119話
「ん~~~」
少年が空を睨む。
そこには赤く点滅する巨大な魔方陣が変わらず輝いていた。
建物はすでに瓦礫に変わっており、周囲の人々が慌てて避難を始めている。
何故ならそこには──
「何で頭一つ潰したら、その首から分岐して三つの頭が出て来るんだ?」
レオンハルトが心底不思議そうに目の前の巨大なヘビを見上げる。
「次三つを潰したら何個になるんだろうな?」
ドルガンがうんざりした声を漏らす。
壁際にいたゾグートが「多分九個ね」と遠い目をしながら口を挟んだ。
それぞれに何とも言えない表情を浮かべて大蛇を見上げていた時。
少年が魔方陣を見ながら、ため息を吐いた。
「安定しませんか……」
安定?
レオンハルトたちが警戒しながら少年の行動に注視していると、
「今回は失敗でしたね。人間の意識を引き寄せることができませんでした。つまりまだ研究が必要という事ですね。核の問題か、魔方陣の精度か……あるいは“生きている個体”が適さないのか……」
考え込むように推理を続けている。
「聖王の確保に失敗したのが痛いですねえ。石棺に封じられていた聖王妃の魔力が想定以上で——」
子供らしからぬ表情で、目を薄く開いて首を傾げていた。
「もう少しで聖王を手に入れて、結界とあわせて聖女まで無力化できたのに」
「はあ……」と、ため息をもう一度吐く。
暗く闇のような瞳を開き、さも残念そうに両手を広げる。そして──
「まあ。気を取り直して行きましょうか」
薄く口を開き、わずかに笑う。
少年の声に合わせるように、それぞれ蛇の目がゆっくり二人を捉えた。
「せめて剣聖さんと戦士さんは無力化しておかないとね。流石に怒られてしまいます」
無邪気に微笑みながら、不気味な目が二人を見つめ続けている。
「来るぞ!」
レオンハルトの指示が飛ぶ。
地を這うような低い振動が響いた。土埃を押し分けて巨大な影が動き出す。
三つの頭をもつ蛇──
それぞれの赤い瞳が二人を見据え、まるで舐めるように揺れていた。
右の頭が地を擦るように突進してくる。
レオンハルトは身体を半歩だけずらしながら、剣を一閃しその片目を裂いた。
右の頭が大きく揺れる。
すかさず中央の頭が迫った。
ドルガンが踏み込み、盾を構えながらその衝撃を受け流す。
大きく斧を振りかぶると、その眉間を狙って振り下ろした。
その瞬間、左の頭が口を大きく開き、ドルガンへと突っ込んだ。
「ドルガン!」
レオンハルトの声に、ドルガンも素早く反応を返す。
柄を叩きつけ、顎を押し返す。
レオンハルトは前へ。
それにあわせるようにドルガンは横へ。
二人は同時に動いた。
レオンハルトの剣が、左の蛇の首元を深く裂いた。
その衝撃に反応して、中央の頭が持ち上がる。
ドルガンは勢いよく踏み込み、斧の柄をしっかりと構え、大蛇の首元を押し倒すように骨ごと砕く勢いで叩きつける。
二人は意図的に首を落とさないように動いていた。
(──九個はさすがに気持ち悪い!)
その二人の横を右の頭がすり抜けた。
「「!?」」
片目を潰された大蛇が、ゾグートを標的にして突進する。
「いかん!」ドルガンの叫び声に、ゾグートは思わず目を閉じた。
今にもその大きな口に噛まれるかと思われた瞬間、風が起こる。
やわらかく、暖かい風が──
ゾグートがそっと目を開くと、自分を片手で抱えたメイドが宙を飛んでいた。
「ええ?」
それはそれで常識の範囲外で。
ゾグートはほんの少し、目を開いたことを後悔した。
「おお!シオルの旦那のメイドか!助かった!」
ドルガンの喜ぶ声に、さらにゾグートは混乱した。
(シオルの旦那?)
「奥様より、お二人の様子を見てきて欲しいと」
「ナギがか?」
「王宮からこちらの魔方陣が視認できておりましたので」
レオンハルトとドルガンの会話から、どうもこのメイドは勇者の関係者と察することができた。
少し安堵して、身体の力を抜くと、
「こちらは危険ですので、この方々を移動させても宜しいでしょうか?」
(この方々?)
