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ふう。
少し落ち着こうと、息を一つ吐いたフィルは、言いたいことは言えたとばかりに、デイルからオリヴィアに視線を移した。
「──大丈夫でしたか?」
「は、はい。助けていただき、ありがとうございます」
「な……っっ」
助けていただき、という言葉が気に障ったのか、デイルがふたたび、オリヴィアに喰ってかかろうとした。だが、フィルがデイルの腕をつかみ、そのままうしろに引っ張ったので、デイルはバランスを崩して、尻もちをついた。
「……っ。き、貴様っっ!」
フィルは喚くデイルを相手にすることなく、無視して、オリヴィアに向き直った。
「オリヴィア嬢。突然で申し訳ないのですが、確認したいことがありまして……よろしいですか?」
「? は、い」
それは本当に突然のことだったので、オリヴィアは少しだけ身構えてしまった。
「あなたはペルソン伯爵家の養女となり、もはや、マケラ子爵家とはかかわりがない。それに間違いはありませんか?」
「ま、間違いはありませんが……どうして」
そう返したオリヴィアに、フィルは、心底ほっとしたように表情を和らげた。
「なら、もう言っても大丈夫でしょう。叔母上も、きっと喜びます」
「……フィル様の、叔母様が、ですか?」
はい。と笑ってから、フィルは叔母の名前を口にした。
──マドリン、と。
その名前に、オリヴィアだけでなく、尻もちをついたままのデイルも目を瞠った。
嘘。嘘。嘘。
まさか、と。信じられない思いで、オリヴィアは震える声で、フィルに問いかけた。
「……もしかして、フィル様の叔母様は、わたしの」
「ええ、そうです。オリヴィア嬢の、乳母をしていた人です」
「……っっ」
オリヴィアは両手で自身の口を包みこみ、嗚咽をおさえた。うっかり、叫んでしまいそうになったから。
「……あ、ああああ」
オリヴィアは感極まったように涙を流しながら、身体から力が抜けたように、床に膝をついた。
マドリンは、オリヴィアの乳母だった人だ。実の子のように、それこそ実母と同じぐらい、オリヴィアを愛してくれていた人だった。
愛情が深かったぶん、オリヴィアの実母であるナタリアの肖像画や持ち物を、オリヴィアが眠っているあいだにすべて捨ててしまったマケラ子爵に、マドリンは我慢ができなかったのだろう。
目を覚ましたときには、すでに屋敷から母親のものはすべてなくなっていて、からっぽになってしまった母親の自室を見て、泣くことも忘れ、ただ呆然と立ち尽くすしかなかったオリヴィア。
そんなオリヴィアに代わり、主であるマケラ子爵に、マドリンは盾突いてしまった。あんまりですと泣きながら怒るマドリンに、マケラ子爵はあっさりと、オリヴィアの目の前で、解雇を言い渡した。
──そう。
実母のものをすべて捨てられてしまったその日に、オリヴィアは、第二の母とも呼べる乳母のマドリンまで、マケラ子爵によって奪われてしまっていたのだ。
それが余計に、屋敷の使用人たちが、オリヴィアの味方をしなくなった要因となってしまった。もしかしたらマケラ子爵による、見せしめだったのかもしれない。
『やめて、お父様! わたし、なんでもいうこときくから! お母様もいなくなって、マドリンまでいなくなったら、わたし、哀しくて死んでしまいます……っっ!!』
必死に、それこそ泣きじゃくりながら、幼いオリヴィアは、何度もマケラ子爵に訴えた。しかしマケラ子爵は「大丈夫だ。お前には私と、それに新しい母親と妹ができるのだから、ちっとも寂しくはないよ」と笑って、聞き入れてくれなかった。
さよならも言わせてもらえないまま、マドリンは屋敷から居なくなってしまった。
そのときに、オリヴィアは思ったのだ。わがままを言っては駄目なんだ。わがままを言ったら、お父様は、またわたしの大切なものを笑いながら奪ってしまうのだと恐怖した。
逆らってはいけない。本当は義母と義妹となんて仲良くしたくなかったけど、今度はなにを奪われるかわからなかったから。
(……デイルとの婚約を解消されたらどうしようっ)
そんな風に怖れ、眠れない夜は、数知れなかった。
ペルソン伯爵家の人たちになにも言えなかったのも、マケラ子爵によって、言うことを聞かなければ、大切なものを奪われると学ばされていたからだった。
そんなオリヴィアだったが、マケラ子爵には内緒で、密かに決めていたことがあった。王立学園を卒業し、マケラ子爵家を無事に出られたら、マドリンを探しに行こうと。
その決意は、デイルとの婚約を解消してからも揺らぐことはなかったが、これについて、ペルソン伯爵家を頼るつもりはなかった。
これ以上、迷惑をかけたくなかったから。ちゃんと、自分で見つける。そして、謝罪とお礼を伝えるのだと。
なのに、こんなかたちでマドリンと繋がっていたことが、オリヴィアには、奇跡に思えてならなかった。




