでるなり「……なんだよ。結局、全部オリヴィアのせいじゃないか」と、デイルは舌打ちした。
とりあえず、緊急避難的なかたちで隣街に来ただけで、デイルは、オリヴィアを頼るつもりでいた。
一つは、こうなってしまった責任がオリヴィアにあること。そしてもう一つは、オリヴィアがまだ、自分のことを愛していると信じて疑っていなかったから。
(グレースに殺されそうになったと知れば、オリヴィアも、もうぼくを手放そうとは思わないだろう)
デイルにグレースを寄越したのは、きっとオリヴィアの試し行動だろうと、デイルは解釈していた。
もう充分頑張った。頑張ろうとしていた。それを邪魔したのは、他でもない、オリヴィアだ。
(だからもう、責任を持ってぼくの面倒をみてもらおう。そのためなら、この身体だって、心だって差し出すさ)
プライドを捨て、デイルはそう、決意した。