ゾグートがもう少し顔の角度を変えて反対側を覗くと、自分の部下がメイドのもう片方の手で抱えられていた。
「え」
メイドの顔を下から見上げると、とんでもない美女だった。
肩までの煌めく金色の髪が宙に舞い、美しい黄緑の瞳が凛とした視線を目の前の敵に向けていた。
そんな美女に大の男が二人、両脇に抱えられている。
「頼んだ!」
「すまんな!」
レオンハルトもドルガンも、その異様な光景に全く違和感がないのか、笑顔でメイドと会話している。
ふと気になって、目の前の敵である少年をゾグートはちらっと見てみた。
「……」
暗く落ち窪んだ目を、これでもかと見開いていた。
その表情に、動揺したのは自分だけじゃなかったと、こっそりゾグートは安堵した。
だが、それだけでは終わらなかった。
「何故、僕の女神が僕以外の男に触れている?」
瓦礫の上で、聖王がゾグートたちを激しく睨んでいた。
「今のこの状況をお分かりですか?」
美女が冷たい視線を聖王に向ける。
「すみません……でもっ!いえ、僕も手伝います。その男たちを預けて下さい」
まるで懇願するように、美女に両手を広げる聖王。
メイドは更に目を細め、険しい表情になった。
「この状況をお分かりですか?」
もう一度、冷たく言い放った。
レオンハルトとドルガンは、二人の会話に少し背中が寒くなった。
そこで初めて聖王はこちらに視線を向けた。
「この大蛇を倒せば良いのでしょうか?」
何でもないことのように目の前の三頭の蛇を見上げる。
「首は落とすなよ」
レオンハルトが注意をすると、聖王は怪訝な表情を浮かべた。
「うんざりだが、三倍に増えていくんだ」
ドルガンの説明に察したのか、もう一度大蛇を見上げる。
そして大蛇の上に少年が宙に浮いていることに気が付いた。
「あの少年は?」
「お前さんの石棺、壊した元凶だな」
石棺を壊した──その言葉に聖王の雰囲気が変わった。
「我が妻、聖王妃の魔力が詰まった僕の石棺を……壊した。あいつが?そうですか……」
少しだけ低い声音に変わると、
「殲滅する」一言呟いた。
「「聖王……?」」
レオンハルトとドルガン、フェリアが聖王に視線を移した瞬間、彼の左手側に光が弾けた。
激しい光が輪郭をなぞるように円を描く。空気そのものが震えた。
彼の左側に突如現れた魔方陣が青く輝く。
その魔方陣の中心に“影”が立っていた。
──人の背丈を優に超える巨大な弓。
それを聖王は優雅に構える。
背後には、幾重にも重なる巨大な光の環が浮かび、ゆっくりと回転している。
聖王は弓を軽く引いた。
背後の光の環が一斉に震え、無数の光の粒が弦へ吸い寄せられる。
次の瞬間──
百本を超える光の矢が形を成した。
“純粋な魔力の形”だけで構成された矢。
さらに弓を引く。光の環がさらに増した。
「レオンハルト、ドルガン。避けてください」
それだけ告げると、何のためらいもなく放たれた。
空気が一瞬で押し潰されるような、甲高い音が響き、光の矢が雨のように降り注ぐ。
「おいおいおいおい!」
レオンハルトが慌てて瓦礫の上に飛び上がる。
盾を構えながら、ドルガンも何とか矢の範囲外に逃げ延びた。
光の環が再び震え、新たな百本の矢が形を成す。
「無限の矢なのか?」
ドルガンが頭上を見上げながら茫然と呟いた。
光の環の回転は止まらない。
それどころかもう一回り大きな環が更に生まれた。
聖王は完全に標的を定めた状態で、何度も弓を放つ。
圧倒的な物量で大蛇も少年も、魔力の弓矢で串刺しにしていく。
「……これは想定外ですね」
少年が全身をもれなく矢に貫かれたまま、思わず愚痴をこぼした。
そして又しても指を素早く噛み切った。
「逃げるぞ!」
レオンハルトがそれに気づいた。
だが一足遅く、少年は足元の大蛇を切り捨てると、そのまま魔方陣へと溶けるように消えていく。
「また会いましょう。みなさん!」
手を振りながら、矢に刺さった状態の不気味な笑顔で去っていく。
大蛇は聖王の放った大量の矢に貫かれ、ピクリとも動かない。
レオンハルトとドルガン二人がやっと瓦礫の合間を縫って、路地に出ると。
二人の男を抱えたままのフェリアと聖王がまだ揉めていた。
現場の建物は完全に崩壊し、巨大な三つの頭を持つ大蛇が横たわり、あり得ない量の矢が突き刺さる──
どう説明すべきか悩む状況であるはずなのだが。
2000年を超えて再会した番の魂は、一筋縄ではいかないようだった。




