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悪夢から目覚めたわたしは、気付かないふりをやめることにした。  作者: ふまさ


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 ──嫌な夢を見たわ、と。


 オリヴィアはまだ動悸のする胸に手を当てた。遅刻してしまいますよ、との侍女の声にはっとし、急いで制服に着替える。


 現実感のないまま、一階の食堂に向かう。侍女が食堂の扉のノブを握る。オリヴィアは、どきりとした。食堂の扉の向こうから、楽しそうな笑い声が漏れ聞こえてきたからだ。


 侍女が扉を開ける。そこにはあの悪夢が現実だったときにはありえない、デイルとグレースの笑顔があった。


「おはよう、オリヴィア」


「おはようございます、お義姉様!」


 顔が引き攣りそうになりながらも、オリヴィアは二人に、なんとか、おはよう、と笑顔で返した。


 いつもの席、デイルの正面にある椅子が侍女によって引かれ、オリヴィアが腰を下ろす。隣には、グレースが座っている。


「でね、デイル様。あたし、今度のお休みはお洋服を買いに行きたくて」


「いいね」


 二人の会話に、どんどん現実に引き戻されていくような感覚に陥るオリヴィア。


 そう、そうだった。この二人は、いつもこんな感じだったわと。


(……ああ、また三人ででかけるのね。最後に二人でデートに行けたのは、いつだったかしら)


 ふと思い、デイルを見た。デイルはグレースだけを見ていて、オリヴィアの視線にはまったく気付いていない。そもそも、見ようとする気があるのかすら怪しい。


(……悪夢、か)


 デイルがグレースを好きになるわけがない。頭で必死に言い聞かせようとしても、心のどこかで否定する自分がいる。


 ──そんなわけないじゃない、と。


 これまでも、そうだった。悪夢を見たから、はじめてそう思ったわけではない。


 あれは、いつだったか。


 グレースが王都にきてから数ヶ月が経ったころのこと。


 ♢♢♢


 たまには二人きりになりたい。思い切ってグレースのいないところでそう伝えたオリヴィアに、デイルは冷たく、こう吐き捨てたことがある。


 ──冷たい姉だね、と。


 オリヴィアを黙らせるには、充分な言葉だった。それ以来、家族と同じように、デイルに対しても、オリヴィアはやりたいことなどが、口にできなくなっていった。休日の予定も、グレースが希望するところに行くのがもはや当たり前になっていき、それを不満に思っても、嫌われるのが怖くて、なにも言えなかった。


 たまに希望を聞かれることはあっても、それはデイルではなく、グレースにだった。お義姉様は、どこか行きたいところはありますかと。しかしそれは、たまたまグレースが行きたいところを思いつかなかったときだけだ。


 ペルソン伯爵の別邸にいても、王立学園にいても、街にでても、会話をするのは、ほとんどデイルとグレースで。


 まるでマケラ子爵邸にいたころのような疎外感。


 邪魔者はだれ?


 デイルの婚約者はだれなの?


(……駄目よ。考えたら駄目。気付いてしまったら、もう戻れなくなる……っ)


 デイルをちらと見る、デイルの熱い視線は、グレースに注がれている。それはもう、婚約者の妹に向けるものではない。


 わかっている。違うと必死に言い聞かせてきただけで。


 しかし、いくらなんでも夢のようなことは起こらないだろう──とは、オリヴィアには言い切れなかった。


 あり得ると、思ってしまった。


 これから起こる、言わば正夢ではないか。そんな考えが、どんどん頭から離れなくなっていく。


 デイルにとって大切なのは、オリヴィアよりグレースで。たとえオリヴィアが命を落とそうと、心配するのはグレースの心。


 いくらなんでも、そこまで。


(本当にそう……?)


 わたしの命なんて、デイルにとって、とても軽い。


(……駄目だってばっ)


 考えては駄目。考えては駄目。


 何度も、何度も唱える。


「──お義姉様? どうかされたのですか?」


 グレースの声に、オリヴィアは現実に引き戻された。顔を上げれば、こちらを見るデイルとグレースの二人の姿があり、ぎくりとした。


「……な、んでもないわ。少し、夢見が悪かっただけで」


「そうなのですか。どんな夢を見たのですか? ほら、誰かに話すことで、心が軽くなるって言いますし」


「ありがとう。でも、あまり覚えていないの。ただ、嫌な夢を見たなって感覚だけが残っていて」


「わかります! あたしもそういうこと、ありますから」


「そうなの?」


 意識して、笑みをつくる。悪意がないのはわかる。しかしオリヴィアは、あなたになにがわかるのと、心で毒づくのが止められなかった。


「そういえば、顔色が少し悪いね。大丈夫?」


 デイルに、ええ、と笑う。心配なんてしていないくせに。ほとんど同時に、そう思ってしまった。心配されたことが、ちっとも嬉しくなくて。むしろ、グレースの言葉に乗っかっただけでしょう。わたしの顔色なんて、なにも興味がないくせにと、自分でも信じられないほど、止まらなかった。


