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はじめての怒鳴り声に、マケラ子爵夫人とグレースが、びくりと大きく身体を震わせた。けれど、もはやそんなことにかまっていられるかといわんばかりに、マケラ子爵は怒鳴るのを止めなかった。
「追試になったばかりか、それを受けずに逃げてきただと? どれだけ私に恥をかかせれば気がすむんだ! この親不孝者め!!」
「あ、あなた。そんなに怒らなくても……」
マケラ子爵は、マケラ子爵夫人を鋭く睨み付けた。これまで押さえ付け、我慢していたものが、一気に爆発したようだった。
「お前もお前だ。子爵夫人になって、何年になると思っている。茶会には一度も誘われない。社交界でも誰とも交流を持とうとしない。おかげで我が家の評判は最悪だ。そんな家と、誰が繋がりを持ちたいと思う? そんな家の娘と結婚したいなどと、まともな貴族なら誰も思わないだろうな!」
肩で息をするマケラ子爵を、マケラ子爵夫人とグレースが唖然と見つめる。いつだって優しかったマケラ子爵が怒りをあらわにしたのは、これがはじめてだったから。
「私は、お前たちを愛していた。オリヴィアとナタリアと違ってな。だからどうであれ、耐えた。待った。いつかは、立派な子爵夫人、子爵令嬢になってくれるだろうと。それがこれとは……っっ」
マケラ子爵が奥歯をぎりっと噛み締める。ペルソン伯爵家との縁は切れたが、おかげで、どうにも邪魔だったオリヴィアとの繋がりも絶つことができた。だから、これでよかったのだと思うことにした。
ペルソン伯爵夫人がオリヴィアを気に入っていなければ、おそらく、あれほどオリヴィアに優しく接することはできなかっただろう。それぐらい、愛情が持てなくて、マケラ子爵自身も、少なからず、罪悪感を持っていた。だから、どこかでほっとしていたのだ。
結果的に、グレースには、デイルという婚約者ができたし、これから少しずつでも、貴族としての信頼を取り戻していこう。グレースの追試は、そう思い込もうとしていた矢先の出来事だった。
「家庭教師から、課題はいつもちゃんとこなしていたと報告を受けていたから安心していたのに……あれはなんだったんだ!」
マケラ子爵に詰められた、変に素直で、嘘のつけないグレースはしどろもどろになりながらも「……お、お義姉様に、手伝ってもらってました」と、小声で白状した。
「……このっっ!!」
手を振り上げそうになったが、マケラ子爵は、その衝動をなんとか堪えた。グレースの家庭教師から、試験の結果があまりよろしくないと聞かされたとき、課題をきちんとこなしているなら、最低限の教養は得られているから問題ないだろうと流していたことを、ふいに思い出したのだ。
ここで、ようやくマケラ子爵は思い知った。自分は、モリーも、グレースも、甘やかし過ぎたのだと。
逆にオリヴィアは、課題はむろん自分でこなしていただろうし、試験の結果も、いつも満点に近かった。そんなオリヴィアは、もう、他人の子になってしまった。
やはりあんなに簡単に手放すのではなかったと、いまさらながら、激しい後悔をした。
こんなに馬鹿だとは思わなかったと、デイルと似たような怒りを覚えたマケラ子爵は、背を向け、無言で居間を出て行った。これ以上この場に留まれば、なにをするか自分でもわからなかったからだ。
けれど、その父親の姿に大いに焦ったグレースは「お、お母様、追いかけましょうっ」と、マケラ子爵夫人の腕を引っ張った。
「…………」
マケラ子爵夫人は不服そうにしながらも、グレースに従い、立ち上がった。
居間を出ると、マケラ子爵が二階へと続く階段をのぼっている途中だった。グレースが駆け、その後を追う。
「お父様、ごめんなさい。あたし、みんなに馬鹿にされたことが哀しくて、悔しくて……」
ぼろぼろと涙を流すグレースの後ろに、マケラ子爵夫人が無言で続く。その表情は、いつになく険しい。
マケラ子爵が足を止める。許してもらえる、と期待したグレースが手を伸ばす。その手がマケラ子爵の腕に当たる。マケラ子爵は反射的に「……触るな!」と、その手を払いのけた。
その瞬間、マケラ子爵夫人は呆れたように背を向けた。マケラ子爵が頭を冷やさない限り、いまはなにを話しても無駄だと悟ったからだ。それに、マケラ子爵夫人も、マケラ子爵と同じように、怒っていたのだ。
──どうして私とグレースを怒鳴った相手に、謝罪をしなければならないの、と。
「……あっ」
グレースの小さな声が背後で聞こえた。と、思ったときには、すでに遅く。マケラ子爵夫人の背中に、マケラ子爵に手を払われ、身体がぐらついたグレースの体重がどんっとぶつかってきた。
「…………え?」
マケラ子爵夫人の身体が、宙に浮く。そこから先の光景は、スローモーションのようにゆっくりとしていた。
ぐちゃ。
階段の中ほど。顔から落ちたマケラ子爵夫人から、濁った、とても嫌な音がした。
マケラ子爵夫人のおかげで落下を免れたグレースと、その上から一部始終を見ていたマケラ子爵は、しばらく時が止まったように、その場から動けなくなってしまった。
「きゃあああああーー!!!」
最初に悲鳴を上げたのは、メイドだった。そこでやっと我に返ったグレースが、マケラ子爵夫人に駆け寄る。
「お、お母様! お母様!」
グレースが泣き叫ぶ。けれど、返事がない。
マケラ子爵はそれらの光景を、しばらく、ただ、黙って見ていた。




