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父親から責められたグレースが、ショックから、凍り付く。マケラ子爵は苛ついたように、自分の腕から、グレースの手を振り払った。
「もう他人になるんだ。もし三ヶ月後に仕事を見つけられなくて、家賃を払えなくなっても、私を頼るなんて考えるなよ。これまで貴様たちに、私がいくらつぎ込んできたか知っているか? どれだけ大変だったかわかるか? 私はお前たちに、できる限り以上のことをしてきた。そのうえ住む場所も整えてやったのだから、感謝して、これからは分相応に生きていくことだな──話は以上だ。それじゃあ、まあ、元気でな」
マケラ子爵はグレースにだけそう告げると、踵を返し、部屋の出入り口に向かった。もはやなんの未練もないというように。
「う、嘘……嘘でしょ、お父様!」
グレースが涙を流しながら叫ぶ。ここまできても、グレースはまだ、信じられなかった。
そのとき。
よろよろしながらも、モリーがグレースの横を、すっと通り抜けていった。
「…………あ」
良かった。お母様が、お父様を説得してくれるんだ。グレースはそう思った。でも、母親の右手に握られたナイフが視界に入った瞬間、硬直した。
玄関扉を開けたマケラ子爵の背中に向かって、モリーがナイフを振り上げる。グレースにはその光景が、スローモーションのようにゆっくりと流れて見えた。
お父様、と。叫ぶ間もなかった。
グサッ。
マケラ子爵の背中に、ナイフが突き刺さった。マケラ子爵はなにが起こったのかわからないまま、衝撃に身体をぐらつかせ、扉に寄りかかった。少し開いていた扉が外側に開き、支えるものがなくなったマケラ子爵の身体が、廊下にどさっと倒れた。
「な……」
なんだ。と、言おうとしたのか。それはわからないが、その前に、モリーがマケラ子爵の背中からなんの迷いもなく、ナイフを抜き取った。
ナイフで止められていた血が、ぶしゃっと吹き出す。マケラ子爵の服が、血で染められていく。
倒れたまま目だけでモリーを見上げたマケラ子爵は、血塗れのナイフに、ようやく自分の背中を刺されたことを自覚した。
「き、貴様ぁ……っ」
「あんた。いろいろ言ってたけど、本当は、私の顔がこうなったから、私に興味がなくなったんじゃないの? 言ってたもんね。私の顔、大好きだって」
ゆらりと身体を揺らすモリーに、マケラ子爵は、くそっと奥歯を噛み締めた。
(護衛を下に置いてきたのは間違いだった。まさかここまで狂った人間だったとは……っ)
とにかくいまは、落ち着かせることが先決だと、マケラ子爵は痛みを堪えながら口を開いた。
「……ち、違う。私は、マケラ子爵家の当主として、こうせざるを得なかっただけだ。お前にはわからないだろうが、マケラ子爵家は、いま、存続の危機にさらされているんだ!」
「──へえ」
だからなに、とでも言いたげに、モリーがナイフを持つ右手を上げる。マケラ子爵は「ま、待て!」と、掠れた声で力の限り叫んだ。
「お前にはグレースがいるだろう……私を殺せば、お前は捕まる……グレースを、ひ、一人にさせるつもりか……っ」
はっ。
モリーは、鼻で笑った。
「もう遅いわ。だって私、あなたを刺してしまったもの。どちらにせよ捕まるのなら、私を裏切ったあなたを、いまここで始末してやる……」
「さ、逆恨みもいい加減にしろ! これまでどれほど贅沢な暮らしをさせてやったと思っている! なのに私の期待に応えようともせず、文句ばかりでなんの努力もしなかったのはお前たちだろう!!」
「……あのね。グレースを妊娠する前の当時の私には、あんたなんかとは比べものにならないほど、格好いい彼氏がいたの。でも、私はあんたを選んだ。なぜだかわかる? それはあんたが貴族で、お金を持っていたからよ。あんたを愛していたわけじゃない。なのに、努力しろですって? この私が結婚してあげたんだから、それだけであんたは、感謝すべきだったのよ……っっ!!」
床に倒れたままのマケラ子爵に、モリーが馬乗りになる。刺された背中が痛み、マケラ子爵が、ぐっ、と唸る。
「グ、グレース! なにをしている! 早くこいつを──っっ」
マケラ子爵が、モリーの後ろにたたずむグレースに手を伸ばす。目が血走った父親と、狂気に満ちた母親の背中に、グレースはパニック状態に陥った。
「……い、いやっ」
グレースは目を瞑り、モリーとマケラ子爵のすぐ傍を横切り、駆け足でその場から逃げ出した。マケラ子爵が用意した部屋から、グレースが遠ざかっていく。
マケラ子爵は、噛み締めた唇から血を流しながら、グレースの背中に向かって、激高した。
「こ、この役立たずめが──あ、あああああ……やめろ、やめろっっ!!」
その後。モリーは我を忘れ、マケラ子爵をめった刺しにした。やがてマケラ子爵が動かなくなっても、モリーは何度も、何度も、ナイフを振り下ろし続けた。




