偉大なる貴女様へ
朝6時。
移ろいやすい山の天気が雨を降らす。
パラパラと、最初は粒のような雨だったのが次第に本降りとなって大地を濡らし、雨音がうるさく私の耳をつんざく。
ダムから帰ってきて一睡もせずに駐屯所で雨宿りをする私たちの中に会話を切り出そうとする者がいなかった。
おかげで、外の音がよく通る。
「……あ」
ふと私は、うっかり5人分のコーヒーを注いでしまったことに気づく。
自暴気味に焦って、一杯のコーヒーを思わず流しへ捨ててしまった。
「っ!」
私は最初から四人分用意するつもりだった。
そう、四人なんだ。
四人四人四人四人四人四人四人四人四人四人四人四人四人四人四人四人。
そう四人だったんだ。
そんな、虚しくなんとも友を冒涜するような行為をしてしまったのか。
「なんで……なんでなのよ……」
罪悪感や悲しさ、怒り、辛さ。
いろんな感情が一気に流れて押しつぶされそうになり、吐き気が催してきた。
一体どこで間違えてしまったのだろう。
今でも、悪い夢なのではないかという気持ちがどこかに残っている。
『アマテさん』
明日になったら、ひょっこりまた顔を出してまた元通りになっているんじゃないか。
そんな淡い期待を抱いてしまう。
分かってるはずなのに、もう元には戻れない。失くしたものはもう、二度と戻ってこない、
そんなこと、一々偉そうに言われなくたって分かっいたつもりだったのに。
「……」
ダムの探索を終えた私たち。
そこで聞いた思いがけぬ言葉は、私の心を深い沼の奥底へと沈めていく。
見立てが甘かった。
そうと言わずしてこの結果をなんと呼べばいい。
今まで、何度か危険な目にあった。
だから今度も「きっとなんとかなるんじゃないか」そんなことを思っていなかったわけじゃないと言えば嘘になる。
身近な人の死をどこかファンタジーやおとぎ話みたいに考えていたんだ。
涙なんて、とっくに枯れてもう出る涙もない。
私は四人分のコーヒーを持ってみんなの元へ持っていく。
「……簡素だけど、埋葬しといたよ」
「あのままカラスの餌にでもなったら可哀想だからな」
入り口から見える、土の盛り上がった箇所。
バラバラになった欠片をどうにか掻き集め、一晩がかりであそこに私の友達を眠らせた。
今は献花も石も起ててやれてない。
乃愛さんは、昨夜からショックで気を失い未だ目を覚まさず休憩所で横になっている。
「……警察、遅くね? 通報した?」
「この雨と山中だからな……すぐには来れないらしい」
そういうわけで今いるのは男性三人、重苦しいムードで何をするでもなく無意味な時間を過ごすばかり。
無理もない……。
「まだいたか。余所者共が」
失意の私達の下へ現れたのは村人たちだった。
この狭い村の中、夜中に私達があれだけ大騒ぎしてて情報ももう伝わっていることだろう。
まるで私たちのことを一瞥しているようだ。
「大方。ハスマオ様の祟に触れたのだろう」
「……なんですって!」
その言葉が、今の私にとってどれだけの着火剤になったか。
手元にあった椅子を担ぎ、あいつらに向けて投げつけてやろうとしたその時だ。
「落ち着いてください!」
カッと頭に血が上った私を止めたのは神日さんであった。
「今、ここで村の人間と揉めれば余計に話がややこしいことになります! どうか、自重してください!」
その言葉で、思わずでかかった拳を無理やり納める。
私のことを明らか見下した目線を送る村人たちは新たな犠牲者が出る前に早く立ち去れと言い残し、去っていこうとする。
「……ところで、あの教祖様はどこへ行ったんだよ」
「菱輝様は昨夜より、我らが主の元へ参られた。怒りをお鎮めいただくためにな」
「つまり、昨夜から誰も見てねぇってことなんだよな」
その言葉に返すことなく村人たちは去っていってしまった。
だが、この場に姿を現さない。
少なくとも村に今、居ないということ。
「やっぱり……犯人は鈴木根っ……!」
彼が犯人と結びつけるには十分だった。
「確かに、昨日あいつが逃げるのを一瞬と言え見かけたけど……」
「殺してやる……!」
台所にあった包丁を持ち出す。
ここが駐屯所だとか、警察の前だとか。
