125話
ヘンデは、ヴェルディの前で立ち止まった。
何かを言おうとして――一度、言葉を飲み込む。
その様子に、ヴェルディは小さく首を傾げた。
「どうしたの?ヘンデ」
呼びかける声音は、昔と変わらない。
ヘンデは、ゆっくりと息を吐いた。
「……ずっと、言えなかった事がある」
ヴェルディは首を傾げたまま、ヘンデの次の言葉を待った。
「俺は――」
言葉が喉で引っかかる。
それでも、もう一度息を吐き、しっかりとヴェルディの瞳を見つめた。
「ネッドの気持ちを知っていたし、ヴェルディもネッドの事を想っていると、俺は思っていた」
ヴェルディが桃色の髪が風になびいて、ゆるやかに揺れた。
だが、その瞳は少しだけ陰っているように見えた。
静かな告白。
ヘンデは苦く笑った。
「二人の様子から……ネッドと一緒にいることが、ヴェルディの幸せだと信じていた」
視線を落とす。
――あの瞬間まで
そして、ゆっくりと顔を上げ、
「俺は――……間違っていた」
ほんの少し、ヘンデの顔が歪んだ。
「もう、遠慮はしないと決めたんだ」
その決意のこもった固い言葉に、ヴェルディは一瞬だけ目を見開いた。
「お前の隣に立つのは俺でいたい。他の誰でもなく」
ヘンデが伝えようとしている事。それが――
「ヴェルディは強い。エリシア様があんな状況だったのに、一人でちゃんと対処して勇者様をここへ呼び寄せた」
「それは……」
「腕っぷしも本当は守役なんて必要がないくらい、強い」
「……あまり褒められている気がしないわね……」
そこで二人はやっと顔を見合わせて笑った。
幼い頃、皆でいたずらを成功させた時のように。
「でも、だからこそ共に立たせて欲しい。俺をヴェルディの隣に」
ゆるぎない目で、ずっと密かに想い続けて来たヴェルディを見つめる。
「――この先一生」
風が静かに流れる中、二人は少しだけ沈黙した。
やがて。
ヴェルディは小さく息を吐いて、視線を和らげた。
「……ヘンデは昔から優しいから。……それは、あんな事があったわたくしを慰めるため?」
今でも思い出す。
約束の花冠の腕輪が宙を舞っていた、あの時を。
少しだけ硬直した自分に、誰よりも早く駆けつけてくれたのはヘンデだった。
「違う。逆だ。さっきも言っただろう?もう遠慮はしないって」
ヘンデの目が少しだけ、あの時を思いだしたのか険しくなった。
さっき、勇者に伝えた言葉が頭によぎる。
『誰よりも大事で、誰よりも守りたくて。ヴェルディが笑い続けていられるように……。彼女は……俺の全てだから』
「俺には昔からヴェルディだけなんだ。ヴェルディ以外いらない。だから――お前を脅かすものは、俺が全部退ける」
物騒な事を吐きながら、少しだけ傷ついた表情を浮かべるヘンデを見て、ヴェルディは驚いた。
この短期間に何か――彼が酷く辛いもの背負ってしまったかのように、見えた。
ヴェルディは思う。
多分……今の彼にとって一番大事なことを、ヘンデは勘違いしている。
「ヘンデ?」
背の高い彼の顔をよく見るように、下から覗き込む。
「はい」
何故か緊張したような返答が帰って来た。
「わたくしはネッドのこと、恋愛的な意味で好きだったわけじゃないのよ」
「……え」
「ただ幼い頃に約束してくれた事を、彼はずっと覚えていてくれたの。それが嬉しかったから」
「そ、そうなのか」
「そうなのよ」
ヴェルディは、思わず小さく笑った。
それはこれまで見せていた“聖女の微笑み”ではなく、
もっと年相応の、無邪気な笑みだった。
「……隣に、って話。考えておくわね」
完全な肯定でも、拒絶でもない。
けれど。
確かに前に進んだ答え。
ヘンデはその言葉に、わずかに目を見開き――
そして、破顔した。
「待ってる」
そしてヴェルディの指にそっと何かを嵌めた。
「ヘンデ?」
「お守りと――予約の証だ」
それは繊細なピンクゴールドの花と、シルバーの蔦と葉が絡み合うように配置された、花冠を模した指輪。
「ちょっと。待ってるって言った側から」
「俺に余裕は全然ないんだ」
「なさすぎでしょう?」
幼い頃のように、二人は聖王妃の愛した大樹の下で、いつまでも無邪気に笑い合っていた。
◇◇◇
多くの人々が命を落とした空き地の奥に、共同墓地と慰霊碑が築かれる予定になっていた。
遺体が一部分しかなかったり、判別がつかない者が多すぎて、個別での埋葬が不可能だったからだ。
「ナギ」
その手前の通りでシオルとウェブスター主従が待っていた。
ミミとトトを両腕に抱えたまま二人に駆け寄る。
