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無言でグレースの腕を振り払ったオリヴィアは、ペルソン伯爵夫人の胸に飛び込んだ。ペルソン伯爵夫人はそれを優しく受け止めてくれた。オリヴィアは決して放すまいと、ペルソン伯爵夫人の服をぎゅっと掴む。
ペルソン伯爵夫人からは、甘くて、とても優しい良い匂いがいた。
「……こんなおかしな人間に囲まれて、辛かったでしょう。デイルのことも、気付いてあげられなくてごめんなさい。わたくしたちの教育が、間違っていたようです」
「……いいえ、いいえ、おばさま。わたしこそ、おばさまたちを信じきれず、なにも相談してこなかった……できなかった……ごめんなさいっ」
ペルソン伯爵夫人が、オリヴィアの頭を優しく撫でる。温かい言葉と体温に、オリヴィアの身体が熱くなり、それが涙となって流れた。同時にこれまでずっと我慢していた願いが、自然と言葉になって、オリヴィアの意図しないところで、勢いよく溢れて出ていた。
「……おばさま、お母様の肖像画、持っていませんか?」
囁くような、消え入りそうなオリヴィアの声に、ペルソン伯爵夫人が「突然、どうしたのです?」と、聞き返してきた。
オリヴィアはペルソン伯爵夫人の胸から、勢いよく顔を上げた。その顔は涙で濡れていて、訴える双眸は、真剣そのものだった。
「お父様が、新しいお義母様が気分を害するからと、お母様の肖像画も、絵姿も、服も指輪もなにもかも捨ててしまったのです……っ」
ぼろぼろと涙をこぼすオリヴィアに、ペルソン伯爵夫妻と、デイルが目を瞠る。それはまったくの、初耳だったからだ。
「お父様が、このことは誰にも言ってはいけないと……わたしはお父様が怖くて、これまで誰にも、い、言えなくて……っっ」
「──マケラ子爵。それは、本当ですか?」
掠れた声で訊ねたのは、意外にもデイルだった。その目には、信じられないといった軽蔑の眼差しが感じられた。
マケラ子爵が、バツが悪そうに顔をさっと背けた。それが答えとなってしまったことを察したのか、誤魔化すことは諦め、マケラ子爵は本音をぶちまけはじめた。
「ほ、本当だが、仕方ないだろう。誰が前の妻の持ち物を見て喜ぶ? 私は、愛する人を哀しませたくなかった。ただそれだけだ。それがそんなに責められるべきことなのか?」
「そう、ですよね。それに、いまになってそんなことを言うなんて。しかも、そんなにわざとらしく泣いて……ちょっと卑怯では」
いかにもオリヴィアが悪いとばかりなマケラ子爵夫人の台詞に、ペルソン伯爵夫人は、鬼の形相になった。
「話はこれで終わりです。あなた方は即刻出て行きなさい!」
「まっ、は、話を──!」
マケラ子爵がなにか言う前に、ペルソン伯爵夫人は使用人に「この四人を屋敷の外に追い出しなさい!」と命じた。
その命に誰より驚愕していたのはデイルだった。
「は、母上……? 四人、とは」
三人の間違いではと言わんばかりのデイルに、ペルソン伯爵夫人はきっぱり告げた。
「もちろん、マケラ子爵夫妻と、グレースと、デイル。あなたたちです」
デイルは一瞬、ひゅっと息をのんだものの、なんとか自分なりに状況を理解しようと、思考をフル回転させた。
「あ、頭を冷やせと言うことですね。わかりました。き、期間は、どれほどですか? いつ頃、戻れば」
しどろもどろなデイルに、ペルソン伯爵夫人は「一生、戻って来なくていいです」と、宣言した。
デイルは頭が真っ白になったのか。「…………え、と」と、という言葉以外、出てこないようだった。
「この件に関しては、後ほど話し合おうと思っていましたが──あなた、どうです?」
ペルソン伯爵夫人と視線を交差させたペルソン伯爵は、かまわないよ、と答えた。
「私は婿養子で、ペルソン伯爵家の血は流れていないしね」
爵位を継いではいるものの、ペルソン伯爵家の血統ではないペルソン伯爵は、デイルが成人するまでの、言わば代理にすぎない。だからこそ、ペルソン伯爵夫人の言葉、決定は、ペルソン伯爵と同等か、それ以上の重みがあった。
しかし、ペルソン伯爵夫人は、夫を心から愛していたし、尊敬もしていたので、むっとした。
「そのような言い方しないでくださる? あなたは立派な当主なのですから」
ペルソン伯爵が、はは、と笑う。
「ああ、すまない。決して自分を卑下したわけではないよ。ただ、デイルのことに関しては、きみの好きにしたらいいと思っただけだ」
「反対ですか?」
「まさか。賛成だからこそ、なにも口を挟むつもりがないだけだよ」
両親のやり取りに、デイルが愕然とする。ペルソン伯爵夫妻のあいだにいる男の子どもは、デイル一人だ。つまり跡継ぎは、デイルしかいない。それをデイルは強く理解していたため、母親の『一生戻って来なくていい』という台詞の意味が、咀嚼できずにいた。




