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ひぐらしの鳴く森で  作者: 天青


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二人だけの場所

 僕と少年は木の下で並んで座った。日陰に入ると、風が気持ちよくて、汗が冷えていくのを感じる。なんだか2人だけの秘密の場所みたいでわくわくする。大勢の人と同じ空間にいるのは嫌だけど、1人でいるのも嫌だ。でも、2人なら、そんな心配はいらない。いつぶりだろう。こんなに心地よく人と居られたのは――


「毎日、昼休みにここで練習してるんですか?」


「そうだよ。僕は落ちこぼれだからね。人一倍練習しないとうまくはなれないから」


「落ちこぼれなんかじゃないですよ。自分をそうやって下げるのはよくないです」


 僕は悔しかった。少年は頑張っているというのにひどい扱いを受けている。まだ出会ったばかりだけど、僕は少年に親近感を覚えていた。


「そう言ってもらえるのはうれしいけど、本当にそうなんだ。この高校は野球が強い高校でさ、みんな野球が上手い人たちばっかりなんだよ。僕はその人たちとは比べ物にならない」


 少年は悲しいはずなのに、笑顔で話している。


「そうとわかっていて、どうして野球をするんですか?」


 いくら頑張っても強くはなれない。才能には敵わないと少年はわかっているはずだ。それなのに、どうして野球をするのか? 僕には理解できない。無駄だと分かっていてもなお、続ける意味があるのか――


「野球が好きだからだよ」


 とてもシンプルな言葉だった。


「小さい頃に父さんとキャッチボールやバッティングをしていた時があってね。それが今でも頭に残ってるんだ。父さんは戦争で死んじゃったけど、野球だけは自分の中に残しておきたかったんだ」


 自分の中に残す。その言葉が引っ掛かった。僕はお母さんが死んでも、心には何も残っていない。それはおかしいことなのだろうか。


「野球が重荷になることはないんですか? 残すっていうのは僕にはよくわからないんですけど、それっていいことですか?」


 少年は言葉に詰まったのか、少しの間考えていた。


「そりゃぁ、辛いこともあるっていうか、辛いことの方が多いんだけど、それでも野球をしたいし、何より、父さんとの思い出を忘れたくない」


「それって、過去に囚われてるだけじゃないんですか。強くはなれないし、お金にもならない。どれだけ努力をしても報われない。そんなの意味がないじゃないですか」


 少年は少し悲しそうな顔をしたけど、それでも笑顔のままだ。太陽のように明るい笑顔ではなくて、綺麗な花を見ているときのようなそんな笑顔。


「意味か……確かに意味なんてないのかもしれないね」


 少年はポツンとそう言い残して黙ってしまった。中学生のガキが偉そうに何を言ってるんだ。と、すぐに反省した。こんな性格だから、友達ができないのだろう。でも、少年には嫌われたくない。謝ろう。


「生意気言ってすみませんでした」


 謝るとすぐ、少年は困った顔をした。


「あぁ、ごめん。君の言葉に傷ついたりはしてないよ。ただ、考えてただけなんだ。紛らわしかったよね」


 少年に余計に気を使わせてしまっただろうか。


「いやね。意味という言葉について考えてたんだ。中学生なのに、そんな言葉が出てくるなんて感心したよ。君は面白い子だね……んー、なんだろうね……意味はないのかもしれないけど、それでもここに来たからには全力で頑張らないといけないって思ってるから野球をやっているのかな? 君に言われるまで意味なんて考えたことがなかったよ」


「どうしてそう思うんですか?」


 少年は空を見ていた。遠くに浮かぶ真っ白な雲の行く末を見届けているのか。それとも、自由に空を飛んでいる2羽の鳥を見ているのだろうか――


「そもそもね。この時代に高校で野球ができるなんて、本当に恵まれていることなんだよ。戦争が終わって5年、半分の子供たちは高校には行かずに働いてるんだ。母が頑張ってくれているおかげでこうして勉強や部活に勤しむことができる。だから、適当に生きることは僕にはできないよ」


