121話
「護衛騎士の方々から、あなたが勇者様だと伺いました」
王女アリアは真っ黒な瞳のまま、私に軽くお辞儀をした。
「私は……第三王女、アリアと呼ばれている者です」
私が一度横のエリシアの様子を確認しようと視線を外すと、
「私にはあまり時間がありません。どうかこのまま――」
そう言ってエリシアに懇願するように両手を握り締めた。
「時間がない……?」
私が彼女に問うと、
「はい――まず、私には記憶がありません」
「!」
「目が覚めた時、目の前にいたのはあの男の子でした」
「魔族の?」
私が告げると、少しだけ驚いた顔をして、
「ご存じだったんですね……そうです。そしてあの男の子に私はずっと導かれてきました」
アリアは遠くを見つめるような表情を一瞬し、
「あの男の子は自身を『メルキオ』と名乗っていました」
その瞬間、アリアは一瞬だけ息を呑んだ。
そして口元から深い赤がひとしずく零れ落ちる。
「「!?」」
私とエリシアが驚いて手を差し伸べると、
「だ、大丈夫です……」
アリアは手を口元へ当てる。
“何かが起きた”
そう思わざるを得ない突然の異常に、眉間に力がこもった。
ゆっくりとアリアの身体が傾く。
地面に倒れ込む寸前、彼女の身体を抱き留めた。
「制約を破ったら、破裂すると……メルキオに言われていました」
「破裂?それはもしかして……」
私の言葉に薄く頷くと、彼女は自分の胸元を寛げた。
そこには黒い影のようなもの――。
宿主に寄生し、本来は脈動していたであろうそれは。
彼女の真っ白な肌を突き破り、黒い塊の表面がわずかに盛り上がり、細い筋のようなものが四方へ伸びていた。
……それは。
人の中にあるはずのない――、
「核です」
何故、今までずっと一緒だった護衛騎士たちを置いて、彼女一人だけここに歩いてきたのか。
この状態を見せるためだったとしたら。
「制約って?」
相当の痛みがあるはずなのに、気丈に前を向くアリア。
彼女の負担になるべくならないよう、身体の体勢を調整しながら短く問う。
「はい。……彼を、特定するような、情報を、口にすること。それと……彼からの指示、を口にすること」
「なぜ、話す気になったのかしら?」
エリシアが癒しの魔法をかけると、アリアはそっとその手を遮った。
「私がもうすでに、死んでいる人間なんだと、気づいたからです」
生きている人間に対して、核はその宿主を異形へと変質させた。
だが行き過ぎた。
変わり果てて人々を次々と躊躇いなく襲うその姿。
聞いていた話とは違った。
変質させ、意識を奪い王城に向かわせると言っていたのに。
失敗したのだと認識した時。
あの子に怒られる、とその時はそれだけだった。
――だが。
目の前でメイドが死んだ。
手を引いてくれた貴族の青年も犠牲になってしまった。
それに……核に影響された生きている人間は、みな食人鬼に変わっていた。
じゃあ……私は?
身体の中に核があるのに、何も変わっていない私は、それじゃあ――
「とっくに死んでいた私を、何らかの方法で蘇らせ、メルキオの目的のために利用されていると」
震える指先で口元を拭う。
手のひらに残った真っ赤な血。
まるで生きているかのように見える。
「それとこの惨状は、聞いていた話と違いました――もはや言い訳にもなりませんが……」
アリアはそこでまた吐血した。
「……メルキオの、目的、それが『大聖封祠』の聖王の、棺に触れ、核を設置すること」
「「!!」」
「聖王を私と同じように、操るために」
苦しいのか、眉間に皺を寄せながら必死に何かを伝えようと言葉を紡ぐ。
「それが失敗した。彼の目的が、変わりました。生きている人間に、対する核の実験へと」
アリアの目は虚空を見据え、もはや何も映していないようだった。
最後に力を振り絞って、私たちに情報を伝えようと頑張っている。
「炊き出しの、目的は、民衆の扇動でした。王宮に向かわせるよう、メルキオが、魔方陣で指示を出すと」
「……だけど、それも失敗に終わった」
「はい」
アリアがゆっくりと顔をこちらに向けた。
「勇者様、お願いです。私のこの罪を必ず公にしてください」
「メルキオは死者を蘇生し、傀儡化できます。誰かが、また利用される、かもしれない」
「世界に、この悲劇を必ず、広めて欲しい、のです」
とめどもなくアリアの瞳から涙がこぼれる。
「……目が覚めて、一番不安だった時、あの子は、私の、側にいてくれました。私は――」
初めてメルキオが笑いかけてくれた時の事を思い出す。
『おはよう、僕のお姫様。待ってたよ』
何もかも分からない世界の中で、メルキオだけが自分を知っている。
依存するまで時間はかからなかった。
でも、貴族の馬車に私の顔を見ながら飛び込み、血だらけの顔で、癒しの魔法を使うよう命令された時。
自分はメルキオが怖くなった。
それから彼が連れて来る人々を治療する毎日だった。
その内、噂を聞きつけた町の人々に治療を続けて。
気が付いたら一人神殿にいた。
一人ぼっちになってしまったと、焦る私に。
影の中からメルキオの声がした。
安心した。怖くても聞きなれたその声に。
そこからは更に彼の言いなりだった。
神殿から王宮に移ると、私を取り巻く環境が変わっていった。
国王から話し相手の貴族青年を。
皇太子から護衛の騎士、第二王女から世話付きのメイドを紹介された。
嬉しかった。
普通のお姫様になれたみたいに――
そんな時、『大聖封祠』の聖王の棺に触れ大けがを負ってしまう。
足に麻痺が残り、歩くのに不自由な状況となった時、真っ先に手を差し出して支えてくれた騎士がいた。
それがネッドだった。
「準聖女の、女性が、ネッドの婚約者だと、知った時、羨ましかった」
「あの子が、言いました。私の望みを、強く願って、言葉にすれば、それは、聞き届けられると」
エリシアの眉間に力がこもった。
「ごめんなさい……あの二人の、幸せな未来を、奪ってしまった」
アリアが目を固く閉じた。
「私は、許されないことを、してきました。そして、おそらく、このまま、消える」
「罪を、償うことさえ、もう出来ません」
右手を私の方へゆっくりと伸ばす。
その手を握ってあげると、少しだけ安堵した表情を浮かべた。
「……勇者様」
「どうか、この罪を……なかったことに、しないでください」
「私は……聖女なんかじゃ、ない。王女、なんかじゃない」
「悪魔のような、あの子に従った。だから――絶対に、裁かれるべき、なんです」
一度息が途切れる。
それでも、かすかに唇が動く。
「でも……」
「その時間さえ、私にはない。ごめんなさい……」
「普通の、お姫様で、いられた時間は……」
「……幸せ、でした」
そして最後に、ほとんど音にならない声で。
「――ありがとう、ございました」
身体から力が抜けると同時に、砂のようにアリアの身体が崩れていく。
私たちはただの砂となってしまった彼女を前に、言葉を挟むことができなかった。
砂の中には彼女の肉体に埋められていた核が。
まだ静かに動いていた。




