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グレースは、怪我をしたモリーにずっと付き添っていた。マケラ子爵に、そう頼まれたからだ。『王都にはもう戻らなくていいから、モリーの傍にいてやってくれ』と。
母親が階段から落ちたのは自分にも責任があったし、王立学園には戻りたくなかったから、グレースは二つ返事でそれを了承した。
モリーは、顔の負傷の他は、多数の打撲があったが、ひと月後には自力で歩けるまでに回復した。マケラ子爵は、毎日のようにどこかへ外出をしていたが、モリーへの見舞いをかかすことはなかった。あれが欲しい、これをしてほしいというモリーの願いを、できる限り叶えていた。
その甲斐あって、最初は絶望し、自暴自棄になりかけていたモリーも、少しずつ落ち着きを取り戻していった。マケラ子爵に対して暴言を吐くこともあったが、なにも言い返してこないマケラ子爵に、どころか献身に尽くしてくれる夫に、次第になにも言わなくなっていった。
母親が大怪我を負ったことは哀しかったが、もしかしたら父親も、自分と同じように、モリーが階段から落ちた責任を感じているのではないか。だから元の、優しい父親に戻ってくれたのではないかと、グレースは考えた。だから過程がどうであれ、グレースは密かに、母親に悪いと思いながらも、ほっと胸をなで下ろしていた。
♢♢♢
モリーが歩けるようになって、数日後。マケラ子爵が、モリーとグレースに、気分転換に、久しぶりに三人で出掛けないかと提案してきた。
モリーが「……ですが」と、包帯に巻かれた顔に触れる。マケラ子爵は、気にするな、と笑った。
「移動はむろん馬車で、行く先も、人目を気にせずにすむところにしてある。ずっと引きこもっていては、気が滅入るだろう」
マケラ子爵の説得に、モリーが渋々ながらも頷く。グレースは嬉しくてたまらなかった。本当に、少し前の仲良し家族に戻ったのだと確信できたからだ。
マケラ子爵と一緒に、グレースも、モリーを支え、馬車に乗り込む。グレースも外に出たのは久しぶりだったので、それはそれはご機嫌だった。
馬車が走る。走る。途中で、モリーはふと、疑問を持ちはじめた。馬車がどんどん、街の中央から外れていく。どこにいくのかは知らないが、少なくともこの先には、貴族が行くような店はない。
領地の外に出るのかとも思ったが、それにしては軽装過ぎる。見たところ、ろくに荷物もない。
モリーはなんだか、嫌な予感がした。
「あなた、どこに行くのです? そろそろ教えてくれませんか?」
「じきにわかるよ。二人に喜んでもらえるといいのだけれど」
モリーが困惑する。自慢の顔がこうなってしまったのはマケラ子爵のせいだと怒り狂っていたが、もう二度と貴族夫人としての責任を果たせなどと文句を言わず、贅沢だけをさせてくれるなら許そうと思っていたが、果たして目の前の男は、モリーとグレースへのあのときの怒りを、本当に手放したのだろうか。
そんなことを、モリーは事ここに至って、はじめて危惧した。
「まあ、そうなのですね! お花が好きなお母様とあたしのために、花畑にでも連れて行ってくれるのですか?」
両手を合わせ、グレースが目をキラキラさせる。どうだろうね。マケラ子爵が曖昧に答える。
「ね、お母様。楽しみですね!」
笑顔のグレースに、帽子を深く被ったモリーが、ええ、とぎこちなく笑う。
(……そうよね。この男は私に惚れ込んでいるし、この男のせいで私の顔は傷だらけになってしまったのだから……こうなってしまった以上、この男は一生、私に頭が上がらないはずよね)
自分はもちろん、もう、グレースへも文句は言わせない。なにが貴族の妻としての務めだ。もうなにも不自由はさせない。一生をかけて尽くす。そう約束したから、結婚してあげたのに。
元平民だというだけで、見下してくる貴族たち。これなら、愛人として、お金を貰って平民として暮らしていた頃のほうが生きやすかった。
(この顔で人前になんか出られないし、私はもう、なにも仕事なんてしないわ)
馬車が止まった。やっと着いたと、モリーは馬車の窓から外を見た。そこには二階建てのアパートがあって、モリーとグレースは、思い描いていた場所とはまるで違うその光景に、目を丸くした。