 この時代では高校に行くことは特別なことなのか。戦争――もう何十年も前の話でいまいちピンとはこないけど、この時代の人たちにとっては、ほんの少し前のこと。子供たちはいったいどういった景色を見てきたのだろうか。この少年のように、大切な人を失った人も大勢いるだろう。考えても、やっぱりよく分からない。


「そうだ、名前。何て言うの? 教えてよ」


 そういえばそうだった。お互いの名前を知らずに話していたのか。


霧島刀也(きりしまとうや)って言います」


「とうや、か……君にぴったりな名前だね。とうやって感じがするよ。ぼくは花木智成(はなきともなり)。花木っていう苗字は実はとっても珍しいんだよ。花と木っていう簡単な漢字なのに、なんでだろうね。ぼくは未だに疑問なんだよ」


 花木智成――どこかで聞いたことがある。1秒も経たずに誰の名前なのかを思い出した。おじいちゃんと同じ名前だ。おじいちゃんは3年前の梅雨の時期に亡くなった。あの日は前日まで激しい雨が降っていたのに、とても静かな雨の日だった。あじさいが綺麗に咲き誇り、地球の生命の活力が滲み出るような、そんな日だった。おじいちゃんは雄一、僕に愛情を注いでくれた人だ。父方の祖父母は家が遠くて会うことはほとんどなかった。母方の祖母は僕が生まれる前に亡くなっていて、僕の近くにいたのはおじいちゃんだけだった。昔は父方の家に両親と一緒に住んでいたのだけど、どうにも父方の祖父母とお母さんは仲が良くなかったみたいで、母方の家で生活するようになった。どうして仲が悪かったのか、何があったのかはお父さんに聞いても答えてくれなかった。


 僕は悟った。きっとこの少年は若かりし頃のおじいちゃんだ。名前が同じだけでそうと決まったわけではないが、僕の心の奥に眠っていたおじいちゃんとの記憶がそうだと言っている。


「じゃあ、ともさんって呼んでもいいですか?」


 おじいちゃんのことはいつも、ともじいって言ってたから、親しみのある呼び方がいい。


「好きに呼ぶといいよ。じゃあぼくは、とうやくんって呼ぼうかな」


 自分のおじいちゃんとこんな風にまた話すことが出来るなんて思ってもいなかった。


 そこからは、なんてことのない。他愛のない話をした。お父さんはどんな人だったのか、この時代の生活、趣味、恋バナなどだ。人とこんなに話したのはいつぶりだろうか。普段話すことがないからか、日陰で涼しいはずなのに、気が付くと大量の汗をかいていて、肌と服がくっついて気持ちが悪い。さらに、脇汗がたらんと体の横を伝って落ちていき、それもまた冷たく感じる。


「話は変わりますけど、あの野球部の顧問は酷いですよね。子供を何だと思ってるんでしょうか。僕がいた場所なら警察に捕まってますよ。ああいう大人がいるから、辛い思いをする人が増えるんだ。ともさんも何とかしないとこのままあいつの好き勝手にさせるのは見てられませんよ」


 何とかしないと本当にともさんがもたないとそう思った。子供をダメにする悪い大人からともさんを解放しないと。


「そうかな、普通だと思うけど……」


 確かに、この時代ではあれが普通なのかもしれない。でも、ともさんが酷い目に遭うのは嫌だ。


「まあ、監督のことを知らない人から見れば、そう見えるのかもしれないね。あの人ほど、生徒に対して情熱のある人はいないよ。誰よりも生徒のことを、部員の事を想っている先生だよ」


 やはり、この時代ではあれでも愛があるということになるのか? 僕はともさんの口から出た言葉を信じることはできなかった。それか、ともさんは優しいから本当のことを言わなかっただけかもしれない。


「ごめん、もう昼休みが終わっちゃうからここまでにしようか……今日はありがとうね。楽しかったよ」


 もうそんなに経っていたのか、残念だ。ともさんはよいしょと腰を上げて、背伸びをした。ともさんが背伸びをしている顔を見ていると、ちょうど太陽と被って眩しかった。目がチカチカする。


「それじゃあ、またね。とうやくんも早く家に帰りなよ」


 ともさんはそう言い残して、学校へ走っていった。


 

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