そんな当たり前の判断すら及びつかなくなるほど私の頭は怒りに支配されていた。
『落ち着きなさいよアマテ』
「ミコトは黙ってて!」
「音黒さんを……あんなこと……あんな、残酷な……っ! 明日も、明後日も予定があったのに!」
私が包丁まで持ち出してくると思っても見なかったか。呆気に取られている神日さんの手元にはドリームキャッチャーが握られていた。
「これ。遺体を掻き集めてる時に見つけたんです、まさか。こんな、形見になってしまうだなんて……」
「音黒さん……神日さんの事が好きだったんだって……この旅が終わったら、告白するんだって……私に……」
「音黒さん……そんな」
もう、叶わなくなってしまった。
神日さんは、普段の冷静さも温厚さもかなぐり捨てて膝から泣き崩れ、床を拳で殴りつける。
「ああああああっ!」
その無念はどれほどのことか。
「許せませんよ、こんな……あんな優しい人を……よくも!」
彼は、今まで聞いたこともないくらい大きな声を張り上げる。許せない筈だ、腹の底から唸るような大声は底しれぬ憎悪を感じさせた。
『今のお姉さん、私的には好みかもなぁ。面白い感じに煮えたぎってて』
「当然でしょ……私にとって。初めての。王林町に来て、初めての友達だったんだ」
「絶対にあの男をぶっ殺してやる!」
『いい加減になさいっ!』
そんな私に喝をいれるが如く、ミコトの怒声が鳴り響いた。
「なによ!」
『あの鈴木根って男が犯人だと思ってる? バカバカしい。普段の貴女ならすぐに気づけたでしょうに』
「何が言いたいの!」
『これが本当にハスマオって神の祟りだとすれば彼らにとって「正しい行い」であって何もコソコソ隠れることじゃない』
「知らないよ! あんな奴らの考えることなんて!」
頭から腐ってんだ。
普段がどうだったかなんて関係ない。
訳のわからない風習に固執して、人の命を人の命とも思わない連中なんかと私はどんなことがあっても、それこそ刺し違えるくらいの覚悟だった。
『アマテ、怒る気持ちは分かる……なんて簡単に言えやしないけど』
『そうやって思考を曇らせて、固執してるようじゃあいつらとなんら変わりないわよ』
「私が……あいつらと一緒だって言うの?」
『貴女は鈴木根をとっちめたいの? 違うでしょ。真相を解明して音黒のかたきを討つことじゃないの?』
「それはっ……!」
そこから、何も言えなくなってしまった。
私の煮えたぎっていた頭が一瞬、真っ白になったのを見計らったみたく冷静に言葉を続けた。
『鈴木根があそこまで音黒をバラバラにして、大学生たちはどこかに監禁している……なんか矛盾が多くない?』
今にして思えば、私は一つのことに固執し過ぎていたのかもしれない。
分からないことを理解しようともせず、自分のやり場のない怒りを、手頃な何かへぶつけて晴らそうとしていたのではないか。
私は、ただ彼女の死に捕らわれて目が見えなくなっていたのかもしれない。
「……そうだよね。ゴメン」
「ねぇ、みんな。ちょっと待って」
私は、ミコトの話を皆にも話す。
とは言え、皆もそのことは薄々分かってはいたのでないか。
私ほどでなくとも、鈴木根への怒りと音黒さんへの仇がごっちゃになって本質を見失いかけていた所へ風穴を開いたようだ。
「言われてみれば確かに」
「じゃあちょっと待ってください。誰が彼女を殺す動機があると言うんです?」
「それはわからないが……別に逃げただけじゃなく。本当に儀式の段階へ入る為に姿を眩ませた可能性があるな」
「これ。一応一晩かけて解読しといたよ」
私のことを待っていてくれたのでないか。
そう思わせるほど、都合よく開けた風穴に光をもたらしてくれるのは土夜くんだった。
それは、私たちがダムで見つけ持ち帰っておいた日記帳。
「子供の走り書きだし、ページが引っ付いたり、風化してるせいで全く読めたものじゃないけど、少なくとも儀式についての内容。俺が知りたかった内容があったよ」
「アマテさんは日記って言ったけど、よく見たらこれは教科書だな」
「教科書?」
「子供にハスマオ様がどれだけ素晴らしい物か。生贄になることはとても栄誉なことだって教える教科書って感じだ」
