124話
大神殿の裏手は、正面の冷たくそびえる石壁とはまるで別の世界が広がっている。
裏庭では陽光が柔らかく差し込み、色とりどりの花々が咲き誇っていた。
まるで何もなかったみたいに、ひそかに揺れている。
その花畑の中で幼い姉弟の面倒を見るヴェルディを、優しい眼差しで見つめ続けているヘンデ。
「ヴェルディちゃんに会いに来たの?」
私がベンチの場所を横にずれながら尋ねると、彼は恐縮そうに頷きながら隣に座った。
「俺たち兄弟と、ヴェルディ、それからネッドは幼馴染です」
どこか遠くを見るような目線を空に向けながら、彼はゆっくりと話し出した。
その頃、私は自然に隣に異性を座らせてしまった事に気づき、内心シオルの目がないか焦っていたのだが。
「ネッドは純粋な幼馴染でしたが」
彼の言葉に「ん?」と耳を傾ける。
「俺たち兄弟は次代の聖女、ヴェルディの守役も兼ねていました」
「守役?」
「はい。この国にとって何よりも、王家よりも大切なのが聖女なのです。その候補であるヴェルディの後見と警護を命じられておりました」
「結界はそれだけ重要だった、という事かな?」
「はい。2000年前から続く結界です。王家の血を引く者と歴代の聖女の血を引く者は、それを使命としてきました」
ふと空を見上げた。すでに消えてしまった結界。
シオルの青い目と同じぐらい澄んだ青空が広がっていた。
「ネッドは――」
ヘンデは膝の上で両手を組んだ。
「幼い頃から、本気でヴェルディだけをずっと想っていました。そうでなければ近衛騎士にまであがるなど……。それだけの努力と鍛錬をずっと続けていました」
「でもあの王女に取り込まれた」
「……はい。それをこの目で見た時は信じられませんでした。でもネッドに、ヴェルディに花冠のアクセサリーを捧げる場所を貸して欲しいとお願いされた時――」
「ああ。そういえば公爵家のパーティーだったって」
「はい。俺は……ネッドの気持ちが変わってなどいなかったのだと、応援するつもりで……」
そう言葉を続けるヘンデの目はとても複雑な色を宿していて。
「自分の気持ちを無視するように、ネッドの願いを叶えようとしました」
俯いて、後悔を滲ませる。
「その結果、一番大切なヴェルディを傷つけてしまった」
「ヴェルディちゃんは、彼の事、それだけ好きだったのかな?」
聖女服を脱ぎ、伯爵令嬢の姿に戻ったヴェルディを見つめる。
「――分かりません……。が、もうネッドには遠慮しないと決めました」
ヘンデの目は後悔を滲ませながら、前を向いていた。
「誰よりも大事で、誰よりも守りたくて。ヴェルディが笑い続けていられるように……。彼女は……俺の全てだから」
「――だからアリア王女を排除する役目を命じられた時、受け入れた?」
私の言葉にヘンデから緊張する気配が漂って来た。
裏庭に心地よい風が流れてゆく。
ヘンデは一度固く目を閉じると、
「そうです。徹底的に断罪するつもりでした」
王家の墓にアリア王女に該当する記録は残っていなかった。
やっとそれらしき王女の痕跡を見つけ、墓を暴いた時は目の前が真っ暗になった。
遺骨がそのままここにある、という事は。
これを根拠には出来なくなってしまったからだ。
どうやって、あのニセモノの王女を追い詰めることができるだろうか。
『大聖封祠』からエリシア様が救出され、その場には断ち切られた核だけが残ったと聞いた時。
未使用の核を、あの王女はまだ所持しているのでは?と皇太子殿下と第二王女に相談した。
第二王女が、丁度新しいメイドの追加の希望があった、と応じ、それなら彼女に取り込まれずに周辺を探れる人物を配置してもらうことになった。
そのメイドから『核』らしき物が入った小袋がある、と報告が入り。
ではそれを今度こそしかける所を、そしてその結果を証拠としましょう、と提言したのは自分だ。
皇太子殿下と第二王女は、俺からの意見を受け、メイドに指示を出す。
それとなく、慈善事業の話をアリア王女にするようにと。
