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グレースは、そもそも自分が追試から逃げたことが、あの事件の引き金となったことは隠しながら、突然、マケラ子爵が母親と自分を捨てると宣言。それに怒った母親が、目の前で、父親を刺したのだと、嗚咽交じりに、デイルに語った。
「……そうだったのか」
デイルがグレースを抱き締め、頭を撫でて慰める。目を潤ませ見上げてくるグレースに、デイルがごくりと唾をのみこむ。見つめ合い、デイルの唇がグレースに重なる。二人はそのまま、小さな寝台に横になり、身体を重ねた。
朝になり、目が覚めてからは、休日だったこともあり、二人は主に、オリヴィアの悪口でしばらく盛り上がった。
「元とはいえ、妹がこんな悲惨な目に遭ったのに、冷たく突き放すなんて……やっぱり、オリヴィアは人として終わっているな」
「それでも、あたしはいまでも、あの人をお義姉様と思っています。でも、あの性格をどうにかしないと、いつまで経っても、恋人はできないでしょうね」
デイルが「たしかに」と、笑う。一通りそんな話をしたあと、グレースは、ぐっと奥歯を噛み締めた。
「……あたし、ここにいてもいいですか?」
じっと見つめられ、デイルの心が揺らぐ。母親譲りの、整った顔立ち。スタイルの良さ。家族も友だちもいない寂しさと、恋人がいなくて持て余している熱に、デイルは悩みつつも、それを了承した。抗うことができなかった。
「……わかった、いいよ。そのかわり、家事は任せたからね」
「──はい!」
慣れない暮らし、仕事。そのうえでの家事は、結構な負担になっていた。家事なら頭の良さは関係ない。そこまで考え、デイルはグレースと一緒に暮らすことを受け入れてしまった。
しかし、最初は頑張りますと張り切っていたグレースだったが、想像以上の大変さに、早々に音を上げはじめていたが、それはデイルも同じだった。
食器は割る。食材は焦がす。洗濯をしたはずの衣類は、ちっとも汚れがとれていない。最初は誰でもそうだと我慢していたが、ひと月もそれは持たなかった。
大体にして、生活費に余裕などないこの暮らしで、食器や食材を何度も駄目にされれば、すぐに怒りはたまっていった。
しかしなによりも困ったのは、グレースの疑い深さと、嫉妬深さだった。
デイルは、小さな商会の、会計士をしている。そこには当然、女性も働いている。デイルは男として、異性として、ちっとも相手にされていないが、それでも仕事上、会話はする。道で会えば、あいさつもする。
グレースはそれだけで、デイルの浮気を疑い、ときには怒鳴り散らし、ときには号泣した。その度にデイルは、面倒だと怒り、呆れはてるようになっていった。
(……ここまで面倒な女だったか?)
このままでは、せっかく見つけた仕事も、クビになりかねない。どころか同じアパートの住人にまで、このごろは白い目で見られているのがわかる。下手をすれば、アパートすら追い出されかねない。
限界は、すぐにやってきた。
♢♢♢
「──出て行ってくれ」
グレースと住むようになって、たったひと月後に、デイルは容赦なく告げた。元々、一度は別れを決意した相手。決断は早かった。
しかし。
「……どうしてそんなことを言うんですか。あたしにはもう、デイル様しかいないのに」
グレースの目が、ゆらりと濁った。豹変する表情、口調、声音。すべてで、やばい、とデイルは本能で察した。
グレースが恐ろしい早さで動き、台所にあるナイフを手に取った。デイルの息が、ひゅっ、と一瞬止まる。デイルの脳裏に、マケラ子爵がマケラ子爵夫人に、めった刺しにされたという、新聞記事が過った。
(……いやいや、まさか、そんな)
いくらなんでもそんなことするわけないと現実逃避しつつ、ナイフをかまえるグレースに、とにかく優しく、デイルは語りかけた。
「……わ、悪かった。きみにはもう少しだけ、家事を頑張ってほしかったんだ。試すようなことして、ごめん。ほら、ナイフを置いて。仲直りしよう」
震えながら、両手を広げた。するとグレースは、ぱあっと目に光を取り戻し、ナイフを床に捨て、デイルの腕の中に飛び込んだ。
デイルの身体が、恐怖から、ぎくっと硬直する。
「あたしも、ごめんなさい。もっと頑張りますね……っっ」
「……あ、ああ」
答えながら、デイルの心臓は爆発しそうなほどに大きく、早く動いていた。
(……ぼくは、とんでもない判断ミスをしてしまったのかもしれない)
寂しかったから。それもあったが、一番はきっと、欲に負けてしまったのが原因だろう。
性格に難があることはわかっていたのに、簡単にグレースを受け入れてしまった己を呪った。
このときにはもう、グレースへの情なんてものは欠片も残っていなかったし、もはや性欲よりも、グレースへの恐怖が勝っていた。