「感じ悪……」
「まぁ。それは置いといてだ」
「まず。生贄に決まった子は、牢の中で数週間過ごす。世俗の穢れとか、不純物を浄化するための試練らしい」
「そして、大人たちは祠で儀式の舞を披露し仕上げの狼煙を上げ、そっと大人たちがダム……と言うか当時は湖だったらしいな。そこへ子供を舟に乗せて流す」
「祠……」
儀式は祠とダム、もとい湖でセットになっていたということか。
「謎が一つ残ると言えば、なんで鈴木根の名前がこの本に記されていたかだな」
「同姓同名ということはないよね……そうなると、彼……本当に人間なんだよね?」
『肉体を何かしらの魔法で若返らせているか維持してるなら、必ず魔力の反応が残るはずなんだけど……全くそんな気配がないのよね』
「まぁ。理由は分からんが、別人が鈴木根の名前を襲名式なか名乗ってる可能性もなきにしもだし、人間じゃないと決めつけるのは些か早計だとは思うぜ」
「仁路ちゃん、祠ってどこにある?」
少し考え、ダムに比べて小さく目立つポイントもないからと思い出すのに苦労していたが、広げっぱなしの地図へボールペンで丸印をつける。
「何回か見たことはあんだけど、村人に聞いても特に何に使ってるかとかは誰も知らないみたいだったな。埃とか溜まりっぱなしだったし、そんな大事なとこだったのかな?」
湖に比べて、随分貧相というか雑に扱われているようだ。
「長い年月をかけて儀式の形が風化したとかあるんでしょうか」
「……あの盲信ぶりからして、考えにくくない? 」
いずれにしろ、私たちは彼と会わなければならない。真相を解明する為に。
「行ってみるか。祠とやら」
「えぇ。行かないことには何も分かりませんからね」
私たちは雨合羽を着て、雨に備える。
傘と違って両手が空くからいざという時に使えると、準備しておいた。
「……」
行くのは、私と神日さんと土夜さん。
乃愛さんは未だに目を覚まさない。
覚したとしても、恐らくまともに探索どころでない筈だ。
乃愛さんは一人になったところを襲われた。
いつ、どこで襲撃が起こるか分からない狼の放たれた柵の中、彼女を置いていくのは気が引けた。だからといって、連れて行くのも危険だ。
「あの子は俺が責任持って見ておくよ。絶対目を離さない」
「頼んだよ。仁路ちゃん、一時間待って何もなければ彼女担いででも下山してくれ」
「分かった……死ぬなよ」
「了解」
まるで、私達の行く手を阻むかのように強さを増す雨と風で泥が跳ね、腹にまでかかる。
一歩気を緩めたら、滑って谷底まで落下していきそうなプレッシャー。
数理先ですら、全く見通せない霧の中。
風の音は、まるで怪物の慟哭。
化け物の胃の中に飛び込んだようだ。
それでも、先へ先へと行く他ない。
今の私たちにできる事はそれだけだ。
「ふぅ……はぁ……」
先頭を歩く土夜くんを頼りに、彼がスマホに残した地図を元に先導していく。
そうして、私たちは目当ての祠へと辿り着く。
確かに、ダムにと比べても貧相と言うか、いつ飛ばされ壊れても不思議でなさそうな小さい社が一つ忘れ去られたかのようにあるだけ。
「……で、ここにいるのかね。教祖様は」
分かっていたことだが。
ここになにもありはしない。
『いや、ちょっと待って』
私の右腕がミコトに乗っ取られる。
すると、ミコトは何もない空間に向けて穴へ手を突っ込むみたく手を伸ばす。
「嘘……!」
すると、まるで写真が破けたみたく空間が破けていく。
「なんじゃこりゃ……」
その先の光景を目の当たりにして私たちは思わず息を呑む。
その奥は、ずっと木々や自然物ばかりを見て来た私たちの目にはあまりにも真新しく、SF映画やファンタジーの世界にでも迷いこんだのかと思った。
脈打つように点滅する青いラインが刻まれた六角形の通路。それが遥か先の地平まで続いている。
この異様な光景を見た私たちは、訳がわからず一瞬立ち尽くしてしまった。
『これは……これはこれは!』
『まさかとは思ったけど、本当にあったんだ!』
こんな景色をいの一番に感動していたのは、機械オタク気質のシオンだった。
『偉大なる種族の文明が!』