その中から彼女が選んだのは、貧民街での炊き出しだった。
「勇者様のお怒りもごもっともです。今回の被害、全ては俺が――」
「『たられば』って言葉があるんだけどね。私の世界に」
「勇者様?」
「あの時、そうしていれば――って時に使うんだけど。私はさ、この世界に来て、魔王討伐に向かって色んな場所に行ったんだけど」
「……はい」
「間に合わなかった、って事が凄く沢山あったんだよ」
「……」
「もっと早く到着できていれば、とか。もっと強ければとか、最近だともっと早くこの世界に召喚されていればとか」
「それは……」
「それから、もっと早くこの世界の真実に気づいていれば、とかね」
「!」
「使徒の話、したでしょう?」
「はい」
ヘンデの真剣な眼差しが私の横顔を射抜いていた。
「相手は……使徒だよ」
「はい……」
「炊き出しを選んだのはアリア王女だけど、核をしこむよう指示したのは恐らく使徒で」
「……はい」
「そして、アリア王女はあんな事になるなんて知らなかった」
「勇者様……」
「彼女が消えてしまった時、護衛騎士の彼はね。凄く悔しがって、怒りをぶちまけてたよ」
「それは……リュートから聞きました」
「君は?」
私がそっとヘンデと目を合わせると、彼は眉間に皺を寄せ、口を堅く結んでいた。
「断罪は出来た?」
彼女に影響され、風評を流していた貧民街の人々は、殆どが亡くなってしまっていた。
アリア王女を信じて食べて、その結果命を失った。
この事実を隠すことはできないだろう。
食人鬼を――
アリア王女が生み出したと。
「……もっと他のやり方があったのでは、少しでも多くの人々を助けられる方法があったのでは、と思うかもしれないけどね。私もあの場でそう言ったし」
ヘンデがその秀麗な顔を歪ませた。
「……最後に残るのは、結局“結果”なんだよね」
少しだけ間を置く。
「……だから、ずっと“たられば”に縛られてると、動けなくなる」
「勇者様?」
「過去は変えられないからね」
「はい……」
「それよりも、大事なことがあるよ?」
「え?」
「ヴェルディちゃんは、本当にあの元婚約者の事を忘れられるのか」
「!!」
私はちょっとだけイタズラをしたような笑顔を浮かべて、ヘンデに言った。
「ちゃんと花冠は用意した?」
花畑の中央には巨大な樹が聳え立っていた。
かつて聖王妃が愛したというその樹の側まで私はゆっくりと歩いていった。
白い小花や黄色い花が陽光を受けながら可愛らしく揺れている。
「ミミ!トト!」
私が貧民街で助けた幼い姉弟に声をかけると、二人は弾けるような笑顔を向けてこちらに駆け寄って来た。
「お姉ちゃん!見て出来たよ!」姉のミミがはにかむように、可愛らしい花束を両手で捧げて見せてくれた。
「うん。綺麗に出来たね!」額のあたりを優しく撫でると、弟のトトに袖を引っ張られた。
「僕も!僕も出来たの!」誇らしげに両手でギリギリ持てるぐらいの花束を作っていた。
「トトのは随分大きくない?持って歩いていける?」
私が心配して尋ねると、トトはちょっとハッとした表情を浮かべた後、「むう」と口を尖らせた。
「あはは!しょうがないなあ」
そう言って両腕にそれぞれ姉弟を抱く。
「「わあ!!」」
二人はびっくりして、私の身体にしがみつくようにくっついた。
「このまま行こうか。二人は花束だけを大事に持っててね」
私が二人に微笑むと、姉弟は喜びながら両親に捧げる花束を大事に握り締めた。
「勇者様!」
ヴェルディが一緒に行こうと近寄って来たので、目でそれを止めると、
「ヴェルディちゃんにはお客様だよ」
「わたくしにですか?」
彼女はキョトンとし、私の背後を伺った。
そこには何かを固く決意したような表情を浮かべ、ゆっくりと歩いて来るヘンデの姿があった。
「ヘンデ?どうしたの?」
「ヴェルディ――」
二人が聖王妃の愛した樹の下で、見つめ合っている。
(上手くいくといいね)
その先は、二人の問題だから。
私はそっと視線を外して、大神殿を後にした。




