26
デイルがようやっと去って行ったことに安堵したオリヴィアは、ほうっと息を吐くと、あらためて、フィルと向き合った。
「……マドリンは元気にしていますか? 病気になったり……本心ではわたしのこと、恨んだり……だってマドリンは、わたしのために、お父様に抗議してくれたというのに……わたしはなにもできなくて」
まさか。声を震わすオリヴィアに、フィルは優しく微笑んだ。
「叔母上は元気ですし、先ほども言った通り、あなたが泣いていないかと、いまもずっと心配しています」
その言葉に、オリヴィアの目に、また涙が滲んだ。
「……そうですか。あの、マドリンはいまどこに?」
「叔母上が生まれ育った故郷──いまは僕の父上がおさめる領地で、商会の事務をしております。あなたと引き離されたばかりのころは、とても働ける精神状態ではなかったのですが……」
マドリンにはかつて、夫と娘がいた。しかし、娘は出産直後に亡くなり、まるで後を追うように、夫も事故で亡くなってしまった。生きる気力をなくしていたマドリンに、ちょうど乳母を募集している子爵家があると紹介したのが、フィルの父親だった。
伯爵家当主の紹介ということもあり、平民に嫁いだマドリンでも、無事に乳母として働くことができた。
オリヴィアを実の子と重ねたのか。マドリンは生きる希望を見いだし、ナタリアと同じぐらい、オリヴィアを愛し、育てた。
だからこそ、ナタリアが亡くなったとき、強く思ったことだろう。この子は、オリヴィアは、私が守らなければと。
マケラ子爵に愛人と隠し子がいることは──マケラ子爵は隠していたつもりだったのかもしれないが──実を言えば、ナタリアもマドリンも知ってはいた。しかし、良い夫と父親を演じようとはしていたため、それを暴くことはオリヴィアのためにならないと、口を閉ざしていただけだった。
しかし、ナタリアが亡くなったとたん、マケラ子爵は呆気ないほど、本性をあらわした。まだ幼い、母親を亡くしたばかりのオリヴィアに愛人と隠し子のことを打ち明けたばかりか、ナタリアのものまで、すべて捨ててしまった。
頭が真っ白になり、後先を考える暇もないまま、マケラ子爵に抗議してしまったマドリンは、結果的にオリヴィアと引き離されてしまったことに、深く後悔した。
『私が傍にいて、あの子を守ってあげなくてはいけなかったのに……っっ』
屋敷でずっと後悔の涙を流し続けていた、かつての叔母の姿を思い出したフィルは、同じぐらい叔母を思い続けてくれていたオリヴィアに、感謝した。
「叔母のことを忘れずにいてくれて、ありがとうございます」
「わ、忘れるはすがありません! だってマドリンは、わたしの二人目のお母様なのですからっ」
ずっと、ずっと気がかりだった乳母のマドリン。自分のせいで父に解雇されてしまったと、オリヴィアは自責の念にかられていた。もしかしたら自覚がなかっただけで、この体験から、オリヴィアはより誰かに頼ることが怖くなっていたのかもしれない。
「ですね。ねえ、オリヴィア嬢。よければ、叔母上に会ってあげていただけませんか?」
フィルの申し出に、もちろん、と即答しようとしたオリヴィアだったが、ふと、言葉に詰まった。
「……わたしも、すごくマドリンに会いたいです。でも、きっと大丈夫だとは思うのですが、ペルソン伯爵に許可をとってからにしようかと……」
「なるほど。わかりました」
優しく納得してくれたフィルに礼を述べてから屋敷に戻ったオリヴィアは、すぐにペルソン伯爵に手紙を書き、それを早馬に託した。
すると驚くべき早さで返事が返ってきたのだが、そこには『そんなのいいに決まっているでしょ!』と、要約すればそんなことがペルソン伯爵夫人の筆跡で書かれており、オリヴィアは思わず笑ってしまった。
「おばさまらしいなあ」
きっとそう言ってくれるとは思っていた。でもどこかで怖がっている自分がいて、しばらくは、その思考は直らないんだろうなあと、オリヴィアは自身に呆れながらも、翌日の学園で、早速フィルに、ペルソン伯爵夫人からの返答を伝えた。
「では、叔母上に手紙を書きますね。きっとすぐに、王都に飛んでくると思いますよ」
「あ、いえ。それだと長期でお仕事をお休みしなくてはならないと思うので、わたしが会いに行きます」
「学園はどうするのですか? 長期の休みは、終わったばかりですよ?」
「次の長期のお休みまで、手紙のやり取りで我慢します。だってもう、いつだって会えるのですから。それぐらい我慢してみせますよ」
ぐっとこぶしを握るオリヴィアに、フィルが、うーん、と唸る。
「叔母上が我慢できないと思いますけどね」
「でも、わたしのために無茶してほしくないんです。移動の途中でなにかあったらと思うと、気が気でいられません。かといって、わたし、将来のために、学園を休むこともできませんし。楽しみは、後にとっておきます」
「叔母上も同じ気持ちだと思いますが……それでは、次からは直接、オリヴィア嬢に手紙を届けるようにしてくださいと、書いておきますね」
それから、十日後。
マドリンから届いた手紙には、これからすぐに王都に会いにいきますといった、力強い言葉が書かれていた。
いいのかな。と言いつつ、オリヴィアは嬉しくて、気付けば、泣いていた。
♢♢♢
半月後。
オリヴィアは朝から、ずっとそわそわしていた。昼の十二時が過ぎたころ。そろそろかしらと、使用人が止めるのも聞かず、オリヴィアは屋敷の外で、到着するはずの馬車を待った。
来た、と思った馬車には、ペルソン伯爵家の紋章があって、中から、ペルソン伯爵夫人が出てきた。
「おばさま? どうして……」
目を丸くするオリヴィアの名前を、ペルソン伯爵夫人に続いて馬車からおりてきた人物が、愛おしそうに叫んだ。
「オリヴィアお嬢様……!」
思い出の中にあった姿より、少し年老いたマドリンが、両手を広げ、駆け寄ってくる。
「……マドリンっ」
涙を滲ませ、胸に飛び込んできたオリヴィアを強く抱き締めるマドリン。
「こんなに……こんなに大きくなられて……っ」
感激するマドリンに対し、オリヴィアは、子どものように号泣していた。
王都にあるペルソン伯爵家の別邸。そこでマドリンとの再会を果たした休日。オリヴィアはまわりの目など気にする余裕もないほどに、失ってしまった大切な、もう二度と会えないと思っていた人との再会に歓喜していた。
しばらくは情けないぐらい、ペルソン伯爵夫人や使用人たちがいることも失念し、わあわあと泣き続け、正気に戻ったときには、あまりの恥ずかしさに、目と一緒に、顔も真っ赤にしていた。