「「あ」」
主従二人が同時に口をあけた。
「?」
私がキョトンとしながら目の前に立つと、両腕の中の幼い姉弟がぐったりしていた。
「え!?」
「奥様……ご自身の脚力をお忘れですか……?」
ウェブスターがとても残念そうな顔をしながら、目をまわしているトトを受け取った。
「うそ!?やだ、ごめん。ミミ、トト大丈夫?気持ち悪い?」
腕の中のミミを覗き込むと、
「だ、だい、じょぶ」……全然大丈夫じゃない気がする。
「ごめんなさい……」
シオルは無言で、状態異常回復の魔法を二人にかけていた。
二人の体調が良くなってから、ゆっくりと空き地の奥へと歩いていった。
一角に沢山の花が添えられている。
二人も両親の為に作った花束をそっと置いた。
今日、ミミとトトを連れてきたのは、家に残った遺品を出来るだけ回収する為だ。
あの時、軍部が遺体の収容をした後、家屋が破壊され多くの遺体があった貧民街の建物を、そのままにはできないと判断したらしい。
ここは全て更地にし、立て直す計画もあわせて立ち上がっていた。
二人はある程度成長するまで、他の遺児たちと共に王家が建てた施設に入る予定だ。
そこは大神殿の区画内にあり、教育や共同生活の面倒を神官たちが行うとの事だった。
二人が必死に、母親の言葉を守って立てこもった家へ向かう。
ゆっくりとその扉を開き、誰もいない部屋の中に入った。
「持っていきたい物全部、遠慮しなくていいから持っておいで」
私が二人に伝えると、ちょっと戸惑っていたので、
「施設には少ししか持ち込めないと思うから、二人が大きくなるまで私が預かっておくよ」
二人の目の前にクルクルを見せる。
いきなりの黒い毛玉に、ミミもトトも大興奮した。
「なあに、これ!!かわいい!!」
「目がある!」
『ごしゅじんさま?おしごと?』
「しゃべった!?」
幼い姉弟がいきなり目の前にいて、クルクルもちょっとだけ萎縮したのか、いつもより小さくなっていた。
「この子が二人の持って帰りたい物、預かるから」
両手を二人にひかれながら、部屋の中の説明を受ける。
その中に――
両親が以前着ていた物だろうか?
それを解いて、新たに縫い合わせている状態の物があった。
その服のサイズは、二人の姉弟よりはるかに小さい。
そっとそれを手に取る。
「それね、お母さんが作ってたの!」
ミミが笑顔で私に伝える。
「……お母さんは、お腹大きかった?」
「凄い!お姉ちゃん、どうしてわかったの?」
驚いた様子の姉弟に、私はどうしてよいか分からなくなった。
母親は身重だった。
その身で、食人鬼になってしまった父親を必死で受け止め、この幼い姉弟だけ逃がしたのだろう。
「お父さんがね、私たちにとっておきの名前を考えてほしい、って言ってたんだ」
トトが私の手を握りながら、
「だからね、僕たちあの日、それを発表する予定だったの」
――あの日。
「何て名前を考えてたの?」
私が問うと、二人は顔を見合わせて
「「ルル!」」
ルル――。きっと両親に愛され、この姉弟と一緒に遊ぶ未来が待ってたはずなのに。
「二人は虫は平気?」
私の突然の質問に、二人はキョトンとした後、
「うん!平気だよ」
「僕、集めたりしたもん」
「それなら良かった。ウェブスターさん」
私が呼ぶと、熟練の執事は全て心得たように、黄金色に輝く虫を手のひらに乗せた。
ちょっと、ちょっとだけ私は離れて、ウェブスターに虫の説明をしてもらう。
これは私(シオル経由にはなるが)といつでも連絡がとれるように、考えていた手段だった。
「すごい!キラキラ!」
「ねえねえ、名前つけてもいいの?」
その言葉に、ウェブスターは眉尻を下げて喜んだ。
「どうぞ。お好きな名前を。この子も喜びます」
「じゃあ」
「「ルル!」」
その瞬間、黄金色の虫は星のカケラを飛ばすように、周囲に発光した。
「「わあ!!!」」
トトの両手の中で、ぴょんぴょんと跳ねている。
「ルル、これからよろしくね!」
ミミが頭のあたりをなでると、ルルは深く頷いたように見えた。
小さな光が、二人の手首に結ばれた紐に絡み合う。
両親の紐はウェブスターが核を回収する時に、土の中から探し出してくれていた。
母親の紐はミミへ、父親の紐はトトへ。
四つの紐へまるで甘えるように、ルルから優しい光が放たれていた。
守れなかった命の重さが、胸の奥でゆっくり沈んでいく。
後悔というより、もっと重い。
それは――言葉にならないまま、私の中に突き刺さっていた。