(……ああ、もう無理かもしれない)


 おさえていたものが、溢れ出す。思ってはいけないと必死におさえてつけていた思いが。

 

 あと一年と数ヶ月我慢すれば、マケラ子爵家から離れられる。あの両親からも、義妹からも。未来に希望があるから、オリヴィアは耐えられた。


 なのに。


 でも。


 ──あれが正夢だったら、そんな未来なんてこないんだ。


 そもそも、デイルがグレースを愛しているのなら、たとえ結婚できたとしても、デイルは父親と同じことをするのではないだろうか。オリヴィアもオリヴィアとのあいだにできた子どもも愛さず、グレースの子だけを愛するのではないか。


 自分の考えに、オリヴィアは全身の毛が逆立った。


(……そうだ。デイルの想いに気付かないふりをして、結婚したとしても、幸せになれるとは限らないんだ)


 どうしてこんな簡単な考えに思い至らなかったのか。不思議で仕方がなかった。


(わたしにはデイルしかいないと思い込んでいたから……?)


 実際、そうかもしれない。しかし縋ったところで、本当にデイルがグレースを愛しているのなら、未来は──


 オリヴィアはそのとき、とある決意をした。


 ♢♢♢


 その夜。


 オリヴィアは一人、デイルの自室に向かった。扉をノックし、話したいことがあると、部屋に入れてもらった。


「どうしたの? ぼく、そろそろ寝るところだったんだけど」


 不機嫌を隠そうとしないデイルに、オリヴィアは少しだけ怯みそうになった。でも、あの悪夢の日はもうすぐそこまで迫っていて。


 迷っている時間が惜しく、また、決意が揺らぐ前にどうしても決着をつけておきたかったので、なんとか心を奮い立たせた。


「ごめんなさい、どうしても二人だけで話したいことがあって」


 とたんにデイルが、はあとあからさまなため息をついた。


「またそれ? グレースを邪魔者扱いするのはやめようよ。可哀想だ」


 それは決して珍しい台詞ではなかったのに、オリヴィアの片眉がぴくりと動いた。そして自然と、口が動いていた。


「そうよね。あなたはわたしの気持ちより、グレースの気持ちの方が大事だものね」


 そんな言い方をしたのははじめてだったので、デイルは驚いたように目を丸くしていた。


「い、いや。そんなつもりはないよ。ただ、きみも知っているだろ? グレースは元平民だからという理由で、友だちもつくれずにいるんだ。ぼくたちが支えてあげないと」


 この言い訳を聞くのはもはや何度目だろう。オリヴィアの中に、止められない怒りが、どんどん湧き上がっていく。


「──そのグレースについて、あなたに聞きたいことがあって来たの。それにさえ答えてくれたら、すぐに出て行くから安心して」


 人が変わってしまったかのような強い口調のオリヴィアに、デイルは若干焦ったようだった。


「違うよ。きみが来てくれて、ぼくも本当は嬉しかったんだ。でも少し疲れていて……きつい言い方に聞こえていたら、ごめん。そうだよね。最近、二人での会話も減っていたから、寂しかったよね。ゆっくり話そう」


 少し強気に出ただけで、この態度。その変化に、これまでどれだけ舐められていたのだろうと、オリヴィアは妙な達観視ができてしまっていた。


 だからだろうか。デイルに対して、はじめて苛ついた。これまではただ、哀しかっただけなのに。


「いらないわ。ただ、あなたがわたしとグレース、どちらのことを愛しているのか聞きたいだけよ」


 言い切ったオリヴィアのこぶしは震えていた。言った。ちゃんと聞けた。あとはもう、答えを待つだけ。


 はじめて自分を、褒めてあげたい気分になった。


 心臓の鼓動は、デイルの部屋を訪れる前から早鐘を打ち続けている。


 しかしオリヴィアは、デイルにどう答えてほしいのか、自分でもよくわかっていなかった。


 もしすべてが勘違いで、デイルがグレースを特別視しているのは、愛情ではなく、言葉通り、元平民のグレースに同情しているからだとしたら。


(だとしても、わたしよりグレースを優先しているのは事実)


 デイルはどう答えるのだろう。真っ直ぐにデイルを見据える。


 デイルがゆっくり、小さく口を開いた。



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