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マケラ子爵夫人が階段から落ちて、ひと月後の夜。
自室の寝台で眠る妻を、燭台の蝋燭の灯りで照らしながら、マケラ子爵が見下ろす。美しかった顔は、いまや、包帯まみれ。マケラ子爵の中で、マケラ子爵夫人──モリーへの愛情が驚くべき早さでなくなっていく。
それと同時に、いまは自室で眠るグレースに対してあった愛しいと思う心がなくなっていくのも、マケラ子爵はたしかに感じていた。
♢♢♢
モリーは、マケラ子爵領でも評判の美しい娘だった。早くに両親を亡くし、花屋で働くモリーに一目惚れしたのは、マケラ子爵がまだ十四歳のとき。
声をかけたのは、マケラ子爵から。それからなにかと理由をつけては花屋に通い、二人は交流を深めていった。
しかし翌年には、王都の王立学園に通うため、二人の交流は、三年間、途絶えた。それでも、いやだからこそ、モリーへの想いは募っていったのかもしれない。
前当主の父親に、ナタリアとの婚約を決められたのは、王立学園に通うようになってからしばらく経ってからのこと。
モリーのことは愛していても、マケラ子爵家の嫡男であったマケラ子爵は、ちゃんと自分の役割を心得ていた。貴族としての誇りもあった。だから、親の命に逆らうことなく、素直に従った。
ナタリアは決して不細工ではなかった。むしろ、美しいとされる造形だったろう。しかしマケラ子爵は、大人しいナタリアより、妖艶で、明るいモリーが好みだった。
そして結ばれてはならない相手ということもあり、モリーとの愛はより一層、盛り上がった。
ナタリアと結婚してからも、オリヴィアが生まれてからも、マケラ子爵はモリーの元へ通った。むろん、充分すぎるほどの金も渡していた。
グレースが生まれたときの喜びは、オリヴィアの比ではなかった。
ナタリアに、モリーとのことは話していなかった。しかし、ナタリアはきっと、モリーの存在を察していた。察しながらも、なにも問い詰めてはこなかった。
向こうも所詮は政略だったからか。それとも家のため、あるいは娘の、オリヴィアのためだったのかはわからない。
だからマケラ子爵は、二つの家族がいることになんの罪悪感も抱くことなく、それなりに満足していた。
しかし、ナタリアが亡くなってしまったことにより、欲が出てしまった。
モリーと、正式に結婚できるのではないか。人目を気にすることなく、一緒にいることができるのではないかと。
そのときには両親も亡くなっていたので、まわりを説得するのに、さして苦労はしなかった。一族から反対意見はあったが、当主として、黙らせた。
そうまでして手に入れた、モリーとグレースとの生活だった。
なのに。
マケラ子爵はモリーを見下ろしながら、幾度となく葛藤したことを、胸中で呟いた。
(……顔がぐちゃぐちゃになったモリーに、なんの価値があるんだろうか)
貴族の妻としての役目を果たさないどころか、貴族を嫌い、マケラ子爵家の立場を悪くするモリー。
すべてはうまくいくはずだったのに、オリヴィアの婚約者であるデイルを誑かし、ペルソン伯爵家との縁を切る原因となった、グレース。しかも、教養もなにもない、想像よりずっと馬鹿だったあの娘に、まともな貴族令息から婚約話がくる可能性は、限りなく低い。
「……これなら、オリヴィアの方がずっとマシだったな」
マケラ子爵は、ぼそっと呟くと、踵を返し、モリーの部屋を後にした。燭台を持ち、コツコツと廊下を歩く。
幸いなことに、顔は潰れてしまったものの、モリーは骨折などはしていない。複数の打撲はあるが、歩けはする。それほどまでに、回復はしていた。
──もう充分だろう。
このひと月で、愛情がすっかり冷めてしまったマケラ子爵は、モリーとの別れに向けて準備をしていたが、ついにそれを実行することにした。




